すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      〜21聖紀をになう子どもたちへ

スピリチュアル


 見えない世界

極大・極微

何もない 真空の世界がありました。真空とは空気などの物質が 全くない状態です。
10のマイナス44乗秒後に始まって
10のマイナス33乗秒後に終了したという
つまり
1秒の1兆分の1を さらに1兆分の1して さらに10憶分の1以下にした
とてつもない わずかな時間で
宇宙に揺らぎが起き 異常発生したというのが

「インフレーション理論」 科学の最先端の理論です。

そして
137億年前(150億年前とも言われる)に 一瞬にして起こった爆発で 宇宙が生まれ
その後 宇宙が膨張を続ける中で 
素粒子や原子・分子・銀河・星・生物
そして人間が創られたと考えられています。

1日を(365日)宇宙の誕生から 今 に置き換えると

8月には 90億年以上が経ち 46億年前にあたり 地球が誕生しました。
やっと
12月の年末に 魚類・爬虫類・両生類・鳥類・哺乳類・恐竜時代
12月31日 21時30分 ヒトが誕生
        23時59分 55.4秒 キリスト誕生
        23時59分 58.12秒 鎌倉幕府誕生
        23時59分 59.07秒 江戸幕府誕生
        23時59分 59.65秒 ペリー来航 幕末
        23時59分 59.945秒 現代

人類の歴史は 宇宙のスケールで見ると たった数千年の間が 極めて早い速度で 進化・変化が起こりました。
ほんの瞬きをするような一瞬です。

そしてまだ 宇宙は膨張・成長を続けています。

そんな中の地球の生命体である私達・食物・動物・物質は

細胞→ 分子→ 原子 から成り立っています。
1つの原子は 
中心の原子核(陽子と中性子)と その周りを飛び交う 電子 からできていますが
陽子の数によって 
その原子が 「水素」なのか 「鉄」なのか なにかの目に見える物質 という事になります。

人な人 動物・野菜・お米・・・原子の集合体の生命・物質は
1つの細胞の 更に 小さな小さな 「素粒子」
超極微の世界で見たら どれだけ膨大な 「空間」 があるのか。


真ん中の 原子核を 1個の梨に例えるとすると その周りを飛び交う 電子 までは 600mの 真空 なんだそうです。

ですから 人の体・あらゆる全ての物体物質の 細胞の集まりは 実はスカスカの穴だらけ という事になります。

600mという膨大な真空空間。

何もない真空に何を染み込ませていくかが大事なのです。




物質を細かく砕いていき それ以上 分割できない究極に小さい粒子が 「素粒子」 です。
身のまわりの物質は 「原子」 でできている事はわかっていましたが
原子は 「原子核」と「電子」でできており 

この「電子」こそが 「素粒子」です。

原子の真ん中の「原子核」 (上記の 梨に相当する)は 「陽子」と「中性子」の2種類のつぶの中の 更に「クオーク」が3つ集まったもの。
この クオークこそ 「素粒子」です。


地球が 「原子」の大きさに相当するとすると
野球場が 「原子核」
ボールが 「電子」や「クオーク」などの 「素粒子」

そのスカスカの隙間だらけの 極微の60兆の細胞を 浄める のか 穢す のかが分かれ道です。

目に見えないものは存在しない と考えられがちですが 
細胞一つにしても コピーの研究はあっても人間の力で 元からつくれない。
根本原理が ほとんどわかりません。

このスカスカの部分。秘めた心 秘めた想念。 霊的な細胞とも言える部分を きれいにしていく事が大切になります。
理屈抜きに フッと湧いてくる 想念がきれいになるという事。魂がきれいになる。脳砂も浄まってくる。
人格の完成・秘めた心の 想念の完成ということになります



言霊


言葉の力の事を 「言霊(清音では『ことたま』)」 と言います。
心の奥の 秘めたところの想念が言霊になり それが言葉になって発せられ 行動になります。
言葉は魂。言葉は生きているという事。言葉そのものに力があるわけです。
発する言葉で 人を助けたり 守ったりするわけです
なので 
自分の欲から出る思いを口に出して言う 「言挙げ」と 
清い想念から発する 「言霊」を峻別しなくてはなりません。

言葉は人間の想念の波をを 相手に移すわけですが
善の想念・利他愛の想念で発した言葉は いい光が乗るけれども



悪い想念で発すると言霊の色が黒ずんでくる といいます。
自分の細胞・家庭・学校・社会全般に対する影響力。
なので正しく美しい言霊は家庭でも学校でも極めて大事です。


万葉歌人である 
山上憶良(やまのうえのおくら) が 
「言霊の幸はふ(さきはう)国」   言霊によって幸せになる国。

柿本人麻呂 が 
「言霊の助くる国」          遣唐使に出向く知人に対して 言霊によって助けられる国だから 言葉に出してあなたをお守りしますよ。私の発する言霊に対して あなたは守られますよ と言っています。

言霊を発し通りの人生になる。
運命を決めるのは 自分だ とよく言いますが 
何が決めてかといいますと そこに言葉が存在するわけです。

否定的な言葉を出す人は 否定的な人生になる。
愚痴の多い人は 自ら発する愚痴によって人生が引っ張られる という事があるといっていいと思うんです。
自分とは何者と考えると

今の自分は自ら発してきた言葉の結晶体なんだといくらい 言葉は大事であり 
言葉は生きているんだという 
これが言霊信仰という事になります。

ですから 言挙げせぬ国として 言葉を慎重に出す。
余分な 余計な言葉は出さないという意味です。
きれいな言葉 きれいな日本語を使う 美しい言葉を発する人。言葉が人格をつくることになるでしょう。




漢字が伝わる以前から 日本列島で話されていた言葉が 「大和言葉(和語)」です。
縄文時代以前から もともと話されていた言葉で 
漢字の 訓読みに当たるのが 大和言葉であり 音読みの方が 大陸から入ってきた読み方という事になります。

漢字以前に 文字がなかったのかというと
超太古は 今の世界地図のイメージではなく 地続きなので
霊の元つ国 と人類発祥の地と言われるところから 
大陸を渡り そして戻ってきたりの中で 古代文字として 
日(アヒル)文字 ・ヒフ・シュメール・ペトログリフ・天越根 など 「神代文字」 が伝えられていたという事です。


言葉の一音一音に意味がある。
つまり 力が籠っているということになるわけです。

例えば神主さんが 神様をお呼びになったり お帰しする時の 音。
「おおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」と 「お」で呼び お帰りされるわけです。
「お」 は偉大なものを感る 表現されるわけです。
「ひ」 は燃えているもの。エネルギー。
「し」 という音は水が表される。

「あ」 は開く・開き広がる・開顕
「う」 は閉じる・有る・生む・実在させる
「ん」 は終了。 金剛力士像(仁王像)の 阿行像と吽行像は有名ですが
阿(あ) が始まりで 吽(うん) が終わり。阿吽の呼吸とも言います。

祈りの凝集です。



一音一音が 感動の表現です。
我々が使っている 日本語・大和言葉には 
一音一音に意味があって だからこそそこにはパワーが込めることがれできる。言葉が生きているのです。


なので言葉は 意思・伝達の手段と考えられています。
言葉それ自体に 「霊力」がある。力があるということです。言葉は生きている。

もっと私たちは言葉を貴んで 言葉の持っている力を生かして
若い人たちには 言葉によって自分の人生が開かれていくし 
言葉によって相手を 世の中を変える力を 言葉が持っている。
しかし空虚な言葉をだすから 空虚になる訳であって

力の籠った言葉を出す 発することに意識を持っていただいて 
そして 言葉に出した時には実行が伴うように努力をされて 
実行するから言葉を発する という 「知行合一」「言行一致」 と一緒で
言葉と行動が分離していないことが非常に大切です。

未来をつくっていくのも 
今から これから発する言葉によって その人の人生は変わっていくわけですよ。

占い師にしても 来た人の出す言葉によって あぁ この人は こうなるという事が粗方見えてくる ということです。

言葉の選び方・使い方 ちょっと意識を置いて 日ごろ使われるといいのではないかと思います。
なので 子どもにも ネガティブな言葉は言わない。言葉に力があるからだという事です。そのようになっていくという事です。


そして 言葉によって民族の連続性が保たれる。生活や文化が続いていく 言葉は一番の要になるのです。

世界の言語は 言葉の数の数え方にもよりますけれども 大棟 どれくらいあるかと言いますと 6000くらいある。しかし 2週間に1個消えてく。 
伝承されず話し手がいなくなることで もう途絶えるという 絶滅危惧種にあたる言語がたくさんあるんです。

少数民族に限らず 言語政策により 日本語に制限をかけるような事が行われた場合には危ないわけですよ。
明治時代に 漢字をやめようとか ローマ字・英語を公用化しようなど。また戦後は フランス語にしてしまおうという動きもありました。
今でも会社の中で 英語しか使用しない などという話もあります。

我々は 日本語で感性を養ってきた民族であって 
日本語の言語能力が低い子どもは 英語が上手くならない という話もあります。



ベースである日本語の言語能力を身に着けて 外国語をやっていかないと 
単語は覚えるのは早いけれども 日本語の上に外国語を学ばないと 活用ができないという事です。



日本という国は 古来から 
「神話」・「信仰」・「言語」・「民族(国民)」 の4つの要素が 一つに連なっている国なのです。
古来から 神道は宗教とはいえず 古代人の素朴な信仰心が 今に伝えられているものです。
大和言葉の 天(あま)照(てらす)大(おおきな)神様を 太陽を拝むこととして
大(おおきな)国(くに)主(ぬし)神様を 大地に感謝することとして
全てのものに霊性を認めること・先祖をお祀りすることなど これらを色濃く残しているのが神道です。
神話は大和言葉で伝えられているんです。

日本人の国民の祖型は縄文時代につくられていて 縄文時代は一万数千年間 続いたんですね。
そんな昔から我々は 血筋において連続性がある ということです。

ところが 弥生人がやってきて 縄文人が取って代わられた 縄文人はどっかに追いやられた と学校で習う事が多いのですが

最近の DNA鑑定の研究で 日本人のベースは縄文人だったという事が明らかになっています。
弥生人も縄文人だった。
大陸からきたものにも 新しいものもの 善いものは
どんどん取り入れるという 積極新種の心を持ってるということです。
だからこそ 連続性が保たれてきたという事です。本当の保守というのは その意味をもちます。

中学生くらいでも 古文を勉強すれば 1000年前の書物の 源氏物語など読める。 
何となくでも 万葉集の歌の意味がすっと入ってくる。
そんな国は日本しかないだろうと思います。 

英語も数百年前になると わからないそうです。

ギリシャにしても ギリシャ神話の神様にお参りをする 拝むという姿は見受けられません。
神話と信仰は途絶え 言語も古代ギリシャと今は 違いますね。血筋においても民族の移動があるので切り替わっているわけですよ。

かつて2000年ぐらい前 エルサレムをローマ軍が包囲したわけですよ。死者と奴隷。
これが戦争です。
ユダヤ系の司祭が 敵方の ローマ軍団長に 
焼け後から 生き残った孤児たちを集めたい そして教育をしたい。言葉を通して歴史を教えたい と申し出たそうです。

言葉をもって誇りある歴史を伝えたい。
 
「祈り」 と 「言語」 と 「歴史」 この3つを伝えることによって ユダヤ民族は絶滅の危機を免れたわけですよ。

日本はまだ そこまでの危機に陥っていないですが 色々な形で西洋化して 文化に対する制限がかけられてきて 
うっかりすると 我々は 言葉を失いかねない という事です。
かえって じわじわと消えていく状態ですから 
ゆでガエルの例えのように 気が付いた時には 身動きとれない という状態になっている
という事がありうるわけですよ。



敗戦の時に 歴史も 言葉も東洋漢字に 言語も制限をかけられているんですよ。
民族を絶やそうとするには 歴史とか信仰とか言葉を奪ってしまうと 
人は生きていても 記憶とか伝承のつながりが無くなれば その民族は消えて無くなるだという事を 歴史が証明しているんですが

日本は幸いにもまだ途切れずに来ているので それが無くなるという危機感が薄いのです。
けれども
ユダヤ人が必死で守ってきたことを通じて 日本人の私たちも考えていかないと
言葉は2週間に 1つ消えているんだという事を頭においていかないといけないと思います。

日本のように1000年。それ以上に言葉をさかのぼれる国は他にありません。
国柄として 皇室があったからこそ保たれてきたんです。

我々が生きた証が 後世に受け継がれる そんな国が日本なんです。

ほとばしる 一言一言の言霊に 光の種が宿るよう その種から 光の芽を出していくよう
輝く花を咲かせたいものです。

引用・参考文献  林秀臣さん 縄文のコトダマ /  神谷宗平さん   他


波動


赤ちゃんは 脳天が柔らかく ペコペコしています。脳天から 
宇宙のエネルギー・法・波動・生命 が入ってきます。
そして 脳天の凹みより下 医学的には 松果体・脳砂 あたりというところに 叡智をとらえる
「第3の目」 があると言われています。医学的にも 光を感じ取る場所とも言われています。


動物にはない 人という存在は 「理念」をもっています。
「霊性」 とよんだり 「何のために」という向上する想いが湧くものです。

戦後 日本は異様なまでに遠ざけられてきた スピリチュアルなものが そろそろ表に出だしてきました。
日本人がアイデンティティーとして持っているもの。感性的なものの記憶が 蘇ろうとしています。
真・善・美の世界を求めていく事を考えられるようになってきました。

おへその 少し下には 欲心を抑制する場所があります。
腹が立つ。観の虫。ワガママ・自分の快楽だけに使う 欲は理性で押さえていかなくてはなりません。小欲といいます。
聖書に アダムとイヴが リンゴを食べてしまい 神様から楽園を追放されてしまった神話は有名です。
本来 欲は
善い事のために発揮する 大(たい)欲を持つように 欲心を与えられた とうかがっています。
「肚(ハラ)を決める」 といいます。
頭で考えると不安定さが出てきます。知識だけではなく 肚を決めて 行動に出る。
肚が決まる。肚に力を入れる。
すると 何のために 今これをさせていただくのか 目にも力が入り キラキラ メラメラとしてくるものです。

「何のために」欲を発揮するのかが大事です。








遺伝子

遺伝子の研究はすごい進歩をしてきました。
その一つのハイライトは 人の遺伝子暗号は 全部解読されたということであります。
遺伝子は 親からもらって 子どもに伝わるのですが 最近わかったことで

遺伝子の 2% しか 働きがわからないということです。

そうすると 未知の眠っている 良い遺伝子のスイッチを ONにして 良くない遺伝子を消すことができれば 私どもの可能性は 
まだまだ伸びるということです。
運動・食べ物で スイッチの ON/OFF  になることがわかりました。

あと心の持ち方で 偽物理効果 というものがありまして
心の働きで 遺伝子の スイッチON/OFF がおきるということです。
陽気なスイッチが ON になるということです。
嬉しい・楽しい・喜び・感動・感謝。祈りまでもが スイッチONになる。

笑いによって 糖尿病患者さんの血糖値が下がります。
どの民族の神話にも 「笑い」 がでてくるんですね。

天照大御神が 岩戸に隠れたら 世の中が真っ暗になったのが 「笑い」の大宴会で出てきたという 古事記のお話もあります。

神話を馬鹿にする人がいますが
神話を忘れた国は 全部滅びているという風に アーノルド・トインビーが言っています。



神話は事実ではないかもしれませんが 真実を伝えています。



主食になる 稲の遺伝子情報を知っている国は強い。
日本人は稲作をしてきた。

科学は二面性があって
理性と知性と 客観性・論理がたいせつなんですね。

もう一つは 「感性」 ですね。それから「直感」・「霊感」。「インスピレーション」というもの。
常識を超える研究は 「勘」なんです。(甚だしい力)
後は 「絶対やるぞ!」 という熱い想いです。

何度もだめだ と思いましたが ピンチはチャンス。お米の研究は 日本でやろうという想いでした。
身体の設計図の遺伝子暗号が 人間に書けるはずがない。誰が書いたのかわからない。
知恵を超える世界がある。
神・仏 と言うと 科学者は あいつはもう終わり と言われるのですが

目に見える 自然・太陽 とか山とか海とか。
目に見えなくても 測定できる自然。酸素とか水素とか。

そういうものではなくて 目に見えないけれども 非常に不思議な働きをする 至善(しぜん)がある。
人間によって ほんとうに大切なものは

目に見えないんじゃないか。 心。魂。
全ての生き物に 遺伝子暗号を埋め込んだものも見えない。

今は芽に見えるものだけ。
お金に換算できるもの。データーの出るものに価値をおいています。

しかし 本当に大切なものは 目に見えない。
人知を超えるものを疎かにしてきたのではないか。

私たち 科学者は反省しなければならない。
地球は 46億年前からあるんですよ。人類ができたのは20万年前。近代科学は300年前なんですね。
46億年前の地球の事を まだまだ知らないんです。

目に見えない存在のものを 「サムシング グレート」 という風に言ってきました。

神も仏も無い という人に  
あなたの 心の中に「サムシング グレート」がありますよ。
あんたの遺伝子暗号を書いたのは 人間ではないんです。何かわからんから「サムシング グレート」って言っているんですけれども。

その定義は 命の元の親。親のようなものなんですよ。
心臓を動かしているのは 私どもじゃあないんですよ。

今 遺伝子工学というところにおりますが 人のインシュリンは 大腸菌でつくることができるんですよ。
全ての生き物・微生物が昆虫・植物。動物。過去 38億年の歴史があって

全ての地球の生物が
全く同じ 遺伝子暗号を使っている事がわかったんですよ。
世紀の最大の発見ですね。

だから
大腸菌は 人の遺伝子暗号を解読できるんですよ。同じ遺伝子だから。
でも 世界の科学者を集めても 元から 細胞 1個つくれないんですよ。コピーはできるけれども。
大腸菌が何で生きておられるか という基本原理がまだ わからないからです。私どもは まだ手も足もでない。
細胞1個でもすごいのに 私どもは 60兆の細胞からできている。しかし ホント言えば誰も数えたことがない。
成人体重で 1kgあたりと計算しただけ。
60兆は 億の1万倍なんですよ。細胞はなぜ喧嘩しないのか。
毎日毎日 プログラム通りに進んで 私どもの細胞は 身体のコピーを繰り返し 誕生と死を繰り返している。

誕生と死は ペア なんですよ。

福岡の震災で 
学校に行けるのが有難い。
水道から水が出るのが有難い。
子どもの率直な感想であります。

子どもたちは 自分たちで集まって 自分たちができることと 
海外に子どもたちに作文・絵をかいて贈りました。
逆に世界中から 日本のために 祈ろう という動きがありました。

先の大戦で 日本は戦争に敗れました。
日本はもう立ち上がれないと思われていたところが 見事に立ち上がりました。


21世紀は 日本の出番が来ると 海外の方は言います。

ほんまかいなと思いましたが
日本のは 「和の心」 とか 「自然を尊敬する・敬う心」 がある。
「いただきます」 は外国語には翻訳できません。誰に感謝しているのかわからないからです。
動植物には生命があったんですよ。
お金を払っているから食べているんですけれど
命をつくっているのは 人間ではないんですよ。
太陽・水・空気・地球。 サムシンググレートが生き物をつくって 私どもはジャストヘルプをしているだけなんですね。

「有難う」 もただ単に サンキュー!ではない。有り難い事。有る事が難しい。


ダライ・ラマが科学者と対話をします。
チベットの厳しい弾圧があったからこそ 人間は厳しい時こそスイッチが入る。

遺伝子は38億年前から1度も途切れる事なくあるんです。
おそらく海で生まれたのだと思いますが 灼熱も氷河も何度も来ています。
飢えも寒さも かいくぐって 恐竜も出てきて 38億年の歴史が養育されている。

だから命は尊い。

そして遺伝子の暗号の中に利他的な暗号がある。
21聖紀には見つかりつつあります。

本当に幸せになるのには 自分の事ばかり考えていてはなれないと思います。

私どもの遺伝子は ノーベル賞ものの物をもらった人と 隣のパッとしないおじさんは 99.5%みんなほとんど違わないんです。

サムシンググレートはみんなに可能性を与えたんだ。

命の親が特定の子どもだけを ひいきするわけがない。
違いは 0.5%。
ここを問題にして人と比較するのですが

しかし日本人は 祈りの民族 です。
祈り と 医療については 治療効果に関りがあります。
アメリカのハーバード・コロンビアで研究された 祈りと 遺伝子の関係。瞑想と 遺伝子。
祈りは宗教を超える素晴らしいパワーを持っています。

なぜか。

それはサムシンググレート に通じるからです。
命の親。遺伝子を書き込んだのは サムシンググレート だからです。

天皇は祈りの人 なんです。
2000年以上にわたって日本の国民のために祈ってきたんです。
災害が起こった時なは歴代天皇は
「この災害が起こったのは わたくしの不徳の致すところです」
と命がけで祈りを捧げるそうです。

遺伝子レベルでもっと解明をしていきたいと思います。




引用・参考文献 長沼敬憲さん 腸脳力  /  村上和雄博士





祈り

現代人は 死生観 が無くなってしまったんですね。
「どう死ぬか」 を考えないと 逆に 「どう生きるか」 がわからない。
死という言葉を使わないとすると 「今日も命があってよかったですね」 ということです。
今日も命があった。それを毎日繰り返していると 「自分はいつか死ぬんだ」 と気が付く。自分がこの世に存在しているんだな と感じる。逆に死も実感する。

死というものが 自分の中でしっかり根付いていなければ 生きている事さえ気が付かないんです。
天が この人間を生かそうと思ったら 死のうと思っても死にませんから。
いつ死ぬのかわからない。

では この人生 「何のために生きているんだろう」 という事になってくるんです。
いつ死ぬのかわからない人生だけれども 「いい人生 幸せになりたい」 と思うじゃないですか。

そうすると次に来るのは 「一日一日を大事に生きよう・日々新(あらた)」という事になってくる訳です。
そして
命が終わっても 魂は終わらないわけで 
その魂をいかに残すか。残るような魂になるか。

肉体は消えていくものです。生きている間は こうなってほしい と念じるものがあって

自分以外のものに 命を使っていこう という 「祈り・願い」 がある。

それを持っている以上 必ずそれは 「波動」 となって残っていくと信じる。
それはどうしてかと言いますと 
先人の 「祈り・願い」 が生きていたからこそ
自分の 「祈り・願い」 を誰かがキャッチしてくれるかもしれない。

それが 「日本の建国の体(てい)」

日本という国はどういう国ですか?
日本とは何か?

と一言で問え と言われれば 明治時代の熊本県出身 当時の法制局長官 「井上毅(こわし)」は

「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之(これ)ヲ治ス(しらす)所ナリ」
と答えました。

古事記・日本書紀の中で 天照大神の命により 孫である 邇邇芸命(ニニギノミコト)が地上世界に降りてきますが
「地上世界をしらせ」 と命令しています。
その邇邇芸命の曾孫が 神武天皇 です。
神武天皇は天照大神の命令に従って 地上世界で
日本の国を「しらす」 事になります
以来 神武天皇が日本国を治めてきました。

「しらす」 の意味は
天皇が広く 国の事情を 「お知りになる」 ことで 自然と国が一つに束ねられることで
天皇が存在することによって 自然と国がまとまるという 「和」 の精神に即した言葉です。

元は 「知らす」 です。
国のこと 国民のことを 隅々まで知りなさい 知るという事。

「知る」 と 「祈り」 たくなる。

災害で困っている人がいる。苦しんでいる。 悩んでいる。 早く元通りの生活になりますように。
心を痛んでいることを 
「わかっているよ」 
「頑張っているな」 
「うまくいくよう 一緒に祈ろう」 
「努力しているんだね」 
「知ってるよ」
など
知ると意識がそこに向きますので 祈りたくなるわけです。

天皇が 知って 知って 知って 知り通す。
知ってくださっているからこそ 私たちも
「じゃあ頑張ろう! 安心していただこう!」 と思う。

なにも頭のいい帝王が 思いついて あれやれ!これやれ! って言って指図を出している訳ではないんです。

知ることで 国を知らす事によって
「自ずと国を束ねてきた」 これが日本なんです。だから2000年以上 国が続いているわけです。


東日本大震災でみせた 「共助の力」 を海外の人は絶賛するわけです。
残念ながら 日本の学校で 「武士道精神」 の教育はしていないのだけれども
武士道 という 精神が確立できた基盤になっている日本の文化。
それはどういったものかというと

自然と人間の 共助。共に生きるという事。
自然と人間がセットで生きているという事。
創造を育んでいく。

今 そこに生きている人たちだけではなくて
そこを築いてきた 過去の先祖も含んだもの。

そして人間が理解し得ないものを 神 といった。

土地の神は 「国津神」 
宇宙・空・気象の神は 「天津神」といった。

天・人・地と 先祖と 今ある人間のコミュニティと 自然。
これが全部一体となったものが在所のコミュニティ。これがベースにあって
これを守る必要があって
精神気概が 文化として確立されてきて 武士道の精神をつくった。

神話を読んでも
大国主の大神様を始めとする 元々 日本の土地の国つくりをした 「国津神」


神様たちは おそらく小さなコミュニティを作り上げて
今度 それをどう 統括するか という時に 天孫降臨 という話になるのですが
個人が支配という構図は良くないと思われた。

そこで 「知ろしめす」という
それぞれの 文化の価値を知る。認識する。承諾する。
 という 「知ろしめす」天皇の統治が始まった。
西洋的な概念は 支配せずに統治する なんてあり得るのか という疑問があるそうです。
ここが日本の特徴的なとこで

例えば
日本の神社は お願いを聞いてくれる 「聞こしめす」
振る舞いごとを見ていてくださる 「見そなわす」
人々の願い 心情を知ってくれる 「知ろしめす」

神様は 何も言ってくれないですね。
ただ 受容してくれる。
それに対して 日本人はどういう態度をとってきたかというと

「感謝」 するんですね。

今年の豊作を 一生懸命に自分たちが努力してきて 秋には 新嘗祭(にいなめさい)に 神様にまず捧げて
感謝をする。
ここがすごく特徴的で

何を指示された訳でもなく
何かを命令された訳でもなく
何かをいただいた訳でもなく

自分たちの願いを聞いてくれて 自分たちで努力して それに感謝する。

それがたぶん 天皇の 「知ろそめす」という統治が 可能になっている原理なんですよね。

そこに非常に大事なものがあって
武士道は 騎士道のように
奴隷みたいな人たちが 上から命令されて 何か特権を与えられて これあげるからこうしろと 
支配される 「うしはく」 ではなく

日本人は 自分から その国を守る。
という 主体的な意思で 任務に就くという。
この精神文化が基盤になっていると思うんですね。
ここが 武士道精神の ものすごく大事なところだと思っているんですね。

神様の存在 自然を敬うというか 先祖を敬う というか
そういう気持ちが根幹にないと 何に対する 感謝・報恩 という 恩義に報いまつる という想いになれないかもしれない。

それは 今のように 交換価値で マネーで契約するという性質とは全く 根本から違ってね
何かをもらったから 支払う というものではなく

くれた という その心に対して
何か 返してあげてい という 奉仕精神。
これが日本文化の中の大切なところだと思うんですね。

日本の武士というものは 自分の中で そういう心情をより強く 自分の中で育成させて
その価値 というものを 
最後には 自分の命を報じても それは意味があるのだとして
ここまで昇華したという事が 武士道精神 といわれるものの根幹じゃあないかと思っているんです。

ヨーロッパ・アメリカの人たちは いろいろな思想的の考えの中で
フランスで言えば デカルト的な 合理主義な哲学が主流で
でも スピノザという哲学者がいて
精神と 肉体は一体なんだという人もいました。
ただ ヨーロッパは宗教時代。キリスト教時代は 精神と肉体は 分けて考えていましたが
デカルトの思想になった時は 肉体のほう 目に見えるもののほうが優先でした。

これは 今の日本の現状ですよ。

肉体・物質の安全さえ確保したら 精神なんかどうでもいいと。
でも 日本の本来の文化は 精神も肉体も 一緒なんだということでした。
しかも 日本人の死生観の ものの考え方で ヨーロッパ人が非常に関心を持つのは

「生命の循環」 という考え方なんです。
つまり死んだら終わり ではなくて 命は循環する。

例えば
神道式の葬儀に行くとわかりますが 〇〇の命(みこと)になるんですね。
私はわたしの生命。生が無くなって 命だけになるんです。
どういう事かというと
物質 としての私は 朽ちて地球に戻る 還元するんです。

じゃあ魂は どうなるのか。 これは天に帰ると。

つまり エネルギーですから 空間に拡散されるわけですね。

何を馬鹿な話をしている というのですけれども
じゃあ
エネルギー保存の法則を習いましたか?
エネルギーというのは 
熱が突然無くなったり 
質量 運動エネルギーが突然無くなったり という事はないわけで

例えば
宇宙の キラキラ輝いている星だって すでに今は 物質として形は無いのだけれども
バンッ!と その時に放った 光と熱 というものを我々は見て あぁ お星さまだ と言っているだけで
人間は その星のような強烈なエネルギーは無いけれども 同じ事です。

死んでも 生前に放ったエネルギーはあるんですよ。
何の形でたぶん保存されているんですよ。
それを 神道では命(みこと) と言って 天から生まれて 天に帰るんだと。
これは
最先端の ジュネーブ素粒子物理学の研究所のほうが 全く同じことを言っていて
宇宙とは そういうものだと エネルギーが循環して 物体になったり 非物体になったりしているのだ
と言っているんですね。
そういう考えがありますから

そうすると 「死ぬ」 という事は 「次への循環」であって 終わりではないんです。
これは死生観を認識することの上で重要な事です。

このことをドイツの子どもたちに言ったら だから 日本人は死を恐怖しないんですね
と言っていました。

つまり
共同体のために 自分が犠牲になるという事は 完全なる 自己放棄ではなくて
共同体という 生命体の中で その中には 自分もいて
自分の身を失ったから といって
共同体から 自分がいなくなるわけではない。

そう考えていくと 死というものは 恐ろしくて回避するべきものでもない 嫌なことでもないと。
これはヨーロッパの人に言ったらよく理解してもらえる。

日本人は死を恐れずに戦えたのは そこがあったから というのは 
古事記を読んでも
楠木正成の話も よく語られるわけです。



だから
その精神を潰されたんだと。

日露戦争の時の イギリスの記者の マッカラが 日本人の戦いぶりを見て
何という 精鋭無比。こんな連中とおそらく ロシア人・フランス人・イギリス人・ドイツ人
どこの民族が戦っても 絶対に勝てないと。だって彼らは 死 というものに対して 
雨に濡れる程度の事 にしか感じていないんじゃないか。こんな恐ろしい民族とは戦えない
と 手記に書いてあるんですね。

ここが 彼らが 日本人に対する畏怖なんですね。

それを封じ込めるために
占領下で あの手この手で 民族的な文化というものを どうやって跡形もなくしていくのか
という 色々な占領政策の努力があったんでしょうけれども。日本人が目覚めたら怖いぞ という。

しかし日本人の方も
たかだか 占領下 7年で こんな記憶喪失になるなんて
ちょっと情けない話ですが。

だからこれから 日本を考える時に
一番大事なところが 精神性 のところだと思います。



引用・参考文献  石川真理子さん / 竹田恒泰さん / 荒谷卓さん / 神谷宗平さん


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