すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      ~21聖紀をになう子どもたちへ


歴史




歴史を学ぶ意味

歴史を学ぶ 本当の 意味は何なんでしょう。

歴史というのは 過去の出来事ですよね。 
昔の事 勉強して何か意味あんの?と思うかもしれません。

しかも 
テストなんか 歴史=暗記

年号 何年に何があった この背景に何があった どう関連している  
そんな情報を どんどん覚える 
暗記して しっかり  暗記できた子が いい点数を 取れる

歴史は 暗記科目 というイメージがあったかもしれません。

大人になって 年号 内容は ほぼ忘れ 
歴史なんて 何か意味あったのか? という事ですね。

国家試験を受ける など目的があって 勉強しなければならない事はありますが

そもそも 本当の勉強は 
面白いから わくわくするから 楽しいから やるものであって 
その方が 効果 も出ます。



そして
勉強したことは 役に立つんです。
歴史の勉強も これに当てはまります。 歴史の勉強って 面白いからやるんですよ。

歴史 というのは
過去の人間の 営み ですよね。
生身の人間が 昔 生きていた。自分の先祖も 生きていた。

遺伝子情報を 解析していって
人類の混血 や どの時期に どう移動したのか などが 
かなり克明に わかるようになってきました。

現生人類 と言われる 

まだ 文化を持たない ホモサピエンス。
人間 に ちょっと似ていた うほうほ した感じの人たちは 
20万年前 アフリカで発生 したと言います。



地殻変動もあり 今の世界地図の 地形ではないですし

世界中で 
この打製石器は 何十万年前のだぁ! と よく言われるのですが

打製石器は
猿でも つくる場合があるので 何とも言えない事もあります。



細胞分裂の時に 遺伝子の コピーミスで
ミスした細胞が また転写していくので 元には戻りませんので

子孫繁栄の際に 遺伝として 変異していくかもしれませんが

きりんの首が 突然変異で
ある日 突然 ビヨォ~ン て 伸びる事はありません。



進化論の 
猿 から 猿人 になったという事は ありえません。




手の 親指の骨の構造上
磨製石器は 人間しかつくれません。



なので
磨製石器 こそ 人類固有の最初の道具  
モノづくり の 第1歩 なんです。

不思議な事に 教科書には
世界最古 の 磨製石器は 日本から 



と 書かれていないんです。

世界最古の 磨製石器 は
日本で つくられているんです。

うほうほ した 現生人類の



ホモサピエンス が アフリカから散らばり
ある日 
突然 ビビビビビッィ~ と 
とてつもない 閃き(ひらめき)が降臨して

日本にいたのが 人間になってしまった。

ホモ エレクトス が現れたのは アフリカ。

それから発達して ホモ サピエンス 
ヒト種の 生物学 の話になるのです。

猿が 人間に 進化したのではありません。

進化 ではなく 脳が発達した という事です。



人間が 現れたのは 
日本列島  霊の元 日の元 の国 からです。

天孫降臨 とも言われる 閃き(ひらめき)から

磨製石器。 モノつくり や 文化 が始まります。

細胞の中の DNA。
分子生物学 の発展で 色々な事がわかってきました。

母 から 子への X 染色体 ミトコンドリア DNA。



父 から 男子への Y 染色体 DNA。



核ゲノム 



の事です。 

分子生物学の系統 ハプロタイプ で分けると
日本人 のタイプは 20系統 あるそうです。

昭和21年。
1946年。
相沢忠洋さんが 富士山の噴火した 灰の関東ローム層。



群馬県の 岩宿遺跡 から
3万5000年前の 磨製石器の 大発見 をします。



それ以降
もっと 古い 3万8000年 の時のものなど 
磨製石器 が 色々な地域から たくさん出てきました。

なので
100年 500年 1000年前にも 自分の 先祖は この日本  生きていたんですよ。
1万年前 もっと 遥か昔から
この 日本列島に 暮らしてたんです。

お父さん お母さん おじいちゃん おばあちゃん ひいおじいちゃん ひいおばあちゃん 
どんな生活や 生き方を してきたんだろう。



自分のルーツ。
血のつながった 先祖 たちが生きていた時代の事 興味があると思います。

自分の住んでいる 生まれ育った街。
ここは
昔はどんな土地だったのか  100年前 500年前  何があった場所なのか。

自分に 関りある事から 興味が湧くと思います。
調べてみると面白いと思います。

歴史を知る という事は
自分を知る という事になります。 

ちなみに
歴代天皇 の 血筋を ひいていない人は いないそうです。

初代 神武天皇 以降 



第2代 綏靖(すいぜい)天皇 から
第9代 開化(かいか)天皇 まで

戦後 欠史八代(けっしはちだい) と 言われてきましたが



立派な ご自責 があります。

この時代に
天皇の血筋が 日本中に散らばりました。
そして
地域の豪族と 一体となり

攻め滅ぼす とい事 ではなく
話し合い 血筋をつないで

国を 統合していったのが 日本国 なんです。

日本民族は 改めて 単一な 強力な 
天皇 を 軸 とする 1つの家族になっていったんです。

全国の 有力氏族 豪族の娘さんが 
ガンガン 奈良の 天皇家に嫁いでくる。

そして
天皇 の息子たちは 
バンバン 地方に飛んでいき 結ばれていく。

こういう事 を繰り返してきたんですね。
気付いたら
日本中 の 有力氏族 が 
みんな 天皇の親戚 に なっちゃったんです。



両親 の数は 2人。

父方 母方 で
おじいちゃん おばあちゃん で 4人。
ひいおじいちゃん ひいおばあちゃん で 8人。

倍倍で増えていって
20世代 わずか 400年前の 江戸時代に さかのぼったら
自分 1人に 何人ご先祖様がいるか。



100万人づつ ご先祖様が いらっしゃるんですよ。



もっと さかのぼって 倍倍に 増えていって
その中の 1人でも 天皇に たどり着かない人は
確立的に いないんです。

天皇の血筋 を受けていない人は いません。

自分は 何者なのか。 
どっから来て どこに 向かおうとしているのか

自分を知ると 
今 がわかるんです。
そして 
未来 がわかるんです。

今の自分が
どういう状況なのかわからないと 未来なんてわかる訳ない。

先の大戦で 300万人 が死んでいるんですよ。

じゃあ 
なんで 戦争を始めたの?どうなって 負けるにいたったの?



あんな 壊滅的 な結果を受けて 日本中が 焼け野原になって 



いったい どういう風に 復興してきて

今 世界で 第3位の 経済大国ですよ。 
え?何したの? と知り始めると 

へ~ そうなんだ!知らなかった!と 興味が湧いてきて

古墳時代 が好き とか 
戦国時代 が好きだ とか ピンで 織田信長が好き とか 

どんなものにも 歴史 があるんですね。
それも 
先人たちが 苦労しながら アイデアを出しながら 悩みながら

いいものを選び わるいものは変わっていく 
洗礼され 修練され 形 になっていくわけです。

熱い想い をもって 
それに 取り組んだ人たちの 気持ちが 伝わってきたりするわけです。

そして 
今度は自分が そのストーリーを つくっていく側 になるわけです。 



自分の経験だけで 物事を判断して 生きていく人がいます。 
しかし 
過去の歴史を 色々と勉強している人は 色々な引き出しが いっぱいできる訳です。

何か困った事に 遭遇した時 

あぁ 歴史上のあの人は こういう風に乗り越えたよね とか

歴史 をベースにして 物事を判断する人と 雲泥の差がでてきます。

初代ドイツ帝国宰相 ビスマルク という人の有名な言葉 



愚者は 経験に学び 賢者は 歴史に学ぶ があります。

歴史を学ぶことは 100人分 1000人分の人生を 学ぶ事になるんです。
だったら 学ばなきゃ 損 ですよ。





最古の国 日本

現在 国連加盟国は 193か国 あります。
今ある 全ての国の中で 
1番 古い国は どこかというと 日本 です。



現存する 最古の国は 日本 です。

王朝交代の歴史で 
まだ建国して 75年ほどの国など 色々とありますが 連続性はありません。

日本は 最も 短く見積もっても 2000年。王朝交代がありません。



よその国と比べて 
王朝交代のない 歴史が長い日本 というのは 大きな特徴です。

そして歴代天皇は

第1代 神武天皇から 



現在の天皇陛下は 第126代です。



万世一系 といいます。
比喩表現ですが とても永い間 一つの 血統 の原理に元ずいて 
脈々と 皇位が継承 されてきた。

これが
日本の 皇位継承の原理 だという事です。

たまたま そうだった という事ではなく 

大災害 があったり 戦争に負ける とか 
民衆が 立ち上がって 王を殺したり とかありますね。
そういう 色々な理由で 王朝は 倒れるわけです。

日本も 色々ありました。飢饉 もあれば 災害 政変 もありました。
他の国と同じく 危機 はありました。
でも
危機 のたびに 王朝交代をしている ヨーロッパや 大陸の国と違って 
日本は同じことが起きても
王朝を倒そう という事にはならないんです。

江戸時代 幕末に大飢饉がありました。
天明の大飢饉
と 
天保の大飢饉 です。

幕府が 弱体化してしまいました。

天明の大飢饉は 
日本だけに起きた 飢饉 ではなく 
異常気象 というのは 地球規模 でおきるわけです。

同じ時期に ヨーロッパでも 飢饉が起きるわけです。

原因は 浅間山 の噴火でした。
浅間山が どぉーん!と噴火して モクモクモクと噴煙を上げて



アイスランドの ラキ火山も 噴火して 



地球上が 何年間か 日が差さなくなって 夏が来なくなってしまいました。
夏なのに涼しい お米は取れない 

日本では 天明の大飢饉 と 天保の大飢饉。
ヨーロッパでも 小麦 が取れなくなり フランス革命 が起きました。

小麦粉の価格 が上がって パンが食えない!って 革命が起きたわけです。
国王を逮捕して 処刑したんですから。

飢饉が起きて ヨーロッパでは 革命 がおきたんですよ。



ところが 
日本では 同じ 飢饉 が起きても 

江戸時代後期 
光格天皇の時代 



幕府じゃ頼りにならないと
天皇陛下に 拝もうと 
柏手(かしわで) を打とう と言って 

1日に 何万人 もの人が 京都御所 を訪れて 



御所千度参り(ごしょせんどまいり) と言って
参拝するような事が 起きたわけですよね。
誰も 天皇を倒す という事には ならなかったんです。
歴史 人物② リンク

誰が 皇室 を守ってきたか 
誰が 日本 という国を 守ってきたのかというのは 

なにも 天皇の軍隊が 力ずくで 守ってきたわけじゃない。

その証拠に
歴代天皇の お住まいと 
他の国の 歴代王朝の お住まいと 比べてみると 
歴然とした違い があるんですね。

他の国の 王様は 
軍事基地 の中に住みます。
刑務所 のような ものすごい 高い塀に 囲まれています。



何におびえているんです? 

実は 世界の王や 皇帝は 外国の軍隊が 怖いけども 
もっと怖いものは 

それは国民です。
だから 軍事基地の中に住みます。

日本の 皇居 はどうでしょうか。
天皇陛下の お住まいを見てください。

今の 皇居は 徳川の城 ですので 
お濠(ほり)があって 石垣に囲まれて 軍事基地ですが 

京都御所は



1100年間 歴代の天皇が お住まいになられた場所で 
お濠 石垣 やぐらはありません。丸腰のところで
歴代天皇は 住み続けた。

国民が 天皇を守り 日本国 を守ってきたからです。
そして 2000年間が経った。

何故だと思います?
なぜ日本だけが 2000年以上 続いてきたんだと思います?



それは いい国だから ですよ。

いい国は 誰が潰すんです?
いい国だから みんなで守ろう。
動乱や 外国から攻められて 色々あっても 

この国だけは 残そう 
この国さえ 残しておけば みんな 幸せ でいられるんだ と みんな思った。
いい国だから 国民がしっかり 支え続けたんですね。

それが 日本なんです。

だから 日本 という国は 歴史上 
最も 長きにわたって 
最も多くの人を 幸せにし続けてきた そういう国だ という事です。



ご先祖様たち 
よくぞ 日本という国を 残してくれたなぁ 有難いなぁ という風に
多くの人が感じると思います。

じゃあ 
自分の子ども 孫たちのために 
この日本 をもっといい国にして 
譲り渡して いきたいなぁ と思うかもしれませんね。 

では
なぜ 日本だけ  2000年以上続いたのかを 掘り下げると 
構造的な問題 もあるんですね。

昔は どういう風に 王朝 ができるかというと 

戦争して 勝った奴が 王 になるんですね。
戦争をして 勝ち抜いて 皇帝 になるわけですよ。

だから 必ずしも 
人徳とか 素晴らしい方が 皇帝になる わけではなく 
喧嘩の強い奴が 皇帝になるんです。

今日から 俺の国だ お前ら従え 
って言うんですよ。みんなを 牛耳っている。
そいつに どんな嫌な奴でも 従うんですよ。怖いから。

でも
そんな国が 長く 続くわけがないんですよ。理念がないから。
軍事力 で手に入れた 政権 は 
別の軍事力によって 脅かされるわけです。

剣を持つものは 剣によって亡ぼされる
という 文言が 聖書 に書かれている。

サル山 と一緒ですわ。
2番目に強くても 子孫 を残せないわけです。



ところが
日本の場合は違うんです。

戦争をして まとめ上げたのでは ないんですね。
戦争を経ずに まとめ上げたんです。

2世紀から 3世紀にかけて 
日本には 30か国 くらいの国があった と言われています。

大陸の 魏志倭人伝 などを見ると そう書かれています。



小競り合い は あったにせよ 
大まかにいえば 大きな戦争をせずに 国を統合していったわけです。

大和の国といっても もしかしたら 
50とか 100とか 国があった可能性もありますけれども 

戦争を経ることなく  統合 していったんです。

つまり 話し合い



で 国を 統合 していった。
だから
戦争に勝ったから 王 になる 
というのとは 違う原理で 天皇が成立しています。

初期のころの大和朝廷は 天皇は 政治権限がなくて 
ひたすら 祈る存在 だったということも だいたいわかってきているんです。
なので 
当時から 政治と天皇。宗教上の権威は分けてきたのが 日本の 特徴 だったりするんです。

王 と 国民。ヨーロッパや大陸と 
天皇 と 国民。日本の場合を比べると 

全然構造が 違う という事が 理解できると思います。

世襲によって 国家の 統治権が移っていく 
それを 君主 と言いますが 

一言で 君(くん) という場合もありますが 
それは
天皇とか 皇帝とかのことで 

それに対して 民か 国民ですね。

君民の関係というのは
ヨーロッパや 大陸では どうだったかというと 



対立関係 にあるわけです。
利害関係 が対立しているんです。

税金を取る人 取られる人
統治する人 される人
支配する人 される人 

わかりやすく言うと 君(くん)の 奴隷 みたいなやつです。

この 王 がいるから 俺たちは 幸せになれない 
こいつを 倒さないと 未来はないんだ 
という事になって 
民衆が 立ち上がって 王を倒すわけです。

日本は 対立関係にないんですね。

一度も
天皇と 国民が 対立関係に入ったことがないんです。

天皇 にとっての幸せは 国民が幸せになる事ですよ。
国民 にとっての幸せは 自分たちが幸せになる事。



それだけじゃない 

天皇陛下も お元気でいていただきたい。
健やかに日々過ごしていただきたい。

そいう風に 国民も思うわけです。

お互いが お互いの幸せを 祈る。

これ素晴らしい事じゃないですか?

天皇は幸せだけど 国民は不幸。
天皇が不幸で 国民は幸せ。なんてないんです。

第16代 仁徳天皇の話。
聖(ひじり)の帝(みかど)。 

今から 1600年から 1700年前の方 と言われています。
民のかまど の話は 有名です。
歴史 人物リンク



歴代天皇が 手本 模範 とされた方の 内容なんですが

愛知県一宮市の 校長が 
日本人の 誇りある話である にも関わらず 
注意を受けました。



日本書紀で 

民が 飢えてしまったら 天皇である 自分の 心も貧しい。
民が 豊かになって 幸せになってこそ 
天皇である 自分の幸せがある 

と おっしゃっています。

そして 確認 しておかなくてはならないのは

15代 応神天皇
16代 仁徳天皇
17代 履中(りちゅう)天皇

の時代に 
本拠地が 奈良 から 大阪 に移っているんです。

このちょっと前は 

纏向(まきむく)遺跡
奈良県桜井市の 三輪山(みわやま) 北西一帯にある 



三輪山は
古事記 や 日本書紀の 出雲神話のところで

大物主神(おおものぬしのかみ)が 
大国主神様(おおくにぬしのかみさま)の 国造り に協力する代わりに 

三輪山を 神様の山として 祀るようになった山です。

弥生時代末期から 古墳時代前期にかけての 集落の遺跡から
拠点が 纏向 奈良 だったのに

第16代 仁徳天皇陵は 大阪の河内 です。



なので
先の大戦の後 

河内王朝説(かわちおうちょうせつ) もしくは 
応神(おうじん)天皇 王朝説 という

倭建命(やまとたけるのみこと) の息子
第14代 仲哀(ちゅうあい)天皇 と 
第15代 応神天皇 の間に 断絶があって

応神天皇が 初代天皇。

王朝交代 があった という事で 

第14代前の王朝は 奈良に 本拠地があるので 
第15代 応神天皇が 



攻め滅ぼして 新王朝 を立てたんだと 言われた事がありました。
歴史 現代②リンク

応神天皇 は
八幡の神様の 象徴 と言われますが

10代 崇神天皇 と同じように

今と地形は違い 陸地を行き来 するわけなので
当時 朝鮮半島には ほとんど人口は無く

倭人 として 日本から行った人々が 文化を起こし

朝鮮半島での 鉄の採取と
それと 
騎馬の民族の文化 DNA を持ち帰り
より強固な  国家体制をつくる事をされた という事なんです。

ある 歴史学者がいて
この人が 騎馬民族 王朝説 というのを唱えたんですね。

これは
河内王朝説の 変化版です。



応神天皇 になる人は 朝鮮人で 朝鮮半島にいたと。

騎馬文化を持ってきて
そして
海を渡って 九州に上陸して 九州に 王朝を立てた と。

朝鮮半島から来た 騎馬民族が 進出して 
大阪で 自分が天皇になって 応神天皇と名乗った。

これが 騎馬民族 王朝説です。



そうしたら 一気に文化が 騎馬文化に 変わるはずなんですね。

日本の 騎馬文化は 
独特の進化を ゆっくりと積み重ねてきた文化で

ある日 どぉーん と外来の 騎馬文化が 入った来た と言うのは 
文化論的に 説明がつきません。

戦後
こういう話が  流行るわけなんですけども

終戦の後は 
天皇の歴史に 茶々を 入れるような事が 
急に できるようになったもんですから

ここで 
王朝切れてる 
ここで 
王朝切れてる って
色んな 新説が出たんです。

王朝が 交代したって事は それなりに 根拠 が必要ですよね。

その後 考古学 とか 史学 とか色々な学問の 積み上げによって
学問的には 否定 されました。

特に 河内(かわち)王朝説に関しては

4世紀までの 大和。奈良の地にある 前方後円墳 と
5世紀からの 大阪の南。河内にある 前方後円墳 は 

急に 巨大 になるって事はあるんですが

  

基本的に つくりは一緒なんです。

じゃあ 王朝が交代 したんだったら 
何で 前の王朝の文化を 継承するんですか?

中国なんか 王朝が代わる度に 全く新しい文化になるんですけども
日本は
墳丘とか 埋葬施設とか 副葬品とか 基本的なつくりにおいて 連続性があるんです。

ましてや
朝鮮半島から来た 一族が 
なんで
前の王朝の文化を 継承するのか 説明がつかないわけです。

4世紀から 5世紀にかけて 急に 

政治的方針 が変わる とか 
王権としての 性質が変わる という事はありません。

3世紀初頭に 前方後円墳がつくられ始め 
4世紀末に 日本列島のほぼ全域にひろがり 

そして 
迎えたのが 5世紀ですから。

そこまで 統一王権を つくっておきながら いきなり滅ぼされる というならば
よほど 大きな力 がかからない限り 
もしくは 
日本全土 を戦場にして 戦わない限り

それだけの 
統一王権を 倒すって事は できないはずなんですね。

畿内 とは 関西一体の事で 
関西一体は 1つの地域として 見られているので

葛城山(かつらぎさん)の 



西か東 という事だけで 一体の地域で 見られているんですね。

奈良 纏向(まきむく) の後は 

滋賀 に行って 
そして 
河内 に下がって
また 
奈良 に戻るわけです。 

いちいち 王朝交代 のわけがなく 
王朝交代なら なんで
一連の物として 古事記・日本書紀に 書いてあるんですか って事です。

しかも 
政権の 所在地と 
古墳の場所は 必ずしも同じとはかぎりません。

古墳で 政治を執るんじゃ ないんだから。
古墳は お墓ですよ。
お墓の位置が 変わったからと言って 行政の在り方が 変わるわけではないですね。

だから 前方後円墳が 河内に 移動したからと言って 
だから 王朝交代 という事にはならない。



政治が 混乱した形跡も 見られないですね。

4世紀は
日本列島全域 を抑える 統一政権になっているわけですから 

これをひっくり返す となれば 
それなりの 戦争の後が あるはずなんです。

1世紀 2世紀は 戦争の意向が 多いんですが 
4世紀 5世紀は 非常に 安定した時代だった という事がわかっています。



王朝交代があった と言うならば 
あった と言う側が 証拠 を 出さなければいけませんね。

よく
天皇の先祖は 朝鮮人だったとか なんとか 言いますが
それは 
騎馬民族 王朝説であり 
完全に 学問的に 否定されています。

第1代 神武天皇が 

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)= 初代天皇 神武天皇。

命 みことは 立派な男子 という意味です。



弥生時代の クライマックス の時の方です。
弥生時代の次は 古墳時代で 



前方後円墳が 出現する時です。そこから 古墳時代です。

1番古い
前方後円墳が 90mの 古墳なんです。
結構 大きい国がなければ そのサイズのものは できません。

奈良県桜井市の
箸墓古墳(はしはかこふん)は 278m の古墳です。



村長レベルの人の お墓ではないですよね。
この大きさは 国王レベルです。

ちなみに
古墳時代というのは 

初代 神武天皇より 第10代 くらい後の事です。

令和2年。
2020年 で 皇紀 2680年 ですが

縄文晩期 
即ち 新暦時代では 弥生時代の始めになりますと 

神武東征 があり

天津神 の御子
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇 は

奈良県 畝傍山山(うねびやま)東南の地
畝火(うねび)の 白橿原宮(かしはらのみや) にて
初代天皇 に 即位なされました。

この 初代 神武(じんむ)天皇の 大和の国 は 
3世紀初頭 です。

この頃に 
前方後円墳が でき始めたのが 
大和王権が 成立したサインなんです。

今から 1800年 前 + αアルファ。
少なく見積もっても 2000年前 だそうです。

第10代 崇神(すじん)天皇 は



日本書紀 に 御肇国天武天皇(はつくにしらすすめらみこと)

古事記に 初国を知らす 御真木天皇(みまきのすめらみこと)

称されていますが 初代では ありません。
連合王権 をつくったという意味です。

今と地形は違いますので 陸地を行き来 するわけですね。
今で言う 朝鮮半島には ほとんど人口は無く

倭人 として 日本から行った人々が 文化を起こし

朝鮮半島 は当時 鉄が採取できたので
それと 
騎馬の民族の文化や DNA を持ち帰り
より強固な  国家体制をつくる事をされた という事です。

大型の古墳は 奈良盆地 から広がって

奈良盆地の勢力 大和の国 と
北九州 岡山 吉備 
北は 東北

日本列島を ほぼ全域を統合する事になります。

4世紀末 170年から 180年くらいの間に
100か国 くらいあった国が 1つに束ねられた 
連合王権 となります。

考古学上 前方後円墳の 分布範囲が
大和朝廷 の統治範囲 という事で 意見が一致しているとの事です。



神 という字を いみ名 とされる方は

初代 神武天皇

第10代 崇神天皇

第15代 応神天皇 の3人です。

大和民族の 血統は間違いないのですが
新たな 息吹が導入される時には 

神 という字が付くのではないか と考えられています。

そしてなぜ 
王権 の時は カタカナ で書くかというと
考古学上 学術用語 で カタカナ を使用しているからです。

そして
大和朝廷は 4世紀 後半からとなります。

史学では 大きな 和 の意味で 大和 と書きます。
そして
日本国 と なるわけです。
なので
当時は 日本 という呼び方はなく 大和 です。

 

ちなみに 150年間やってる 邪馬台国論争 ですが

大陸の三国志の時代
魏(ぎ)という国の 公式文書に
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)があり 

2世紀後半から 3世紀頃の
日本の事 が書かれているパートがあります。

卑弥呼(ひみこ) が亡くなったのは 3世紀半ば
墓も大きい など
かなり 詳しく書かれているようですが

2世紀後半は 弥生時代の 最晩年です。
この頃はもう 日本には
大和王権 があるんです。天皇もいるんです。

3世紀半ばって 日本は 古墳時代です
卑弥呼(ひみこ)って こんな王族 天皇はいないですから
誰っ? って話ですね。



日の御子。 
日向(ひむか)の 女性の代表が

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の 
卑しい という字を当てて
卑弥呼 と言われていますが

日本側の資料が無いので 確かめようが無いんですね。

魏志倭人伝 に書かれた通りにたどっていくと
邪馬台国の 場所は 
フィリピン の東方沖に行ってしまうそうです。

はたまた 近畿なのか 九州なのか。

何よりも
魏志倭人伝 には 邪馬台国 とは書いていない。
正しくは

邪馬壹国(やまいこく)なんです。
一(いち) の旧字体が 壹。
台(たい) の旧字体が 臺。

邪馬壹国(やまいこく) って書いてあるのに 
勝手に書き換えちゃダメでしょ。音(おん)が似てるからって。
邪馬台国 ってねぇよ という事のようで

実態は不明。 よくわからない という事です。

この時代 日本では 
大和朝廷をつくり 後々 日本 という国を 建国していました。
この時の 建国精神も 

日本書紀に 書いてあるんです。

みんなが幸せになるために 国をつくるんだ 

という 趣旨の事を おっしゃっているんです。
それを 
第16代 仁徳(にんとく)天皇は 受け継いでいったんです。実践してきたんです。

という事は 

神武天皇は 何のために建国をした。

国民 のためです。
国民 が幸せになる事です。

日本国の精神は 

一人一人の国民 みんなが幸せになる ことなんですね。
だから
日本国家 がつくられたんです。国民のための 国家なんです。

誰が言ってんの?と言ったら 



神武天皇が言っているんです。

喧嘩の勝った 俺の国 じゃあないんです。
そういうとこの国民は 国王の 所有物 なんですから。

和 と 同 は一見似ている概念のようですが
中身は全然違う と語ったのが

中国の古典の 孔子(こうし)です。

和 は 自己の主体性を保ちながら 他者と協調する。
同 は 自己の主体性を失って 他者と協調する。個性を失ってしまう。

紀元前や 2世紀くらいまでは 
かなりの戦争の跡が出土するのですが

3世紀になると ピタッと戦争の跡が無くなる。

この時に 100か国が 1つに統合された。

戦争を経ずに 統一国家ができた。
普通は 大規模な戦争を経なければ 統一国家なんてできないんです。

ローカリズム を大切にして

一緒に組もうよ!
これがあるから あげる
こっちは これあるから あげる 
これは 手伝える させていただくね
じゃあ  協力するね



というような

話し合いで統合するという
今のEU のような 最先端の事を すでにやってのけていたんです。

みんなが 幸せになる
これが 日本の建国の理念です。

民主主義の 最古の国は 日本だと言えるんです。
先の大戦で 民主主義になった わけじゃないんです。

今は
国民のための 国家って言ったら どこにでもありますよ。
リンカーンの 有名な言葉がありますが



2000年前以上に 
国民のための 国家なんて

日本以外ありませんからね。
だから
2000年以上 続いてきたんですよ。実は 最先端だったんですね。





神話はどこまで本当か




神話というと 
古事記・日本書紀 が有名なんですけれども 

どこまでが本当の事なの?と思われると思います。

旧約聖書の 神は5日と半日で世界を創った  7日でとか



自らの姿(ス型)に似せて 形(霊成型)を創ったとか 

アダムと イヴの リンゴや 



モーゼの十戒の 海が割れる話など 



ノアの箱舟 もそうです。



ネイティブ・アメリカンや 



オーストラリアの アボリジニ。


ヨーロッパだったらケルトとか。



日本では 

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と 伊邪那美神(いざなみのかみ)。 



天照大御神という 太陽の神様の 天の岩戸隠れ。



大国主神(おおくにぬしかみ)の 因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)。



山幸彦(やまさちひこ)と 海幸彦(うみさちひこ)の 兄弟げんかの話。



あと 
八岐大蛇(やまたのおろち) と 須佐之男命(すさのおのみこと)。  
などたくさんあります。

でも
そんなもん 嘘だろう 

と 思いがちなんですが 
どこまで 本当なんだろう という事ですが

どうでもいいです。

神話の 
どこが 事実で どこが フィクションか なんて事は 

どうでもいいんです。



神話の価値 というのは 

真実だから 
価値がある とか 

真実じゃあないから 価値が無い というものでは ないんです。

神話は 神話である 時点で 価値があるんです。

事実 じゃなければ
価値が無い なんて言ったら 
シェイクスピアの作品 映画 なんて 全部ゴミですわ。

    


創作作品 であっても 価値があるんです。
どこが ホントで 
どこが ウソ なんてどうでもいい話なんです。

神話は 
SF のような個人の 妄想 ではなく 

歴史時代よりも 前 
すごく 古い時代から 

ずっと
人々が 語り継いできた 物語。これが 神話 なんですね。
神話 というのは 新たに作ることは できない。

日本では 
古事記 ・ 日本書紀 という 
非常に 古い時代に書かれた本に 神話 が書かれている という事です。

だって 事実じゃないんでしょ? 
何の 意味があるの?



と 言われて 
一見 正しそうに 聞こえるんですけども

神話を 否定 する時 

こんなもん あり得ない 
科学的に 起こりえない 

と言う方が おられますが

でも 
ちょっと 見方を変えると 全然違う世界が 見えてくるはずなんです。

なぜならば 
現代の 科学の知識 を用いて

神話を 否定するなんていうのは 大変 愚かな事 なんです。

例えば
聖書に 神は 5日と半日で 世界を創った。 もしくは7日。  



そんなわけないじゃん。

アダムと イヴが 禁断のリンゴを食べて 



エデンの園を追放された。  
エデンの園? それ作り話だし。

言い始めたら おかしな事になりますよね。

これだけ 科学が 進んだ時代に 

ヨーロッパでは どう 処理 されているかというと
答えは 

神話 を語るときに 

科学の知識 を用いて 神話を否定する 
と いう事は無い です。

そういうことをする人は いません。

神話は そういうものではないから。

神話は
神話であることに 価値があるんです。

イエス キリストは 重要な存在ですよ。
イエス キリストは 聖母マリア から生まれてきているんですが 



ところが
聖書 によると 聖母マリアは 処女 で 妊娠した と書いてあるんですね。

よく考えてみてください。

人間の女性が 処女 で妊娠しますか?
ゾウリムシじゃあるまいし。



じゃあ
ヨーロッパで これを 批判する人が いるか。
ヨーロッパで
そんなはずある訳ない という 議論は 無いんです。

なぜならば
科学の力 を用いて 神話 を 否定擦ることは 

愚の骨頂。大変 愚かなことなんです。

科学なんて どうでもいい 
奇跡が 起きたんだと 

だから
奇跡的な 素晴らしい方が 生まれたんだと 

いう事だけ なんです。

マリア様に 夫が 本当にいなかったのか 
そんなことは 



どうでもいいんです。

処女にて 懐胎 をされた。それが真実なんです。

真実 であることは 
事実 であることより 尊いんです。

マリア様が 処女じゃなかったら 
ヨーロッパ社会・秩序が 根こそぎ 吹っ飛びますからね。

マリア様に 夫がいたら 
生まれてきた 子 は 神の子 だと思っていたのが 

ただの 子 ですよ。



聖雄聖者 以外でも 
本来 人は 眉間に
神様の 分け御霊 の主魂 を賜っているのですが



この 魂力 を

キリスト イエス は 1つの目。
仏教 では 宝珠。
ヨガ では マニの珠。 第3の目。

とも 言われるそうです。



マリアの 処女懐胎は 

3つの 重要なことを 担保しているんです。

1つは マリア様が 処女 であったという 純真さ です。

2つ目は 人間の女性を 処女にて懐胎させてしまうという
神の力。神の 神通力 です。

3つ目は 1番重要 
生まれてきた子が 神の子 である という事。



神の子 と ただの子 
全然違うんですよ。

そうしたら
何が起きるか と言ったら 

騙された というに事になります。

教会の権威で 
ヨーロッパの秩序が できていますから イエス キリストが 

ただの子 になったら

全部 吹っ飛ぶわけですよ。

アメリカの大統領が 
聖書 に手を乗せて 宣誓 する。



もし
聖書が 偽書 であったら 嘘 を書いてあるものに 手をあてて 
宣誓 になりませんよ。

というように 
神話が 事実 であるかは どうでもいいんです。
神話に 書いてあることは 全て 真実 なのであって
事実 であることは どうでもいい。

ヨーロッパでも イスラムでも 聖書やコーランを 
否定するなんて 命がけ の事なんですよ。殺されるんですからね。
聖典を 批判するなんて 命がけですよ。

科学が どうのとか 
事実がとか 

どうでもいいんです。

議論をする 余地はないんです。
日本人は あまりにも 簡単に 嘘だのへちまだの 言うけれども。

とはいうものの 
日本の 古事記 日本書紀は 結構 事実を反映しています。





古事記と日本書紀

では
古事記 日本書紀 とは何か?

この 2つ を合わせて 

記紀 とよぶ場合があります。

なぜこの 2つが有名かというと

現存する 
最古 の文書が 古事記。



2番目 に古いのが 日本書紀 なんですね。



江戸時代に 国学 として

それまで あまり有名では なかった 古事記 を
古事記 こそ 日本人が 学ぶべき本である と

本居宣長(もとおりのりなが) が 古事記伝 として まとめました。



日本書紀は 
完全なる 中国語で書かれているので まだ わかりやすかったとの事ですが

古事記は 漢文で 書かれているのですが
固有名詞 とか 人名 とか 土地の名称 なんかは

万葉仮名 と言って 
意味を 取り払って 漢字の 音 だけで 表現した所があるので
難解 だったという事で 

本居宣長は 古事記を 読み解くのに

35年 の月日を費やしています。

この人の 努力があって 
今 私たちは 古事記 を 読める事ができるんです。

書いてあるのが 日本の建国の事 とか 天皇の御自責 とか書かれています。

古史古伝の 超古代文明の 研究も されています。
竹内文書(もんじょ)・ 九鬼文書(くかみもんじょ)・ 秀真伝(ホツマツタヱ)など 色々とあります。









しかし 古事記は
ただ 古い というだけではなくて 

国家 が 編纂している という事。

歴史作家が 
私は こういう 歴史観をもっているよ という
個人の責任で 書いたような本 ではない という事です。

これは 
時の 日本政府が 編纂しているんですね。

だから 古事記 と 日本書紀 は
政府が 編纂した 
公式な文書。もんじょと言います。
新しいものは 文書 ぶんしょ と言います。公文書といいますね。
パスポートとか 許可証とか。

どのくらい古いかというと 
古事記は 712年です。
日本書紀が 完成したのは 720年です。

両方とも 同じような時期に つくられているんですね。 
第40代 天武(てんむ)天皇が 編纂を命ぜられました。



古事記 を編纂した人は 太安万侶(おおのやすまろ)。



日本書紀 を編纂した人は 舎人親王(とねりしんのう)。天武天皇の息子です。



2つ のチームによって 文書が 編纂されました。

なぜ 
どこまで 本当かわからない 神話を勉強するか というと 

実は
日本の建国は 古すぎて
わからないことが 多すぎるんですね。

日本列島で 初めて 文字 がつくられたのは 5世紀ぐらいなんですね。

建国は遅くても 3世紀。文字がないんですね。
文字のない時代の出来事を
無かったことにしよう なんて できないので 

考古学で



国が
3世紀ころ 統合 している事が わかっていますから 
戦争の跡が でませんから 

話し合いで 統合されたことも わかっていますから。

文字 のない時代は 人名。固有名詞 が伝わりません。年月日 が伝わりません。
考古学 で調べたところで 
何月何日 って出ません。

物 しか 出てこないから 

文字がないので 名前が書いていないし ネームプレートないし。
地層にしても 何世紀ごろぐらいで。

歴史資料で わからないところを 

古事記 日本書紀は 穴埋め してくれているんです。

神話は 作者不明 なんです。

太安万侶 や 舎人親王 が 
頭の中 で 作り出したもの ではないんです。



どういうことかというと 

何百年 何千年 だかわかりませんが 
昔から 
この地域で こういう 言い伝えがあったとか
そういう 伝説 を 
丹念に 拾い集めていって 

日本建国の物語 として まとめたのが

古事記であり
日本書紀であり それが 神話 なんですね。

古事記には序文があり 
建国の経緯を 文字で まとめておかないと わからなくなるぞ と

太安万侶と



1度 聞いたことは 全て覚える事ができるという 

高山 飛騨 出身の 
飛騨の阿礼
稗田阿礼(ひえだのあれ) が 



全国の神話を
いったん 頭の中に入れます。
頭の中で 統合 して 物語 にして 
それを 
太安万侶が 文字 にして記録するという 

2人が 中心で 古事記 を書いていきます。

宇宙の初めから 
日本列島 が形成され 
神々が 降りて行ってとか 

どういう風に この王朝が できたのか 
国家建国まで という 

壮大な物語が 書かれているわけです。

全部事実かは わかりません。たぶん 八岐大蛇(やまたのおろち)なんて
巨大生物は ないんですよ。



頭が 8つ 
尾 が 8つ。
身には 苔(こけ) や 檜(ひのき) や 杉 などが生え
体の大きさは 
8つ の谷  
8つ の嶺 に渡り と言いますから

生物 というよりも 地域 や 土地 の事かも しれないですね。

富山 から 石川県 能登 辺りは
当時
越(こし)の国 と言いました。



今とは違う
日本列島 は 大陸と つながっているような 地形の時代ですから

須佐之男命 が 出雲(いずも)に 来た時の 話ですが
今で言う ロシア の方から渡ってきた 
銅剣 を使っていた 民族が

八岐大蛇 退治の話で
尻尾 の辺りで カツン と当たって
自分の剣。 刀が  かけた。

富山 から 能登の 越の国の 鉄器民族は 

自分の持っている 銅剣 より硬い 
鉄剣 を使っていた

という事と話が合います。

古事記は

初めての 女性天皇 の
第33代 推古天皇 までが 書かれてあって  



普通だったら 
新しい時代 の事が たくさん書かれるだろうけれど 
古い事 ばかり たくさん書かれてあって 

古い事が 書かれている本 なんですよ 
という本が 古事記です。

2012年の時に 古事記発刊 1300年を むかえたんですね。

令和の時代から 古い事が書かれている というのではなく 

1300年前は 和銅5年(712年)。
そこから 見て

もっと前の古い事 が書いてある本 ということです。

日本書紀は 逆に 新しい時代のことほど 詳しく書いてあるんですね。
日本書紀は 30巻ある 記録文書 という事です。

古事記は 物語調 になっていて 読み物 として面白いものです。

上巻 は 神代の物語
中巻 は 神と人 神と人が ごちゃ混ぜになった 天皇の物語
下巻 は 人の世 天皇の物語

の 3巻 になります。

神話 から 書き始めたものが 徐々に 歴史的要素 が入ってきます。

そして
徐々に 神話的要素 が抜けていきます。
最終的には 完全な 歴史 になっているんです。

聖書とか 他の聖典は 神話・歴史 と 別れていますが
古事記は 
どこから どこまでが 神話で 
どこから どこまでが 歴史か という 線引きすることが できないんですね。

始まりは
古事記は 天地初発(てんちしょはつ)
日本書紀だと 天地開闢(てんちかいびゃく) というんです。



天と地 この世界が どのようにして始まったか という事から始まります。

天地初発(てんちしょはつ) 
我が国の 最古の文書ですから その第1筆が これなんですね。

天地が初めて 出現した時 高天原(たかあまはら・たかまのはら)に 
神 が現れた。

ちなみに たかまがはら と読むのは 
曲がった神の お出まし 良くない事 



と いう意味なので 使用しない方がよいです。
天邪鬼(あまのじゃく) という 意味合になります。

もともと 鬼 の意味は 甚だしい力 超越した という意味ですが
悪の象徴 のようになってしまい

御鬼(おんに) に 出てくるな! と 
目に柊(ひいらぎ)を刺し 煎り豆をぶつける なんて事は
あってはならないんですね。



天空世界 神々の世界を 高天原(たかあまはら・たかまのはら)といいます。
私たち 人間の 地上世界は まだでてきません。

キリスト教の 世界観ですと  
まず
最初に 神 があるんです。
神が 宇宙そのもの を創るシーンから 聖書は始まるんです。全知全能の神です。



ところが 古事記の場合は逆で



まず 宇宙 があります。
宇宙が どうやってできたか は 書いてないんです。

宇宙空間は 存在しています。

宇宙のエネルギーから そこに 神様 が現れるわけなんです。
宇宙が 神を 産み落としていくんですね。

だから
聖書のように 宇宙そのものを創った神は 想定されてないんです。

全知全能の神 とは違い 

だから 
八百万(やおよろず)の神 たくさんの神様が 出てくるという事なんです。 



八百万(やおよろず)の神々
というのは 苔(こけ)や 微生物 まで 神様 に至るわけですね。

地球 ができた時の 成り立ち 
人類は どう生きるべきなのか
何を 成すべきなのか

縄文時代の 人たちは 知っていたんですって。

それが 後の 宗教 と呼ばれ 
特別なもの 
一部の人 がやる事
という イメージ になってしまったんです。

宗教 は
本当は 生活様式 の事 なんです。

神が 宇宙を 創るのか
宇宙が 神を 創るのか 

この違いは 大きいんですね。

どちらが 正しい という事ではなく 
根本的な ものの見方が 違う という事です。

高天原に 成ったのは 

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) でした。



これが 最初に現れた 神様の お名前です。
ちなみに 
人間は 1人 2人と数えますが 神様は 柱。
1柱 2柱 という風に 数えます。

最初に出てくる神様だから 
すごい神様じゃないですか。

実は
全ての 元の 
主たる 神様 なんですが

今後もずっと現れるのかな? と思いきや

現れました。



消えました。以上。って 



もう二度と出てこないんですよ。   
えぇぇ~!?今の 何だったの? みたいな感じです。



天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみ) を祀ってる神社って 
ほぼ ないんですよね。少ないんですね。

押し込め 隠されてしまったんですね。

そして 古事記には 
何百と たくさんの 神様が出てきますが 

2度と 出てこない名前が 多いので 
覚えなくても 大丈夫です。

重要な神様は 
何度も出てきます。
なので 名前も 自然と覚えます。安心してください。

初めに出現した 

天之御中主神(あめのみなかぬしかみ) に 続いて現れた



高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は 



高木神(たかぎのかみ) と言って
高い 貴い神 という意味なんです。

古来 ユーラシア大陸 北方の民族は 

宇宙は
天上界 地上界 地下界 の 三界を貫く 世界樹が 聳え立つという 
考えで
北方の 樹木信仰が 神様の名前とされています。



旧約聖書の エデンの園の 生命の木こそ 神様の霊体が宿る 生命の元 
と言われています。

世界を守る 象徴 として
木 や 巨石

古来 神道では
神籬(ひもろぎ) とか 磐境(いわさか) と言い

諏訪大社 の 御柱 
北米 の トーテムポール。 

旧約聖書の
エデンの園を 中心に 善悪 を知る木 と 生命の木 
が 立てられた と記されているそうです。

そして
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) から 5柱。
そして 次に 

男神と 女神の 5対・10柱の 神様 が
お生まれになります。

末っ子の 
伊邪那岐神(いざなぎのかみ) と 伊邪那美神(いざなみのかみ) までを

神代七代(かみよななだい) といい



伊邪那岐神と 伊邪那美神に 

下界の海に 

この漂っている国を固めて治めなさい 

と命ぜられ
天空に浮いてかかる 天の浮橋 から 

海に矛(ほこ)を下ろし 
海水を こおろ こおろ と掻(か)きならして 矛を引き上げました。
その先から
海水がしたたり落ち 塩が固まって島ができました。



これが 淤能碁呂島(おのごろしま)です。



初めての 夫婦共同作業です。



初めは 蛭子(ひるこ) という 未熟児 が生まれてしまいましたが



高天原(たかあまはら) に戻って 天津神(あまつかみ)に 相談をしたところ

女性から ではなく
男性から 声をかけるのがいい という事で やり直しましたら

四国 隠岐 九州  佐渡 本州 と

スポン スポン と 国生み が始まり



我が国 の事を 大八島 の国 と言うのです。

陸地 を創っていく。
国を 次々に生んでいく という事になるわけです。

国生み物語で 日本列島を生んだ 伊邪那岐神は 

左目を洗うと 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 
右目を洗うと 月読命(つくよみのみこと)
そして 
鼻を洗うと 須佐之男命(すさのおのみこと) が現れました。

いずれも 尊い神なので 三貴子(さんきし)といいます。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は 
父から 高天原(天上世界)を知らす(治める)よう命ぜられました。

 

天照大御神の 弟 とされている 須佐之男命(すさのおのみこと)の 
八岐大蛇(やまたのおろち)退治の話は 有名です。



海原(うなばら)を支配する神 にもなりました。
ギリシア神話 では これを 

ポセイドンの神。海龍神 と伝えています。



月読命(つくよみのみこと) は

古事記 日本書紀 の 記紀神話には 
この時しか 出てきません。

どこにいったんや
という 話ですが



しかし
九鬼(くかみ)文書 に 系図 があるらしいのですが

奈良の 熊野から 海洋民族 として

月読命(つくよみのみこと)の子孫の 月氏(げっし)族 が
海を渡っていった。

トルコ インドを 月氏国 と言ったらしいんですね。

旧約聖書 の地図は アメリカ大陸まで インドらしいんです。
なので
インディアン と言うんでしょうか。

そこで 
サカ一族 から 出てきたのが 釈迦族 であり
歴代 釈迦族の 王子 
ゴータマ シッタルタ  が お釈迦様 と言われていますから

そして
また 日本に戻って来た という話もあります。

宗門周宗派 なんてものは 本当は無いんです。

神社 も 寺も 同じ敷地内にあった。

石の灯篭の上にあるのは 蓮の花のところ 



神社にも 御仏壇にも見られます。



ハダマ
宝珠
マニの珠
第3の目

宇宙の絶対なるものの 意思 魂力を受け取る。



超古代 今と 地形も 違いますので
海底調査で 研究されていますが 
ペドログリフ文字(岩刻文字) の解明などにより 



陸・海ルートで 大陸はつながっていて 今の 世界地図とは 全く違うと言われています。

元は 1つ。突き詰めれば 同じという事です。





皇紀元年前の史観・神話のつながり

現代人は 
日本の国史 という歴史は 記憶喪失になっていまいました。

第1代 神武天皇 が 
樫原神宮に 即位 したのは BC・660年 くらい
と 言われます。 

神武天皇 即位前は 縄文時代 ですが
もっと もっと
何万年 という 歴史がある と言われます。

聖書から 読み解く 古代イスラエルの 失われた10氏族 と 
シュメール人と 日本人の関係や

ウガヤフキアエズ朝  
スメラ族 

奈良時代の 編纂された 古事記の

須佐之男命 というのは 
1人の人 ではなく

何代も 続いてきた名称 という話もあります。

須佐之男命 とは スサ という国の王。

ところで
スサ って どこですか? って話ですが

地域 地域 で 神様の名前も 変わってきます。

例えば
須佐之男命 は
牛頭(ごず)天皇。 京都の 八坂神社の祭神です。 



紀元前 356年から 紀元前 323年の
古代ギリシャアレキサンダー大王も



頭に角系があり 
牛頭天皇(ごずてんのう)との 関連性を考えると

地域によって 呼び方が違う とか
大陸は つながっていて 人類は移動している事など 



世界は元一つである。 
全て 関連性がある 興味深いお話が たくさんあります。

よく
紙や板に 蘇民将来(そみんしょうらい)と書いて 
戸口に貼って 魔除け にする風習がありますが



備後国風土記逸文(びんごのくにふどきいつぶん)を
起源としています。

備後国 広島県東部で 武塔(むとう)の神が 
泊まる宿がなく 困っていた時に

食べ物も 部屋もない と 追い返して 断った
裕福な 弟の 巨旦(こたん) と



自分は 貧しいけども 武塔の神を 歓迎した 
貧乏な 兄の 将来(しょうらい)。



泊めてくれた 兄の 将来(しょうらい) のところに

8人の王子。八王子を伴って
再訪した 武塔の神は  雷の音のような声で



われは須佐之男神ぞ と正体を名乗り

お礼に
蘇民将来の 子孫 
と 
書いた 茅の輪を 門前に飾れば 
難 を逃れる という事を 約束するとしました。

その後 
兄の 蘇民将来 の家は 代々栄ましたが 
弟の 巨旦(こたん)将来 の家は 
災いや疫病により 子孫は 絶えてしまいました。

紙や板に 蘇民将来 と書いたら
疫病 が 通りすぎていく。

岩手県 奥州市水沢の 蘇民祭が有名です。

京都 祇園祭を締めくくる
7月31日の 夏越祭(なごしさい)は

氏子が 鳥居の茅の輪をくぐり お参りした後
蘇民将来子孫也 と書かれた護符を授かります。



そして
お参りの後は
後ろを振り向くな と言い伝えがあり

これは
旧約聖書の 
ロトの 10人の善人。
後ろを振り向くと 塩の柱になってしまう という
ソドムと ゴモラの町の話にも 記されてます。



モーゼの十戒 にも
羊の 血 が出てきます。

戸口に貼って 魔除け にする風習 は

丹塗り(にぬり) の 丹。
鳥居 も 朱塗り と言われますが 
本当は

丹(に)塗り なんですね。



エジプトの フェニックス 不死鳥のごとく蘇る ために
ファラオ は ミイラ化 する時に
丹(に) を 塗ったんです。腐らないんです。

天然痘 の古いものは
紀元前 1100年頃 エジプトの ミイラ から確認されている との事です。

14世紀 あたりでは
ヨーロッパ で 致死率60%から 70%。
多いところでは 90% という ペストが大流行しましたが

この時に
どうも 日本からあるものが 伝えられたらしい という事がわかりました。
それが 丹(に)なんです。
ヨードチンキ として 消毒薬の役目をしました。

この時 和歌山県の
丹生酒殿神社(にうさかどのじんじや) から 
アルコール も持って行った という事が
バチカンの記録に 残っています。

バチカン と 日本の皇室は 深い関係があるとの事です。

丹生酒殿神社 の
御神体は 
櫟樫 一位樫(イチイガシ)。樫の木で



天皇陛下の お持ちになる笏(しゃく)は 一位の木です。

御祭神 は 
天照大御神様 の妹 とも言われ
須佐之男命 の謎の暴走の時に 女陰(ほと)を衝いて死んだ
稚日女尊(わかひるめのみこと) とも言われています。

日本の代表的な 温泉としては
兵庫 有馬温泉は 赤い成分 丹(に) が濃く入っています。



発熱は 体内を 滅菌するために 起きるんですね。
当然 現代医学 の 
西洋から 学んだ 解熱剤は 自然の摂理 とは逆なのですが

この世の中は 菌 で出来ているんです。
八百万(やおよろず)の神々です。
人間の体も 八百万 なので 腐敗を起こします。

時代の 変わり目 の時は
なんらかの 疫病 が 流行ります。



対立 の 想念 を持たない という事です。

蘇民 という言葉は 
民が蘇る という意味です。

そして
シュメール 歓迎!
という意味もあるそうです。



メソポタミア で 高度な文明を築きながら

忽然 と消えてしまった シュメール文明。シュメール人。

京都の 八坂神社の 祭神 牛頭天皇(ごずてんのう)は 
京都の 祇園と 密接な 関係があります。

もともと 
インドの神さまで、病気や災いをもたらす 悪い神様だった と言われますが
疫病や 災いを退ける 守護神 として
日本に伝わってくるのです。

牛頭天王が 
疫病や 災いを 退ける神様として日本に伝わると
今の 
八坂神社の祭神 となり 全国で 牛頭天王を祀る 神社が広まりました。

祇園祭の ちまき の風習になりました。 



祇園祭の メインイベントである 山鉾巡行は
7月17日に行われます。

この日は
旧約聖書 創世記 で 
大洪水の後 ノアが 神様からの指示で 

この世の 生きとし生ける者を 雄雌(おすめす)1対を 
箱舟に 乗せなさい と言われ 実行し 



船の外に 放した
鳩が
オリーブの芽を くわええてきたことで 



大洪水が おさまった事がわかり 
アララト山に 止まったといわれる 聖なる日です。



古代イスラエルから シオン祭 として 7月17日を祝います。

イスラエルから 何万キロも離れた 
日本の京都でも 祇園祭が 7月17日 行われます。

しおん と ぎおん
やーさか(偉大なるヤハウェ) と 八坂・弥栄 
や うまと(神も民)  と  大和
えんやらや~(ヤーウェを賛美する)  と  えんやらや~(祇園祭の掛け声)
どすこい(踏み落とせ)  と  どすこい(相撲の四股)
あっぱれ(栄誉を誇る)  と 天晴れ
ありがとう(幸運です)  と  有難う

日本 瑞穂の国
稲がたわわに 実る 瑞穂 を ヘブライ語では ミズラホ と言い
日出づる国 を意味します。

その他にも 
ヘブライ語 と 日本語 5000個 ほど 似た言葉があるようです。

 

山伏の 額に 兜巾(ときん) と 法螺貝。



ユダヤ教 ラビ の 額に ヒラクテリイ と 羊の角の ショーファー。

源義経 と 山伏 武蔵坊弁慶。



弁慶 は体が大きく 鼻が 赤かった と言い伝えがありますが

五色人類 の ユダヤ系 赤人 だったのでしょうか。

オリンピック の 5つの輪。
白が グリーンですが



鯉のぼり の 5色の吹き流し。



熊本県 幣立(へいたて)神社 の 五色人。




世界人類 それぞれに 与えられた 役目がありそうです。

秘宝と言われる 古代ユダヤの 契約の箱。 
中身は

モーゼの十戒の刻まれた 石板。



十の災いで エジプトからユダヤ人を救った時の アロンの杖



食料備蓄のための マンナ(マナ)の壺。



四国 徳島の 剣山に
7月17日に 剣山 神社本宮大祭で 



剣山の 山頂まで 
御輿を運ぶ儀式が ありますが 



劔山 頂上の本宮の祭神は
須佐之男命(すさのおのみこと)。



運ぶための お神輿は 古代イスラエルの 契約の箱 がモデル



だとも 言われています。
劔山頂上の 須佐之男命 と 
嘆きの壁 ユダヤの王 ソロモンの秘宝が どうつながるのか。

京都 祇園祭の山鉾(やまほこ)。 
山車(だし)の タペストリーには 
イスラエルと関係がある絵が かけられています。



祇園祭の 八坂神社 祭神は 須佐之男命。
祇(ぎ)は国津神の事です。

菊の紋章 の 本当の意味は
太陽 です
世界 16の方位に 光を届ける 
15人の皇子 と 
1人 の皇女です。

他にも

エルサレムの ヘデロ門。



ネイティブ・アメリカン 
ホピ族 の 羽の玉。



アテネ 牛頭の 装飾品。



エジプト ファラオ墓 装飾品。



ツタンカーメンの墓 遺跡から。



パキスタン タッタ遺跡。



スペイン アルハンブラ宮殿 の窓。



南米 マヤ遺跡 の石像。



バルセロナ サクラダファミリア の



ステンドグラス



飛騨王朝説 という話もありますし

今はまだ 偽書 という扱いですが
九鬼文書(くかみもんじょ) 竹内文書(たけうちもんじょ) ホツマツタヱ
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)。

それから
中国大陸 遼(りょう)の時代の 契丹古伝(きったんこでん)。

古史古伝 様々なものが 伝承で残されています。

今と地形も違う 神武東征 よりも 遥か遥か 昔 
万国を統べた 皇(スメラ)。

富山の 呉羽山(くれはやま)
皇祖皇大神宮(こうそこうたいじんぐう)には 万国の 皇(スメラ) がいた。



屋根は 白金の ヒヒイロカネ で光っていた。

残されている 神様の系図では
天照大御神様(あまてらすおおみかみさま) の前にも

天照(あまてる) という名が たくさんあって
偉大な神様の 称号 なんです。

最後の方が 
天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)。

天照(あまてる)は 1人じゃない。

仕事をした 称え名 として 
諡号(しごう おくりな)として

何をされた 何の み働きをされた という
亡くなった後に付くのが 天皇の名です。

古代王朝の時から

全世界から 王 導く者 がそこを訪れて
1人の人間 という事ではなく
名前を継ぐ 襲名。役職名 として 



何代目 モーゼ  
何代目 キリスト 
何代目 事代主 というように

皇(スメラ)のところに来て 
勉強 話を聞いて また世界へ散っていく。

それが 
世界の通称紋 として



真ん中の 丸 が光で その光を 世界に拡げていった
という 伝承として
16人 が 
世界中を 回った跡が 菊の紋章 として 残されています。

日本の 古神道の伝承の中で

大穴牟遅神(おおなむち・大国主神)や 
須勢理毘売(すせりひめ) がいますが

 

須勢理毘売(すせりひめ) は 

須佐之男命(すさのおのみこと) の娘 で 
大国主神 の 妻 になります。

ここで 大陸からの 10氏族 
スサノオ伝説 と 出雲族が 
つながったのかもしれません。

大国主命 は 肉身 がありますが
その 系統の
大国魂神様 は 肉身 がありません。
斎(す)み 清める み役 を果たされます。



これらが 
手当て と言って 手を当てて 病気を治したり 
人類の共同教科 をしに 

メソポタミア
ロシア方面
中南米の ユカタン半島。

世界各地の 国造りに あたられました。

大国主命 の かつぐ 袋は
救いの み光。目に見えない 幸せ袋 です。



現実的には 当時の 職業から 
建築に関わる 道具が入っていた とも 言われますが

ヨーロッパ方面で 活動された時に
その 姿が 
今の サンタクロース として 伝えられています。

しかし 物質欲の強い 現代では 
袋 の中は 



お金 プレゼント お宝 
に なってしまって いるわけです。

今 私たちが
時代の最先端を生きている と勘違いしがちなのですが

昔は 国境は無いし
学術的解明が できていない
何千年 何万 の歴史があるわけなんですね。

シュメール の石版にも あります。
世界中 を回っているんです。

           

それぞれの 地域に行ったら

神様の 名前が 変わって伝わるんです。
名前は 違えども 同じ神様は

大聖神魂 になったり 聖母になったり

日本から行った 神々であった という事が
伝承で残っているんです。

世界諸国へ 
天の浮船 に 乗って回ったと 文献に 残っている。



大国主命(おおくにぬしのみこと)と 
その妻 須勢理毘売(すせりひめ)。

大国主命 は 日本固有の神様 だと思われますが
実は 
世界各地 の 開拓 を 担当された 
清く 明るく 正しく 直く 正神の 
肉身を持った神様です。

それから
めちゃくちゃ 小さい 少名毘古那神(すくなびこなもかみ)



これらが
世界を 救って回った と文献に残っている。

古事記に
大国主の 御子(みこ)は 大変数が多い と記され
大国主命は 10世 11世と 子々孫々 受け継がれて行き

元を正せば 
霊の元つ国 日の元 から行った神々であった という事なんです。

お日様が 太陽が 
1番に上がって来るのは どこからでしょうか。



地球から ロケットが上がって 
宇宙 から 地球を見た時に
宇宙飛行士が 見ているのは 

太陽が 照らしている 極東の国。
日本が ピカピカピカッ と輝いている と言います。

日本は 日の本 霊の元の国なんです。





皇紀元年以前の史観・超太古の話

伊邪那岐神(いざなぎのかみ) と 伊邪那美神(いざなみのかみ)

こうろ こうろ  と かき混ぜて

ぽとん

と しずくを 落としたら




淡路島 沼島 ができた。



そんな 冗談みたいな話 と思っているかもしれませんが 

そういう 伝承があった。
そういう 神社が ある。

という事に 基ずいて考えると
100% 嘘 ではないかもしれない。

世界の神話 昔の神話は

上から 見ているんです。
下から ぶぅわぁぁ~ って 湧いてきた という話は無いんです。

まさに
日出ずる処の国 そのもの。
黄金の国 ジパング です。

生まれてくるところに 生命体は 向かうんです。
向日葵(ひまわり)だって 太陽に向かいます。



選民意識 でもないし 何も不思議ちゃんの話 でもありません。

霊の元つ国から の 集散離合 です。

何万年も前
現在の
日本 と ハワイ辺りに 大陸 があったのではないかと。



大陸変動は 
地球も 人の身体と 同じようなもので
汚れきったら きれいにする という事が起きる という事で

古神道の 古典文書には はっきりと
何回も 洗い替い(あらいがい)があったと 書かれているそうです。

キリスト教 で言う 水の洗礼 火の洗礼。
神様の 霊(ひ)の洗礼です。

約2億5000万年前 に誕生した

パンゲア大陸は 大陸移動で 分化して
その途中が
ローラシア大陸 と ゴンドワナ大陸 で



それが更に 分化して 
現在の 5大州 になった との事です。



古文献 では
過去 130回余りの 天変地異が繰り返され

過去の 超巨大 天変地異は 6回。
今度 迎えるとすれば 7回目になります。

先祖からの DNA に インプットされているので
恐怖心を おこすのです。

6600万年前  白亜紀末に
宇宙 から 地球 に

直径 10㎞ の 巨大隕石が 
秒速20㎞。音速の 100倍のスピードでやってきたそうです。



大気との摩擦で 巨大な 火の玉 となり

中南米 ユカタン半島近くの 海へ突入し



壊滅的打撃で

恐竜は 絶滅した




伝えられています。

私たちの 知識としてある 
現代から 1番近いところの 天変地異 というのは

今の日本も 重なるようなもっと 大きな 大きな陸地
太平洋の ムー大陸 で起きました。 



王家の 人たち
そこにいた 人たち 
重要なものを 持った人たちは

地震か 何か 天変地異 で 
この大陸が 無くなる という時に

神様の意図を 持って
安定した 土地を求めて 一挙に船出した。

今で言う
インド洋を 回って 
チグリス 
ユーフラテスの 川の上流辺りに たどり着いたわけです。

そこに スサ または スーサ という集落が あったわけです。



今の 科学文明ではないけれども

宇宙人が 現れたんじゃないか と 言われているくらい
そこは 
急激に 文明が栄えてきました。

それが有名な シュメール の話です。

ここの スサ という国の王 は スサノオ ですよね。
これは
数万年前 の出来事で

下級 と 上級の人たちの もめ事があり
技術集団の 
上級の人たちが 追いやられて ペルシャ 辺りに行きます。

そして この人たちが 
部族として 分かれて行って
色々な所へ 飛び散って行くわけです。

スーサ という国が ペルシャ帝国 にあったんです。
今でいう トルコ です。

ギョべクリ・テペ という所に 遺跡も 出てきているそうです。



アジア大陸 を横断し 
万里の長城 辺りで

秦(しん)の 始皇帝 を支えたのが
秦(はた)一族 だった という話もあります。

これも
スーサ の 技術集団 と言われています。

色々な所へ 飛び散って行った
スーサ の 技術集団は

朝鮮半島 の 新羅 百済 を通って 
また 日本に 戻ってくるわけです。
九州 の方から 入ってきます。



今でも 朝鮮半島 の人たちは

スサ の家系図 を 持っている方が いらっしゃるそうです。

しかし
入られる側 としては 
九州 博多 辺りに
強い集団を 置いておかなくては ならないわけです。

この頃の 日本海は 

アジアの陸地 と 日本は 
飛び石の如く 簡単に行けてしまうくらいの距離だった 
とも 言われています。

神話の始まりの方の もっと 古い時代だと 

葦原中つ国(あしはらのなかつくに) という
日本海辺りは 沼地 だったほど 狭かったそうです。

いわゆる
国 という 概念も無く 地続き だった。

考古学では 与那国島 の 海底遺跡で考えて



ざっと 
2万年前 の話 ではないか という事です。



北から来る 民も いるわけです。

北方 から 北海道に向かって 日本海が 大陸にくっついていた頃は
容易に来れたわけです。

東北の方まで 来れたわけです。

もっとも
平安時代 くらいまで
蝦夷(えみし) と呼ばれて 東北はまだ 統一されていませんでしたが



3000年前は 大阪平野は 全部 
海だった との事ですから
3000年 で このレベル ですから

推定 2万年前 というと
ずいぶん地形は 今とは違い 変化している 
と 思っていただきたい という事です。

渡来 というと
外国から来た みたいに思うのですが
国 というものは まだ無く 近隣で つながっているだけの事ですから。

世界史の 教科書では
世界4大文明は 紀元前 数千年前に と教えられ

で その前は 何だったの?
と言う 話はありません。

歴史を 
分裂した 年号 出来事を 教えるだけになって
隔絶 してしまったら
そこでしか 考えられなくなるわけです。楽しくないわけです。

記憶喪失に なってしまった



生命 を与えられた 人の役目。
使命 希望 を 思い出す事。

それを 教える 伝える事が 大事なんですね。

当然
もっと前から 人はいた と。
シュメー人 と呼ばれる人 だろうという事です。

中東の 大文明は 一挙に起こっている。

新しい 新天地に たどり着いて 
そして 世界各地で 新文明 が起こった

それが
旧約聖書の ノアの箱舟伝承 なんです。

大陸の 8割は 沈むから 
1000人以上 乗れる 
どれだけ揺れても 100日雨が 降りつずいても 
沈まない 壊れない 

タルシン船 を 造りなさい。
そこに 
食料を 発酵物 が詰めれる マンナの壺 に備蓄しなさい。
動物の 雄雌の つがいを 1組づつ乗せなさい。



そして
中東 に ついたら
一挙に 文明が起きた。

それが シュメールの話です。

いわゆる
天変地異。
今の危機は 核戦争 など 人為的危機も 含まれますが

今の 物質的文明だけではなく

太古 には
もっと 精神的に 豊かで
フリーエネルギー  みたいなものが 使えていた



空中に浮いていた 天の浮舟 のようなものが使用されていた。

これは

神話に 出てくるわけですから
神話は SF だと思うかもしれませんが 

なかなか リアルで 
神話 や 歴史が 

今まで 生きてきた人類が 
伝えたい深い意味 や コードを 読み解く事によって
今と リンク してくる。

どうやって 洪水 になった時に 生き延びたのか。
どうやって 危機を 乗り越える方法 精神性 忍耐力 を持つのか。
どうやって 神力 を いただくのか。

研究 により
世界の 神代文字 と呼ばれる文字 

  



楔(くさび)文字が 



出雲文字で ひらがな カタカナ で解読できる という事なので

今の 私たちが うそぉ~ と 思っている事が
明らかになってきて



これから 日本人が 
やらなければ いけない仕事 使命 は
非常に 重要 になってきます。

全て 必然として とらえる事が 大事だと思います。

旧約聖書の ノアの箱舟伝承 は
1万数千万前に 天変地異 とも言われる 大洪水があった。

タイの 原住民族 とか
インカ文明 の元は 日本にある とか 
南米 ペルーの人たち とか
ハワイ周辺 ポリネシア とか

色んな 国の人が

どこかから 人が来た。 
こちらからも 日本に行った と

日本 と われわれは兄弟 なんだ と

言っているんです。
世界に 
太古からの伝承が 残っている って言うんです。 

世界中 に 血縁関係も 結ばれ 
肌の色が 変わっていったり 
言葉 が変わっていったり

歴史の流れを それぞれの土地で 継いでいき

なので
人類同祖 なんですね。

有名な イスラエル の 
どこに消えてしまったんだ 失われた 10氏族 の



シュメー人 と呼ばれる人 が



九州 から 本州の方へ 入ってくるわけです。

本州 に もともと住んでいる 人たちに 
家の建て方など 技術的な事を 教えたり

古事記 で言う 
スサノオ伝説 になるわけです。

そこで 国を造っていった人たち

スサノオ スサの王の 子孫 は

大国主命 の 出雲族
と 
言われる人たちです。

雲が たくさん出る という事は 肥沃な土地 という事です。

山があり 木々があり 
蒸気が上がって 雨を降らして
土に 浸透した水が 清水 になって 潤していって 
米が たくさんできて



なので
日本全国 出雲 という土地は たくさんあります。 
出雲族 というのは
今の 島根県 出雲地方の人たち だけではありません。

もともと
日本列島に 住んでいた人たちを 総称して 

出雲族 と言うわけです。

その人たちの 
文明のレベルを 上げたのは

大陸 から渡ってきた 
文化を 取り入れて 
技術を 手に入れた という事です。

そして
出雲族 の代表が 大国主神 という事です。



これは
1人 の人物 ではなくて
何代も 大国主が いた という話です。

スサノオ も



大国主命 の息子 事代主(ことしろぬし) も 



名前は役職で 何代か続いていた かもしれない
と いう事です。

この 大国主 が 
文化や 技術 などを 継承しながら

世を 人々を 浄めて行ったわけです。

これは
数万年の 時間をかけて 
世界各地で 行われてきた 作業です。

日本から 
今までの 歴史を 超えるような
千葉県 市原市の チバ二アン と称された 原人の調査もされています。



和歌山には
ピラミッド 立石 が そのまま残っていて 
それを ベースにした 



田殿丹生(たどのにゅう)神社 があるんですね。

神社の 背後の山は 白山と言って
山頂には 白山神社 があり 

伊邪那岐神 と 伊邪那美神 の いさかいを 仲裁した
括る(くくる) 事をされた 

石川県 
福井県
長野県 
岐阜県 にまたがる 



白山信仰の 祭神



菊理媛神(くくりひめ・きくりひめ) を 祀っています。

菊理 は 聞く理 相手の話を聞く。
そして 括る(くくる) 。総括する。

そして その横に スフィンクス があるんです。
ただし 
木が生えてしまって 見えないらしいですが

旧陸軍が そこを基地に使っていた と言います。

何万年 をかけて 地殻変動で 大陸が 押し寄せられて
ムー大陸 にあった 
ピラミッド と スフィンクスの 巨石の山が

今の日本に 合致したと いう事です。
境の地盤が 全然 違うそうです。

日本の中 というよりも
太平洋上 にあった大きな大陸 というところで考えると

海底からも 古代文明 と言われる 
三角の縮図 ピラミッド型 山が 

御神体 の対象になるようになった。

地盤変動を 起こして
今は 海の中にあるというものが わかりつつある。

オーストラリア と ニュージーランド 辺りの
ジーランディア大陸。



こういうものは 
これから どんどん 出てくると思われます。

3000年 くらいの事は 瞬きするほどの短さである 
という風に 超古代の事を考えないと 背景が思い描けません。

ちなみに エジプトの スフィンクスの 視線の先は 



日出処 東の国 を見ているそうです。

ノアの箱舟 が 
大洪水が おさまった時に漂着した 
アララト山 は

乗鞍岳 位山 アララギ湖に 箱舟が漂着した とも言われます




飛騨 は 日玉。

位山(くらいやま) に



奥宮をもつ 高山の 飛騨一宮 水無(みなし)神社  



その 北東 にある 日輪神社。



飛騨は 超古代からの 縁ある地だそうです。

天皇が お持ちになる 笏(しゃく) は 平安時代から 正一位 として
最高の 質 と美しさ により



飛騨高山の 一位(いちい)の木 が 必ず使用されます。

神話で 有名な 

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
またの名を
草薙の神剣(くさなぎのみつるぎ)

聖書で言う ケルビムの剣 は

先の大戦で 玉音放送の後に
GHQの進駐の際に  

愛知 熱田神宮から なぜか
水無(みなし)神社に 遷座(せんざ)した事もありました。

天照大御神 が
地上に 邇邇芸命(ににぎのみこと) を降す時に
職能 を有する 側近 を付けて お降しになりますが



技能を持った プロフェッショナルの集団が
鋤(すき)や 鍬(くわ)や 鎌 などを持って 
天から降る(くだる)のですが



天孫降臨 の 日向地方 高千穂 の前に
どこか 違う別の場所に 降りてきたかもしれない。

記紀神話には 何も書かれていませんが
飛騨伝説も 明らかになっていく事と 思われます。

福岡の 英彦山(ひこさん) と 
奈良の 大峰山(おおみねさん) は 
通通 で つながっていたって 言うんですから。

この 伝達の速さ は 
早船 なのか。

修験道の 役行者(えんのぎょうじゃ) の話で
鉄の鉢 で 飛んだ という話 もあります。



鏡で モールス信号 みたいに とか
法螺(ほら)貝 とか

色んな 方法があった と言われていますが

そうとうな ネットワーク が
富士山 から 長野から 岐阜から 九州 に至るまであった
という事です。

その 山岳修験道の祖 
役行者(えんのぎょうじゃ) の 高弟



大峰老仙(おおみねろうせん) は



蝉が 抜け出た 抜け殻 のように
肉体から 魂が 抜け出て 仙人 になる
屍解仙(しかいせん) となり

神様の世界から 働きかけている と言います。





皇紀元年以前の史観・国つくり

大国主命 と 一緒に 国造り をしてきた
少名毘古那神(すくなびこなのかみ)

突然 
海の向こうにある 常世国(とこよのくに)に 帰ってしまいました。



現実に
海底神殿跡が 発見されつつありますが

ニライカナイ と言って
沖縄 鹿児島 奄美群の島々
各地に伝わる

遠い海の彼方のある 楽土。常世の国 の伝承があります。

大国主命  と 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
お2人は 
神田明神(じんじゃ) に 祀れれています。

少名毘古那神(すくなびこなのかみ)が去り
これから 1人で
また 国造り をしていこうとする時に
大国主命 の 前に

いきなり  神様が 現れました。



私を 大切に祀りなさい。
そうすれば 国造り を 手伝おう 

と 言うのです。

この時 
この神様は 名前が 明らかにされていません。

三輪山(みわやま)に 祀れ 

と 言うので 
後に 三輪山 に鎮座する 大物主(おおものぬし)の神様 
である事が わかります。

言われた通りにすると
葦原中つ国(とよはらなかつくに)は みるみる豊かになり

水 は 豊富に湧き出でて



緑 は 生い茂り



稲 は 豊作



豊葦原(とよあしはら)の 瑞穂(みずほ)の国 と なりました。

そして
大国主命の 国造り は完成するのです。

国津神(くにつかみ)である 大国主神様 による 
国造り が完成したところで

天津神(あまつかみ)が 地上に 降ろされる事になります。

出雲の 国譲り ですが

天照大御神様 が 



他人が 手塩にかけて 造り上げた国を

ぶん取る

と いう事ではありません。

譲る神と 譲られる神は さかのぼれば 親族 なんです。
良い 悪い という 
2極対抗では 無い という事です。

天 の意志 神勅(しんちょく)による という事です。

大国主神は



りっぱな国を つくりましたが 
話し合いの結果 葦原中国(あしはらのなかつくに)は 

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が 知らす ことになりました。



話し合いで 国が譲られたので 
これを 
国譲り神話 といいます。

大国主神の 出雲の国譲り 。



天照大御神(あまてらすおおみかみ) は 



建御雷神(たけみかづちのおのかみ)を遣わし

天の鳥船神 に 副(そ)わせて



十(と)つか の剣 を 逆さまにして その剣先 に
あぐらをかいて 座り



天照大御神(あまてらすおおみかみ) は



汝が うしはける 葦原中国は 
我が御子の 知らす 国である 

任命なさった。汝の考えは いかがなものか。


大国主神に 尋ねました。



しらす

高天原 における 統治の方法で 
これは 
天皇の統治 の方法 と同じです。
天皇が 広く国の事情を 

お聞きになり お知りになる。

高天原では 
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の 御存在により 
自然と神々が 統合される 織りなす ことを意味します。



うしはく

つまり
自分のものにする。 

主人が
領土も 領民も 全部 私有化する 自分のものにする 支配する
という とらえ方 があります。



また 
政治の権力 の事を指します。

ですので 
政治の 権力者は 
 
俺の言う事を聞け といった 
支配する 奴隷にする という事ではなく

本当は
政策を 決定する 
責任を負う者 であって 
自分のものにする と なってはならないんです。

古くは 摂政・関白・将軍。

近現代では 
内閣総理大臣が 国を うしはく地位 にあるといえます。

日本の歴史 においては 
国を うしはく者は 例外なく 

天皇の任命
を 
受けています。  

国譲り といっても
大国主神の 地位が明け渡された わけではありません。 

建御雷神(たけみかずちのかみ)は



茨城県 鹿島から
島根県 出雲まで行き 

家来を伴って はるばる
国譲りの 談判 をしたのでしょう。

大国主神は 
葦原中国を うしはく存在であって  しらす存在 ではないこと

葦原中国を  しらす のは 日の御子 であること 


確認するために来たのでした。

幕末の 
大政奉還 と 王権復古の大号令も 

天皇が 
しらす 地位 であること。

天皇任命に基づき 

内閣総理大臣が 
うしはく 地位にある事を 確認するもので 

幕末の国譲り ともいえます。

大国主神 の補佐役で



息子の 
事代主神(ことしろぬしかみ)は 了解し 



天の逆手 という 呪術的な
手の甲(こう)同士を合わせて打つ 




柏手(かしわで) を打って 海に身を隠しました。

普段と 逆の作法をする。
逆の結果 となる事を 意味しそうな柏手です。

好んで 譲って 争わず。 
天の意 が変わった事をサトった 事代主神(ことしろぬしかみ)は
後世 代名詞が 
恵比寿(えびす)様 となりました。



鯛は 霊的には太陽。
それを手に入れて 喜んでいる姿。

太陽のように 明るい心を持った 犠牲的精神。
               


そのものの本質を生かし 天命を全うさせる。



建御雷神(たけみかづちのかみ) が 



大国主神に 国譲り を迫った時




大国主神 の息子。 次男 の
建御名方神(たけみなかたのかみ) は



国譲り を 可(よ)しとせず

建御雷神(たけみかづちのかみ) と 力競べになりました。



建御雷神(たけみかづちのかみ) は



建御名方神(たけみなかたのかみ)の手を 握り潰し



建御名方神(たけみなかたのかみ) と 妻神の 八坂刀売神(やさかとめのかみ) は共に

現在の 諏訪湖 の辺りまで 逃げ伸びたのでした。

諏訪へ 逃避した
建御名方神(たけみなかたのかみ) と 妻神の 八坂刀売神(やさかとめのかみ) は
諏訪大社 に祀られ

下社 には



建御名方神(たけみなかたのかみ)の 兄
八重事代主神(やえことしろぬし) も 合祀 されています。

諏訪大社 の御柱祭 は有名ですが



鹿を 捧げる 御頭祭 というお祭り があります。



それは 昔は 
少年を 神に捧げる 儀式で 
神様の試し に堪えられたら 少年を解放する というものです。

諏訪大社の 裏山を 守屋山(もりやさん) と言いますが

驚くべき事に
旧約聖書 には
ユダヤの祖 である アブラハム が 
その息子の イサク を

神に捧げる事が できるか という物語の場所が 
モリヤ山 です。

アブラハム の 神への忠誠心を 神様が試される話です。



後に 
日本では 鹿。
パレスチナ イスラエル では 羊。 
が 
神への 捧げ物になりました。

建御名方神(たけみなかたのかみ) と 
妻神の 八坂刀売神(やさかとめのかみ)。

ヤサカ は 古代ヘブライ語 で ヤーサカ。神よ。
という 意味です。

日本 には
弥栄(いやさか) という 言葉もありますね。

日本 の
瑞穂(みずほ)の国 と ヘブライ語 の ミズラホ。

真に 不可思議な つながりです。

各地で 農業技術 や 病気治し

葦原中国。大和の国を 治めてこられた
大国主神 は



出雲の地において 

統治権 を
天照大御神(あまてらすおおみかみ) に お返しになられました。



ただし
天照大御神 のように

この地上に 天空に届くような
千木(ちぎ) を立てた 宮殿を造り



大国主神 は 

私の子たち 180の 神々は

事代主神(ことしろぬしかみ)に仕え 背く事はないでしょう 
と言い

ここに 国譲り が成就 いたしました。
畢竟 
それは 霊の元つ国の 大いなる 好譲不争 の精神に他なりません。

大国主神 は 杵築(きづき)の地に引退しました。
杵築神社 が 各地にあります。

好んで譲って争わず 

という この麗しい精神が 大国主神様 の 国譲りの物語に表れています。

大国主神 は 出雲の稲佐(いなさ)の浜で 国譲り の儀式を行いました。
み魂は 出雲大社に お祀りされました。

その後 
地上は 物質開発 と 強う者勝ち の 世の中になって行きます。  

私たちは 

霊(日)の元(本)つ国の 元型 をお造りになられた  

和の精神 結びの理 が現れる 
新時代を 向かえねばならない。 



大国主神様の 貴く尊い み意に 想いを馳せます。







鹿島神宮 香取神宮

日本の神話 で見ていくと

葦原中国(あしはらのなかつくに) 
地上世界 を任されたのは 

須佐之男命(すさのおのみこと) 



の 子孫にあたる
大国主神(おおくにぬしのかみ)でした。



その 土地の主 となられて 
世界各地 文明社会 をお造りになられましたね。

聖書では
ノアの洪水 と呼ばれる 大災害によって 地上が洗われ 



その後 文明の再建 が図られました。

およそ 5000年前 
シュメール文明など 世界大文明が興りました。
これは 
大国主神様の 
ご子孫の ご活躍によるもの という事のようです。

ところで
神社に 御利益を 求めに行く人は多いんですけれど

そもそも
どのような 神様が 祀られている とか
どのような 人生 というか 神生 というか

生涯 を過ごされたのかな とか

自分の住んでいる街には どのような 歴史背景があって とか
を 知ると 楽しくなります。

だいたいが わからないで参拝する場合が多いと思います。
なので
会話の ふくらみが ありませんね。

国譲り の際に 力競べをした



建御雷神(たけみかずちのかみ) と 



建御名方神(たけみなかたのかみ) ですが



平成23年 3月11日の 東日本大震災 にまつわる

建御雷神(たけみかずちのかみ) と 
建御名方神(たけみなかたのかみ) に 不思議な事が 近年 起こりました。

建御雷神(たけみかずちのかみ)は 



茨城県 鹿島神宮 に祀られています。



大地震の直前
3月4日 に 鹿島灘の 下津(おりつ)の浜に

クジラの一種 カズハゴンドウ 52頭 が打ち上げられました。
30頭 は死んでしまいました。



クジラは 海の
綿津見神(わだつみのかみ) の使いとして



鹿島の神
建御雷神(たけみかずちのかみ) に
海の異常を 知らせに来た とも思えるのですが



鹿島神宮 の森の奥に
要石(かなめいし) といって



鯰(なまず)の 頭を押さえている 石があります。

千葉県香取市の 香取神宮 



の 要石は
鯰(なまず) の 尾っぽを 押さえている と言う説があります。
この地域に 
鯰(なまず)の 頭と 尾っぽ を抑える 
2つの 神社があるわけです。

鹿島神宮の 地震押さえの神 
鯰絵 は 江戸時代に 人気を呼びました。



そして あの 大地震が起き
その 東日本大震災から 1か月後

鹿島灘に 1枚の大きな  木の板が流れ着いていました。
そこのは 
諏訪大明神 祈祷神爾(きとうしんじ) と書かれていました。

国譲り の時に 
鹿島の 建御雷神(たけみかずちのかみ) に敗れた



諏訪の 建御名方神(たけみなかたのかみ) の御神爾 が 



大震災の後 流されて 鹿島の浜に 流れ着いたのでした。

これは 
岩手県陸前高田市の 諏訪神社 の斎館の ものでしたが 



木の板の お札(ふだ)は 
長野県の 諏訪大社 に戻る事になりました。



綿津見神の 知らせにも 気付かず



地震を押さえる 建御雷神 も 
押さえる事のできない 巨大地震。



この巨大地震 によって

天津神の 鹿島 と 
国津神の 諏訪 の神が 

仲良く協力して 和の精神。好譲不争。



素晴らしい国 にしよう と 思わせていただける話です。

当時 天皇陛下は 鹿島宮司を お呼びになり 
この報告を 直接 お聞きになられた 
という事です。

また

天照大御神 の神勅で



建御雷神(たけみかずちのかみ)



の お父さん 
天之尾羽張(あめのおはばり)からの 指示により 

御分霊 を 勧請。
建御雷神(たけみかずちのかみ)が 天下り してくるのですが

伝令役が 鹿 なんです。
鹿は 神の使い という事で 



御神体 を 鞍 に乗せてやってくるんです。
御分霊 を 鹿の背中に。 
手紙のやり取りも 鹿が 使者で

1年かけて 奈良に向かいました。

茨城県 鹿島神宮 と
奈良の春日大社 は 縁が あります。

鹿 の行列で 



茨城 鹿島神宮 から 

奈良 春日大社 まで行くんですけど



途中で 力尽きて 
亡くなってしまう 鹿が 出てくるんです。

東京都江戸川区 に
建御雷神((たけみかずちのかみ) を祀る



鹿骨(ししぼね)鹿島神社 と



途中 死に絶えた 鹿を 埋葬をしたという

鹿見塚神社 があり



この神社は

8世紀の奈良時代   
  
第46代 孝謙(こうけん)天皇 が退位して

同じ人が また天皇になる という
重祚(ちょうそ)で

48代 称徳(しょうとく)天皇として 再び 即位されました。

道鏡事件 で 有名な 天皇です。
歴史 人物リンク

その
第48代 称徳天皇 の勅命 により



御蓋山(三笠山 みかさやま)の麓に 



茨城県 鹿島神宮 の
建御雷神(たけみかずちのかみ)  と



一緒に 
地上世界に降りてきて 
国譲り の 交渉の役目を 果たした

古事記 には出てきませんが 
日本書紀 に登場する

千葉県 香取神宮 の 
武の神 剣の神 の 経津主神(ふつぬしのかみ) を



ご勧請(かんじょう) と言って 
他から移して 祀るために 御本殿 を造るようにと 

藤原氏 が 
春日大社 を 御蓋山(三笠山 みかさやま)の麓に 創建し

建御雷神(たけみかずちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)


そして
中臣氏が 藤原氏になりましたが 
その祖 である 
天の岩戸開きの時の

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

その妻の 比売神(ひめがみ) が
春日神 として祀られます。

比売神(ひめがみ) というだけで 
名前が隠されています。

茨城 鹿島神宮 から 
奈良 春日大社まで 

神様の使い 鹿の行進が 行われるわけですが

鹿島神宮と 日本国の始まりは

天津神 の 天照大御神 が 



葦原中国 現在の日本は 
自分の息子 が 治めるとして

国津神 の 大国主神 に話し合い をするようにと 

特使 の  
建御雷神(たけみかずちのかみ) と
経津主神(ふつぬしのかみ)) を 送り

天界から降りたったのが 鹿島の明石海岸。

鹿島 から 出雲 へ行き
国譲り が行われ 

そして
宮崎県 高千穂に 多くの神様が 降り立ち 
日本の平定 となって行くわけです。
その後 
神武天皇 が 即位 皇紀元年 と定め

鹿島神宮 祭神は 建御雷神(たけみかずちのかみ)。  

その後に創建された 

香取神宮 祭神は 経津主神(ふつぬしのかみ) となりました。

なので
鹿島神宮は 日本建国 と 同じ長さの 歴史を持ちます。





神話 口伝 伝記 

スサノオ集団が やって来て 
九州 に残してきたのは
近衛兵 みたいな 守りの部隊。それは 女性の軍団 らしいのですが

シュメール後の ユダヤの方々も 守りは女性。

蜂も そうです。
女王蜂が 巣に 残って守る。
子孫を 残していかなければ ならないわけです。

男性は 本州 に行き
東征 して行く。

そして
関西の方 難波に入り 



神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)。
後の 神武天皇は

九州の端っこ 日向から 
日本列島中心の 畿内 奈良盆地の東部 
ヤマトまでの 東征をされます。

東征の目的は 平和に天下を治める場所を探す ことでした。

難波の碕(なにわのみさき) から 
千里丘陵 と 上町台地 の間

白肩(しらかた)の津 に上陸し
陸路 で 生駒山(いこまやま) 
そして 樫原(かしわら) に進軍しようと思います。

津 は 港 を意味します。

しかし
途中 白肩津 で

途中 兄の 
五瀬命(いつせのみこと)が



登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) 
の 放した 矢が当たり



我々は 
日の御子なのに 日に向かって戦ったことが良くなかった

という 言葉を遺して この世を去ります。

太陽を 背負っていたら 相手の事が くっきり見えます。
敵が 
太陽を 背負っていたら 眩しいんですよ。



巌流島 の戦いや



先の大戦で 
ゼロ戦 が 空中戦 をする時 

日を 背負っていたら 
相手の 戦機が くっきり見えることを知っていました。



太陽は 
東から上がって 南に行って 西に落ちるわけですけれども

戦争は
基本的に 明るいうちに やりますから 
南から 北にかけて 戦争をすれば 
太陽を 背負うことになりますが

日の御子なのに 
日に向かって戦うのは 縁起が悪い っていう事なんですよ。

失敗したのが 先の大戦で どうなりました?

東 に向かって戦ったら 
負けましたよね。

日本より 東にある アメリカ と戦ったら 負けたじゃないですか。
縁起が悪い。

真珠湾の前に 北の赤い国を叩け。
それを 言った人がいましたよ。 

石原莞爾(いしわらかんじ) という人です。
歴史 人物② リンク

レーダー照射時代 の現代でも
巌流島の時と変わらず 日を背負う方が いいらしんですって。

ビジネスの テクニックでも
相手の表情が 見にくくなるので 交渉事が 有利になります。

そして 
神武東征 7代目の時。

熊野に 東征 してきた人たち
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇 が  

もともと同族 であった 
出雲族 と 出会うわけです。

熊野で 
邪神 の毒気 で
仲間が バタバタと 倒れてしまうという ピンチの時に

天照大御神(あまてらすおおみかみ) と 



高皇産霊神(たかみむすびのかみ) と



建御雷神(たけみかずち)



が 夢に出て来て

建御雷神(たけみかずち)が 国譲り の時に使用した
布都御魂(ふつのみたま) という 霊剣を届けろ との事で
やってまいりました

と 熊野の 豪族の
高倉下(たかくらじ)から 太刀 を渡されます。



布都御魂(ふつのみたま) は 
奈良県の 石上(いそのかみ)神社 に祀られています。



これで 仲間は 回復しました。
高天原からの 援助 を受けられるようになった と考えられます。

日を背後に 戦うようになり 負け戦もなくなりました。 

そして
天から 八咫烏(やたがらす) を遣わされ 
八咫烏が 先導し 導いてくれます。



八咫烏は 現在でも 
皇室を 守っているのではないでしょうか。
そして 
八咫烏は 何者でしょうか。

熊野神社で 神の使い として祀られています。

比喩表現をされ カラス と称しているのですが 
人 なのかもしれません。

奈良時代の
山城国(やましろこく)風土記 では

神武天皇 が 
東方へ 遠征する際に その先導を務めた 
とされているのが

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) という人です。 



賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) は 

鴨建津之身命(かもたけつのみこと) として
全国の 賀茂神社 に 祀られています。



賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) の 末裔が
賀茂氏 です。

古代から 賀茂氏 は 
皇室の 祭主 を執り仕切り 
日本の 国体を 守ってきたと言います。

その元は
イスラエル 失われた10氏族の レビ族 レビ人である
と 言われています。



ちなみに
森羅万象 陰陽道 の 安倍晴明 の師も 
賀茂氏 と 言われています。

遠征の その後は
大和 から 山城国 に移り



鴨川 を さかのぼって選んだ 定住先は

賀茂御祖神社から ほど近い
賀茂別雷神社(上賀茂神社) のある土地でした。

ここで
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) は



伊可古夜日売(いかこやひめのみこと) 
を 妻にし
玉依姫(たまよりひめ) をもうけます。



玉依姫(たまよりひめ) は

天照大御神の 天津神の子孫 邇邇芸命(ににぎのみこと) 
と 
大山津見神の 山の神の子孫 木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)

 


子どもたち の

火照命(ほでりのみこと) が 海幸彦。
火須勢理命(ほすせり)
火遠理命(ほおりのみこと) が 山幸彦。



海幸(うみさち)
山幸(やまさち)
の 兄弟 の物語につながります。



弟 山幸彦。火遠理命(ほおりのみこと) が  

お兄ちゃんの 海幸彦 の 
釣針を無くして 海底世界へ行って探してくる話 で

しかし 海底世界に行った 山幸彦は 
針の事も 忘れ

海の神の 大綿津見神(わたつみのかみ) の





豊玉毘売(とよたまひめ)と 結婚し 



そして 3年 が経ってしまいます。 



山幸彦 と 豊玉毘売(とよたまひめ)
2人の赤ちゃんを 養育したのが 

豊玉毘売(とよたまひめ)の 妹の 

玉依姫(たまよりひめ)で



その 赤ちゃんが 成人したのが 

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) です。



この 3代 を 日向三代 と言います。



話は さかのぼって

黄泉の国から戻っ来た
伊弉諾命(いざなぎのみこと)が 神生みをされて 

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

月読命(つくよみのみこと)

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

の 三貴子が お生まれになった場所は 日向(ひむか)。

邇邇芸命(ににぎのみこと)の 天孫降臨も 日向。

その子孫が 各地に散っていき
そしてまた 
大陸 シュメールから 
九州戻ってに来た人たちは 日向族(ひむかぞく)。

記紀神話には
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず) は 

1人のように 書かれていますが

不合朝(うがやふきあえずちょう) といって
72代 もしくは 73代 続いてきた

という話もあります。

なので
記紀神話 では
年齢差は よくわかりませんが

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず) が 

自分が 
赤ちゃんの時に 養育してくれた 

玉依姫(たまよりひめ)と 結婚した事になっています。 

そして 生まれた
四男が 神武天皇 なのですが



玉依姫(たまよりひめ)から 生まれたのが 

賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと) 
という 話があるのです。



山城国風土記 には
火雷神(ほのいかずちかみ)は 丹塗矢(にぬりや) となって 

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)



の 子である 

玉依姫(たまよりひめ)の ところに流れてきて 

それを 
手に取ったら いきなり妊娠して

賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと) が生まれた



と 言うのです。

古事記 によると 

火雷神(ほのいかずちかみ) というのは 

伊邪那美神(いざなみのかみ) が



火之迦具土神(かのかぐつちのかみ) 



を 生んだ時に 
陰部 が焼けて 死んでしまいました。

愛する 妻が 死んでしまって
何たる事か と 

旦那さん の
伊邪那岐神(いざなぎのかみ) は



十拳剣(とつかのつるぎ)で  
生まれた 火之迦具土神(かのかぐつちのかみ)を 
切り殺してしまいます。

ここで 
古事記初 の 殺人? 殺神? が起こります。

黄泉の国 に行ってしまった 
伊邪那美神(いざなみのかみ) を追って

伊邪那岐神(いざなぎのかみ) は 
見てはいけないものを 見てしまった。



   

伊邪那美神(いざなみのかみ)の 体には 蛆(うじ) がたかり
それは 
8柱 の雷神。火雷大神 でした。
胸に たかっていたのが 

火雷神(ほのいかずちかみ) です

恐れおののいた 伊邪那岐神(いざなぎのかみ) は 
黄泉の国 から 逃げ出しました。

見ぃたぁ~なぁ~ と
伊邪那美神(いざなみのかみ) が 

醜女(しこめ)と 
8柱の 雷神を率いて 追ってきた という話で



桃 を投げたり 色々ありましたが



伊邪那美神(いざなみのかみ)は
黄泉の国 で 1日に1000人 絞め殺す



伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は
現界 で 1日に1500人 生む と言った。



なので 1日に今も
差の 500人分が 循環して回っているんです。
世界人類 
人数のバランス が取られるんです。

伊邪那美神(いざなみのかみ)の 
胸に たかっていた

火雷神(ほのいかずちかみ)が 丹塗矢(にぬりや) となって 

玉依姫(たまよりひめ)の ところに 流れてきて 
手に取ったら いきなり妊娠して 生まれた。

その
賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと) が
成長して 



おじいちゃん にあたる
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) に 



7日7晩 の 宴会の時に 

父は誰なのか。
父親に 盃(さかずき)を渡して 酒をついで来い 
と言われ

屋根を破って 天昇した と 
播磨国(はりまこく)風土記 に記載されているそうです。



って いうか
賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと) って 



誰?
昇天 して行った って 
わざわざ そんな記述を残すって 何なんでしょうかね?



なぜか 古事記 の中では 

賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと) は
組み込まれていません。

また 
大物主神(おおものぬしのかみ)が 父親である 
という 記述もあります。

大物主神 は 
事代主神(ことしろぬしおかみ)の別名 とも言われています。



大国主命の 国造りを 一緒にされた 
少名毘彦那神(すくなひこな) の去った後に 



大物主神 が現れ 



大国玉命 と 国造り をされた。
全てを 統べる 存在 として活躍され



後に
第10代 崇神(すじん)天皇 の時 



疫病 が発生し 大勢の人が亡くなったんです。

そもそも論 で言うと
三種の神器 の

鏡 と 勾玉は 天空世界 でつくられました。
剣は ヤマタノオロチの しっぽ から出たものです。

これが 
天照大御神 の元に 集められ

天孫降臨 で 
邇邇芸命(ににぎのみこと) に 三種の神器 が授けられた 
と いう事でした。

初代 神武天皇から 歴代天皇により 
宮中(きゅうちゅう)で
三種の神器 が 継承されてきたんですけども

第10代 崇神天皇の時に 八咫鏡を 外に出した。 
それは



疫病 が発生して 多くの人が バタバタ死んでしまったので

八咫鏡を
より良い 環境で お祀りする方がいいのでは 
という事で 鏡は 転々とし

最後は 
伊勢の 五十鈴川(いすずがわ) のある
伊勢の神宮 になったという 記録があるわけです。

ところが
崇神天皇 の 枕元に

大物主神(おおものぬしのかみ) が 現れました。



崇神天皇は
奈良の 大神(おおみや)神社で 大物主神 を祀り
その 
大神(おおみや)神社の 御神体が 

三輪山(みわやま)です。

 

三輪山は 太古より 神宿る山 とされてきました。

大物主神は 大和 出雲 広い地域で

神武東征された後の 大和朝廷
の 前から 

永く 
大国主王朝 というべき存在で 活躍しておられたそうです。

そこで 崇神天皇 の
枕元に現れた 大物主神(おおものぬしのかみ)は

三輪山の 祀り方が 間違っている 
だから
疫病 が流行っているのは

私の 祟りじゃ って 言うんです。

三輪山 を
崇神天皇は 自分が祭祀 として お祭りしていましたが
祀り方が 間違っている

という事 なので

えっ!? 
あなた様の 祟りですかぁ? どうしたら いいんですか? 



と 聞いてみたら

そもそも 私を祀るべき者は お前じゃない

と 言われちゃったですよ。

大物主神は
奈良盆地で 力を持っていた 神様です。

東部遠征 をして来た
よそ者である 神武天皇 が

奈良で 力のある神の 娘をめとり

大物主神 の力を 受け継ぐような形で 
大和朝廷 が つくられていくんです。

神武天皇の 奥様は 大物主神の娘です。
なので
崇神天皇は 大物主神 の子孫ですが

私じゃないんですか? 
じゃあ 誰ですか?って聞いたら



意富多多泥古(おおたたねこ) だって言うんです。

ねこ?誰? って 
探し出して 見つけたのが

古事記 によると 
大物主神の 5世代 下の孫。

日本書紀 だと 大物主神の息子です。

崇神天皇は
大物主神の娘の 4代下の息子なんです。

子孫だけれども 男系の子孫ではない という事です。

どういう事かと言うと

祭祀は 男系により継承される という事です。

意富多多泥古(おおたたねこ) を
大神神社の 神主にしたら 祟りが 治まったんです。

天変地異を
乗り越えられた 大国魂神 の子孫は 

国造り 人造り を 推進されてきて
縄文時代 最盛期には 

大国魂神の系統が 国造りをされてきました。



大物主神の 娘 というのは

勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)。 

または 
名前が変わって 伝えられて 所説ありますが

玉櫛媛(たまよりひめ)。

その美人が 大きい方の便 をする時に
大物主神 が 赤く塗った矢 に化けて



勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の 性器に ピコって 入ったと。



驚いて 
矢を抜いたら ぼわんっ て 立派な男になって

その男 と 勢夜陀多良比売(せやだたらひめ) は結ばれ
娘が生まれた。

それが
伊須気余理比売(いすけよりひめ) で



神武天皇の 東征後の 妻になります。
これは
神武天皇 という 天津神の御子 は

大物主神を 身内にしてしまった という事になります。




天界の
天照大御神 の子孫 プラス 

葦原中つ国 現界の強い霊力 を持つ 神々の
霊力 を受け継ぐ事で

天津神
山の神
海の神
大和の神

全部の 系統が 流れた

神武天皇が 初めて 
天皇として 日本国を 知らす者 として
正統な 存在になった という事のようです。



攻め滅ぼす のではなく
身内にしてしまう 手法で

和の国 の建国に相応しく 地域を治める事ができる

という事です。
歴代天皇は 代々 

大物主神 の霊力を受ける 子孫となりました。



そして
大物主神 は 今だに
皇室 日本そのものに 力を与え下さっている神様なんです。

かつては 疫病で 恐れられていた神様。

きちんと 正しく法を 整えていく。
そうすれば

今と 置き換える と
これからの 災いも 鎮静化 するかもしれませんね。





裏が表になる転換期

ところで
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず) と 
玉依姫(たまよりひめ) が結婚 して 

生まれた
四男が 神武天皇 でしたね。

神武東征 の時に
当時 
畿内全域を 司っていた

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) 



が 古事記で 現れますが

この
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) も 謎の多い 人物です。



そして 何と
あの 
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇 
の兄

五瀬命(いつせのみこと) を 殺した



登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) を



従えていました。
しかも

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) の 
妹を 妻 にしていました。

神話では 
登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) は 
逆賊 にされています。

先着の民族たち
後から 渡ってきた民族たち

地球は 元1つである という事で 元々は同族であり
日本から 出て行って また 帰ってきている という事であれば
時間の差だけであって 

おそらく 
同じ一族間 の事ではないのか という考えが 上等だと思います。

登美(とみ とび)=富(とみ とび)=豊(とみ とよ)。 

出雲市 斐伊川(ひいかわ)町 富村に

富(とび)神社があります。



古事記では 肥河(ひのかわ) と言って
砂鉄を取っていた 鉄器民族がいました。

まずは 銅剣をつくっていたので
荒神谷(こうじんだに)遺跡から 銅剣が たくさん出土しています。
次に
鉄器文明を 持った人たちが入ってきて

出雲文化の中でも 2重3重構造になっています。

トビ一族 というのは
大国主 の一族の人たちです。

これは 太平洋 大阪生駒(いこま)辺りまで
トミ トビ一族は かなりの広範囲に渡って
出雲族の 繁栄を支えたんです。

その
畿内 生駒(いこま)辺りを治めていた 出雲族の長が 



登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) だったのです。

記紀神話 では 
登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) は 

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇 に 

斬首 された 
と 書かれているそうですが

そんな事をしたら 
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇は

出雲族 と 真っ向から 戦わなくてはなりません。

もともと 
縁戚同士なので 激しく争う という事をせず
話し合いで 国譲り がされて 

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)は
殺されてはいなかった という事のようです。

そして
東北の 十和田湖 周辺に行くんです。



登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が 東北に行く 
もっと前の

縄文時代 東北は 
大国主の時から 

富(とみ)一族 として 国造りをしていたんですね。

東北で 活躍した
大国主 の長男 

阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ) が 
奈良の 高鴨神社 に祀られています。



縄文時代 
津波で東北が よく沈むのですが 
その時 

飢饉にも強い 稲を持って 
東北を 助けに行くんです。

縄文最盛期に 
大国魂神 の ご系統が活躍された時代。

阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ) は

稲の種を 持って



稲作を 広めるために 東北へ 走って行くわけです。 



稲作が 東北へ 飛び火して行き



寒い土地で 干ばつにも強い 稲が育つように 
背が高くならないものを 選別して 持って行った。 

出雲族が 東北を治めてきた事で

阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ) は

稲を 
東北弁で つっこ と言うらしいのですが
福島の 都々古別(つつこわけ)神社 に 祀られています。



出雲族の そういう事があったので

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) は

頼って 東北 へ入るんです。
そして
東北の アラハバキの神 をベースに 東北をまとめるんです。



後の 
物部氏 や 
平安時代 の 蝦夷(えぞ)。

阿弖流為(あてるい) につながっていきます。



源義経は 
奥州 藤原3代を頼り 平泉に行きますね。

歴史を知ると 因縁がわかってきます。

南では 九州に

古事記 には 記載はなく
日本書紀 別伝のみに 書かれている

須佐之男命 の息子 
五十猛神(いそたけるのかみ) は



朝鮮半島 の 新羅に 天から 降り立ちましたが
この 半島は気候が あわず

シュメール と 同じように ならないよう
ユーラシア大陸 のように 砂漠化 させてはいけないと

天上から 持ってきた 樹木 の種を 

日本列島に 植林をし 環境政策にあたりました。
日本中に 木々の種を蒔いて 肥沃な土地ができました。



川から 養分が 流れ
水は 循環し  また雨となり 清水が湧き

八雲 たつ という 
美しい自然の国 日本 にして行きました。

土地造り から 稲作をし 
自然を造り  
食料政策 環境政策 文化政策も 終わった後に 
神武東征 そして大和朝廷。 

しかし その前に

広い地域を 支配していたと考えられる 
永く続いた
大国主の王朝 と言うべきものが 存在していた。

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) 

阿弖流為(あてるい)
の 
東北 にまつわる話



記紀神話 の
須佐之男命 と 八岐大蛇(やまたのおろち)退治 の話からの

新潟 越の国の鉄剣 をつくる為の製鉄所。たたら場。



太古 から 縄文時代

八百万(やおよろず)の神様 は 身近な存在で

神様から こうするんだよ
と教えられた 生活様式 だったんでしょう。



映画のモデルにもなっています。

古事記に 一瞬出てくる
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は

記紀神話 で 
逆賊 のように書かれている 

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) の 
妹 を 妻にしましたね。

古事記 では 登美夜毘売(とみやひめ)
日本書紀 では 三炊屋媛(みかしきやひめ)

とされています。

祀られている 神社では

奈良 と 愛媛の 
櫛玉比女命(くしたまひめ)神社。

東大阪の 
石切剣箭(いしきりつるぎ)神社 は

上社 は 邇芸速日命(にぎはやひのみこと)
下社 は 2人の子どもで 宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと) です。

宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)
これは 後の 



物部氏  海部(あまべ)氏 
穂積氏 采女氏(うねめうじ)の 祖 です。 

穂積氏は
木の いかだのような船で 追いやられて
木津川を下って 佐渡に行き

でも 必ず帰ってくる と 

戻ってくるんですね。
そこから 生き残るために 名前を変え

穂積氏から 木積氏 になったと言います。 

では
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は
何者 なんでしょう。



教科書では 稲作は 
大陸から 弥生時代に伝わった と教わるのですが

最近では
縄文時代から 稲作はあった と言う事が
伝わりつつあります。

現代から
4000年くらい前のころには 稲作文化は あったという事です。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は
役職 は 大国主。

初期の 大国玉命 は 国土政策でしたが



中期 になると 食料政策が 始まるわけです。

明治時代 以降では 
あまり語られなかった らしいですが

東大阪の 
石切剣箭(いしきりつるぎ)神社 上の宮 で



邇芸速日命(にぎはやひのみこと) が 祀られていますが

国を 豊かにする 
という事を たくさん行った神様 で

須佐之男命 の息子 とも言われているそうです。

須佐之男命 が
祭神 として祀られる お名前は

スサノオノミコト として祀られて いる所と
イカズチノカミ として祀られて いる神社があるという事で

雷(かみなり) は 神 が成る という意味があり

別雷(わかいかずち わけいかずち) 
と 祀られて いるのは

スサノオノミコト=イカズチノカミ 雷 から 別れた

つまり 須佐之男命 の息子の
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) であろう という事です。

上賀茂神社 下鴨神社 の  賀茂祭 葵祭



上賀茂神社 は 賀茂別雷神社の事です。
主祭神は 賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)。

下鴨神社 の 主祭神は 

西殿が 賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)
東殿が 玉依媛命(たまよりひめのみこと)。

そして
春日大社 の 春日祭



主祭神 は
建御雷神(たけみかずちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)

名前が隠されてる 比売神(ひめがみ)。 

それから
石清水(いわしみず)八幡宮 の 石清水祭



主祭神 の お1人に
須佐之男命 の子。宗像三女神 の内の
大国主命 の妻 となった 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)。

その子どもは 東北で 活躍した
阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)ですが

明治天皇は この 3つ

上下賀茂神社
春日大社
石清水八幡宮 は

勅使(ちょくし)を 派遣して 

絶対に 
参拝するように と言っておられたそうです。

大和と 出雲の 融和 が意味されるからです。

上賀茂 と 下鴨 の神社は重要で

出雲族の 

賀茂氏 と 秦氏。
秦氏は 後の 八幡 になるのですが 

この人たちがいないと 京都 平安京は できなかった
と 
言われるくらい 重要な人たち なんだだそうです。

上賀茂神社 の 御祭神 は 

賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ) であろう
という事ですから



賀茂 を 別けて 
雷 の大神。
雷 の大神 から 別れた神 は

スサノオノミコト から 別れた神。

賀茂氏の 先祖は 

出雲 の
加茂岩倉(かもいわくら)遺跡で 39口 の銅鐸 の発掘。



そこから
南東に わずか 3・4km離れた場所の 

荒神谷(こうじんだに)遺跡から 358本の大量の 銅剣 が出土していて



後に 発見された
出雲大社境内遺跡 の関連もあり



大陸 新羅(しらぎ)からの来た スサノオ の系統

古代 出雲族 なんだそうです。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと)の 本名は 

天照国輝彦火明櫛玉邇芸速日命
(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと)。

これは
今までやってきた仕事の 役職名です。

天を 照らし 
神様の事を 教え 
民間を 安堵させ 

明るく 照らして 稲穂が たくさん成っていて
キラキラ光っている
不思議な力を 発揮した 



あまりにも 功績を立てた神様 なのに
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)で 祀られているところが 少ないんです。

大神(おおみわ)神社 は 

大物主神(おおものぬしかみ) 
または
大国主神(おおくにぬしがみ) 
大穴牟遅神(おおなむちのかみ) 
八千矛(やちほこ)の神 


大物主神 は
役職名 が違うだけで 同じ神様として 祀られています。

中期の 大国主神 という事ではないか
あるいは



邇芸速日命(にぎはやひのみこと) ではないだろうか 
という話 もあります。



須佐之男命 の 娘を 
初期の 大国主命 に 嫁がせているので 
その 一族 としての 血縁関係がある。

その 
末裔 という風にも とれるので 
古事記に 少し出ているのですが

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) 

天照国輝彦火明櫛玉邇芸速日命
(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと) 

長い 役職名が付いて
ずいぶん 国の富国政策 をして 讃えられた神 なのに

なぜ 隠さなければ ならなかったのか。



なぜ 古事記 日本書紀
記紀神話 から省かなければ ならなかったのか。 

河内 生駒 と 
今で言う 
大阪 と 愛知県 全域に

稲穂をひろめた にもかかわらず

こんなに 功績を立てた神様なら 
もっと 
古事記 日本書紀に 載せるべき ではなかったのか。

この
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) 
と比べて



天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
(あまにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと) 



いわゆる
邇邇芸命(ににぎのみこと)
が 
稲穂 を持ってきて 広めたというのは 
記紀神話 に書かれて 有名です。

天照大御神が

葦原(とよあしはら)の 瑞穂の国は 

汝が 知らす国であると命ずる。
因って 命令通り 天降りなさい。

と 仰せになられ
そこで
自らの孫 邇邇芸命(ににぎのみこと)を 葦原中国にお遣いになり 
国を知らすように 命ぜられ

この命により 
地上に 降臨 したのが 初代天皇とされる
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)=神武天皇の 
祖先にあたるのが

邇邇芸命(ににぎのみこと)。



天津神 天照大御神の 孫 
が 降臨したので

天孫降臨 といいます。

神聖な 稲穂を持たせて 降臨したので 

社会の基盤となる  稲作の起源は  天皇の先祖から 
もたらされたことを 伝えようと しています。

5柱の それそれの 職業を分担する 
職業集団の 長 が 
邇邇芸命(ににぎのみこと) で

国 を治める 組織の原型として お降しになられた。

その中の 道案内役
猿田毘古命(さるたひこ)は 



ユダヤ系の超人 であったとも言われます。
その
猿田毘古命も 
なぜかすぐに 記紀神話から 消えてしまいます。

天照大御神は 
邇邇芸命(ににぎのみこと) が天降る際に

八咫(やた)の鏡 を 
私の み霊として 我が身を拝むようにして 祀りなさい



と 言われ 
御鏡は 別格として お祀りされることになっった。

八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)

草薙(くさなぎ)の剣 



を お授けになられた。

これは 三種の神器 

と 称され 
天皇(すめらみこと)の 皇位の証 となった。
爾来 連綿として 天皇家に 続いている。

というのは 神話の 鉄板ですが

しかし 日本書紀 に 

天孫降臨 してきたのは
邇邇芸命(ににぎのみこと) だけじゃない と 書いてある そうなんです。

九州に 降りてきたのは 邇邇芸命(ににぎのみこと) ですが
畿内に 降りてきたのは 邇芸速日命(にぎはやひのみこと) 

邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は
飛騨から 畿内に行った という話もあります。

天孫降臨 の際に 
天爾瑞寶十種(あまつしるしみずたからとくさ) と言って



天照大御神様 から神宝 を授与されているそうです。

そして 他にも
天孫降臨 で 天照大御神様 の子孫が
色々な 場所に 降臨している。

天と地の間にある 方々(ほうぼう)への 分かれ道。
八街に 神様が降ります。

千葉県 八街市 や 



岐阜 高山から 下り 美濃に至る 分かれ道も 
八街 と 呼称していました。

古い時代から 古い神様 として 
全国に たくさんあった。

即ち 霊の元つ国 日の元つ国 は

神武天皇の 前から 万世一系であり
神武天皇の 前には 天津神の 霊統 が続いている。

超古代史 を 
短く凝縮し 物語調 にしたのが 古事記 という事です。

そして 最終的に 
神武天皇 の下に 統合して行く

日本書紀 に 書かれているそうです。

邇邇芸命(ににぎのみこと)の 



そのずっと 前から 

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) が



稲穂をひろめ 功績を立てた神様 だったとしても

大本の 神様のお考え 神勅(しんちょく) が 

邇邇芸命(ににぎのみこと) という 
当時は 末子(ばっし)相続 だったので 天孫降臨 をして来た

邇邇芸命(ににぎのみこと) を 立てた方が
王朝が うまくいく という事であるなら

出雲族は

大国主 と言われた勢力が 弱まっていた時に

邇邇芸命(ににぎのみこと)の系統

大和族の
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)=神武天皇の 
神武東征の時に



邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が 功績を譲った。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は



大本の神様の 神勅(しんちょく)通り
功績を譲る という事 をするわけです。

結果オーライ になるのなら 自分の功績を譲る。
これが 
霊の元つ国 日の元つ国の アイデンティティー なんです。



功績を譲ったとはいえ

弥生時代 から 古墳時代まで
大和政権初期 の頃 

実は 出雲系
三輪王朝が 存在したと 考えられています。

三輪王朝は
第12代 景行(けいこう)天皇 の 辺りまで続きました。



景行天皇の御陵 も 三輪山 一帯にあります。

出雲大社 の 大社造りと同じ形態の 建物跡が 
奈良の三輪山の麓(ふもと)
纏向遺跡(まきむくいせき) で 発掘されています。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は 
後にまで 
大きな 功績 を残された と思われます。

つながっているのは
スサノオ の伝承です。

神武東征 の前から

邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が 

72代 もしくは 73代 続いてきた
不合朝(うがやふきあえずちょう) の 末裔 として

今で言う 大阪。
河内 生駒 と
愛知県 尾張 で

ある程度まで 統一 していた
というのが 
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)  だとします。



統一するに 至るまでは

ユーラシア大陸 中東 シュメール ペルシャ から  
海洋文明 として
世界の 大海原を 1つ にしていた ルート と 

ユーラシア大陸から 陸地で来た ルートの

超太古の時代。 

沖縄 与那国島 や 島根 沖縄 など
2万年 から 8000年 前の
海底神殿が 見つかったりしていますが



もともと 
大陸が 今とは 全然違っているので



何万年も前に 日本列島 の 太平洋側にあった
ムー大陸 とか アトランティス大陸 とか



かなり 巨大な陸地が あったころの
日の元の国から 世界に散って行って

今度は
シュメール から 
チグリス から 
ペルシャ から

須佐之男命(すさのおのみこと)。スサの王の 一族として
息子 として
役職名は 大国主 だとして 世界王朝を築いてきて 

日本列島 に 戻ってきた
と 
考えてみた場合

不合朝(うがやふきあえずちょう) は 
72代 もしくは 73代 も 続いてきたとすると

それを 
系図で 残っているのを見ると

古事記 に出てくる

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) は



1人 の 神様。 
人として 伝えられてきていますが

そうでは ないだろうと いう事のようです。

神武天皇の 前の話です。

なので その時代 不合朝(うがやふきあえずちょう) の
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は



神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)=神武天皇 
が 降り立つ 遥か以前に

天磐船(あまのいわふね) に乗ってきて 
大和 に 降り立った とされています。

 

なので
神武天皇 と同じく 天津神(あまつかみ) なんですね。

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)= 神武天皇 が
天下りをする と聞いて
まず 
先に降り立って来て 準備をしていた と言うんです。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) の
奥様側 女性集団が 王朝 を守ってきた。 

それが
瀬織津姫(せおりつひめ)です。

女王蜂 のように 子孫を守るわけです。



後に 瀬織津姫(せおりつひめ) は
豊受(とようけ) と 言われる のですが 

登美(とみ とび)=富(とみ とび)=豊(とみ とよ) でした。
スサノオ の系統 の出族雲 です。

伊勢の神宮 外宮 に祀られる
豊受大神(とようけのおおかみ) は

天照大御神の 食事係 というだけの理由で 
祀られているのでしょうか。

瀬織津姫(せおりつひめ)
と 同一 と伝えられるのは

天照大御神之荒御魂(あまてらすおおみかみの あらみたま)

菊理媛(くくりひめ きくりひめ)

弁財天(べんざいてん)

龍神 です。

古事記 日本書紀 には出てこない

瀬織津姫(せおりつひめ)の 名前は

神道の 
大祓詞(おおはらえことば) に 出ていて

祓戸大神(はらひどのおおかみ) であって

罪 と 穢れ。
罪穢 というものを 祓う 

という事をされる神様 なんだそうです。
そして

流れの 速い川 にいらっしゃる。



邇芸速日命(にぎはやひのみこと) と 
瀬織津姫(せおりつひめ)
が モデルとなった 映画もありました。

名前が 封印された



名前がわからない

春日大社 の 比売神(ひめがみ) です。

瀬織津姫(せおりつひめ)が 祀られている神社は

東京 多摩
大阪
滋賀
石川 金沢
兵庫 西宮
兵庫 六甲 の 六甲比命神社

様々な 神社で祀られています。

元伊勢内宮皇大神宮。



丹後国 一宮 の 籠(この)神社。



祭神 は 
彦火明命(ひこほあかりのみこと)=邇芸速日命(にぎはやひのみこと)。

その妻が
瀬織津姫(せおりつひめ)=市杵島姫命(いちきしまひめ) と 
同一視 されています。

宗像三女神 のお1人です。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) と 瀬織津姫(せおりつひめ)

古い神様。

この 2人 を 一緒にして 祀るのが
本当の 祀り方なんだそうです。

伊勢の神宮 が 
遷座する前に 祀られていた神社は

元伊勢(もといせ) と言います。

籠(この)神社  と言えば その奥宮が
眞名井(まない)神社。



祭神は 豊受大神(とようけのおおかみ) です。

伊勢の神宮では 外宮 で 祀られていますね。

カゴメ は イスラエル ダビデの星。六芒星。



カゴメ カゴメ 籠(かご) の中の 鳥は 
いついつ 出やる。
後ろの 正面 だぁれ。

裏が 表に なる 転換期がやって来ます。

裏が
忘れ去られないように.。

草薙の剣(くさなぎのみつるぎ) を 捧持して 
日本の統一に尽力した

第12代 景行(けいこう)天皇



の子 
小碓命(おうすのみこと) こと
日本武尊(やまとたけるのみこと)


滋賀 岐阜にまたがる 伊吹山で
氷雨に打たれ 
白鳥になって 天上に上がられたと伝えられます。 

その 妻



弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと) の物語を

美智子上皇后陛下 は 
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと) 


愛と犠牲の 不可分性 について 言及なさっておられます。

弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は

東大阪の 
石切神社(いしきりじんじゃ)に 祀られています。

旦那さんの 
日本武尊(やまとたけるのみこと) が 
関東の 東征の折に
三浦半島の 走水(はしりみず) から 
房総半島の 上総へ渡る時

自分に 自身があったのか
神様から 使われている事を忘れたのか

海が荒れたんです。

弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は
身代わりに 海に身を投げて 龍神を鎮めたんですね。

この
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は
追いやられた 穂積氏 と言って

邇芸速日命(にぎはやひのみこと)の一族の 媛神 なんです。
その源流になったのが

瀬織津姫(せおりつひめ)で

忘れさせないように 
記紀神話に ヒロインを創った という流れがあって

大和撫子 の 源流 になるわけです。

景行天皇 の 2代後は
出雲系の つなぎがあった とも言われています。

陰 から 陽 へ
裏が 表に なる 転換期 がやってきます。

大国主(おおくにぬし) の国譲り神話で
息子の
事代主(ことしろぬし)が 国譲りを了解し 



天の逆手(あまのさかて) という
手の甲(こう)同士を合わせて打つ 




普段 と 逆の作法の
柏手(かしわで) を打って 海に身を隠した
逆の結果 となる事 を 意味しそうな 柏手。

今までの 常識が通用しなくなる
正直者が 馬鹿を見なくなる

好んで 譲って 争わず。好譲不争
明るい 太陽 のような 犠牲的精神。
の 世の中になって行く。

伊勢の神宮 には
天照大御神様 の 奥にも 神様が おいでになり
また更に 
その奥にも 

偉大な 神様が お居でになる という事なんですね。

主たる神様
偉大な 神様が お出ましになった時代の到来です。



天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)が生まれ

天照大御神様 に縁あるかもしれない 
長野県阿智村 と 岐阜県中津川に またがる
恵那山(えなさん)の 山頂付近の 檜の木が

遷宮の度に
伊勢の神宮の 社材として 奉納されていた事もあるそうです。

そもそも 
伊勢の神宮 で 天照大御神様が 祀られるようになったのは
第10代 崇神天皇 の時代 からです。



しかし
もっと前ら お伊勢様 には 神社 はあった。

現在
コンビニエンスストア は 5万ほど 全国に 店舗があるとの事ですが
神社は 8万。
本当に小さな 神社を含めると もっとたくさんあるそうです。

その 神社の中で 
特別に 重要な お宮 は 神宮号 が与えられています。

橿原神宮 明治神宮 白峰神宮 宇佐神宮
鹿島神宮 香取神宮 など

その 神宮の中の 更に特別な お宮が
伊勢 の 神宮 なんです。



伊勢の神宮 の 正式名称 は

神宮 です。

本家 本物 ド真ん中 
神宮の中の 神宮。  
なので

神宮 と言ったら 伊勢の神宮 です。

当時の
流行の疫病 を 何とかするために
天照大御神様(あまてらすおおみかみさま) が 

八咫鏡(やたのかがみ) として 
伊勢の 神宮に 引っ越されて くるわけです。
もともとは
天照大御神様 は 八咫鏡 として 皇居 で 祀られていたんです。

では
天照大御神様 が お引越しされて来られる 前は 

どなたが 祀られていたのか。

これは
公表されていません。

ただ 
内宮 は 天照大御神様。
外宮 は 豊受大神(とようけのおおかみ) なんです。

神社 の千木(ちぎ)は

男千木(おちぎ) と 女千木(めちぎ) があり



その 神社 で祀られている 神様 が 
男性か 女性か がわかるように なっています。

伊勢の神宮
の 内宮 は 天照大御神様。



不思議な事に
外宮の 神様は 女性神 だ というのに 
千木(ちぎ) は 男千木(おちぎ) なんです。



という事は
表看板 は 女性神 豊受大神 なんですが 
裏に 何か

偉大な 神様が 
お祀りされているのでは ないかと いう

後の
大友皇子(おおとものおうじ)

大海人皇子(おおあまのおうじ)




第38代 天智天皇 と
第40代 天武天皇 との 壬申の乱 

この時 熊野の 山奥に入って
第40代 天武天皇 は



自分が 勝った暁には
天照大御神様 を 
最高神 として 最高の神社 として 祀る と 願掛け をして

実際に 勝利し
神話も 整理 され
以前の 複数の 古い 神様は 天照大御神様 1つに 統合された
という話 もあります。


封印の 理由は
第41代 持統天皇 が 勅令 を出した



とか

明治時代 にも 名前が変えられた
とか

時の 為政者から 
理由はわかりませんが 都合の悪い事は 隠されてしまう事が 多い 
と いう事です。

伊勢の神様

天照大御神(あまてらすおおみかみさま) と



須佐之男命(すさのおのみこと)

記紀神話 だは 姉弟 です。

須佐之男命(すさのおのみこと) の 子孫が

大国主命(おおくにぬしのみこと) です。



伊勢の 神様も
出雲の 神様も

さかのぼれば 姉弟 です。

この神様 の 先祖は というと

無 から 有 で 
初めて 現れた 天之御中主様(あめのみなかぬしのかみさま)



子孫 として
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)

伊邪那美神様 が 黄泉の国へ 行ってしまって

見ぃたぁなぁ~  って 桃 投げられたりして

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ) の 国造り は 
途中で止まったままだったので

それを  地上世界 で 継承 したのが

肉身 を お持ちになった時の  
大国主命(おおくにぬしのみこと)。 

大国主神(おおくにぬしのかみ) なんです。

国が できた所で 

天照大御神様 へ 
地上世界。葦原中つ国(あしはらのなかつくに) はお返しいたします。
と いう

国譲り なんですが

条件 として 

立派な お宮を建てて欲しい。
天皇の お宮と 同じような お宮 に住み



周りに 祀られる事を 許して下さい。

という事で 出雲大社 が残った わけなんです。

大和朝廷 側は

出雲大社 を 残す。
そして
出雲の国を 尊重する 

という 条件 の下に 国譲り が行われたため

中央政府の 大和の国が 出雲大社 の 修復をして
祟りが 治まったりとか

出雲大社 が 壊れかけたり などの時は
ちゃんと 皇室側 大和側 が 責任をもって 直してあげる

60年に 1度の 修造。大改修 があるわけです。

2000年 以上前の
約束事 
皇室は 出雲を 尊重するんだ という

大和 と 出雲の

いい感じの 緊張関係 があって
それぞれの 約束事 があって

伊勢の神宮 の 20年 に 1度の 式年遷宮 と



出雲大社 の 60年 に 1度の 



平成25年。
2013年 
ダブル遷宮 の 霊的な 幕開けの年 だったわけです。

神話の中に出てくる

高天原(たかあまはら たかまのはら)から 

出雲は どんな繁栄ぶりなのか
様子を見に行ってこい と 送られた神様が 
連絡をしてこない。

帰り事をしない という事で
大和朝廷側からの 矢に撃たれて 死んだ。

その撃たれた神様は 出雲で ちゃんと祀られているんですね。

その神様は 現代でも 因縁として続いていて

政略結婚 でも 何でもなく
自然な流れ なんだそうですが

平成26年。
2014年
には 元 御皇族
高松宮 ご出身 の 千家典子さんが 出雲大社権宮司 千家国麿さん のところに
嫁がれました。



千家家 というのは
代々 出雲国造(いずもくにのみやつこ いずも こくそう) の家 として

出雲大社 の祭祀 と
出雲国造(いずもくにのみやつこ いずも こくそう) の称号 を 
受け継いでこられた お家です。

天皇家 に次ぐ 
歴史 伝統のある お家 だそうです。

それが 永い永い 歴史の中で
今回 初めて 

出雲国造(いずもくにのみやつこ いずも こくそう)家  に
皇室 から 嫁いだっていうんです。

天照大御神様(あまてらすおおみかみさま) と



大国主神様(おおくにぬしのかみさま) の 



お導きなんですね。

神代の時代 からの 約束事 が
現代社会 に 体現されたんですね。凄い事です。

出雲大社 にしても
あまりに 古すぎて 創建が いつなのかわからないそうなんです。

杵築大社(きづちたいしゃ) 
といって それが今の 出雲大社なんです。なので 
あの
出雲大社 は一宮(いちのみや)ではありません。

大国主命 は 
冥途の 西を向いて祀られています。

普通は そんな祀り方をしないらしいのですが
なので
今は 四方八方 から拝めるようになっている 
という事です。

古事記には
大国主命 の 国譲り の話で
天にも 届く 高い 建築物。高い 高い 大社 と書かれていますが



いつ できたのか
は  わからない。

そして 大きな存在 の 神様 を 祀る。
それは

表向きは 大国主命 ですが
その 奥。
その 裏 には スサノオ の 存在が ある と言われています。



そして 何千年も経った後の
大和 と 出雲 の

神武東征 の時の
畿内の 国譲りですが

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は

天津瑞(あまつしるし) という 
これは どんなものか わかりませんが



天津神 の 子孫 である事の 証明する しるし を 

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)= 神武天皇 に
献上 しています。

天津神 として 先に 統治者 たる資格 を持っていた
邇芸速日命(にぎはやひのみこと) ですが 



大和平定は

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) が 

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)= 神武天皇 
に 
服従 したことにより 
成し遂げられました。

戦闘を経ずに 大和平定が 完成したのです。

とはいえ

邇芸速日命(にぎはやひのみこと)
に仕えていた 出雲族の長

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) は 

逆賊扱い にされ 
魂 とか 念。エネルギーが 封じ込められて
まだ 生きているんです。

繁栄してきたのに
追いやられた者たちは 一時 冷や飯を食わされると
祟るんです。

王家の象徴 天沼矛(あめのぬぼこ)のように 
もともと 矛2本だったのが



出雲族 お前ら負けた方が 
それを持っているのは  いかがなものか と

出雲の
富神社 トミ一族の紋章は 大根2本 になってしまった
という事 なんです。



そこで 神事(かみごと)というのは
表に出して きちんと祀って
陽霊に開かないといけないんですね。

スサの王 として やって来た
渡来系 新羅系 の 民族の 末裔である

古神道  修験道
山伏の祖。
役行者(えんのぎょうじゃ) の祖。



生駒には 修験道で
後の ゾロアスターにつながって行く
ヒンドゥーの系統の神 大聖歓喜天(たいせいかんきてん) を

祟らないよう 祀っています。
紋章は 大根2本に 巾着です。



神様の意 に合わせて
科学においても 武術 においても 
常に 朝廷を 盛り立てていた という

海部氏

葛城氏一族。

神官。陰陽道 の祖。



技術的な事も 長けている

賀茂一族。
葛城氏 とも 親戚関係 です。

秦の始皇帝 と関りを持つ 技術集団



秦(はた)一族

これら出雲族 は みんな 裏側に 回ったわけですね。

永年の間に 婚姻関係を結んでいった
時間の問題だけで 出雲族 と 日向族は 同族ですが

日向族の
九州の守りは 女性。
男性の 部隊長のようなリーダーは 東征し 近畿の熊野から入っていった。

そして 近畿の国譲り があり 
出雲族の 功績を讃える役職名である

大国主 や 事代主 から

日向族の政権。大和王権 となり 後の 天皇となっていく。

時代は
縄文から 弥生。土偶 から埴輪 へ ガラっと変わるんですね。





縄文時代 は
日・火の 神様の時代 
炎 のように 燃える 情熱的 で 陽光輝く 時代。

その
縄文火炎土器 は無くなるわけです。



かつては 
もともと 日本にいた 土着の縄文人 と
渡来系 の 弥生人 が 散々戦って

弥生人が 制圧した みたいな見方が 強かったんですが

近年の 考古学の成果によって

縄文人が 
そのまま 弥生人に なった事が わかっています。

外国から 人は来るのですが

ちょろっ ぱらっ と ちょっと来て
その人の 持ち込んだ文化をしっかり 実践していく という形で

大量の 渡来人が 日本列島にやって来て
日本の勢力を圧倒した という事は なかったわけなんです。

ただ
陽 から 陰 に入ってしまった。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) 
という人は



大和朝廷 の政治や 軍事を 担った
物部連(もののべむらじ)の 祖先 ですから 

一定の 影響力が あったはずですが

忠実 であったがために 
争うのではなく 
国譲り をした という事を 彷彿させます。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) が 
最後の シュメール からの 
大陸から 戻ってきた

海洋文明の 最後の 長(おさ)で 日本で治めていた。

元々は 同ですし

天照(あまてる)も 1人じゃない。

何をされた 何の み働きをされた という
仕事をした 称え名 として 
諡号(しごう おくりな)として

天照(あまてる) という 役職名であって 

本当は何代もあり
男神か 女神か 
と 説もありますが

白村江の戦い で 大陸からの勢力 と
壬申の乱 の時 

第40代  天武天皇の 時代に 
同じ神 を信望する という事に まとまったわけです。

天照大御神様 という
1つの神 に交わった。



なので 
天照大御神様 以前の  古い 古い 偉大な神様。
そして
複数の 神様は  
隠されてしまった。

72代 もしくは 73代 も 続いてきた
不合朝(うがやふきあえずちょう) のころの
継承 を引いている 神様。

山伏 に見る 山岳信仰 などの 
日本の 格好じゃないような 
ジャラジャラ 付けている 
ヒンドゥー教など だいぶ入っているような  蔵王権現(ざおうごんげん)。



シュメール の時に
精神文明 を 発達させた 1つの 教えがあった。

それが
エジプト に行ったり ユーラシア大陸 をたどっている間に

5つの 宗教 という
イスラム教
キリスト教
ヒンドゥー教
ユダヤ教
仏教



この 万教に 別れたのを 
元は 1つなんだ 同じなんだ と 

まとめるのが
日の元つ 国 の 役目なんだそうです。



後の
空海 の 真言宗  とか 
最澄 の 天台宗  などは もう

古代 からの 目的からすれば 
新興宗教 だと 言われるくらい なんだそうです。

明治維新の前 江戸幕府に 流されていた時代
第119代 光格(こうかく)天皇 の み世に 



もう1度 王政復古 を誓って 
1000日間 の 護摩行を 焚くんです。

朝廷 を
山伏たちが 助けるんです。

実際 明治維新となり 王政復古 となり
役行者(えんのぎょうじゃ)に 
神変(じんべん)大菩薩 という 称号を 与えています。



建武中興 の 
第96代 後醍醐天皇 も

神様は同じ という事を 知らせようと 
頑張ったのですが
皇室が 南北朝 に分かれて 残念な結果になって 終わってしまいました。

南朝 の
後醍醐天皇 も 山に逃げて 
山伏(やまぶし)の 僧兵 に助けられています。



ユーラシア大陸から 新羅系 大国主系で 戻ってきた 

やぁやぁ 我こそは と 自分の名を 名乗って 
正々堂々 と戦う というような 人たち。
負けると わかっていても 戦わなければならない。

それは

東北の津軽での
阿弖流為(あてるい) と
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ) の話や

楠木正成(くすのきまさしげ)。 

攻めて来られても 強く
そして 最後の 潔さ。

超常現象 を起こす
上杉謙信も 



毘沙門天(ひさもんてん) を信じ 



弱き を助け 強きを挫く という信念。 

日本を守る という事は 
攻めいられた 守りは 強いけれども
不必要に 攻めいらない。

天皇家 の 側近であった
葛城一族 他は

大化の改新 で

いろんな側近が 外されて 左遷されてしまうわけです。

左遷されても 
天皇家を お守りする という側の 豪族たちの多大な人数と 
一体化力 が あった人たちでした。



実際
賀茂一族 がいなければ 平安京遷都 は できなかったのです。

そういうものを 
天武天皇 が 
まとめていく にあたって 起きたのが

壬申の乱 です。

そして 奈良時代。

古事記 日本書紀 という形で
もう 1回 
日本 って こういう国なんだよって

色々な所から 色々な文書を集めて
1つの本にした という事なんです。

なので
不合朝(うがやふきあえずちょう)の 末裔
と 言われる

邇芸速日命(にぎはやひのみこと) は



大和平定の 協力者と 古事記には書かれています。

古事記 と 日本書紀 の
記紀(きき) として 書かれている事は

全て 日本の話だ と 理解されて いますが

古事記 より 昔の 
古事記 より 前の話を 
後世に残すために まとめてみますね

古事記 の 冒頭に ちゃんと書かれています。

公式にまだ 認められていないので 偽書 という意見もありますが
古事記 以前に 書物は あったんです。

漢字は 新しい字ですから 
後に 当て字で 使用されているので

神様の名前も 
暴走族 みたいな 漢字になっていて



同じ神様を見ても 当て字で 書かれているので 違う場合があります。

縄文時代の 神代文字 48音 は



ひらがな と カタカナ なんです。
いわゆる 言霊 音霊 の世界なんです。

これは 神代 からの 伝承なんです。

世界中に 日本人。倭人 という 古い民族が 
世界中に 出向いていた

という事が
石碑 から 出てくるわけです。

これから一挙に 解読されていく という事で

三内丸山遺跡 もそうですが
1万3000年 に 亘る 

縄文時代 が もっと 身近にやって来ます。



では なぜ
神武天皇 は
九州 から 東征 をして 関西に都を 建国 したのかというと

国が 大きくなりすぎると 統制 ができなくなる。
大きくなる 限界が来た。
しかし
王家 王朝 歴史を持っている者は 守らなくてば ならない。

じゃあ
小さいけれども
御所 を つくればいい という事に なったんですね。
日本という国が 王宮の都 をつくった。

神武天皇 から
中枢を失っては いけないので

世界 全体を 統べるために 
中枢 の国 というのを



東の果ての国 につくった という事です。



この話は
聖書 にも 出てくるそうです。

これは
スメラミコト が 世界の事を見ている という事です。

世界にある 菊の紋章 が そうですね。

神武天皇の 建国の精神 理念は 

国民が 人々が 平和で 豊かに暮らせる 
世界を 1つの家 と成す。
八紘為宇 八紘一宇 も そういう 意味ですね。

バチカン と 日本の皇室 の関係があるそうで
バチカンには 歴代の天皇家 の系図もあるらしく

バチカンは カトリックの総本山です。

イタリアの バチカン市国 というのは 
1929年に 独立国家になり 国連にも加盟しているのですが



元々は 
バチカンの丘 というのがあった という事で
キリスト に従った使徒 
ペテロ が 初代ローマ教皇で
その後継者が つながっていって 

西暦と同じなので 2020年 が過ぎます。

ところが
その上を行くのが

日本の天皇家 です。皇紀2680年 が過ぎます。



全世界 1か所に王室が集まった時には
1番 上座には 天皇陛下 がお座りになる というのは

国際的な プロトコール 儀礼 常識なんだそうです。

全世界 16億人の カトリックの方がいらっしゃる という事ですが
それだけの国民を持つ 国家は無いのですから

最大の主権国家と言えます。
でも 軍隊と 刑務所は無いそうです。

バチカン図書館 秘密古文書館には 

西洋暦が 始まってから
歴史上 あらゆる国に出て行って 為政者とつながりを持って

世界の 歴史 民族 文化 個人間の往復書簡 宗教 など情報を全て 
ローマに集めた という事なんだそうです。

日本に無いいないものも バチカンで 保管されているそうなんですね。

未整理 未確認の 書物 巻物 羊に皮に書かれてもの も含めて
書棚だけを並べると 総延長 60kmを超える という量だそうです。

過去の 
天下のイエズス会が 色々な事をしてきた話もありますが



今はもう インターネットで色々な事がわかってしまう時代 という事もあり

まだ
世界史が ひっくり返るから と
明らかにできないモノが たくさんあるそうなのですが
徐々に 公開に踏み切った という事なんですね。

所説ありますが
バチカンの資料によると

西暦800年
最初の 神聖ローマ帝国 の皇帝 カール大帝が
ローマ教皇から  戴冠式をいただきます。

その カール大帝が カロリング朝 を開きます。
カール大帝というのは 突然出てくるらしいのですが



どうも
天武天皇 と 持統天皇の 孫
第36代 孝徳(こうとく)天皇が



西暦で言うと 596年から 650年に 日本で活躍されているのですが

天皇になる前の いみ名 が
軽皇子(かるのみや かるのみこ)。
その 孝徳天皇の息子の

有間皇子(ありまのおうじ)が ヨーロッパに渡って



フランス アルザス地方に入られた と思われる資料があり



ピピン2世 と同一 なのではないか
その 家系を起こされたのか

ピピン2世の庶子 
カールマルテル から カロリング朝 ができたのではないか。

パワーバランス が崩れた時に
皇帝を 育成するために ヨーロッパも受け入れたのではないか。

また
ペスト が大流行した 14世紀ころ



人口が 1/3 になってしまった
悩める ヨーロッパ を救うために
皇位継承も ままならなくなった という要請もあり

新たな血統をつなぐ と思わせる資料が バチカンにあるそうです。

神聖ローマ帝国
フリードリヒ3世 の公式サインなんですが



日本の あいうえお は 基本的な母音です。
これを
あえて サインに残したんです。
素性を 後世に残すため だと言われます。

A I U E O。

ヨーロッパの名門貴族。
有名な マリーアントワネット も輩出した アルザス系貴族の



ハプスブルク家 を創始するのに 日本の皇統が 渡欧したという事です。

それから 鎖国の時代に 

徳川家康 も 認識していたらしいのですが
長崎に 出島までつくって オランダ との貿易を許したのも

ヨーロッパの 宗教改革が起きて パワーバランスが崩れた時に
フリードリヒ3世 の孫  カール5世 が

ウィレム1世 という



後に 
オラニエ ナッサウ家 という王家を 
創始 興していった 青年王子を いつも身近に置いて 帝王学を仕込んだ
という話です。  

この時代の ハプスブルク家は オランダも含めて 広大な領地を持っていました。
これは
歴史上の現実として 認識されている事なので

カール5世 と ウィレム1世 が尽力をした。

日本の応仁の乱の頃。
朝廷が分かれた 南北朝時代 に関係があるそうです。

なので
日本と ヨーロッパの中で 近しい血縁関係を持っているのが
オランダ皇室 であるという事なんです。

かなり歴史上 有名な武将も
死んだ事にされて でも 火事になっても 骨も見つからず
バチカンに 渡ったという話が 色々とある という事です。



万国安泰。
今でも
隣の国が ミサイルを打ってきたら 大変な事に なりますでしょ?
隣 が風邪 をひいたら こちらも うつりますわ。

そんな事 は 昔の人は 考えていたのであって

現代人が 
自分さえ良ければいい と 言い出したんです。

私たちは 長老民族として
多くの世界の 人たちを 平和に導く 役目があるんです。



歴史観を忘れる という事は 彷徨う という事になっているわけです。

私たち 
日本人が蘇る事= 世界が蘇る という事。


思わないと いけないと思います。

神武東征 は 
世界版の 御所 をつくる
というのが 日本国 だった という考え方です。

こうして 
神武東征は 日の本の中心地としての 樫原(かしわら)で 
大和朝廷 を成立させました。



そして
紀元前 660年。
神武天皇 が 初代天皇 に 即位 しました。

神武天皇は いつの時代 といったら 

弥生時代 後半になります。

土器が 
金属器が 
稲作が 始まったなどの 

その先 にあるのが
建国  ですからね。
ここから 国を束ね挙げていく という所に 入っていきます。

古事記 に書いてあることは 全部事実か わかりません。
古事記に そう書いてあることは 事実です。

歴史の 大きな流れを 探る事も できますし 

神武天皇 の統制が 真実 である前提の上で 
大和朝廷が開かれ 
今 にまで繋がってきている という事なんです。



ですから 
古事記に どのように 建国の流れがあったか 知っておくことは 
一定の価値があります。



好き 嫌いは 信じる 信じないは
知った後の話です。  

考古学 言語学 分子生物学 古文書 など付き合わせたときに 
これから わかってくることもあります。

九州と 山陰地方で 話されていた 
縄文語が 
弥生語の 基礎 になっている事がわかっています。

弥生語は 関西に移動して 定着していることがわかっています。
それって 
神武東征の話 と 同じじゃないの?ってことです。

言語の 変化と 
神武天皇の 東征は 
共通するものがあるのではないかな と見ることができます。

天皇家は
霊の元つ国人の ご先祖様で ありますが
皇室とは 

どいうものか ということを 学校で教えませんので 
自ら勉強するしかない状況です。

世界が一家であるならば 
人々が お互いに助け合い 祈り合って より良い 社会を造ろうとする意志が
共生弥栄のミチ を造ってまいります。

日本書紀に
建国の詔(天皇が発する公式な命令) が書かれています。

八紘為宇 (はっこういう)




六号(りくごう)を兼ねて 都を開き 
八紘を 掩(おお)ひて 宇(いえ)と為(な)さむこと 亦可(またよろし)からずや

考古学から 

縄文時代は 
戦争のない時代でしたが 

弥生時代の 
後期・晩期には 戦傷のものが 出てきました。防衛が 主旨の街があった。

しかし 
血みどろの戦い という感じではありません。
おおむね 話し合いが 多いのです。

日本人同士が 戦うことを
神武天皇は 憂いていたわけですね。

もうやめろと。一緒に 協力して 取り組んだら みんな幸せになるはずだと

日本人は みんな 家族みたいなものなんだと。
日本という 島国が 家みたいなものなんだと。

日本人同士が 戦争をするのは 悲しいことだと
日本人は みんな家族だし
日本列島は 私たちの 家 みたいなものだと

みんなで 協力して 
みんなで幸せになろう!と 

そのために 国を建てたわけです。

神武天皇は 八紘為宇 を 宣せられました。

後の 八紘一宇 です。



それは 
八紘を以て 家と為す と いうことであります。
人類は 皆 兄弟であり 同胞(はらから)である 

との
貴い詔を 発せられたのであります。

これは
民(大衆)に 利や幸 となるならば 
天皇も 聖(ひじり)の勤めとして 一緒に歩もう
と 
共生弥栄 のミチを 示されたのです。

スメラミコトの ご直系である 天皇陛下は 
今も 日々 
国家国民の 弥栄えと 世界の安寧を 祈っておられます。




どこの国の人も 自分の国の 建国の精神 を知っています。

日本人として 
神武天皇の 建国の精神 を ぜひ知っておいて ほしいものです。

でも
学校では 教わらないのないのです。

それは
先の大戦で 日本は 敗戦国に なってしまったからです。

この考え方は 普遍的で 2000年前も 
これからも
通用する 価値観なんです。

日本人というものは
古来から 日本の事だけを考えていたわけではないんです。

先人は
世界との パワーバランス 調和を考えて 
そして
我が国を 維持してきてくれたので 

令和の時代を迎えた私たちも それに習ってやっていこう
という事なんです。

私たちは
世界で 最も古い 歴史を持った 民族 であり

古い という事は 神様から 近い。
霊性 という 
私たちの 親である 神様の意思 を感じる 聞く事ができる

霊性の民族 と 言われているんです。



政治では 総理大臣や 大統領など。
また
どこかの国の王 というのも 政権交代があるんです。

しかし
日本には 同一の系統を維持してきた 
万世一系の 天皇 を戴いているんですね。

その 天皇の 祈りの皇室外交は 世界にとっても重要である事を
知っておくべきだと思います。

日本 という国の 祈りの中に 
それが 残っていないと
地球が存続している 意味がないんです。

地球は 大いなる意思 によって 回っているのですから。

古神道で 
惟神(かむながら かんながら) という 言葉が ありますが

ドM の世界で 
1mmも 不信心 があってはいけない。
必ず 神様と つながっている という 境地の事 を言います。



祈り 
というものが 失われたら 
地球 という 閉鎖された空間で 

人間が 自分で全て 考えなくてはいけません。

自然界の摂理を 捻じ曲げて

人間の都合で 何かを動かした時には

必ず 帳尻(ちょうじり)が どこかであってくるんです。
自分たちに 戻ってくるんです。

天に 唾を吐いたら 自分に戻ってくる。

何者かの 
天の意思の 影響を 
私たちは 生かされている限り 逃れられないんです。

民族 によって 担当があるんです。
金融担当 の国。
物質を 開発活用 の得意な国。

日本人は
祈り 担当 というか
中和 仲裁 好譲不争 という役目である事が 
歴史上 明白なんです。

キリスト の説いた 最高の 愛の掟は



アガペー

だと言いますね。自己犠牲を伴う 愛 です。

歴史上
先の大戦 でも 300万人 犠牲を払う事に なりましたが
いつも 日本人 だけが 
何かと 損をしているような イメージがあります。

悪い 損 と 見られがちな事でも 
その反面
思いもしない ひょんな事が 起きるんですね。

必ず 帳尻 が合うように なっている。

日本の国をあげて 原爆を 2つも 落とされて 
大変な 犠牲を払って
欧米列強に 立ち向かった後 どうなったでしょう。



その 結果 として

アジア民族の人々が
日本が 戦ってくれた お蔭で
有色人種が あそこまで 欧米列強に 立ち向かった お蔭で

私たちの国の 独立を 果たしてくれた。

これは
日本が 命がけで 戦ってくれた お蔭 なんだ という事を
日本が いてくれたからこそ 今の我々が あるんだと



現地の 然るべき立場の人たちが 
口をそろえて 言って下さっているそうです。

だから
日本はもっと リーダーシップ を発揮してほしいんだ

言って下さっているそうです。

これだけの 歴史を持った民族 の一員として 
世界の 平和に対して 
それを果たしていく 重大な責任 があるのだと思います。

記憶喪失から 起きろ という事です。

日本国は 国民を幸せにする ために創られた国なんです。

国士とは 一身を顧みず 国のことを思う 士(さむらい)なのです。

私たちは 至らぬながらも 日本人の心 日の本つ国人の精神を 有しているはずです。
いよいよ この日本の国を 建て換えてゆかねばなりません。


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