すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      〜21聖紀をになう子どもたちへ


歴史



歴史を学ぶ本当の意味な何なんでしょう。

歴史というのは 過去の出来事ですよね。 昔の事 勉強して何か意味あんの?と思うかもしれません。

しかも テストなんか 歴史=暗記
年号 何年に何があった この背景に何があった どう関連している  
そんな情報を どんどん覚える 
暗記して しっかり暗記できた子が いい点数を取れる
歴史は暗記科目 というイメージがあったかもしれません。

大人になって 年号 内容はほぼ忘れ 歴史なんて 何か意味あったのか? という事ですね。

国家試験を受けるなど目的があって 勉強しなければならない事はありますが

そもそも本当の勉強は 面白いから わくわくするから 楽しいから やるものであって その方が効果も出ます。

そして勉強したことは 役に立つんです。
歴史の勉強もこれに当てはまります。 歴史の勉強って 面白いからやるんですよ。

歴史というのは過去の人間の営みですよね。生身の人間が昔 生きていた。自分の先祖も生きていた。
100年 500年 1000年前にも 自分の先祖は この日本に生きていたんですよ。
1万年前 この日本列島に 暮らしてたんです。

お父さんお母さん おじいちゃんおばあちゃん ひいおじいちゃんひいおばあちゃん どんな生活や生き方をしてきたんだろう。



自分のルーツ。
血のつながった 先祖たちが生きていた時代の事 興味があると思います。

自分の住んでいる 生まれ育った街。
ここは昔はどんな土地だったのか  100年前 500年前  何があった場所なのか。
自分に関りある事から 興味が湧くと思います。調べてみると面白いと思います。


歴史を知る という事は
自分を知る という事になります。 自分は何者なのか どっから来て どこに向かおうとしているのか
自分を知ると 今がわかるんです。そして 未来がわかるんです。
今の自分がどういう状況なのかわからないと 未来なんてわかる訳ない。


先の大戦で 300万人が死んでいるんですよ。

じゃあ なんで戦争を始めたの?どうなって 負けるにいたったの?
あんな壊滅的な結果を受けて 日本中が焼け野原になって いったい どういう風に復興してきて
今 世界で 第3位の経済大国ですよ。 
え?何したの? と知り始めると へ〜 そうなんだ!知らなかった!と 興味が湧いてきて

古墳時代が好き とか 戦国時代が好きだ とか ピンで 織田信長が好き とか 

どんなものにも歴史があるんですね。
それも 先人たちが苦労しながら アイデアを出しながら 悩みながら
いいものを選び わるいものは変わっていく 洗礼され修練され 形になっていくわけです。
熱い想いをもって それに取り組んだ人たちの気持ちが伝わってきたりするわけです。

そして 
今度は自分が そのストーリーをつくっていく側になるわけです。 

自分の経験だけで 物事を判断して生きていく人がいます。 
しかし 過去の歴史を色々と勉強している人は 色々な引き出しがいっぱいできる訳です。
何か困った事に遭遇した時 あぁ 歴史上のあの人は こういう風に乗り越えたよね とか
歴史をベースにして 物事を判断する人と 雲泥の差がでてきます。

ドイツのビスマルクという人の 有名な言葉 「愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ」 があります。

歴史を学ぶことは 100人分 1000人分の人生を学ぶ事になるんです。だったら学ばなきゃ損ですよ。





最古の国 日本

現在 国連加盟国は 193か国あります。
今ある全ての国の中で 一番古い国はどこかというと 日本 です。
現存する最古の国は 日本 です。

王朝交代の歴史で まだ建国して75年の国など色々とありますが 連続性はありません。

日本は 最も短く見積もっても 2000年。王朝交代がありません。



よその国と比べて 王朝交代のない 歴史が長い日本というのは大きな特徴です。

そして歴代天皇は  
第1代 神武天皇から 
現在の天皇陛下は 第126代です。

万世一系といいます。比喩表現ですが とても永い間 一つの血統の原理に元ずいて 脈々と皇位が継承されてきた。
これが日本の皇位継承の原理だという事です。


たまたまそうだった という事ではなく 大災害があったり 戦争に負けるとか 民衆が立ち上がって王を殺したりとかありますね。そういう色々な理由で 王朝は倒れるわけです。

日本も色々ありました。飢饉もあれば 災害 政変もありました。他の国と同じく危機はありました。
でも危機のたびに王朝交代をしている ヨーロッパや大陸の国と違って 日本は同じことが起きても
王朝を倒そう という事にはならないんです。

江戸時代 幕末に大飢饉がありました。
「天明の大飢饉」
 と 
「天保の大飢饉」

幕府が弱体化してしまいました。
天明の大飢饉は 日本だけに起きた飢饉ではなく 異常気象というのは 地球規模でおきるわけです。

同じ時期にヨーロッパでも飢饉が起きるわけです。
原因は 浅間山の噴火でした。
浅間山が どぉーん!と噴火して モクモクモクと噴煙を上げて



アイスランドの ラキ火山も噴火して 地球上が何年間か 日が差さなくなって 夏が来なくなってしまいました。
夏なのに涼しい お米は取れない 

日本では 天明の大飢饉・天保の大飢饉
ヨーロッパでも 小麦が取れなくなり フランス革命が起きました。
小麦粉の価格が上がって パンが食えない!って 革命が起きたわけです。
国王を逮捕して 処刑したんですから。

飢饉が起きて ヨーロッパでは革命がおきたんですよ。



ところが日本では 同じ飢饉が起きても 
江戸時代後期 
光格天皇の時代 幕府じゃ頼りにならないと
天皇陛下に拝もうと 柏手を打とうといって 一日に何万人もの人が 京都御所を訪れて 参拝するような事が起きたわけですよね。誰も天皇を倒す という事にはならなかったんです。

誰が皇室を守ってきたか 誰が日本という国を守ってきたのかというのは なにも 天皇の軍隊が力ずくで守ってきたわけじゃない。

その証拠に歴代天皇のお住まいと 他の国の歴代王朝のお住まいと比べてみると歴然とした違いがあるんですね。

他の国の王様は 軍事基地の中に住みます。刑務所のような ものすごい高い塀に囲まれています。
何におびえているんです? 
実は世界の王や皇帝は 外国の軍隊が怖いけども 
もっと怖いものは それは国民です。
だから軍事基地の中に住みます。

日本はどうでしょうか。天皇陛下のお住まいを見てください。「皇居」
今の皇居は 徳川の城ですので お濠があって石垣に囲まれて 軍事基地ですが 
京都御所は 1100年間歴代の天皇がお住まいになられた場所で お濠・石垣・やぐらはありません。丸腰のところで
歴代天皇は住み続けた。

国民が天皇を守り 日本国を守ってきたからです。そして 2000年間が経った。

何故だと思います?
なぜ日本だけが 2000年以上続いてきたんだと思います?



それは いい国だから ですよ。

いい国は誰が潰すんです?
いい国だから みんなで守ろう。動乱や外国から攻められて 色々あっても 

この国だけは残そう この国さえ残しておけば みんな幸せでいられるんだ とみんな思った。
いい国だから 国民がしっかり支え続けたんですね。
それが 日本なんです。

だから 日本という国は 歴史上 最も永きにわたって 最も多くの人を幸せにし続けてきた そういう国だという事です。

ご先祖様たち よくぞ日本という国を残してくれたなぁ 有難いなぁ という風に多くの人が感じると思います。
じゃあ 自分の子ども 孫たちのために この日本をもっといい国にして 譲り渡していきたいなぁと思うかもしれませんね。 


ではなぜ 日本だけ 2000年以上続いたのかを掘り下げると 
構造的な問題もあるんですね。

昔は どういう風に王朝ができるかというと 
戦争して勝った奴が王になるんですね。
戦争をして勝ち抜いて皇帝になるわけですよ。
だから
必ずしも 人徳とか素晴らしい方が皇帝になるわけではなく 喧嘩の強い奴が皇帝になるんです。

今日から俺の国だ お前ら従え って言うんですよ。みんなを牛耳っている。
そいつがどんな嫌な奴でも従うんですよ。怖いから。
でも
そんな国が永く続くわけがないんですよ。理念がないから。
軍事力で手に入れた政権は 別の軍事力によって脅かされるわけです。

剣を持つものは 剣によって亡ぼされる という文言が聖書に書かれている。
サル山と一緒ですわ。2番目に強くても子孫を残せないわけです。



ところが日本の場合は違うんです。
戦争をしてまとめ上げたのではないんですね。戦争を経ずに まとめ上げたんです。

2世紀から 3世紀にかけて 日本には 30か国くらいの国があった といわれています。
大陸の 魏志倭人伝 などをみるとそう書かれています。

小競り合いはあったにせよ 大まかにいえば 大きな戦争をせずに 国を統合していったわけです。
大和の国といっても もしかしたら 50とか100とか 国があった可能性もありますけれども 
戦争を経ることなく 統合していったんです。

つまり
話し合いで国を統合していった。
だから戦争に勝ったから王になる というのとは違う原理で 天皇が成立しています。

初期のころの大和朝廷は 天皇は政治権限がなくて ひたすら 祈る存在 だったということも だいたいわかってきているんです。
なので 
当時から政治と 天皇。宗教上の権威は分けてきたのが 日本の特徴だったりするんです。

王と国民。ヨーロッパや大陸と 
天皇と国民。日本の場合を比べると 全然構造が違うという事が理解できると思います。

世襲によって 国家の統治権が移っていく それを 「君主」 と言いますが 
一言で 「君」 という場合もありますが 

天皇とか皇帝とかのことで 
それに対して 民か 国民ですね。

君民の関係というのは
ヨーロッパや大陸ではどうだったかというと 対立関係にあるわけです。利害関係が対立しているんです。

税金を取る人 取られる人
統治する人 される人
支配する人 される人 わかりやすく言うと 君の奴隷みたいなやつです。
この王がいるから俺たちは幸せになれない こいつを倒さないと未来はないんだ という事になって民衆が立ち上がって王を倒すわけです。


日本は 対立関係にないんですね。
一度も天皇と国民が対立関係に入ったことがないんです。

天皇にとっての幸せは 国民が幸せになる事ですよ。
国民にとっての幸せは 自分たちが幸せになる事。

それだけじゃない 
天皇陛下もお元気でいていただきたい。
健やかに日々過ごしていただきたい。そいう風に国民も思うわけです。

お互いがお互いの幸せを祈る。これ素晴らしい事じゃないですか?
天皇は幸せだけど 国民は不幸。
天皇が不幸で 国民は幸せ。なんてないんです。



第16代 仁徳天皇の話。「聖の帝」 今から1600年から1700年前の方と言われています。
「民のかまど」 の話は有名です。



しかし 愛知県一宮市の校長が 日本人の誇りある話であるにも関わらず 注意を受けました。
歴代天皇が 手本・模範とされた方の内容なんですが。

日本書紀に 民が飢えてしまったら 天皇である自分の心も貧しい。
民が豊かになって 幸せになってこそ 天皇である自分の幸せがある とおっしゃっています。

そして 確認しておかなくてはならないのは

15代 応神天皇
16代 仁徳天皇
17代 履中(りちゅう)天皇

の時代に 本拠地が 奈良から 大阪 に移っているんです。

このちょっと前は 
纏向(まきむく)遺跡
奈良県桜井市の 三輪山 北西一帯にある 弥生時代末期から 古墳時代前期にかけての 集落の遺跡から
拠点が 纏向 奈良 奈良 だったのに

仁徳天皇陵は 大阪の河内 です。

なので
先の大戦後 河内王朝説 もしくは 応神天皇王朝説 という
第14代 と 第15代 の間に 断絶があって

応神天皇が 初代天皇。
王朝交代 があったという事で 第14代前の王朝は 奈良に本拠地があるので 
第15代 応神天皇が 攻め滅ぼして 新王朝を立てたんだと 言われた事がありました。

あと

江上波夫 という歴史学者がいて
この人が 騎馬民族王朝説 というのを唱えたんですね。

これは
河内王朝説の 変化版です。

応神天皇に」なる人は 朝鮮人で 朝鮮半島にいたと。
騎馬文化を持ってきて
そして海を渡って 九州に上陸して 九州に 王朝を立てた と。

朝鮮半島から来た 騎馬民族が 進出して 大阪で 自分が天皇になって 応神天皇と名乗った。
これが 騎馬民族王朝説です。



そうしたら 一気に文化が 騎馬文化に変わるはずなんですね。

日本の騎馬文化は 独特の進化を ゆっくりと積み重ねてきた文化で
ある日 どぉーん と外来の 騎馬文化が入った来た と言うのは 文化論的に 説明がつきません。

こういう話が 戦後流行るわけなんですけども

終戦の後は 天皇の歴史に 茶々を入れるような事は 急にできるようになったもんですから
ここで 王朝切れてる ここで 王朝切れてる って色んな 新説が出たんです。

王朝が 交代したって事は それなりに 根拠が必要ですよね。

その後 考古学 とか 史学 とか色々な学問の 積み上げによって
学問的には 否定 されました。

特に 河内王朝説に関しては

4世紀までの 大和。奈良の地にある 前方後円墳 と
5世紀からの 大阪の南。河内にある 前方後円墳 は 急に巨大になるって事はあるんですが

基本的に つくりは一緒なんです。

じゃあ 王朝が 交代したんだったら 何で 前の王朝の文化を 継承するんですか?
中国なんか 王朝がかわる度に 全く新しい文化になるんですけども

墳丘とか 埋葬施設とか 副葬品とか 基本的なつくりにおいて 連続性があるんです。
ましてや
朝鮮半島から来た一族が なんで前の王朝の文化を継承するのか 説明がつかないわけです。

それから 
5世紀になって 王権の性質が変わった という事を 認めることができません。
つまり
4世紀から 5世紀にかけて 急に政治的方針が変わる とか 王権としての 性質が変わるという事はありません。

3世紀初頭に 前方後円墳がつくられ始め 4世紀末に 日本列島のほぼ全域にひろがり 
そして 迎えたのが 5世紀ですから。

そこまで 統一王権をつくっておきながら いきなり滅ぼされる というならば
よほど 大きな力がかからない限り 
もしくは 日本全土を戦場にして 戦わない限り

それだけの 統一王権を 倒す って事はできないはずなんですね。

畿内 とは 関西一体の事ですけれども 関西一体は 1つの地域として 見られているので
葛城山の 西か東という事だけで 一体の地域で見られているんですね。

纏向 の後は 
滋賀 に行って 
そして 河内 に下がって
また 奈良 に戻るわけです。 いちいち 王朝交代のわけがなく 
王朝交代なら なんで一連の物として 古事記・日本書紀に 書いてあるんですか って事です。

しかも 政権の所在地と 古墳の場所は 必ずしも同じ とはかぎりません。
古墳で 政治を執るんじゃないんだから。古墳は お墓ですよ。
お墓の位置が 変わったからと言って 行政の在り方が 変わるわけではないですね。

だから 前方後円墳が 河内に 移動したからと言って だから王朝交代 という事にはならない。



政治が混乱した形跡も見られないですね。
4世紀は 日本列島全域を抑える 統一政権になっているわけですから これをひっくり返す となれば 
それなりの戦争の後が あるはずなんです。

1世紀 2世紀は 戦争の意向が多いんですが 4世紀 5世紀は 非常に安定した時代だったという事がわかっています。

王朝交代があった と言うならば あったと言う側が 証拠を出さなければいけませんね。

よく
天皇の先祖は 朝鮮人だったとか なんとか言いますが
それは 騎馬民族王朝説であり 完全に学問的に 否定されています。

そもそも 第1代 神武天皇が 
当時 日本 という呼び方はなく 大和。
大和朝廷をつくり 後々日本になるわけですけれども 日本という国を建国しました。
この時の精神も 日本書紀に書いてあるんです。

みんなが幸せになるために 国をつくるんだ 

という趣旨の事をおっしゃっているんです。
それを 仁徳天皇は 受け継いでいったんです。実践してきたんです。

という事は 神武天皇は 何のために建国をした。

国民のためです。国民が幸せになる事です。

日本国の精神は 一人一人の国民 みんなが幸せになる ことなんですね。
だから日本国家がつくられたんです。国民のための国家なんです。

誰が言ってんの?と言ったら 神武天皇が言っているんです。
喧嘩の勝った俺の国 じゃあないんです。そういうとこの国民は 国王の所有物なんですから。

民主主義の最古の国は 日本だと言えるんです。先の大戦で民主主義になったわけじゃないんです。

今は国民のための国家って言ったら どこにでもありますよ。
リンカーンの有名な言葉がありますが

2000年前以上に 国民のための国家なんて日本以外ありませんからね。
だから2000年以上続いてきたんですよ。実は最先端だったんですね。



神話はどこまで本当か




神話というと 
古事記・日本書紀が有名なんですけれども 
どこまでが本当の事なの?と思われると思います。

旧約聖書の 神は5日と半日で世界を創った  7日でとか



自らの姿(ス型)に似せて 形(霊成型)を創ったとか 


アダムとイヴのリンゴや 


モーゼの十戒の海が割れる話など 


ノアの箱舟もそうです。


ネイティブアメリカンや 


オーストラリアのアボリジニ。


ヨーロッパだったらケルトとか。



日本では 

伊邪那岐神と 伊邪那美神。 



天照大御神という 太陽の神様の 天の岩戸隠れ。


大国主神の因幡の白兎。


山幸彦と海幸彦の兄弟げんかの話。


あと 八岐大蛇 と 須佐之男命。  などたくさんあります。

でもそんなもん 嘘だろう と思いがちなんですが どこまで本当なんだろう という事ですが

どうでもいいです。
神話の どこが事実で どこがフィクションか なんて事は どうでもいいんです。

神話の価値というのは 

真実だから価値があるとか 
真実じゃあないから価値が無いというものではないんです。

神話は神話である時点で 価値があるんです。

事実じゃなければ価値が無いなんて言ったら シェイクスピアの作品 映画なんて全部ゴミですわ。
創作作品であっても価値があるんです。
どこがホントで どこがウソ なんてどうでもいい話なんです。

神話は 
SFのような個人の妄想ではなく 

歴史時代よりも前 すごく古い時代から 

ずっと人々が語り継いできた物語。これが神話なんですね。
神話というのは新たに作ることはできない。

日本では 古事記・日本書紀という 非常に古い時代に書かれた本に 神話が書かれている という事です。

だって事実じゃないんでしょ? 何の意味があるの?と言われて 一見正しそうに聞こえるんですけども
神話を否定する時 こんなもんあり得ない 科学的に起こりえない という説明をする方がおられますが

でも ちょっと見方を変えると全然違う世界が見えてくるはずなんです。

なぜならば 
現代の科学の知識を用いて神話を否定するなんていうのは 大変愚かな事なんです。

例えば聖書に 神は5日と半日で世界を創った。 もしくは7日。  そんなわけないじゃん。
アダムとイヴが禁断のリンゴを食べて エデンの園を追放された。  エデンの園 それ作り話だし。

言い始めたらおかしな事になりますよね。
これだけ科学が進んだ時代に ヨーロッパではどう処理されているかというと
答えは 
神話を語るときに 科学の知識を用いて神話を否定するという事は無い です。
そういうことをする人はいません。

神話はそういうものではないから。
神話は神話であることに価値があるんです。


イエスキリストは重要な存在ですよ。
イエスキリストは聖母マリアから生まれてきているんですが 



ところが聖書によると聖母マリアは処女で妊娠下と書いてあるんですね。
よく考えてみてください。
人間の女性が 処女で妊娠しますか?ゾウリムシじゃあるまいし。

じゃあヨーロッパでこれを批判する人がいるか。
ヨーロッパでそんなはずある訳ないという議論は無いんです。
なぜならば
科学の力を用いて 神話を否定擦ることは 愚の骨頂。大変愚かなことなんです。

科学なんてどうでもいい 奇跡が起きたんだと だから奇跡的な素晴らしい方が生まれたんだと 
という事だけなんです。
マリア様に夫が本当にいなかったのかそんなことは どうでもいいんです。
処女にて懐胎をされた。それが真実なんです。

真実であることは 事実であることより尊いんです。

マリア様が処女じゃなかったら ヨーロッパ社会・秩序が根こそ美吹っ飛びますからね。
マリア様に夫がいたら生まれてきた子は 神の子だと思っていたのが 

ただの子ですよ。


マリアの処女懐胎は 
3つの重要なことを担保しているんです。
1つは マリア様が処女であったという純真さです。
2つ目は人間の女性を処女にて懐胎させてしまうという神の力。神の神通力です。
3つ目は 1番重要 生まれてきた子が神の子である という事。

神の子と ただの子 全然違うんですよ。そうしたら何が起きるかと言ったら
騙されたということになります。

教会の権威で ヨーロッパの秩序ができていますから イエスキリストが ただの子 になったら
全部吹っ飛ぶわけですよ。

アメリカの大統領が 聖書に手を乗せて宣誓する。もし聖書が偽書であったら 嘘を書いてあるものに手をあてて 
宣誓になりませんよ。

というように 神話が事実であるかは どうでもいいんです。神話に書いてあることは全て真実なのであって事実であることはどうでもいい。
ヨーロッパでも イスラムでも 聖書やコーランを否定するなんて 命がけの事なんですよ。殺されるんですからね。
聖典を批判するなんて 命がけですよ。

科学がどうのとか 事実がとか どうでもいいんです。議論をする余地はないんです。
日本人はあまりにも簡単に 嘘だのへちまだの 言うけれども。

とはいうものの 日本の古事記・日本書紀は結構 事実を反映しています。



古事記と日本書紀

では
古事記・日本書紀とは何か?
この2つを合わせて 「記紀」とよぶ場合があります。なぜこの2つが有名かというと
現存する 最古の文書が 古事記。2番目に古いのが 日本書紀なんですね。
書いてあるのが 日本の建国の事とか天皇の御自責とか書かれています。


古史古伝の 超古代文明の研究もされています。竹内文書・九鬼文書・秀真伝など色々とあります。

しかし古事記は
そしてただ古いというだけではなくて 国家が編纂している という事。
歴史作家が 私はこういう歴史観をもっているよ という個人の責任で書いたような本ではない という事です。
これは 時の日本政府が編纂しているんですね。だから政府が編纂した 公式な文書。もんじょと言います。新しいものは文書 ぶんしょ と言います。公文書といいますね。パスポートとか許可証とか。

どのくらい古いかというと 古事記は 712年です。日本書紀が完成したのは 720年です。
同じような時期につくられているんですね。両方とも 天武天皇が編纂を命ぜられました。



古事記を編纂した人は 太安万侶(おおのやすまろ)。
日本書紀を編纂した人は 舎人親王(とねりしんのう)。天武天皇の息子です。

2つのチームによって文書が編纂されました。
なぜ どこまで本当かわからない 神話を 勉強するかというと 実は日本の建国は古すぎてわからないことが多すぎるんですね。

日本列島で初めて文字がつくられたのは 5世紀ぐらいなんですね。

建国は遅くても 3世紀。文字がないんですね。
文字のない時代の出来事を無かったことにしよう なんてできないので 

考古学で国が3世紀ころ統合している事が わかっていますから 戦争の跡がでませんから 
話し合いで 統合されたこともわかっていますから。

文字のない時代は人名。固有名詞が伝わりません。年月日が伝わりません。
考古学 で調べたところで 何月何日って出ません。物しか出てこないから 
文字がないので 名前が書いていないし ネームプレートないし。
地層にしても 何世紀ごろぐらいで。

歴史資料でわからないところを 古事記・日本書紀は穴埋めしてくれているんです。

神話は作者不明なんです。

太安万侶 


舎人親王
が 

頭の中で作り出したものではないんです。
どういうことかというと 

何百年 何千年だかわかりませんが 
昔から この地域でこういう言い伝えがあったとか 伝説があるのを 丹念に拾い集めていって 
日本建国の物語としてまとめたのが

古事記であり日本書紀であり それが神話なんですね。

古事記には序文があり 
建国の経緯を 文字でまとめておかないと わからなくなるぞ と

太安万侶と
 
一度聞いたことは全て覚える事ができるという 
稗田阿礼(ひえだのあれ) が 

全国の神話を一旦 頭の中に入れます。頭の中で統合して物語にして それを太安万侶が 文字にして記録するという 
2人が中心で 古事記 を書いていきます。


宇宙の初めから 日本列島が形成され 神々が降りて行ってとか 
どういう風に この王朝ができたのか 国家建国まで という壮大な物語が書かれているわけです。

全部事実かはわかりません。たぶん 八岐大蛇なんて巨大生物はでてないんですよ。



33代 推古天皇までが書かれてあって  

普通だったら 新しい時代 の事がたくさん書かれるだろうけれど 古い事 ばかりたくさん書かれてあって 

古い事が書かれている本ですよ という本が古事記です。
2012年 の時に古事記発刊 1300年をむかえたんですね。

令和の時代から 古い事が書かれている というのではなく 

1300年前は 和銅5年(712年)。そこからもっと前の 古い事が書いてある本 ということです。

日本書紀は 逆に 新しい時代のことほど 詳しくかいてあるんですね。
日本書紀は 30巻ある 記録文書 という事です。

古事記は 物語調になっていて 読み物として面白いものです。

上巻 は 神代の物語
中巻 は 神と人 神と人がごちゃ混ぜになった 天皇の物語
下巻 は 人の世 天皇の物語
の3巻になります。

神話 から書き始めたものが 徐々に 歴史的要素 が入ってきます。
そして
徐々に 神話的要素 が抜けていきます。
最終的には 完全な 歴史 になっているんです。

聖書とか 他の聖典は 神話・歴史 と別れていますが
古事記は どこからどこまでが 神話で どこからどこまでが 歴史か という線引きすることができないんですね。

始まりは
古事記は 天地初発(てんちしょはつ)
日本書紀だと 天地開闢(てんちかいびゃく) というんです。

天と地 この世界が どのようにして始まったか という事から始まります。

天地初発(てんちしょはつ) 
我が国の 最古の文書ですから その第1筆が これなんですね。

天地が初めて 出現した時 高天原(たかあまはら・たかまのはら)に 神 が現れた。

ちなみに たかまがはらは 曲がった神のお出まし 良くない事 いう意味なので 使用しない方がよいです。

天空世界・神々の世界を 高天原(たかあまはら・たかまのはら)といいます。
私たち 人間の地上世界はまだでてきません。

キリスト教の世界観ですと  まず最初に 神 があるんです。
神が 宇宙そのものを創るシーンから 聖書は始まるんです。全知全能の神です。



ところが 古事記の場合は逆で



まず宇宙があります。宇宙が どうやってできたか は書いてないんです。

宇宙空間は 存在しています。

宇宙のエネルギーから そこに 神様 が現れるわけなんです。
宇宙が 神を産み落としていくんですね。
だから
聖書のように 宇宙そのものを創った神は 想定されてないんです。

全知全能の神とは違い 
だから 
八百万(やおよろず)の神 たくさんの神様が でてくるという事なんです。 


神が宇宙を創るのか
宇宙が神を創るのか この違いは大きいんですね。

どちらが正しいという事ではなく 根本的なものの見方が違う という事です。



高天原に成ったのは 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) でした。

これが 最初に現れた 神様のお名前です。
ちなみに 人間は 1人 2人と数えますが 神様は「柱」 1柱 2柱 という風に数えます。

最初に出てくる神様だから すごい神様じゃないですか。今後もずっと現れるのかな? と思いきや

現れました。消えました。以上。って 

もう二度と出てこないんですよ。   えぇぇ〜!?今の 何だったの? みたいな感じです。

天之御中主神様を祀ってる神社って ほぼないんですよね。少ないんですね。



そして 古事記には 何百と たくさんの神様が出てきますが 二度と出てこない名前が多いので 覚えなくても大丈夫です。
重要な神様は 何度も出てきます。なので名前も自然と覚えます。安心してください。

天之御中主神から 5柱。
そして次に 男神と女神の 5対・10柱の 末っ子の 伊邪那岐神(いざなぎのかみ) と 伊邪那美神(いざなみのかみ) までを

「神代七代」 といい

伊邪那岐神と伊邪那美神に 

下界の海に 「この漂っている国を固めて治めなさい」 と命ぜられ
天空に浮いてかかる 天の浮橋から 

海に矛(ほこ)を下ろし 海水を 「こおろ こおろ」と掻(か)きならして 矛を引き上げました。
その先から
海水がしたたり落ち 塩が固まって島ができました。これが 淤能碁呂島(おのごろしま)です。



陸地を創っていく。国を次々に生んでいく という事になるわけです。

国生み物語で 日本列島を生んだ 伊邪那岐神は 

左目を洗うと 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 
右目を洗うと 月読命(つくよみのみこと)
そして 
鼻を洗うと 須佐之男命(すさのおのみこと) が現れました。

いずれも尊い神なので 三貴子(さんきし)といいます。

天照大御神は 父から高天原(天上世界)を知らす(治める)よう命ぜられました。




天照大御神の 弟とされている 須佐之男命(すさのおのみこと)は 八岐大蛇(やまたのおろち)退治の話は 有名ですが


超古代 今と地形も違いますので
海底調査で 研究されていますが ペドログリフ文字(岩刻文字)の解明などにより 



陸・海ルートで 大陸はつながっていて 今の世界地図とは 全く違うと言われています。

聖書から読み解く 古代イスラエルの 失われた 10氏族 と シュメール人と 日本人の関係や
日本神話の ウガヤフキアエズ朝 と スメラ族。 そして長い 長い 皇統が続いていきます。

なので 
須佐之男命と スサの王。
牛頭天皇は 京都の八坂神社の祭神。 





紀元前356年から 紀元前323年の
古代ギリシャアレキサンダー大王も頭に角系があり 牛頭天皇(ごずてんのう)との関連性を考えると
地域によって 呼び方が違う とか
大陸はつながっていて 人類は移動している事など 

世界は元一つである。 
全て 関連性がある 興味深いお話が たくさんあります。

よく
紙や板に 「蘇民将来」 と書いて 戸口に貼って 魔除けにする風習がありますが

それは 
スサノオが 泊まる宿がなく困っていた時に

食べ物も 部屋もない と追い返して断った  裕福な弟の 巨旦(こたん) と
自分は 貧しいけどもスサノオを         歓迎した 兄の 将来(しょうらい)。

泊めてくれた 兄の将来には 

お礼に
「蘇民将来の子孫」 と書いた 茅の輪を 門前に飾れば 難を逃れること約束するとしました。

その後 兄の蘇民将来の家は 代々栄ましたが 
     弟の 巨旦将来の家は 災いや疫病により 子孫は絶えてしまいました。

「蘇民」という言葉は 「民が蘇る」という意味
そして
「シュメール 歓迎!」
という意味もあるそうです。

京都の 八坂神社の 祭神 「牛頭天皇」(ごずてんのう)は 祇園と密接な関係があります。

もともと インドの神さまで、病気や災いをもたらす 悪い神さまだったと言われますが
疫病や災いを退ける 守護神 として日本に伝わってくるのです。

牛頭天王が 疫病や災いを退ける神様として 日本に伝わると
今の 八坂神社の祭神となり 全国で 牛頭天王を祭る 神社が広まりました。

祇園祭の「ちまき」の風習になりました。 


祇園祭のメインイベントである 山鉾巡行は
7月17日に行われます。

この日は
旧約聖書の「創世記」で 大洪水の後 ノアが神様からの指示で 
この世の 生きとし生ける者を 雄雌1対を 箱舟に 乗せなさいと言われ 実行し 

鳩がオリーブの芽をくわええてきたことで 大洪水がおさまった事がわかり 
アララト山に止まったといわれる 聖なる日です。

古代イスラエルから 「シオン祭」として 7月17日を祝います。

イスラエルから 何万キロも離れた 日本の京都でも 「祇園祭」が行われます。

しおん と ぎおん
やーさか(偉大なるヤハウェ) と 八坂・弥栄 
や うまと(神も民)  と  大和
えんやらや〜(ヤーウェを賛美する)  と  えんやらや〜(祇園祭の掛け声)
どすこい(踏み落とせ)  と  どすこい(相撲の四股)
あっぱれ(栄誉を誇る)  と 天晴れ
ありがとう(幸運です)  と  有難う

その他にも ヘブライ語 と 日本語 5000個 ほど似た言葉があるようです。

秘宝と言われる 古代ユダヤの「契約の箱」 
中身は


〇モーゼの十戒の刻まれた 石板


〇十の災いで エジプトからユダヤ人を救った時の アロンの杖


〇食料備蓄のための マンナ(マナ)の壺
です。
 
四国の 剣山に
7月17日に 剣山神社本宮大祭で 剣山山頂まで 運ぶ儀式がありますが 運ぶための お神輿は「契約の箱」がモデルだともいわれています。





一方 葦原中国(あしはらのなかつくに・地上世界)では 

須佐之男命の子孫にあたる
大国主神(おおくにぬしのかみ)でした・

ご子孫が活躍され その土地の主 となられて 文明社会をお造りになられました。
聖書では
ノアの洪水と呼ばれる 大災害によって 地上が洗われ その後 文明の再建が図られました。

およそ 5000年前 シュメール文明など 世界大文明が興りました。
これは 大国主神様の ご子孫のご活躍によるもの という事のようです。
スサの王?スサノオは 娘の スセリヒメを大国主神に嫁がせました。
そして日本の神話につながっていきます。 


大国主神は
りっぱな国をつくりましたが 話し合いの結果 葦原中国は 天照大御神が知らすことになりました。

話し合いで国が譲られたので これを「国譲り神話」 といいます。

大国主神の「出雲の国譲り」

天照大御神は 
建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)を遣わし
「汝が 【うしはける】 葦原中国は 我が御子の 【知らす】国である と任命なさった。汝の考えはいかがなものか」
と大国主神に 尋ねました。



〇しらす
高天原における 統治の方法で これは天皇の統治の方法と同じです。
天皇が 広く国の事情をお聞きになり お知りになる。
高天原では 天照大御神の御存在により 自然と神々が統合されることを意味します。

〇うしはく
うし 主人 はく 大刀を腰に 佩く つまり自分のものにする 主人が領土も領民も全部私有化する 自分のものにする 支配する
というとらえ方

また 政治の権力を指します。
ですので 政治の権力者は政策を決定する責任を負う者で
古代においては 摂政・関白・将軍・
近現代では 内閣総理大臣が国を「うしはく」地位にあるといえます。

日本の歴史において 国を「うしはく」者は 例外なく天皇の任命を受けています。


「国譲り」といっても
大国主神の地位が明け渡されたわけではなく 

建御雷之男神は
鹿島から家来を伴って 遥々 出雲まで行き 国譲りの談判をしたのでしょう。

@大国主神は 葦原中国を「うしはく」存在であって 「しらす」存在ではないこと
A葦原中国を 「しらす」 のは 日の御子であること 

の確認するために建御雷之男神は来たのでした。

幕末の 大政奉還 と 王権復古の大号令も 天皇が「しらす」地位であること
天皇任命に基づき 内閣総理大臣が「うしはく」地位にある事を確認するもので 「幕末の国譲り」ともいえます。

葦原中国・大和の国を治めてこられた
大国主神と息子の事代主神は 出雲の地において その統治権を 天照大御神にお返しになられました。

ここに「国譲り」が成就いたしました。

畢竟 それは霊の元つ国の大いなる「好譲不争」の精神に他なりません。
「好んで譲って争わず」という この麗しい精神が 大国主神様」の「国譲りの物語」に表れています。

私たちは 霊(日)の元(本)つ国の元型をお造りになられた 「和の精神」「結びの理」が現れる新時代を向かえねばならない。 大国主神様の貴く尊い み意に想いを馳せます。


初めに出現した 天之御中主神に続いて現れた
天照大御神と 二二ギの命の先祖にあたる 

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は 高い貴い神という意味で
古来 ユーラシア大陸北方の民族は 
天上・地上・地下の三界を貫く 「世界樹」が聳え立つという 樹木信仰。
旧約聖書の 「エデンの園の 生命の木こそ 神様の霊体が宿る 生命の元」と言われています。

「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国は 汝が知らす国であると命ずる。因って 命令通り 天降りなさい」
と仰せになられ
そこで 天照大御神は 自らの孫を 葦原中国にお遣いになり 国を知らすように命ぜられました。

この命により 地上に降臨したのが 初代天皇とされる
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)の祖先にあたる

邇邇芸命(ににぎのみこと)です。


天津神(高天原の尊い神 ここでは天照大御神のこと) の孫が降臨したので
「天孫降臨}といいます。
神聖な稲穂を持たせて降臨したので 
社会の基盤となる  稲作の起源は  天皇の先祖からもたらされたことを伝えようとしています。


五柱の それそれの職業を分担する職業集団の長を二二ギの命に付けて 国を治める組織の原型として お降しになられました。
その中の 猿田毘古命は ユダヤ系の超人であったとも言われます。
シルクロードの終点は日本ですが その遺物は正倉院に収められています。



天照大御神は 二にギの命(二の言霊は次に繋ぐ意味) が天降る際に 

〇八咫(やた)の鏡       「この鏡を私の み霊として わが身を拝むようにして 祀りなさい」
                   と言われ 御鏡は 別格としてお祀りされることになったのです。
〇八尺瓊(やさかに)の勾玉
〇草薙(くさなぎ)の剣 



をお授けになられました。これは
「三種の神器」と称され 天皇(すめらみこと)の皇位の証となりました。
爾来 連綿として 天皇家に続いています。



神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)→ 初代天皇 神武天皇。命 みことは立派な男子 という意味です。

弥生時代のクライマックスです。弥生時代の次は 古墳時代ですけれども 前方後円墳が出現する時です。そこから古墳時代です。
一番古い前方後円墳が 90mの古墳なんです。結構 大きい国がなければそのサイズのものはできないので
古墳時代というのは 初代神武天皇より後ですね。天皇が第10代くらいのイメージですね。

縄文晩期 即ち新暦時代では 弥生時代のはじめになりますと 神武東征が起こり 九州から浪速に入られました。
神武東征は 日の本の中心地としての 大和朝廷を成立させました。
神武天皇はいつの時代 といったら 弥生時代 後半になります。

土器が 金属器が 稲作が 始まったなどのその先にあるのが
「建国」  ですからね。
ここから 国を束ね挙げていくのに入っていきます。

古事記に書いてあることは全部事実かわかりません。古事記にそう書いてあることは事実です。
歴史の大きな流れ を探る事もできますし 神武天皇の統制が真実である前提の上で 
大和朝廷が開かれ 今にまで繋がってきている という事なんです。

ですから 
古事記に どのように建国の流れがあったか 知っておくことは 一定の価値があります。好き嫌いは 信じる信じないは
知った後の話です。  
考古学・言語学・分子生物学・古文書 など付き合わせたときに これからわかってくることもあります。

九州と山陰地方で話されていた 縄文語が 弥生語の基礎になっている事がわかっています。
弥生語は 関西に移動して定着していることがわかっています。
それって 神武東征の話 じゃないの?ってことです。
言語の変化と 神武天皇の東征は 共通するものがあるのではないかな と見ることができます。

九州の端っこ 日向から 
日本列島中心の畿内 奈良盆地の東部 ヤマトまでの東征をされます。

東征の目的は 平和に天下を治める場所を探すことでした。

途中 兄の五瀬命(いつせのみこと)が 登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)に矢が当たり
「我々は 日の御子なのに 日に向かって戦ったことが良くなかった」
という言葉を遺してこの世を去ります。

太陽を背負っていたら 相手の事がくっきり見えます。敵が太陽を背負っていたら 眩しいんですよ。
巌流島の戦いや 先の大戦でゼロ戦が空中戦をする時 日を背負っていたら 相手の戦機がくっきり見えることを知っていました。。
太陽は東から上がって 南に行って 西に落ちるわけですけれども
戦争は基本的に明るいうちにやりますから 南から北にかけて戦争をすれば 太陽を背負うことになりますが
日の御子なのに 日に向かって戦うのは 縁起が悪いっていう事なんですよ。

失敗したのが 先の大戦でどうなりました?
東に向かって戦ったら負けましたよね。アメリカと戦ったら負けたじゃないですか。縁起が悪い。
真珠湾の前に 赤い国を叩け。それを言った人がいましたよ。 石原莞爾という人です。

ビジネスのテクニックでも相手の表情が見にくくなるので交渉事が有利になります。


その後 神倭伊波礼毘古命は 日を背後に負うように戦ってから 負け戦はなくなり 
天照大御神と高皇産霊神から霊剣を届けていただき 高天原からの援助を受けられるようになったと考えられます。
そして
天から 八咫烏(やたがらす) を遣わされ 八咫烏が先導し 導いてくれます。



八咫烏は現在で皇室を守っているのではないでしょうか。
そして 八咫烏は 何者でしょうか。


神倭伊波礼毘古命 前からの皇統 不合朝(ふきあえずちょう)の説もありますが

大和平定は 同じく高天原から降ってきたという 
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が 
神倭伊波礼毘古命に 服従したことにより より成し遂げられました。戦闘を経ずに大和平定が完成したのです。
物部連の祖ですから 一定の影響力があったはずですが
忠実であったがために 国譲りを彷彿させます。大和平定の協力者と 古事記には書かれています。



天皇家は霊の元つ国人の ご先祖様でありますが
皇室とは どいうものかということを学校で教えませんので 自ら勉強するしかない状況ですね。

世界が一家であるならば 人々が お互いに助け合い 祈り合って より良い社会を造ろうとする意志が
「共生弥栄のミチ」を造ってまいります。

日本書紀に
建国の詔(天皇が発する公式な命令) が書かれています。

八紘為宇 (はっこういう)
「六号(りくごう)を兼ねて 都を開き 八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(な)さむこと 亦可(またよろし)からずや」

考古学から 縄文時代は戦争のない時代でしたが 弥生時代後期・晩期には戦傷のものが出てきました。防衛が主旨のの街があった。
しかし 血みどろの戦いという感じではありません。おおむね話し合いが多いのです。

日本人同士が戦うことを神武天皇は憂いていたわけですね。もうやめろと。一緒に協力して取り組んだら みんな幸せになるはずだと
日本人はみんな 家族みたいなものなんだと。日本という 島国が家みたいなものなんだと。
日本人同士が戦争をするのは悲しいことだと
日本人はみんな家族だし
日本列島は 私たちの家みたいなものだと
みんなで協力して みんなで幸せになろう!と 

そのために国を建てたわけです。

神武天皇は 「八紘為宇」・「八紘一宇」を宣せられました。
それは 八紘を以て 家と為す ということであります。
「人類は 皆兄弟であり同胞(はらから)である」 との貴い詔を発せられたのであります。

これは
「民(大衆)に利や幸となるならば 天皇も聖(ひじり)の勤めとして一緒に歩もう」
と 共生弥栄のミチうぃ示されたのです。

スメラミコトの ご直系である天皇陛下は 今も日々 国家国民の弥栄えと世界の安寧を祈っておられます。









どこの国の人も 自分の国の建国の精神を知っています。
日本人として 神武天皇の建国の精神をぜひ知っておいてほしいものです。
でも学校では教わらないのないのです。

この考え方は 普遍的で 2000年前も これからも通用する価値観なんです。
日本国は 国民を幸せにするために創られた国なんです。

国士とは 一身を顧みず 国のことを思う士(さむらい)なのです。
私たちは 至らぬながらも 日本人の心 日の本つ国人の精神を有しているはずです。
いよいよ この日本の国を建て換えてゆかねばなりません。



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