すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      ~21聖紀をになう子どもたちへ


歴史 近代 ①

明治維新から ポツダム宣言受諾までが 近代になります。
それからの昭和の時代は 現代になります。


侵略の時代

先の大戦で(大東亜戦争・第二次世界大戦・太平洋戦争と よび方の違いがあります)が起こった原因は
今から 600年ほど前の 15世紀の世界の動きを知ることが必要だと思います。

しかし
このような世界の流れの中で 白人の植民地支配に従わない国が 
極東に1つだけありました。



15世紀イタリアの航海者 コロンブスによるアメリカ大陸発見は 白人を中心とした 西欧列強の支配の始まりでした。
おもに ポルトガル・スペイン・イタリアの人々が 新航路・新大陸を発見して 活発な植民地活動をおこなっていた時代でした。

アメリカ大陸の インディオ
アフリカ大陸の 黒人
アジア地域・東南アジアの人々に対して ひどいやり方で多くの人々の命を奪いお金儲けをしました。

アステカも インカも 親切にしたら 全てを奪われてしまいました。




明らかに単なる侵略者だとわかるにもかかわらず なぜ 日本はずっと偉人のように扱われてきたのでしょうか。

19世紀末までには それらのほとんどの民族が 白人の植民地支配をされました。
この事は それまで別々だった 

ヨーロッパ
アジア
アフリカ
アメリカ
の歴史が 15世紀から1本の流れにまとまるようになったという事になります。


そんな ポルトガルが日本に最初にやってきたのが
1543年です。種子島に上陸し 鉄砲を伝えたのはよく知られています。

大金で 2挺の鉄砲を購入します。

国産化するために 鉄砲の製法を研究しますが 
ネジの構造をどうしても ポルトガル人に教えてもらわなければならず
日本の娘を ポルトガル人の嫁に 泣く泣く差し出す事になり 
鉄砲を完成させました。

国産の鉄砲の最初です。
約半年後には 600挺。
1556年には 日本全国で30万挺 以上保有し 高易品に共されていたと伝えられています。

鉄砲が種子島に伝わってから 約6年後
今度は 
ポルトガルから カトリックの宣教師が日本にやってこます。

入信した 九州の 3人のキリシタン大名が イエズス会に土地を寄進し キリスト教の 教えに反するとの理由で
寺社を破壊しまくります。

そして 
何より 豊臣秀吉を激怒させたのは

フランシスコ・ザビエルが 来日した翌年の1550年ごろから 

既にポルトガル人は 日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていた事です。

見せしめに カトリック教徒26人を火炙りにしました。
国法を破って 日本人を売り飛ばした奴隷商人ですから 
この時代の価値観では 死刑になりました。

いい人だけではだめです。したたかな列強の人たちに やられてしまいます。強く賢くなければいけません。



豊臣秀吉は 世界征服を企む カトリックの侵略から日本を守りました。
次に
天下を治めた 徳川家康は 時間をかけて少しづつ 鎖国 を進めていきます。

ヨーロッパでは 最後の宗教戦争 30年戦争が始まったばかりでしたが
日本は巻き込まれずに済みました。

日本との通商貿易を求めてきた ポルトガルと スペインは 追い出されます。

オランダはスペインから独立した 当時 ヨーロッパで最強国でした。

鎖国といっても 4つ 貿易の入口があり 

長崎の出島で オランダと清。
薩摩は琉球。
対馬は朝鮮。
松前はアイヌ。

貿易相手 と言われますが 琉球とアイヌは日本の一部です。



西欧列強による アジアへの侵略の始まり

ヨーロッパ大陸・アフリカ大陸・南アメリカ大陸の 3つの大陸にまたがって 

ポルトガル
スペイン
オランダ
イギリス
フランス の奴隷商人は

ヨーロッパっでつくった ビー玉・武器・木綿などの工業製品を アフリカに運び
そこで
奴隷 と交換した後 
南アメリカの ブラジルや 西インド諸島まで 奴隷を運んで売りさばきました。、

売りさばいたお金で 砂糖 ・綿花 ・タバコ ・コーヒー などを買い ヨーロッパに戻って売りました。

三角貿易という 奴隷貿易によって ヨーロッパは莫大な利益を得ました。

ボストン茶会事件をきっかけに 
イギリス本国と アメリカ植民地との戦いがあり アメリカ独立戦争へとひろがっていきます。

フランスは フランス革命の後 ナポレオン戦争で 命懸けの戦いをしているので 
遠いアジアの日本に本気で構っていられませんでした 。

このころ
11代将軍 徳川家斉(いえなり)の治世は 大奥の最盛期。 
華やかな 町人文化をつくりだしていて 平和ボケで 世界情勢にあまり興味がありません。

イギリスは アメリカ独立戦争に負けた後

今度は フランスとの植民地の争奪戦を くりひろげます。

インドのムガール帝国が イギリスの支配下に入りました。 

イギリスは 木綿製品を インドで売り 
インド産の アヘンを密貿易して 清国に売りさばきました。

清国で アヘン中毒 の人が増えてしまい 清国政府はアヘンを没収して捨て アヘン商人を追放し イギリスとの貿易は禁止しました。
そして アヘン戦争が起こり 



清国は負けて その後100年以上にわたって イギリスの半植民地の立場におかれました。
太平洋地域は 西欧列強による 植民地支配が急速に進んでいきました。


こうしたアジアでの西欧列強の植民地支配の動きは 極東の日本のも大きな影響をもたらし始めました。

19世紀に入ると 日本近海にも ロシア船などの外国船が たびたび現れるようになりましたが

黒船2隻が 浦賀沖に来航して 日本に通商を求めてきました。

当時 イギリスの産業革命の影響を受けて 

ランプの灯火の燃料用として 
マッコウクジラを乱獲し 大西洋にクジラがいなくなってしまったのです。

なので
鯨油 を手に入れる場所として日本を選んで 太平洋に出てきて そして 開国を迫ったという事でした。

黒船は 水平に遠くに飛ばせる 

ペクサン砲

を積んであったのを見て 

そんなものを 江戸の街に撃たれては大変なので 江戸幕府に 通商は考えておきますからと 一度お引き取り願ったわけです。



アメリカには帰らず ペリーたちは その間 琉球にいました。 そこでやりたい放題でした。

その間に 
江戸幕府は 江戸湾に入ってくる黒船に対し 陸上から砲撃できるように 
今の お台場当たりに 人口島をつくっていました。

7か月後 
嘉永7年 1854年3月 
またもや 
二度目の来航。神奈川の浦賀沖に アメリカ海軍の 東インド艦隊司令長官 ペリー提督の黒船が来航しました。

吉田松陰は 黒船情熱密航作戦を企てますが失敗。

そして4年後
安政5年 1858年6月19日 日米修好通商条約 が結ばれました。

この条約は 関税自主権も認められない 不平等な条約でした。
これがきっかけとして
イギリス・フランス・オランダ・ロシア とも 同じ条約を結びました。

この開国によって 西欧列強からの アジア侵略に危機感を持った
 
薩摩・長州・土佐・肥前などの藩が 公家と一緒に

弱腰の江戸幕府を倒して 天皇を中心とした 近代国家に日本をつくり変える運動が始まりました。

明治維新です。




近代国家を目指す

幕末の志士が 

日本ために 多くの日本の若者が 国づくりのために海を渡りました。
異国の地で 亡くなった若者も 
志なかばで命を落とした志士もいました。

幕末は 
徳川幕府が倒れ 王政復古の大号令 戊辰戦争があり 動乱がしばらくありましたけれども
明治新政府が 中央集権体制を整えていきました。 

明治時代は 日本が大躍進を遂げた時代なんですね。
江戸時代までは 吹いたら飛ぶような弱小国だったわけですよ。
現にペリー来航で 黒船が来て 大砲撃つぞ!と言われて 手も足も出なくなってしまった。

それもそのはずです。

ヨーロッパではもう産業革命が終盤にさしかかって 大きな工場がどんどん量産体制をかけていって 

蒸気機関で鉄道は動くは 大きな船は動くは 
そういう時代を迎えていたんですけれども 

日本はまだ 産業革命に至っていませんので 家内制手工業 が中心の国だったわけですよね。

ですから国力が全然違うわけですよ。

幕末までは
日本はまだ弱い立場で 
欧米列強から 勝手気ままに無茶苦茶 言いなりにされちゃったわけですね。
日本は それに気付いて



欧米列強と 対等にやりあう国になりたいと 強い国になりたいと

そういう思いでスタートしたのが 明治時代でした。

そしてそれを成し遂げます。

明治時代の経済は
猛烈な勢いで経済が バコーン!って上がっていったわけですよ。

世界に並ぶ 経済大国になる。
明治の最後のころには欧米列強に並びかけて 完全に並んだのは 大正時代なんですけども 

明治時代は 大国に引けを取らない国に大躍進を遂げた時代です。

口でいうのは簡単なんですけども なかなかできなかったんですよ。

アジア諸国は 
欧米列強に くそみそにやられてしまった訳ですから。
日本は外国の いいところを取り入れながら 経済大国に導いていった時代です。

武家の時代が 700年続いてきたわけですよ。

平安時代末期からの 保元の乱で平氏が実力を持ち実権を握り 
鎌倉に武家政権が立ち 
戦国時代に武家が交代して
最後は徳川の江戸時代も260年くらい続いたわけですから。

いよいよ武家政権の時代が終わります。 



五箇条の御誓文

大政奉還 によって 天皇を中心とする国家体制 をつくっていくという事になったわけです。

新政府は
日本はこれから どんな方針でいくか という事を打ち出します。 日本国民一丸となって方向性を一体化する。
なので 天皇の名で出す必要があったわけです。
それが  『五箇条の御誓文 』です。



慶応4年が 明治元年 に改元されます。西暦で言うと 1868年 3月14日に出されたました。

この時 まだ明治天皇は 14歳の少年です。

お父様の 孝明天皇は
歴代天皇の中で 最も祭祀を大切になさったお一人です。御在位中 国難が続き 

その度に
「国安かれ 民安かれ」 とお祈りになりました。



昭和天皇がマッカーサー元帥に 「自分はどうなっても構わない」 と仰ったように
孝明天皇は 
暗殺説があるように 若くして 突如とし 崩御あそばされたのです。 

死して国を守った帝

命を霊的に御引替えになったかもしれない のではないでしょうか。 

そして明治天皇が突然 天皇になったわけですよ。



この時に 一世一元の制がつくられました。

今までは 
特別悪い事 逆に良い事 の時に世の中の流れを変える・乗る という事で 元号を変えてきましたが 
天皇が即位して崩御まで という 一天皇 一元号 にしようという事が決まります。

五箇条の御誓文は

まだ少年の 明治天皇自身が書き上げたわけではないのですが 

家臣たちが説明して これはあなた様の名前でもって出しますよ
と ご理解をいたでいて 明治天皇の名でもつて出されました。

憲法も 国会も 選挙もない 内閣もできていない時に


一、広ク会議ヲ興シ(おこし) 万機公論二決スべシ
 〇重要なことは 広く優れた人材を集めて 会議を開き  公に議論をして 国の政治は 国全体の事を考えて決める

一、上下(しょうか)心ヲ一(いつ)二シテ 盛二(さかんに)経綸ヲ行ウべシ
 〇上の人も下の人も 身分を問わず 心を一つにして 産業を盛んにし 豊かな国をつくる

一、官武一途庶民ニ至ル迄(まで) 各(おのおの)其(その)志ヲ遂ゲ
   人心ヲシテ倦(う)マザラシメンコトヲ要ス
 〇全ての人の志が実現できるような国にして 人々のやる気が出るような世の中にする

一、旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ天地ノ公道二基(もとづ)クべシ
 〇江戸時代の古い習慣やしきたりにとらわれないで 国際社会のルールに基ずいて国づくりを進める

一、智識ヲ世界二求メ 大二皇基ヲ振起スべシ
 〇優れた知識や文化を世界から学んで 天皇中心の国 日本をいっそう発展させていくべき


重要な事は みんなで議論して決めよう なんてものは

もともと
古事記にも 何かある度に 八百万の神様がゾロゾロ集められて どうしよう こうしようと 議論しながら決まってきましたよね。

聖徳太子の 17条憲法もそうです。


日本の歴史においては 独裁を良し とする思想はありません。

大切なことこそ みんなで智恵を出し合って決めようという。 素晴らしい事だと思いませんか?
2000年前からそうなんです。

一時期 室町時代の足利義満が 独裁制を敷いた時期もありましたけれども 戒めの対象になっています。



神武天皇の 建国の精神がありましたね。みんなで協力して みんなが幸せになる。

この指針が決まっているので団結しやすいのです。 一部の人間が 国をリードするんじゃないんです。

国民の一人一人が 志を持って 人々が 希望 を持てるようにしなければならない。

ある人・ある時代は正しい とか  ある人・ある時代は正しくない とかではなく 

普遍的な道理

いつの時代・誰にとっても これは正しい という そういう物事の判断基準に基づいて

何を変えるか 変えないか を判断する。

5つのポイントしか無いんですが 神武天皇の建国の精神の原点 に帰る。 五箇条の御誓文は 素晴らしいんですよ。
そして 
これは 天皇の名によって出されたものです。

これを実践したら この国は 素晴らしい国になります。
政治家・官僚こそ これを読んいただきたい。

日本は昔から こういう国を善しとしてきた。
こういう思想を受け継いできたので 
五箇条の御誓文は 実に日本らしい。 
日本人が大切にしてきた国の在り方を 端的に示したという風に言えると思います。



帝国憲法起草・発布

幕末維新で 大きく政治体制が変わりました。
江戸時代は 幕府が政治を担ってきたんですけれども 

幕府が倒れて 新政府ができました。

武士が政治を動かす時代を終わらす。 という事になったんですね。
そこで

新しい政治体制をつくっていかなければならない。

幕末の時 ペリーが来て 言いなりにされてしまった。その苦い経験を記憶していました。
日本は強い 独立国に成らなければ 外国の植民地になってしまう。
経済力・軍事力を持って 簡単に言いなりならない強い国を目指したんですね。

これを 富国強兵 といいます。



近代国家に成らなければいけないですね。
近代国家としての 体裁を整えていって ちゃんとした国家運営体制をつくる。

民主主義を導入する事。
憲法を持つ という事が  大変重要になってきます。

明治憲法と言う人もいますが
大日本帝国憲法を略して 帝国憲法です。

憲法という 国家運営のルールを立てて 

国家の意思・運営は こういう体制だよ というのを文字にして定め決めたのが 立憲主義です。

国家は何のためにあるのか から出発しますが

国家の構成員である 国民が自らの意思によって国の在り方を定める。
そして 
国民が幸せになるために 国家があり 
国民が国家の運営体制を定め 国民の意思によって政治が行われていく

というルールの上で 国家運営をしていきましょう というのが

立憲主義と言います。

そのためには 憲法を持たなくてはならない。憲法を持つてこそ初めて 近代国家に成りうる という事です。

憲法を持って 議会を設置して 国民から議員を選んで 議員が議論することによって国の政治の中身を決めていく。





平安時代末期から 700年くらいの間 江戸時代まで 武士が軍事力を使う事によって 政治を動かしてきました。
安政の大獄で 井伊直弼が桜田門外で殺されました。

しかし 幕末の維新の最後。
西南戦争以降は 力づくでは政治は動かないって事になったんです。

憲法ができて ちゃんとしたルールに基ずいて 国の意思決定がされるようになりましたから

2・26事件や5・15事件など 
明治・大正と昭和初期 トップが暗殺されても政治は動かないんですよ。

安保闘争も 安倍内閣の集団的自衛権の時も 
軍事力とか 暗殺とか物理的な実力行使 力でもって 政治を動かそうと思っても動かない という風になったんです。

正しい言論は 選挙を通して 正しく政治を動かす 変えるものであって 
民主主義がなければ
デモとか ストライキとか 暗殺とか クーデターとか 挙兵したもの勝ちで 力ずくで決起してやるしかないですよ。

憲法体制を整えることによって 近代国家となり先進国になれるわけです。

明治9年に 憲法起草の詔(みことのり)が出るんです。

政治の最終責任者 内閣総理大臣の 
確認しましたよ という署名と共に
天皇が発する公式な内容です。

実際に 大日本帝国憲法が発布されるのは 明治22年ですから 

明治9年から
13年かけて つくった事がわかります。こんな長い時間をかけて 憲法を つくる というのは凄い事なんです。

現在の 日本国憲法は 終戦のどさくさの中 GHQの押し付けで 素人が 7日間で書いたから 日本人が書いたものではないから
あれは異常だ
という人がいますが

でも 憲法って そういうものなんですよ。
アメリカ合衆国憲法や フランス憲法。革命や戦争の中 素人が2・3日で書くものなんです。

日本みたいに 10年以上 審議して憲法を立てた国って まぁ なかなかないでしょうね。

幕末の動乱もおさまり 安定した体制になってきた時の
明治9年 憲法起草の詔でした。



「我(わが) 建国ノ体(てい)二基(もとづ)キ」
よその憲法をそのまま 持ってくるのではなく
神武天皇の 日本建国の精神を ちゃんと体現した 日本独自のものにつくりこむ。

「海外各国ノ成法ヲ 斟酌(しんしゃく)シ」        
アメリカやヨーロッパ 各国が持っている 憲法を 読み込んで研究して参考にする。
決して コピペしろっていうのではないんです。


立憲主義は 西洋から入ってきたものですが
西洋のの 受け売りではなく 日本には もともと その考えがありました。

明治天皇がおっしゃった 五箇条の御誓文や 飛鳥時代に聖徳太子が出した 十七条憲法。
古事記の中でも 神々が 八百万の神々が集まって 話し合いをして決めていました。

日本においては
大切な事は みんなで議論して決めなさい。というのが 美徳なんです。。
2000年以上前からなんです。
西洋は みんなで話し合おう なんて考えは つい最近気づいたんです。フランス革命からですからね。

最先端のものが 日本に入ってきたみたいですが 
そもそも 和の精神。 
話し合いをして 政治を決めるなんてものは 2000年以上前から 日本はやっているのだから お手の物なんですよ。

ただ 日本は 文字になっていなかったんです。

ここから 外国から入ってきた 立憲主義を日本人なりに 組み立てていって 上手に機能して
日本はこの後 大躍進を遂げていく事になります。

アジア発の憲法を持ったという事は 日本がこれから 大国に伸し上がっていくうえで 非常に重要な部分を担ったのではないかと思います。

まず 海外の憲法を研究して 理解して
何を取り入れて 何を取り入れない
日本の建国の体って 何。
融合させるのは  何をアレンジすればいいの。

こんなことを 10年間議論するんですよ。

最後の 「朕 将(まさ)二 撰ハントス」
外国の憲法を研究して 日本の建国の体に基づいて 憲法を起草しなさいよ。
そして 私のところに持ってきなさいよ。 
そしたら 私が よし。これにしよう!と選ぶ と 明治天皇はおっしゃっているわけです。

欽定憲法 
といって 君主が定める憲法です。大日本帝国憲法はこれです。

その対比語 として使われるのが
民定憲法です。
国民が 定める。革命で 国王を倒して これから国の主人は 国民だ わぁー!って素人が数日で 憲法を書いた
フランス憲法や アメリカ憲法はこれです。


伊藤博文が 憲法をつくる 最終責任者になりました。
明治15年の段階で
実際に ヨーロッパに憲法調査をしに 学びに行くんです。



明治18年 
内閣制度は発足するんですね。
そして 伊藤博文が初代 内閣総理大臣に就任します。
ちなみに 内閣制度が 発足する前の 最初の内閣総理大臣は 三条実美です。

実際に
憲法と 皇室典範を 起草する役割を担ったのが 井上毅(こわし)です。



この人は 江戸時代幕末の生まれで 江戸時代すでに フランスに留学しているんですよ。
才能で 日本の国に貢献した人で この人がいなければ 
日本は一流国家になっていなかった。世界の大国にいかなかったかもしれません。

日本の事を もっと知らなければ と 井上毅は古典研究を始めるんですね。


ロシアが日本を征服する意図を持って 南下政策を進めていたんです。
日本が 早く体制を整えて 発展した 外国から認められる 
ちゃんとした近代国家とならない限り 日本は 国家を存続させることができない と考えられていたんですね。

急ぎながら 着実に進めなければいけない。それでも 10年以上 かかったんです。

日本の国柄を軸にして憲法をつくるので 
井上毅は 2年間かけて 膨大な量の あらゆる日本古典と 古事記・日本書紀を 何度も 何度も 読み込んでいきました。

要するに
日本って 何なんだ という勉強をしたんです。

憲法というのは その国家の 一番大切なことを スパーン!と言うところから始まるんです。
日本って どんな国ですか?これを 憲法第一条 2行くらいで書け 2000年以上続いてきた 日本を 一言で言え と言われたら 
これは難しいです。

井上毅は 一流の国学者たちと一緒に それを探求するのに 2年かかったんです。
明治天皇も 自ら 憲法の勉強に集中しました。アジアで最も 憲法を熟知した君主です。

伊藤博文は 
ローレンツ・フォン・シュタイン という当時の オーストリアの憲法学者がいるんですけれども
明治天皇の御学友の 藤波言忠’(ことただ)をヨーロッパに留学させ
ローレンツ博士の下 1日 3時間の講義を 9か月 受けたんです。
そして 帰国して 藤波が 明治天皇に講義するわけです。

明治天皇は 自ら憲法を学び だからこそ 政治に関与してはならないと
頑張れ 頑張れ と政治家たちに 力を与えるのに徹して 憲法に徹した方なんです。

それが昭和天皇に そして今の上皇陛下に 天皇陛下に 受け継がれたわけですから。

国の体(てい) 日本って何?というのが 国体(こくたい)です。
国民体育大会ではありません。

憲法第1条 を読んだら あぁ こういう国ね とわかるという事。
各国の憲法も 
アメリカは 議会制 民主主義の基本原理。国民が自由を尊重するという国 が書かれています。
アラブ諸国は 我が国の宗教は イスラム教である と書かれています。
中華人民共和国は わかりやすいですね。

悩んで 悩んで 悩みぬいた 井上毅は 
2000年以上続いてきた 日本を 一言で問え と言われた 答えは

『大日本帝国ハ 万世一系ノ天皇 之(これ)ヲ統治(しら)ス』

日本という国は 天皇が 治す(統治)国 なんだ と答えたわけです。

天照大御神が孫の 邇邇芸命に あなたは地上世界に降り 国を知らせ とおっしゃった。
邇邇芸命の曾孫が 神武天皇ですから 歴代天皇は国を 知らす 存在であったわけです。

日本は 偉そうに命令を下す 独裁ではなく
大切なことは みんなで議論して決める。

なので 天皇は その事情を知る 国の事 国民の事 隅々まで知るのが 天皇なんです。
知ると 祈りたくなるんです。
知るという統治で 国を束ねてきたんです。だから 2000年以上続いてきたんです。



ところが 書いたはいいんですけれども
伊藤博文が
当時もう  「 治(しら)す 」という言葉は 古語になっていて 明治時代使われていなかったんです。
憲法の前文で みんなが知っているような 同じ意味の言葉はないのか
という事で

だったら「 統治 」ですかね という事になりましたが
なんだか 天皇が威張り腐って 全部国の政治を決めるかのような 印象を与えてしまいますよね。

なので 本来であれば 大日本帝国憲法 第一条は 「 治す 」のままでいくべきだと思うんですけれども
そういう事情があって 「統治す」 になってしまいました。
これは
井上毅も 断腸の想いだったと思うんですよね。
しかし 伊藤博文が書いた 憲法の解説書で 
条文では 「統治す」 となっているけれども これは もともと 「治す(知らす)」 の意味で用いているんだよ と
わざわざ 本に書いて出版しています。

でも 多くの人は 
統治 だから 日本って国は 天皇が指図して全部決める国なんでしょう。

誤解されてしまったんですね。


そしてついに 草案が確定して
明治21年 明治天皇に上奏されました。
上奏というのは 天皇の前に 最終的な決めたものを お持ちして許可をいただく という手続きを言います。

帝国憲法案を確定するために つくられた国家機関が 枢密院です。
わざわざ 憲法を審議する国家機関までつくってるんですよ。これは よその国には無い事です。

枢密院で 14日間 憲法について審議され 全部 ここはこういう意味です など 井上毅が答弁するんです。
その枢密院での 全ての議論は 朝から晩まで 明治天皇が臨御(りんぎょ) ご出席されるんです。
足くんだり 頭かいたりなどはなく まるで 銅像のように いつ見ても 同じ姿勢だったそうです。
そして 一度のご発言もなかったそうです。
それは
14日間 ピクリともしないけれど ずっと審議を見ている 明治天皇の前で議論する。
明治天皇がいらっしゃる前で 議論する となると 私利私欲 とか 党利党略ではないですけれども
自分の利益など そんなものはどうでいいです みたいな
日本国の事を考えて 将来 どういう風にあるべきかを 我など関係なしに みんな真剣に議論したみたいなんですよね。

明治天皇の 何も発言が無い。
でも 
ずっと明治天皇が見ている という緊張感の中で 審議するというので 皆で大きな力を出すことになったと思うんですよね。

そして明治天皇から 裁可をいただくことになりました。

明治22年2月11日 大日本帝国憲法 発布式典がおこなわれます。
皇居の 賢所(かしこどころ)。皇居の中に神社みたいなところがあるんですね。
そこに 天照大御神から授けられた 三種の神器 のうちの一つ。八咫鏡(やたのかがみ)が賢所にお祀りされています。
いわゆる 宮中祭祀 と言われるものは ここで行われるんです。



明治天皇が 皇祖皇宗(こうそこうそう) 天照大御神をはじめ 諸々の神様に 
そして 初代 神武天皇から 歴代天皇から伝わるものを 文字にしましたので 憲法を制定するになりました
と 「告文」 を奏上します。
この時の 明治天皇のお姿は 黄櫨染の御袍(こうろぜんのごほう)です。天皇のみが着る事ができる 平安装束です。

神様に 憲法を制定することになりました。 とご報告されました。

平成から令和」に変わる時に 即位礼正殿の儀 が行われましたよね。
高御座 という天皇陛下の 玉座が京都から運ばれ そこで新天皇陛下がお言葉を発せられました。
最も格式が高い部屋。正殿。



その正殿で 大日本帝国憲法 発布式が行われ 発布勅語を朗読なさいます。
歴代天皇から 明治天皇が受け継いできた「 大権 」によってつくったのが 大日本帝国憲法だ という内容です。


ちなみに 日本国憲法が発布されたのは 
昭和22年です。

明治23年には 帝国議会が発足しました。


井上毅が書き残している文章があります。
「我が国の憲法は ヨーロッパの憲法の写しに非ずして すなわち 遠つ御親の不文憲法の今日に発達したるものなり」

成文憲法ではなく 不文憲法 として ヨーロッパを参考にしつつ 文字に書き起こしました。
日本は 2000年以上 統治機構は ちゃんとありました。

憲法の無いところに 憲法を打ち立てたのではありません。
と語っています。

アジアで初めて 立憲主義に乗っ取った憲法というものを持った。
これは 日本が最初という事になります。



日清戦争

日本は 経済成長もしていました。軍隊も持ち始めました。
しかし 世界規模でいえば まだ弱小国です。

朝鮮半島は独立国であってほしいわけです。日本としては それが安泰なんです。
最悪なのは 清の軍隊が 朝鮮半島に入り込むこと。
何か口実を付けて 
ポッ と朝鮮半島から 日本列島に渡ってきたら すぐ九州を制圧されてしまいます。
あと 
ロシアは 明らかに日本の侵略を狙ってましたから
ロシアの軍隊が 朝鮮半島に入ってきたら 日本を狙うための基地になってしまいますからね。
朝鮮半島が無ければどうって事 ないんですけど 朝鮮半島は出っ張ってるから。
朝鮮が自立してくれればいいんですけれども
日本が応援しようとしても 朝鮮の王朝は 清にべったりなんです。

金玉均(きんぎょくきん)という 日本とつながっていた政治家も失脚してしまいました。

明治27年 朝鮮半島で 東学党の乱が起きます。
これは東学党という 民間宗教なんですけども 農民の暴動が起きます。
朝鮮半島には まともな軍隊も警察もないんですよ。
清にべったりで 清に 助けてぇ~ と言えば しょうがないなぁ~ と言って 朝鮮半島に清が軍隊を派遣するんです。
日本が 朝鮮に 一緒に成長しようよ。サポートするし みたいなのを 
清は なにウチの子分に ちょっかい出してんだ。変な事を吹き込まないでくれ という事です。

甲申政変の時に  朝鮮半島には お互いに軍隊を置くのをやめよう となっていましたが 
事情があって 派兵するときは 必ず事前に通知するとかして 朝鮮半島のバランスを保ちましょうと 天津条約を結んでいました。

清は派兵したことを通知します。日本も朝鮮半島の権益を守る為に 軍を派遣するんです。
気づいたら 朝鮮半島に 清と日本の軍隊がいる という感じになるわけです。

日清戦争の戦場は朝鮮半島なんですよ。
朝鮮半島と 遼東半島 と 山東半島の ここら辺で 日本と清が戦闘状態になります。



明治天皇は 何とか戦争を回避できないのか とおっしゃってましたが 結局 戦闘に至ってしまいました。
下関から突撃していくわけですが
広島に大本営が置かれたので 陸海軍の大元帥 最高責任者 明治天皇は 7か月半 広島にいました。
都を離れて 西日本に出征なさるって 飛鳥時代に 百済を救済するという時の 斉明天皇以来の事 1233年ぶりです。

明治天皇のご希望で 粗末な2階建ての小屋で 2階の御座所で 机と椅子だけで 寝る場所もそこでよい という事でした。
剣爾御動座(けんじごどうざ) といって 天皇が動く時には 
三種の神器の 剣と勾玉が 天皇と一緒に 広島に来ていました。

侍従が ソファと 暖房も入れましょう というのですが 
明治天皇は 戦場にソファや 暖房があるのか? とお断りしました。
朝鮮半島 中国大陸で戦闘に従事している将兵たちの事を思えば 
ちょっと不便だとか 暑いだの寒いだの ソファだとか そんなものは なんの不便ではない
とおっしゃるんです。
将兵たちも 明治天皇は そこまで想ってくれているんだ 頑張ろう! となりました。

日本軍は 日本の5倍のGDPを持つ 清の軍隊と戦うんです。

日清戦争の 目的は 朝鮮を独立させる。
別に朝鮮半島を 領土として ほしいわけでもない。朝鮮半島が 独立さえしてくれればいいんです。
清の属国ですから 清にべったりですから 
清がいつでも朝鮮半島に入り込んでしまう それがいやなんです。

国力も小さい。軍隊の装備も遅れているものもある。
大村益次郎 以来 



ちゃんとした軍の近代化をしてるんです。
ちゃんと訓練されている部隊がいて 作戦も上手だったんです。

教育に力を入れてきた という事がよかったんです。

装備がしっかりとしていて
規律が整っていて
よく訓練されていた     この三拍子が整ったんですね。

そして 経済大国の清との闘いはすべての戦闘で 日本は勝利をおさめました。

日清戦争で負けてから 清は弱体化していき  
日本のに負けてんの?じゃあ ウチら ここ取っちゃおうかな みたいな
欧米列強が 清の領土を 侵食していくことになるわけですね。
子分の朝鮮も えっ? 清の親分 こんな清の GDP 1/4 の国と戦って負けてんの?と子分も ドン引きなわけなんですよ。

一気に清が 分割化されていくんです。

戦争は国力があるから 軍事力があるから必ずしも 勝てるわけではないんです。

作戦が しっかりしていて 指揮が高ければ 勝てるんです。



三国干渉

日清戦争で 日本が勝利し  
日本の支援の下 朝鮮が ちゃんとした独立国になるというとは

朝鮮を侵略しようとしていたロシアは
おいおい そこ 入ろうと思ってたんだけどって 面白くないわけです。

こんな 弱小国の日本が戦って 勝っちゃって
遼東半島を取り 台湾と 澎湖(ほうこ)諸島も取った日本。
そして 
朝鮮を支援して独立させることになると 朝鮮は日本にべったりの国になりますよね。

ドイツもフランスも 中国大陸に興味を持ってたので ちょっと 俺たちも取りに行こうぜ ってなっちゃったわけですよ。

そこ起きたのが
三国干渉です。

3つの国が なんか変な干渉をしてきた って事です。ロシア・ドイツ・フランスです。

遼東半島は
山東半島と 朝鮮にもすぐ行けますし 北京にも天津にも すぐ行けます。
満州とも直属しています。
陸地は 山脈があって 行き来は 沿岸部しかできないんです。



遼東半島をおさえるって事は 
敵を 陸路で 半島に来ることを遮断できるし 
海から入ってくる敵も 監視ができるし
すごく 地政学的にも 軍事的に重要な場所なんです。

ロシアは 日本を狙うのには 朝鮮半島がほしい。
中国の権益も考えていますから 湾の入り口の 遼東半島もほしいんですね。

大連があり いい軍港がある旅順。
これをめぐって のちのち日本は ロシアと 日露戦争で戦う事になるのですが

日本は清と戦って 国際条約を結んで 合法的に遼東半島の割譲(かつじ)を受けたんです。
日本の直轄地になったわけです。

ところが
ロシアと ドイツと フランスが共に 遼東半島を返せ! って言い始めたんですよ。
遼東半島 うちも欲しかったんですけど みたいな。

この3か国 関係ないじゃないですか。なんで あんたたちに言われなきゃ なんないんですか?って感じで

清が言うんならわかるんですよ。

突っぱねればいいんですけど まだ日本は弱小国なので 
ロシア・ドイツ・フランス が束になってやってきたら 軍事力が違いすぎますから 日本は太刀打ちできない。

弱小国の日本が どれだけ気合い入れて 訓練・準備・作戦で 日清戦争を勝ったと思ってるんですか。
たくさんの兵隊が死んでるわけじゃないですか。

でも返せ と言われたので 返しちゃったんですよ。

当時の日本人が どれだけ悔しい思いをしたか ですね。

日本が遼東半島を 日本は清に返したので 
明治30年 ロシア軍が 租借という言葉で 清に借りるねって言って ロシアが 遼東半島を占領しちゃったですよ。
イギリスは 山東半島の先 威海衛を占領しちゃいましたよ。
ドイツも 山東半島の南海岸 膠州湾を租借地 としました。
この後 どんどん 清に色々な国が 入り込んでいって 清を分割していっちゃうわけですから。



有色人種を 完全に馬鹿にされてますからね。めちゃくちゃです。

臥薪嘗胆
その時まで 努力して 努力して 努力して いつか果たす。
これが 日本人の 想いでした。

今度は 3か国 4か国も相手にできる強い国になろう!
と 三国干渉されたお蔭で 逆に日本は強くなりました。

それから 10年後。
今度は 日本は ロシアと戦う事になります。日露戦争が起きました。
日本はよくやりますよね。普通嚙みついていかないですよ。

遼東半島は取られた とはいえ 清に承認させました。
しかし 一生懸命 日本は朝鮮に
憲法のつくり方 選挙のやり方 近代化に向けて支援していくのですが 
朝鮮の中の 改革派(親日派)と 保守派(親清派)の間で 猛烈な権力闘争がずっと続くわけなんです。
厄介なのは 朝鮮王室が 真っ二つに分かれていて 朝鮮王室の中で 20年以上 暗殺しあったりして 権力の奪い合いが行われています。
親清派は ロシアとつながっています。
その当時の
朝鮮の国王が 高宗(こうそう)。



奥様が 閔妃(みんび)。



ロシアとべったり つながっている そして日本を毛嫌いしている。
ロシアは 明らかに日本を侵略しようと意としている。ロシアに朝鮮半島に入ってきてほしくないんです。 
しかし 閔妃が
権力を握ってしまったんです。閔一族が政治を動かすんです。
国王の 高宗のお父さんの 
大院君(だいいんくん)と閔妃が めっちゃ仲が悪いわけですよ。



清も 西太后が権力を握るじゃないですか。

こういうのは良くないですよね。
お互い 殺し合いしてるんですよ?お互い いつ自分が毒を盛られるか。
お互い 失脚しても また盛り返すんですよ。しぶとく20年以上 この抗争が終わらないのよ。

こんなことやってる場合ですか!って
清。ロシアと朝鮮を取られたら 日本が外国からやられちゃうって 日本は焦ってるのに
朝鮮の王室内で お互い殺し合いしてるんですからね?

朝鮮には まともな中央政府・まともな軍隊・まともな警察はありません。
誰に頼ったらいいかの 属国で統治能力がないんです。 今はロシアに付きたいなぁ~みたいになっていて

でも 日本は朝鮮がロシアに付かれてしまうと困るので

あの この子 
まだ発展途上で 独り立ちできないから 独り立ちするまでの間 朝鮮に入り込んで保護します。立派になったら出ていきます。

朝鮮を日本の 保護国 とします。

この後 間もなく 激しい抗日派の閔妃は殺されます。

明治28年 全権公使(外交官)である 三浦悟楼という陸軍中将が 閔妃を暗殺します。
しかし いくらなんでもと 関係者 48名の日本人が 広島刑務所にぶち込まれました。

朝鮮の抗日活動が盛んになります。
閔妃から 幽閉されていた 夫 高宗は 小さな箱の中に入って ロシアに亡命し 
親日の父親である 大院君の役人を 全員処刑しました。

高宗は ロシア公館のなかで 新ロシア政権を発足させたので 
日本政府は 朝鮮政府とのコンタクトが取れなくなりました。

そうこうしているうちに 朝鮮の民衆が 高宗 なにロシアに行ってんだぁ と不振が高まり 
高宗はロシアから帰ってきました。

朝鮮に戻った 高宗は ロシア公館に かくまってもらっていたのも忘れて
実態は まともな中央政府・まともな軍隊・まともな警察もない状態ですが 
大韓帝国 という 帝国を立てました。

名前は大きくつきましたが 内輪もめで 朝鮮の近代化がなかなか進みません。



日露戦争

ロシアの勢力が朝鮮半島に入るのが一番嫌っていたのですが 
日清戦争に勝ちまして 
日本がサポートしながら朝鮮が近代国家として 自立してくれることを期していたのですが
なかなかうまくいかない 朝鮮の どろどろの国内の政治でした。
右行こうとすると 左。左行こうとすると 右。というような めちゃくちゃな状態でした。

日本は ロシアに怯えているんです。
ロシアも明らかに 日本征服 侵略 を狙っているんですよ。
日本にある 冬でも港が 凍らない 不凍港 が欲しいわけですよ。朝鮮半島 遼東半島 ここら辺に触手を伸ばしていきたいわけですよ。
朝鮮半島を 拠点として 対馬 壱岐 があって そして九州。
対馬の目の前に 釜山があるんです。釜山の携帯の電波を受けちゃうくらいですから 60Km すぐですよ。
朝鮮半島から 九州 西日本 という風に攻めていく というのが ロシアに日本攻略 となるわけです。

当時 ロシアは 海軍は 世界で第3位 陸軍は 第1位です。
この強敵 ロシアが本気で 日本を狙ったらひとたまりもないという事です。

朝鮮半島に ロシアと清 が入ってきたら 目も当てられないわけです。
なので 日清戦争で 朝鮮を打ち取ったのですが 朝鮮の近代化が進まないわけです。

そして
清の都 北京で 義和団事件 というのが起きるんですね。

清には 色々な外国の勢力が入り込んでいて 清国内で 外国人を排斥せよ! という運動が起きます。

当時 清でい一番力を持っていたのが 西太后 という女性です。



西太后が 外国人排斥 に乗っかって いきなり諸外国に 宣戦布告をしちゃいます。
清は 人口・経済もそこそこあるのですが 近代化されていませんから 
西洋の国と一戦交えたら うまくいくわけないですよ。

結果 義和団事件といって 
北京に各国の行使団があるのですが 農民」の起こした 外国人行使団排斥運動に  清国自体が 後押しして 焼き討ちしてしまうんです。
日本も 北京に行使官を出していて 8か国(イギリスの植民地のインドも含めて)が 連合軍を結成するんですね。
この連合軍が あっという間に鎮圧。 北京の紫禁城を制圧してしまいます。



この小競り合いも終結しましたので じゃあみんな 帰ろう帰ろう とするのですが
唯一 ロシア軍だけ 満州辺りに 居座っちゃうんですよ。
1年経っても 2年経っても ずっ~と居座ってるんです。不気味なんです。

ロシアが 朝鮮に入ったら 即戦争です。朝鮮半島を要塞化されたら やられちゃいますから その時は即開戦。蹴散らさないと。

今の 尖閣みたいなもんです。ちょろちょろ漁船が入ってきますよね。
尖閣諸島に 中国が上陸した途端 戦争ですからね。 

ロシアさん 満州辺りに 何の用事があるんですかね?義和団事件はもう終わりましたよ。
みんな帰りましたよね。そろそろ帰りませんか?

交渉するんですけど いや ちょっと と居座っているので

これは いつかロシアと 対決しなければならない時が来るかもしれない という事で 研究を積み上げていくんですね。
その間にも 欧米がアジアに どんどん植民地をつくっていくんですね。

日本は幸いにも この時 
明治33年ですから 富国強兵で しっかりとした軍隊をもって そう簡単に日本は侵略できないとこまで来てますけど

アジアの国には吹いたら飛ぶような国が 多かったわけですよ。

とはいえ まだ日本は弱小国なので ロシアと戦ったら 世界が味方してくれるのかが 気になるところでした。
ヨーロッパやアメリカ と 外交をして 友好を高めて 積み上げてきたんです。

小村寿太郎が イギリスと交渉をして 日英同盟 を結ぶんですよ。
日本が 明治維新後 初めて同盟を 結んだんですけれども
ロシアと対抗できる 最大の環境を手に入れたんです。

日米とも当時は良好でした。

日本は最大限譲歩した提案を ロシアに出すんですね。
満州に ロシア人がいていけども 満州から朝鮮に入ってこないでね。南下してこないでね。干渉しないでね。
朝鮮は日本が 保護しますからね。という お互いの権益を認めましょう という
満韓交換論です。

ところが 日本みたいな小国が ロシア皇帝様に何言ってんだ。こんなもん結べるかって 拒絶してくるんですね。
日本を甘く見てたんですね。

満朝交換論を 拒絶されたらもう 戦争しかない という事です。
しかし
明治天皇は 本当に戦争を避ける方法はないのか。
と御下問になるわけですね。

そして また議論をします。でも やっぱり戦争しかない という事になるんです。
明治天皇は 御前会議で 日露国交断絶を 裁可なさいます。
このころは 食事も喉を通らない という事になってしまい 食事もあまり召し上がらないという事でした。

御前会議の後 奥にお入りになって 
今回の戦いは 朕が意思にあらず 
しかれども ここに至る これを遺憾ともすべか

今回の戦いは 私の意志ではないんだけれども どうしようもないところに至ってしまった
この戦争におよんで 万が一 負けるような事があったら 私はどのようにして 歴代天皇と国民に対して顔向けができるのか

戦争に負ける という事は 国が亡びる という事です。
戦争に負ける という事は 日本が 植民地になる という事です。
日本が全員 奴隷になる っていう事なんです。

方法がない 方法がない と言うけど じゃあ戦争が失敗したら どうするんだよ
という事で
明治天皇は 人知れず 涙を流した という事です。



当時のアメリカ大統領は 日本が成長しているのを 喜んでくれているかのような 親日の セオドア ルーズベルトです。
日本からは 日露戦争の前に ハーバード大学を卒業している 金子堅太郎を アメリカに派遣します。
しかも セオドア ルーズベルト大統領と 金子堅太郎は ハーバード大学の同窓生です。



今度 ロシアと戦争するんですけど  えぇ!大丈夫なの? みたいな会話をして
アメリカの大統領に 事情を説明して 理解と協力をしてもらって 最後 戦争終結の時は アメリカに仲裁してもらうところまで計算して
事前にアメリカと すり合わせが終わっているわけです。

三国干渉で 遼東半島を返さなくてはならなかった事に 日本人は相当怒ってるんですね。
遼東半島を落とさなくては行けないというのが 日露戦争の目的です。

日露戦争は 3つの戦闘は
旅順攻略作戦 と 
奉天開戦。
大連の先の 旅順 という港と 奥にある 奉天 という街。この2か所を 落としていくわけなんですね。



あと ヨーロッパの方にいた 世界最強と言われた ロシアのバルチック艦隊が
アフリカから ぐるっと回ってきて駆けつけるわけですよ。そして 日本海に入ってくる。
そこで 
日本海海戦 が行われます。

海軍は 日本海海戦。
陸軍は 旅順と奉天。

下関・広島と国内にも拠点がありましたが
大事な作戦拠点をどこに持ってきたかというと ソウルです。

そして 明治37年 日露戦争が始まります。

2月8日 旅順にいた ロシア艦隊を攻撃するのと同時に 
今まで清の属国だったのが 立派な名前になった 大韓帝国の ソウルに入場します。
そこで ソウルを使わせてもらうから と なぜ 日露戦争に至ったか よく説明をし 日韓議定書を結びます。
内容は
大韓帝国は 外国の侵略に対する 日本の行動に便宜を与える。  朝鮮半島の 道や港を使ってもいいですよ という事です。
その代わり 日本は 大韓帝国の独立を保証する。           日本が守るからね という事です。
日本の承認なしに 大韓帝国は外国と条約を結んではいけない。   勝手に外商しないでね という事です。

別に日本は 朝鮮半島が欲しいわけではないんです。朝鮮が独立国となって 自立してくれればいいんです。
日本は 日本列島を守るだけなんです。

問題は 戦争が始まったら お金が尽きちゃったんですね。日本お金ない。
そこで
大役を仰せつかったのが 日銀副総裁の 高橋是清 です。
この人がいなかったら 日露戦争 勝てなかったんじゃないかなと思います。

戦費調達。
日本円を刷ったからといって大丈夫ではないんです。外国から 資源 とか武器 とか入れてこないといけないので
当時 日本円は 国際的に価値がなかったので 世界は日本円を受け取らないんです。
外国から お金を借りるしかなかった。
借金をして 戦争をする という事です。

これを 高橋是清 1人でやったんですからね。この人は 総理大臣も大蔵大臣もやった人です。
日本の近代において かなり重要な役割をしてくださいました。
あだなが だるまさん です。



昭和恐慌から抜け出せたのも この人のお蔭です。
でも 惜しくも 2・26事件で暗殺されてしまいます。

一番信用されるのは 正貨といって 金であり イギリス紙幣のポンドは ペッグ(固定)だったので 金に替えられたんです。
戦費調達は ポンドを調達して 金を調達する事なんです。

日本はもともと 金の出る国でしたが 金の保有が少なくなり ポンドを借りて 金に変えるしかありませんでした。

船でニューヨークの投資家に会いにって 話をして 今度はイギリスに行って 金融の中心地ロンドンで戦費調達をしようとするんです。
しかし 当時 日本がロシアに勝つ なんて誰も思ってませんので 
もし日本が負けたら 賠償金をとられる側だから 貸した金は返ってこないじゃないか と見られていたんですね。

そのころ
朝鮮 と清の 境目にいる ロシア軍を抑えるんです。その話が世界に流れて 
日本 もしかしてやるかも となり 
ヤコブシフ という人が 投資に乗り 高橋是清と ヤコブシフ との縁で 形勢が逆転していきました。
結局 投資家たちから 1億3千万ポンドを調達して 日露戦争をやりきる事ができました。

遼東半島の先 大連の街に旅順 という軍港があります.。この軍港と 
旅順を見渡せる 
山の高さが標高203mだったという事で 203高地という旅順要塞を ロシア軍が抑えているわけです。

そこを落とすのが大変だったわけです。
日本軍 約13万人 投入されています。亡くなったのは 1万5千人です。10%以上です。
重たい傷を負った 負傷者は 4万5千人です。 
軍事要塞を落とすというのは 結構大変なんです。
でも 世界の歴史から見ると 要塞 や 城を落とすのには この人数でも 死傷者を少なく抑えられた例です。

その後 奉天開戦です。
日本軍と ロシア軍 合わせて 60万人ですよ。大群同士が ぶつかり合ったんです。
日本軍とロシア軍の 死傷者37万人です。世界の陸戦史上 まれにみる でかい規模の戦闘ですよ。
日本軍は 死者 1万6千人 負傷者は 6万人。

この2か所で 日本人死者 3万人超えです。

そこで 日本軍は勝つわけなんですけれども
日本軍の大将 乃木希典(まれすけ)の 自分の2人の息子も 戦死しています。

明治天皇が 当時の参謀総長の山縣有朋に 
くれぐれも 敵の将兵たちを侮辱することのないように
名誉を傷つけることのないように せよ と命令を出します。

乃木希典とステッセリの 水師営の会見。



明治38年 5月27日 日本海海戦
普段はヨーロッパにいる ロシアのバルチック艦隊が駆け付けます。
これを 迎え撃ったのが 日本海軍。
軍艦 三笠 の東郷平八郎司令官長率いる 連合艦隊です。
敗戦すれば 日本はロシアに併合されてしまうのです。
この海戦は まさに祖国防衛戦でありました



Z旗を掲げ



皇国ノ興廃 此ノ一戦二在り

皇国とは万世一系の天皇(すめらみこと)のお在します 日の本つ国であり 
その命運が この一戦にかかっている と告げたのであります。

日本は ロシアを撃破し 奇跡的な勝利をおさめ 世界の列強として認められたのみならず
植民地化された国々に 勇気と希望を与えたのであります。

ほぼ全滅させてしまったんですよね。日本側は ほぼ無傷だったんです。

世界が ビックリしちゃって 
弱小の連合艦隊が バルチック艦隊をほぼ全滅。日本は ほぼ無傷。

日本海海戦で 
ロシア軍の船は 21隻 沈没。 6隻 拿捕。中立国に拿捕 6隻。             
日本は 水雷艇 3隻。 沈没。 
                     
ロシア軍の死者数は 4830人。捕虜 6106人。   日本軍 死者 117人


日露戦争で 3ヶ所 日本は勝ってしまいました。

アメリカ大統領 セオドア ルーズベルトは 狂喜乱舞して 日本の勝利を喜びます。
金子堅太郎に 手紙を書いていて 文章の最後に  BANZAI!!!  と書いています。

そして セオドア ルーズベルト アメリカ大統領の仲裁で ポーツマス条約が結ばれます。

華々しい戦果でした。とはいえ 3万人以上 日本人が死んでますからね。

明治天皇は
そのことを知っているわけです。
明治天皇の憂いは 日本人の死者だけではありません。ロシア兵が死ぬことも 心を痛めているんですね。
本来であれば 戦争を回避したかったわけです。
回避できなかったとしたら 一日も早く できるだけ戦士者が少ない状態で 終戦に持ち込みたいわけです。

明治天皇に 華々しい 戦況が伝えられても 
明治天皇は 表情を一つも変えることがなかった と伝えられております。
それどころか いつも厳しい顔をして うむ うむ と聞いてらした という事なんです。

そして 日露戦争のさ中に詠まれた 有名な御製(ぎょせい)があります。
「 よもの海 みなはらからと 思う世に など波風のたちさわぐらむ 」



よもの海は 4つの方向の海です。
世界の海は 1つに続がっています。

世界の海は1つであるのに なぜ波風が立つのであろうか
なぜ 人々は争い 戦争をするのであろうか

結果はともかく 戦争に至ってしまった という事自体が 明治天皇にしては 悲しみであり 苦しみなんですよね。

多くの ロシア人捕虜は 日本に連れ帰り お客様 のように扱うんです。

四国の松山に連れていかれた ロシア人捕虜には 医師 通訳 薬剤師 看護士 に 洋式のベッド 洋食。
日本兵が 捕まったら 和食だしてもらった事が あるんでしょうか?多分 ないと思います。
病室には 2・3日ごとに 切り花が飾られたっていうんです。

もう ごたごたしたくないので 負けたロシアから 日本は 賠償金はとりませんでした。
日本内で
賠償金を取らないことに 怒った人々がいて 日比谷焼き討ち事件が起きてしまいました。


ロシアに 朝鮮における 日本の優越権を 認めさせました。
日本はこれから朝鮮に関与していくので ロシアは関わらないでね。
という事です。

旅順と 大連の租借権です。日本が使いますよ。という事です。
樺太の南半分は 日本のものになりました。
あと 沿海州 カムチャッカ半島周辺での 日本の漁業権を認めさせました。

臥薪嘗胆。
明るい 未来に希望をもって 今の苦労に耐える。
めちゃくちゃ強い ロシアに有色人種が 白色人種に 勝った。近代で初めてです。


この後 日本は 韓国併合します。

保護国のまま 近代化させて ゆくゆくは独立させていくのか。 
なんならいっその事 併合していくのか。
意見が分かれていたんです。

併合すると 朝鮮人が 日本人になってしまいます。 インフラ整備や 産業や 教育や 色々な面で
朝鮮と日本に格差があるとだめですよね。
今までも資金協力をしてきましたが これ以上の朝鮮への投資は負担が大きすぎると

保護国まま独立に導こう という方が優勢だったわけです。

ところが 
できれば併合はしないほうがいい という考えで 朝鮮のよき理解者だった 

伊藤博文が
明治42年 安重根(あんじゅうこん) という朝鮮人の青年に ハルピン駅で 暗殺されます。

これによって もう朝鮮を日本に 併合した方が いいんじゃないか と世論が変わります。
日本の負担は大きくなるけれども 併合までもっていこう という事に決まりました。

明治43年 日韓併合条約が結ばれました。

失脚した 高宗から 息子の 純宗(じゅんそう)皇帝になりましたが

朝鮮の病は 悪化する一方で 打つ手もない。財政も破綻している。
なので 日本に統治してもらうのが 一番いい。
と言っています。

保護国より 併合の方が格上なのです。
併合すれば 国籍も日本になるので 政治にも参加できます。総理大臣にもなれますよ。
保護国の方が植民地に近いです。
植民地にする時に 国籍なんか渡さないですよ。

いつ ベトナム人が フランス国籍を取りました?
いつ フィリピン人に アメリカ国籍を得ました?
いつ 香港人が イギリス国籍を取ったんです?
いつ インドネシア人に オランダ国籍を渡しましたか?

併合して 韓国は日本国になり 
朝鮮人は 全員日本国籍を持ったんですよ。

小学校をつくり 鉄道を敷いて 発電所つくって 帝国大学もつくって 世界最大のダムもつくって
インフラ整備に 日本本土寄りも 大きなお金をどんどん 朝鮮に投入して 
日本と同じレベルに引き上げなきゃいけないから



日本にとっては 負担が大きいんですよ。

欧米列強が植民地を持つ というのは すぐ利益を出すためです。植民地の人の労働の成果を 吸い上げるんだから。

よく韓国を 日本が植民地にした と言いますが 植民地という言葉の定義次第でしょうよ。
実態は
日本人が働いたお金を 朝鮮に 上納して 負担して 負担して 負担して。
これ 逆植民地じゃないんですか?

なぜ そこまでしたかというと ロシア と中国に 朝鮮だけは 彼らに入ってきてほしくない。
朝鮮に入られたら 日本は終わりです。

明治43年 日韓併合してから 昭和19年 までの間に 14億円以上 朝鮮に出しています。
朝鮮から なんも 吸い上げてないんですよ。

朝鮮王 と朝鮮皇族 もつくりました。保証もしました。
朝鮮に こんないいもの あるじゃない 使いなさいよ と 
もともと朝鮮にあった ハングルを教えたのも 日本人です。


そうこうしている間に 
1911年 辛亥革命が起きて 清が 滅亡して 中華民国 ができるわけです。 
ロシア革命が起きて ロシアが ソ連 になるんです。



明治45年 7月30日 明治天皇 崩御。59歳。

明治天皇は何をした人ですか?
といったら 何をした というのは 一言で言うのは難しい。
ただ 明治天皇がいらした御蔭で みんな一致団結して 力を合わせて 日本を近代化することができた。

いいうなれば 
一歩間違えれば 国ごと無くなっていたかもしれないところを

日本を 短期間に 近代化に導いた。
日本を アジアの端っこの小国を 列強に並ぶ 力強い大国に押し上げた
そういう存在だった と思います。


次の 大正天皇。 明治天皇のお子様が 直ちに ご即位になられます。
大正天皇の時代に 日本は完全に 世界の大国入りを果たす事になります。



日露戦争の時に 高橋是清が借りてくれた 日本の借金も 大正時代に返済ができました。
お金を借りていた立場の日本が お金を貸す立場にもなりました。

ただし 物事が急に進展すると 歪みが出てきます。

経済がよくなった結果 何が起きたかというと お米の価格が上がってしまいました。
お金持ちは どうって事ないかもしれませんが ぎりぎり生活している人は 困ってしまうわけですね。
価格が上がる とわかると 買い占める人がいるんです。すると さらに価格が上がります。

米騒動 というのが起きます。

政治不信も起こります。
幕末からの 薩摩・長州 から そろそろ新しくならないの?って事で

桂太郎内閣が 組閣した時から 護憲運動が始まり 
寺内内閣から 原敬内閣になり 原敬(はらたかし)は 平民出身で 一般の人から総理大臣が出た という事で
立憲政友会 といって 選挙を通しての 政治の流れを 大きく変える事になりました。



憲政の常道 といって 常に行わなければならない原則。基本のルールがありますが

憲法 というのは ザックリと 大まかにしか書いていないので 具体的な運用というのは 慣習の積み重ねなんです。
細かいことは実際に積み上げていって 悪いものは 正される。良いものは 残っていく。
というように 運用でカバーしているんです。

そういう 基本ルールの上に
やりながら向上していく。 原内閣ができたことによって かなり精度の高い 民主主義が動き始めた という事です。

吉野作造は



民主主義(デモクラシー)というと 上下関係で 民が主権を握るのか?
と とらえて考える人が出てきたり

この時は ラジオも始まって 新聞も精度よくつくられるようになり 雑誌も出始めました。
言論という 色々な人が発言をして 議論が闊達に行われるようになったんです。
自己主張 が優先ではなく

民本(みんぽん)主義 という 
民のための政治が行われるかどうか が重要
という考え方を典掌・担当するんです。

リンカーンの 人民の 人民による 人民のための 政治

政治の理想を語った という事です。

天皇はの幸せは 国民の幸せだから 
天皇があってこその 民主主義・民本主義 という事を伝えています。

美濃部達吉は
この人は 憲法学者で
天皇機関説 というの出して 昭和に入って 議会でで大問題となりました。



天皇 というのは国家機関だ という話なんです。それだけ聞くと 不敬だ となるのですが

今の日本国憲法を見ると 天皇の権能 と書いてあります。
国会を召集するとか 内閣総理大臣を任命するとか。天皇という国家機関が 総理大臣を任命するわけです。
そういう条文の天皇は 国家機関の天皇ですよ。

でも
天皇が崩じた時 皇子が直ちに即位する と書いてあります。
この条文の天皇は 国家機関ではないですよね。
天皇が亡くなった時 国家機関は死なないじゃないですか。
亡くなるのは 生身の人間です。

同じ 日本国憲法の中にも 
国家機関 という意味で使っている意味と
生身の人間 として使われている天皇は
同じ文字ですけれども 意味が違うんですよ。

天皇 という器。玉座。地位 があり そこに天皇という生身の人間がいらっしゃる。
玉座は 国家機関としての天皇で そこに座っていらっしやる方も 天皇 とお呼びする。

陛下御機嫌はいかがですか? って 国家機関に御機嫌もないんですから。
天皇 という地位に 天皇という方が付いていらっしゃるわけだから 両方あるはずなんですね。

大正時代は こんな議論も 自由闊達にできる時代でした。
大正14年 25歳以上の 男子全員に 普通選挙法が施行されました。女性の選挙権は もう少し後になります。

共産主義の影響もあるんでしょう。社会運動が起きてきて
労働者の権利 の主張も行われました。

そんな中の
第一次世界大戦です。





ヨーロッパで起きた戦争ですが 日本は参戦して 戦勝国になります。 

イギリスとドイツが戦ってますから  日英同盟を結んでいるので 集団的自衛権です。 日本は山東半島にいるドイツをやっつけるわけです。
山東(さんとん)半島と そして青島(ちんたお)を抑えます。 
清から 中華民国になった後 
結局は 権益を中華民国に 引き渡すんですけれども 支那大陸のドイツの権益を 取ります。
それから
赤道から南側は オーストラリアの委任統治となり

ドイツが植民地にしていた 南洋諸島の広大な面積。
国際連盟から 委任される形で そのまま日本が統治することになりました。

マリアナ諸島からサイパン島 テニアン島 パラオ諸島 マーシャル諸島 ビキニ。
全部 日本だったですよ。
パラオにあるコロール島 という島に 南洋町 という 南洋諸島を統治する 行政府が置かれます。紙幣も発行しました。



グアムは アメリカが抑えてます。

このまま マリアナ諸島をしっかり守っておけば 
ここから B29が 飛び立ち 東京大空襲や 広島・長崎に原爆を落とせなかったんですね。

第二次世界大戦で 占領したと思われがちなんですけど

第一次世界大戦の結果で 日本が勝手に取ったわけではなくて
ドイツが植民地 として持っていたもの それを放棄させられたものを 南洋諸島周辺の 常任理事国は 
日本しかないでしょ
という事で 国際連盟からの 委任統治することになっただけなんです。

あと
中国大陸の清の ドイツが抑えていた 山東半島と青島の権益を 一旦受け継ぎます。
辛亥革命の後 中華民国に返すんですけれども 
その時 
対華21か条要求を出して 

21個も 日本が あれせい これせい と日本は 無理難題の 好きな事を書いた と言われますが
実際には 
第一次世界大戦後の ワシントン会議で 10か条に落とし込んでいますので 

対支那10か条要求 というのが正しい言い方です。 

第一次世界大戦というのは 戦っている兵隊たちが 何で 俺たちこの国と戦ってるのか意味がわからない
と戦っているんです。

大正3年 1914年 
ボスニアのサラエボ というところで
オーストリアの皇太子が セルビア人の若者に暗殺される という事件が起きました。
これが 引き金になってしまうんですね。

普通 戦争というのは 解決困難な懸案があって ついに軍事衝突がる というイメージがあると思うのですが
第一次世界大戦は 揉めてないし なんでここを攻めているのかわからないまま 戦っている兵隊たちだったと思うんですね

これは プログラム で起きた戦争なんですよ。



宣戦布告というのは これから攻めるぞ!と言ってから攻めるんです。
宣戦布告しないで攻めると 国際法違反ですから。

①オーストリアとハンガリーが セルビアに 宣戦布告します。
②ロシアが 軍が暴走して 総動員をかけます。万が一にかけて兵隊を集める。
③ドイツは 地政学的に 力のある国に囲まれているので ロシア総動員のため ウチも万が一に備えて と ドイツも総動員をかける。
 ロシアと ドイツが にらみ合う形になる。
④ついに ドイツが ロシアに宣戦布告します。
⑤フランスも 総動員をかける。ドイツが先に ベルギー を潰したが
ドイツの 次はロシアへ というのが フェイクニュースで ドイツがこっちに来たら大変。
⑥でも フランスは ドイツに瞬殺。
⑦イギリスが総動員をかけてから ドイツに宣戦布告。



どこの国も 何かあったら大変だから 戦わせろ 戦わせろって 軍と民衆が暴走して 総動員をかけて 集まってきて
ヨーロッパのほぼ全土が 戦場になりました。
恨んでてとか 揉めてるとか何もなく  いきなりドンパチ始まっちゃったですよ。

日本は ヨーロッパの地中海まで 艦隊を派遣しています。
ドイツの 潜水艦から 商船や輸送船を護衛したんです。

大正7年 1918年 第一次世界大戦が終結しました。
大正8年      パリ講和会議 ベルサイユ条約が締結されます。国際連盟が発足します。
今の国際連合の前身です。

日本は 国連の常任理事国になります。5大国の一員になるんですね。

そこで 日本は 人種差別撤廃 という提案をしました。
国際社会で
人種差別撤廃 が議論に上がったのは 人類の歴史上 この時が初めてです。

アジア人が ひどい差別をされてきているのを 見てきましたので
日本が 有色人種の中で 唯一 大国に入ったわけですよ。
その 日本が言わなくて 誰が言うんだ という話ですよ。

もう 肌の色で差別なんて やめませんか? という話を出したわけです。

賛成多数 だったのですが 全会一致にならなかったので この時は 否決されてしまいました。

この後 第二次世界大戦を経て 国際連合 ができまして 人種差別は 条約として結ばれることになりましたけれども
世界で初めて 人種差別は撤廃するべきだ と真剣に提案をしたのは 



日本だったのです。


第一次世界大戦というのは プログラムで 開戦 開戦 開戦 となっちゃったわけで 
始まった以上 負けていい戦争は無いので やるしかないので
結局 誰も悪くないんですよね。
そして 勝った奴が 正しい。負けたやつが 悪だ となるんです。

これが
第二次世界大戦の遠因 といいますか

敗戦国のドイツに ものすごい天文学的な 巨額な賠償をかけ 戦勝国は一切 賠償しなくていです という事になり
全部 ドイツのせい。ドイツが悪い。以上。とやったわけです。

ドイツは 工業力があり 稼げるので すぐ立ち上がってくるんですよ。返せちゃうんです。

っていうかさぁ 何で俺たちだけ 賠償金払ってんの?おかしくね?  という話で
ベルサイユ条約なんか くそくらえだ!と民衆の関心をさらっていったのが ひっとラ~です。
世界征服に向かってしまうんです。

そして 第二次世界大戦となるんです。

その時に 日本はドイツと組んじゃうだから
お友達を間違えると 人生棒に振るんですよ。


当時 アジアの独立国は タイ と 日本だけです。

思い起こせば 幕末の時は 弱小国でした。
ペリー来航から 約50年。 わずか半世紀後です。
日本は 国連の常任理事国になります。経済規模 軍事規模と 大国になった。 5大国の一員になるんですね。

第二次世界大戦が終わって 戦後の経済復興を果たして 高度経済成長で 初めて豊かになったぁ と思ったら大間違いで
実は 大正時代の日本って すごかったんです。



日露戦争の後 ロシアは急に 国力が落ちました。
日本は 対米戦争で 負けた後 日本国は残りましたが
普通は 戦争で負けると 国は滅びます。

ロシアも 超大国ですが 日本に負けてしまいました。

再建に取り組もうと していたのですが

第一次世界大戦終結の 前の年
大正6年 1917年
ロシアで 2つの革命が起きました。

2月革命 と 10月革命です。これを合わせて ロシア革命 といいます。

2月革命は  ロシア帝国が 滅びます。
10月革命は 社会主義を 競合している共産党が 絶対的な権力を握って 社会主義国家 共産主義国家 の ソビエトが 成立します。

ロシア帝国がなくなり ソビエト が成立するということになります。

共産主義の思想の原点は どこから来ているかというと フランス革命からです。
フランス革命の後 社会主義・共産主義 というのが 形成されていって

戦争に負けて 経済もよくないロシアの状況の中で 
ラスプーチン という人が ロシア皇族に近づき 国を混乱させたんです。
それで 
民衆が 激怒して やってられるか と 民衆の放棄が起きて

あとは
コミンテルン という 社会主義革命を起こそうとするグループが 上手にマッチしちゃったんです。

共産主義勢力が 乗っかってしまうわけです。
そこで 不満と一体となって 実際に 2月革命を 起こして ロマノフ王朝・ロシア帝国を滅ぼしてしまうんですね。

その後 まともな国ができれば良かったんですが 
10月革命によって
共産党のトップ レ~にん 率いる 共産党が他の勢力を 圧倒してしまい 一党独裁制 ソビエト連邦をつくっていきました。
世界初の 社会主義・共産主義を 表号する国ができるわけなんです。
世界征服 を目論んでいるんですね。

ロシア帝国が 潰れて ソビエト連邦 となり とんでもない狂暴な国に なってしまった。
革命のためなら 手段を選ばないんですね。なんでもするんです。武力革命です。

よその国も 全部 革命を起こしてやるって コミンテルンっていう組織が あっこっちにできたわけです。
日本にも コミンテルン日本支部の共産党 ができたわけです。
労働者を主役とした 社会主義・共産主義 国家を建てる。手段は選ばない。闘争だ!武力革命だ!というのが 始まりです。

始めは 社会主義・共産主義 というのは それなりに期待されたんですよ。
産業革命以降 
自由主義・資本主義に 取りこぼされた人もいるんですよ。

なんだ 自分たち 貧しいじゃんか。資本家はいいですよ。お金もあって。 
労働者でも いいところで仕事してる人は 給料が高くて いいかもしれないけど
かたや 賃金が低くて ぎりぎりの生活をしている労働者もいるわけです。

自分はちっとも 幸せになれない。奴隷と一緒じゃない と不満を持つ人もいるわけです。

そういう人にとっては 社会主義・共産主義というは バラ色に聞こえるわけですよ。

国土も 会社も 工事も 全部みんなのもの。私有財産は認めない。
みんなで 配分するから 金持ちもいないし 貧乏人もいない。
みんな 平等に分け合って 与えられる。そしたら みんなで 幸せになれるんじゃなぁ~い?
これを
ユートピア とよんだんですよ。人間にとっての 楽園ができるということです。

これは レ~にん が立ち上げ すた~リん が 受け継いでいくんですけれども
理想を追い求める これは 机上の空論ですよ。

こういう風になったら こういう風に 豊かな国になるはずだ という頭の中でつくりだした国の体制なわけです。
試行錯誤しながら 徐々に出来てきたものでは ないんです。

革命で ドンっ!てやりましたけど 貧しい人からは 希望の星として ぜひやってくれと
全ての持ち物は みんなの持ち物で みんなで財産を共有して みんなで幸せになれる。労働者が主役ですよ~ と
言われて 労働者は期待したわけです。

確かに 当初はうまくいったんですよ。
この後 世界恐慌が起きて これが 第二次世界大戦につながっていくんですけど

ロシア革命が起きて ユートピアに向かって 壮大な実験をするんですけど

レ~にんから始まり すた~リん 5か年計画 というものを結んで メキメキとうまくいったんですね。
世界が世界恐慌であえいでいる時に 
ロシアだけは影響を受けなかったんですよ。世界の景気の流れなど 一切関係なし。

全員の財産を共有して 順番に工場をつくる ダムをつくる 発電所をつくる 
ソ連の中だけで ぐるぐる回して 5か年計画をやっていった。どんどん経済を発展させていった。

でも
結局 個人財産を認められないわけですから 
やっても やらなくても 同じ収入なわけですよ。
そうなるとですね 共産主義・社会主義の弊害がでてきます。
それは

みんな 手抜き するようになるように なっちゃったですよ。

手抜きしたって みんな同じ収入だから変わらないんです。
個人財産をも持てないんだから 頑張ったって みんなのものですから。誰が頑張るんですか。
頑張る人は 馬鹿をみます。手抜きするのが 一番得をするんですよ。

みんな平等ってしたら みんな働かなくなるって 誰も気付かなかったんですかね。

マルクスから始まって マルクスレーニン主義。実際つくってみて やってみて 
え?これ みんな まともに働かないじゃん っていう。

全体主義ですから 個人の自由は制限され 金持ちも認められませんからね。資本家も認められません。
それじゃあ 楽しみも無いわけですよ。

誰も頑張らないし 
所詮 努力して当たったところで 自分の財産にならないんですからね。
誰が 自分のアイディアを 具現化して挑戦しますか。

何もしない。日々 工場行って 言われたことを手抜きしながらやってれば みんな同じで
手抜きしただけ得をする。

人間を駄目にする そういう制度じゃないのか というのがわかってきたわけです。

自由主義は 切磋琢磨して いいものを出していきます。
社会主義の場合は 創造力を産ませないんですね。

努力しない。 改良しない。 工夫しない。 クリエイティビティが無いんですもの。
国が 経済が 発展しないんですね。

ソ連も崩壊する事になるんです。

共産主義・社会主義は ものすごい狂暴なんですね。
レ~にんが力を持って どうしたかというと 粛清(しゅくせい) をしていくんですよ。

自分たちと考えが合わない連中を どんどん 殺していくんですね。
ロシア革命で ソ連ができた時も たくさんのロシア人が ロシア人によって殺された。

一党独裁 になるんです。
他の考えを認めない。考え方の違う奴は片っ端から殺していくんですね。

文化大革命も すごかったですよ。

政治批判したら 逮捕でしょ。なんでこんな狂暴になるんですかね。

人間は 少しでも 心豊かになって 自由になって 幸せになりたいって気持ちがありますから
不自由で 抑圧された世界って やですよね。

そして
日本支部の 日本共産党ができるわけですが 日本としては ものすごい警戒をするわけですよね。
彼らが どれほどの血みどろの 闘争を繰り返してきたのか

個人の自由も財産も 認めない こんなものが日本に入ってきて
低賃金で働いている 労働者と結びついて そうだ!そうだ! って日本も共産革命なんか起きたら 大変なことが起きますから。

これは 何とかしないと と
治安維持法 という法律ができました。

先の大戦で 政府が日本人を 戦争に駆り立てるために 強制的に使った 悪しき法 と言われていますが
元は 共産革命が 起きないようにするためのものです。
合法・非合法 関係なしに なんでもやる。 共産革命は 武力闘争ですからね。

暴力革命を起こさない治安維持法なんです。
この法律が 違う方法で悪用されて 変な方法で使われた という事は 由々しき事でありますけども
これは 共産革命を防ぐ という目的で つくられたという事です。



満州事変

大正時代は 15年まで。大正天皇は 47歳という若さで崩御あらせられました。
その時に 摂政をお勤めになられておりました 裕仁親王が 天皇に即位あそばされました。
大正の明るいイメージから 
昭和は混とんとした 不安で暗くて自由が失われていくような感じで 昭和の時代に入っていきます。

支那方面で ややこしい事が起きてくるのですが 
その一つが

明治44年に 辛亥革命が起きて 清朝が滅亡してますよね。後継国家が決まらない。
これ以降  支那大陸(中国大陸)では 統一政権が無い。いくつもの政府が並び立っている状態になっています。
まともな統一政府がない状態です。
いちおう
中華民国成立という事で 孫文 が立役者になりますが その後継者となったのが 蔣介石(しょうかいせき)ですね。
蔣介石は
南京に本拠地を置きまして 国民政府 という政府を立ち上げます。でも大陸を治めているのではありません。

もう一人
張作霖(ちょうさくりん)。
この人は 北京政府 というのを立ち上げているんですね。
張作霖は 満州の人ですから 満州+北京 を抑えているという事です。
ここで 内ゲバですよね。 どっちが主導権を握るのか ってことです。

昭和3年 蔣介石と張作霖は戦闘をすることになります。
やめてほしい事に 国民政府と 北京政府は 抗日活動をあおるんですね。

日本は 朝鮮は日本の一部であったり 満州鉄道と 権益を持ってます。
その満州鉄道を守る為に 関東軍 がいるんですね。



関東は 中国の地域の名前で 万里の長城の起点になる 山海関というのがあり そこから東と西で 呼び方がありまして
そこから 北京寄りを 関内。外側を 関東 と呼ぶので
東京周辺の関東にいる軍隊ではありません。

関東軍は 何のためにいるのかというと 主になる目的は 南満州鉄道を守るためにいるんです。
実は 裏任務があります。

それは
朝鮮があって 満州があって ロシアがいるんです。ロシアはソ連になってしまいましたね。
ソ連が 南下してくるかもしれないんですよ。

一応 日露戦争を勝ちましたし 第一次世界大戦で革命が起きて へばってるとは思うんですけども 
いつソ連が また力を付けて南下してくるかもしれませんからね。
だから 関東軍が 南満州鉄道を守りながら にらみを利かすという 裏任務を帯びて関東地域にいる という事なんです。

抗日活動に騙された民衆が 日本人を殺害したり 商店を焼き討ちしたりという事がおきてきます。

6月に 張作霖爆破事件 というのが起きるんですね。
国民政府の手から逃げる途中 満州の方に戻ろうとした 奉天で列車が爆発して 張作霖は亡くなりました。
張作霖爆殺事件です。

関東軍の一部が自作自演で 日本人がやったんだ と見られていました。

まだこれは今だわからないんですけれども 
もしかしたら 日本人がやったように見せかけておいて
北の大きな赤い国の特務機関がやったんではないか と。

関東軍内での漏れ伝えもなく 誰がやったの? と迷宮入りしちゃったんですね。
昭和天皇に
その時の日本の首相は 見つけ出して 厳罰に処しますと言いながらも 
犯人が見つからず わからないままでした。

水面下で どんな力が働いているのか。

すると
当時28歳の 昭和天皇は 真っすぐな方ですから 
北京政府の軍閥のトップですよ。日本人が殺めた となると ちゃんと犯人を捜しさない事には。 
わからないなんてけしからん! と 激怒 てしまったそうです。

なぜ日本はアメリカと戦争をしなければならなったのか。日米 気づいたら アメリカとの戦争の入り口に立っていたというのが実態です。

樺太から 北海道に入り込まないように国防をする というのもありますが



当時 満州は日本の生命線 と言われていました。

朝鮮・日本を守るには 満州に防衛線を張る。
満州を抑える事によって 満州も朝鮮も 安定的に発展する。
まともな統一政権のない 中国本土によっても 日本は主導的な役割を果たすことができる。
そして
満州は資源が豊富なんです。日本が経済発展をするうえで 満州を抑えておくと 農業も発展する。

満州の大きさは 日本の3・5倍くらいです。
満州は 朝鮮半島の北です。
朝鮮半島がソ連に抑えられると もう日本はすぐにやられてしまうという事で 
日本の国防を考えたら
ソ連や欧米列強が 朝鮮半島に入り込まないか という事が重要なわけです。

なので 明治時代に 保護国 ではなく
日韓併合しましたから 朝鮮は 日本になってしまったわけですね。
なので日本は 
朝鮮人も日本人だから この人たちの命も守らなくては となります。すると 朝鮮の北に緩衝帯が必要となってくるんですね。
それが 満州なんです。

日露戦争の時 日本は勝って ポーツマス条約を結んだ時に 南満州鉄道の権利を取得します。
その結果 
満州の人口が だいたい 3000万人くらいです。満州には 軍人・一般人 日本人が20万人住んでたんですね。満州鉄道を経営するという事です。

当時 中国大陸は 清朝が滅びて その後は内乱状態で 軍閥がたくさんの一枚岩ではありませんでした。
満州に戻る途中で 張作霖(ちょうさくりん)は爆殺。

張作霖の息子が 張学良(ちょうがくりょう)で その息子が引き継ぎました。
そして 張学良政権として満州を抑えます。
お父さんと違い 蔣介石の方の 南京国民政府に就きます。抗日運動も激しくなります。
日本人は
満州鉄道を どう守るのか。満州全体を日本にする必要はないのですが ソ連が南下してきたら えらいことですから 

入ってこなければいいんです。
朝鮮人は日本人だから 守る。それだけでした。

そこで
石原莞爾(いしわらかんじ)です。

当時 関東軍 作戦主任参謀 という肩書でした。
作戦を立案するトップである司令官の アドバイザーです。
南満州鉄道を守る事。
ソ連が南下してこないようにする事。日露戦争のリベンジをしてくる。わかっているんですよ。

石原莞爾は 確固たる思想の持ち主で
世界最終戦論 という 

欧米を率いていくのは アメリカ。
アジアを率いていくのは 日本。
そして
このまま日本が経済発展していった先には アメリカ陣営と 日本陣営がぶつかる時がくる。
それが
世界最終戦になる という事なんです。

これは 昭和16年からの 対米戦の事ではなく 
もっと先に 日米の争いで 世界の秩序が入れ替わる と予言している人なんですね。

その時に向かって 満州は抑えておかないとだめだという考え方でした。
地政学的に 
樺太を抑える。 
満州を抑える。

それによって 日本列島の入り口を抑える事ができるんです。本土でドンパチ じゃないんです。入り口を塞ぐ。
革命が起きて まだ ソ連は強くないんですよ。
今 抑えておかなければ何とかなる。

満蒙領有論。
世界最終戦が起きた時に 日本は国を守る事ができる という考え方をしていました。

蔣介石と張学良は 反日という考え方です。抗日活動をします。


そこで
石原莞爾は 自作自演の 満州事変をするわけです。

明治の時から 日本の敵は ロシアだって決まっていたんですよ。
ロシアはアジアに触手を伸ばします。侵略しようとするわけです。

ロマノフ王朝は終わりましたが 今度はソ連連邦ですよ。
民主主義とは違い 
独裁・統制経済で 世界征服をしようとしているですね。
この人たち 力つけたら大変な事になる という焦りがあったんです。

昭和6年9月18日 柳条湖事件 というのが起こり そのまま満州事変へとなっていきます。
満州は絶対に抑えなくてはいけない。

抗日運動は激化してくるわけですよ。日本にどんどん嫌がらせをするわけです。
ソ連も 5か年計画で強いものになってくる。

今しかない。
石原莞爾はそれを計算しつくしています。
そこで自作自演 ですよ。

柳条湖付近の 満州鉄道の線路を爆破します。
これは 張学良がやったんだぁ と言って 関東軍が動いて行って 張学良の軍隊を蹴散らしていくということです。

張学良は 23万人 の国民党軍を率いています。
それに対して 関東軍は 1万人 しかいないんですね。

1万人で 23万人 と戦うわけです。 こんな戦力の差があって

わずか5か月後 昭和7年2月 
ハルピンという一番北の方を占領して あっという間に 日本の面積 3・5倍ある満州を軍事制圧しちゃったの。

これ ヨーロッパでも アメリカでも大ニュースになるんですよ。
そして
石原莞爾は一躍 時の人。世界中の政治家とか軍人で 石原莞爾を知らないって人 いないぐらいの有名人になっちゃいました。
戦争の天才 と言われています。
戦争理論は
「集中 」と 「突破 」です。



どんなに戦力が小さくても 一点突破 なんですね。集中してドーンと突くと そこは突破できるんですね。
点ができれば 次の点に向かって 集中して突破する。 そうすると もう一つの点ができる。
点と点を結び 線にして
あっという間に 点を撃破していって 線をつくり それを面にして抑えていく。ハイヒールのかかとの理論です。

慎重に判断して 今行くっ ていったらバーン とやります。でもすごく慎重です。

この後起きる 支那事変(いわゆる 日中戦争)で日本軍は 中国大陸の広いところで どんどん戦争をするんですけれども
これを一貫して 石原莞爾は反対していました。

後輩が 俺たちもやるぅ!って うまくいかないんですよ。
東条英機とのことなど 東京裁判の時の記者に語っています。


満州事変は 日本の本国政府・陸軍省・東京の参謀本部 の許可もなく 関東軍が勝手にやっちゃったんですよ。
爆破事件だから 
あのぉ ここ攻めていいですか?って言う間もなく 行ってるわけですよ。そして制圧しちゃったわけですよ。

日本本国では みんな目が点で 石原 何やってんだ みたいな感じでやっちゃったんです。
そして
どうなったかというと 
満州占領しちゃったんですけど どうしましょ っていう話になって
えぇ!占領しちゃったの?よくやった!って 日本国内で大絶賛です。

ここで止めておけばよかったんです。
満州事変で止めておけば アメリカとの戦争は無かったかもしれません。
第二次世界大戦 日本は戦勝国になっていたかもしれません。

結果オーライで 石原よくやったね という事ですが 
よく考えたら 本国の命令無視で 許可なく戦いまくって
良い成果だしたら 褒められちゃうって 悪しき先例ができちゃって
まずいですよね。
軍が軍を統率できていないんだから メチャクチャなことになりますよね。

石原莞爾だからできたのであって だから次 支那事変で 後輩たちが粋がって わ~っ て暴走してやっちゃったわけですよ。

国際的非難など考えて 日本が軍事・外交を担うにしても たてまえ上 満州国という 独立国 という事にして


「五族協和」
五つの民族が 和気あいあいと手を取り合いながら 協力しあいながら みんなで発展してい。く
満州は 
満州族で漢民族じゃあないんですよ。 少数民族の満州民族と 漢民族 そして日本民族。モンゴル系の人もいれば 朝鮮系・中間系の人もいて差別なく 理想的な国家をつくろう というビジョンでを目指します。

しかし 実際には実現しません。

愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ) ラストエンペラーですね。
清国の最後の皇帝です。

愛新覚羅家 って満州族なんですが 少数民族の人が 大帝国 清を治めてたんです。しかも浪人中。
国が潰れて この人 皇帝やめさせられちゃってたんです。

そこで
すごい事 思いつきますね。溥儀に満州国の皇帝になってもらえませんか?って頼むわけですよ。 
溥儀皇帝は 
いつか清朝を復興させる という想いをもって浪人中だったんですけれども 
石原莞爾が満州 抑えちゃったから 新しい国をつくるんで 良かったら皇帝やってもらえませんか?という落としどころです。



愛新覚羅溥儀は まず満州から そしてまた清朝の復活へと これに乗るわけです。
関東軍と 溥儀皇帝と 完全に一致していないこともあったでしょうが 皇帝にまた復活するという事になりました。


犬養毅内閣は 満州国を承認しない という立場をとりました。
そしたら 5・15事件で暗殺されちゃうんですよ。

次 斎藤内閣ができるんですけれども 世論に押されて満州国を承認。

独立国として名乗り そして満州族のトツプを皇帝に据えたましたが
しかし
外国から 日本が支援したから 満州は独立できた 「傀儡国家(かいらいこっか)」だと 日本の操りの国と言われました。
じゃあ
アメリカの独立戦争の時はどうなんです?
フランスから資金援助を受けて イギリスからアメリカは独立できたんです。
自由の女神は パリから独立おめでとう って来てるんですからね。

パナマは? 
パナマ運河はアメリカ経済にとって大事なんです。パナマはもともと コロンビアでしたが アメリカが支援して独立したんです。
そしてアメリカは パナマ運河の権利を取得します。 


国際社会からものすごく批判されました。
でも ここで止めておけばよかったのですが これから泥沼の戦いに進んでいきます。
気づいたら 
アメリカとの戦争の入り口に立ってたんです。気づいたらもう行くしかない という事になってしまいました。


有色人種が こんな活躍した例がないですから。

アジアの独立国は 日本・タイ・トルコ の3つしかありませんでした。
でも欧米列強が これまで何をしてきました?

アフリカで何しました?
南米で何したんですか?
アジアなんて どっかの国の植民地ばっかりじゃないですか。
ハワイで テキサスで フィリピンで 何したんだって話ですよ。

この後の第二次世界大戦に日本は負けました。
そうしたら 
ビルマ・フィリピン・マレーシア・ベトナムもそう。アジアの国々が 独立したわけですよ。
その時 
独立を支援するどころか 自分たちの植民地が勝手に独立するのを 欧米は妨害したんですよ。

日清戦争の後の 三国干渉もそうでしたが
日本が何かすると 欧米列強は面白くないのかよくわかりませんが
日本は白人の中で 唯一 有色人種の国での常任理事国でしたが 国際連盟を脱退をし 国際社会に背を向けることになりました。

リットン調査団により 

満州国は 日本の侵略であり 傀儡国家(かいらいこっか)であり とんでもない。

満州から出ていけ と国際社会から審議されるわけです。

しかし 当時の満州周辺の政権の状態は 
餓死する人が多くて 死体はごろごろそれくらい荒れ果てた様子で 
3000万人の満州人は不満を持っていて
もし
関東軍の満州国設立が 不当なことであれば地元の人が黙っていませんよ。フルボッコです。
おい 日本何やってんだ 勝手に国を建ててんじゃねぞ とならなかったんです。

満州人による反抗がなかったんです。
むしろ歓迎されてるんです。

だいぶ後になって 他の日本人が高飛車な振る舞いをしたりして 暴動が起きた時もありました。
しかし 
満州国建国の段階では 民衆からの反抗はなかったんです。
併合ではなく 独立国をつくったわけですよ。
これは
今日から ここ日本だよ ではなくて ここは満州国だよ。満州族もみんなの国だよ。
そして 
五族協和 理想的な国をつくっていこう という想いで支援・投資したわけです。満州の労働力を吸い上げる なんてことはしていないんです。


戦後から 日本人もいまだに 満州事変・満州建国は 悪い事。侵略だ。傀儡国家だ。不当だ。
と教えられ 信じてますけども 
正当もいいところです。地元の満州人には歓迎されてるんだから。

いきなり来て はい。ここは俺の土地 とか
アヘン売って みんなレロレロにさせたとか 
三国干渉で 日本出てけって追い出して 自分が居座るとか。オタクここ取るの?じゃあウチはここ取るわみたいな

世界の常識に照らし合わせたら 何の問題もないですよ。



よく 軍が暴走した 軍が 軍が と言われますが
軍も 陸と海に分かれていて
軍政 と 軍令 も分かれていて 組織が違うんです。
軍人 と言っても 
統帥部の人間もいれば 今の 防衛大臣的な 軍政の 陸軍省・海軍省もあり 
艦隊勤務もあれば 野戦部隊に行っている人もいて

満州事変は 現場で わざと暴走しましたからね。
それは 陸軍省も 海軍省も止めようとしたけれども 石原莞爾は止まらなかったんですね。



作戦を立てて 軍を動かすところが
陸軍は 参謀本部
海軍は 軍令部


これからの 2つを合わせて 統帥部 と言いますが
この 統帥部の 力が強くなっていくんです。

統帥権干犯問題という おかしな事もありますが 
本来 軍を動かすだけの部署が 軍の編成まで力をもってきてしまった。

こういう 小さなことの積み重ねが 本来 暴走しないように 権力を分立して切り分けてあるものが
気づいたら 暴走していくことになります。


世界は
世界恐慌で 
ドイツ・イタリアが 危険な方向に走っていきます。

イタリアは ムッそり~にが率いる ファシスト党が政権を取ります。
そして エチオピアを侵略して 植民地にしてしまう。

ドイツは  そもそも何で 第一次世界大戦は ドイツだけのせいなんだ。ドイツだけが 賠償金を払うんだ。
と 
ベルサイユ条約を 破棄するのをあおっていったのが
ひっトラ~です。

最初は民主主義の 選挙で選ばれた人ですが 
ある時 パッと議会も停止して 一党独裁になってしまいました。
民衆はそこまで 見抜けませんでした。

国際連盟から脱退して 世界征服を目指していきました。
あらゆる手法を使って 周辺地域を占領して行き
ついに
昭和14年 ポーランドに攻め込む形で 第二次世界大戦が勃発しました。

よく 日本と ドイツが 一緒かのように言われるのですが 全然違いますから。
日本は 4権分立して 一党独裁じゃ ありません。

ソ連は すた~リん体制の中で どんどん軍拡を進めて 
世界恐慌とは 無関係で

統制経済 というのは 
これ必要ね。お前 これつくれ。ここで これつくる。必要な人は ここで買って。
みたいな 
経済の在り方を 国が決めちゃうんですね。価格が自由に決まる なんてないんです。
5か年計画で ガンガンやるから 意外と成長しちゃうんですね。

そこで日本は 
満州事変があり
2・26事件があり
青年将校たちの反乱が起きて 徐々に日本は戦時体制の方に傾いていくという事です。

陸軍の中で 2つのグループに分かれていました。

統制派      というのは 軍が国政を掌握するんだ。高度な軍事国家をつくろう という考えです。

それに対して 2・26事件を起こした
行動派      というのは 天皇を中心とした 昭和維新を断行して 後醍醐天皇みたいな感じ?国家改造をするんだ。という考えです。

結局 両方 陸軍が国を動かすんだろ という事で 同じなんですけども。

昭和11年 1936年 2月26日
1400人以上の兵隊を動かす 中核にいる青年将校 22人。
彼らは 天皇の周りには よくない輩(やから)がいると 
天皇にへばりついて 天皇を間違った方向に 導こうとしている奴らがいると 

君側の奸(くんそくのかん)に天誅(てんちゅう)をくらわす って言うわけですよ。

要するに 今の政治に不満を持っている というわけですね。

誰が天皇を 惑わしているのだ。と 

その一人に上がってしまうのが 高橋是清 だったりするんですけどね。
高橋是清が いたお蔭で 日露戦争で勝ったんですよ?
昭和恐慌から抜け出したのも 高橋是清のお蔭です。
その 日本の立て役者みたいな人を 君側の奸 って殺しちゃうんだから。
今まで頑張ってきた人を 次々と 殺していきました。

この行動派っていうのは 今でいう 社会主義にちょっと近いんです。
財閥や資本家も 労働者を苦しめている と 弱者の救いをするんだ みたいな。

まず 総理官邸が襲われます。別の人が 間違って殺されたんですけど 岡田首相は 間一髪で逃れました。
次  陸軍省参謀本部・警視庁・東京朝日新聞社・東京放送局(NHK) が 1400人に占領されました。

クーデターを起こすというのを 海軍はあまり良く思っていなかったので 東京湾に艦隊を送るんです。
もしかして 陸・海で戦闘が始まるんじゃないかっていう空気も出てきたんですね。

青年将校は
政治と 資本家の腐敗。日本の癌だ と。
今 ここで天誅をくらわして 一掃して 昭和維新を断行する!それでこそ 日本の未来があるんだ。
きっと 昭和天皇は 私たちに見方をしてくれるはずだ と信じていました。


参謀総長も青年将校たちを 応援したい気持ちがあるので
昭和天皇に 決起集書を読み上げるんですよ。

すると 昭和天皇は
そんなものを 朕に世も聞かせて どういうつもりだ! と。

そして 実際に 反乱が起きた知らせを聞いたとたんに

昭和天皇
激怒 ですよ。  何たることをしてくれたんだと。

昭和天皇が 何といったか。記録に残っています。

「徹底的に 鎮圧せよ!」


統帥部の軍を動かす 言葉。天皇自身が 軍を動かすことは ありませんよ。
総理が生きているかも わからない。大臣もみんな めった刺し。

でも まだ参謀総長は 青年将校たちは何か 考えがあって とか ごにょごにょ言ってるから

「馬を用意せい」
と言うと
「私が 自ら 錦の御旗(みはた)を持って 鎮圧に乗り出す!」
と おっしゃっいました。

天皇が自らって ヤバくないですか?後鳥羽上皇じゃないんだから。
私が 自ら現場に行く! と ブチ切れて 
やっと参謀総長が わかりましたぁ~! こちらでやりますぅ~! って 初めて参謀本部が動いたんだから。

鎮圧せよ! って言っても 聞かないんだから 私が行く!と。
そこまで言わせて やっと あ~天皇が怒ってるわ~と気づいて 鎮圧です。

昭和天皇は
以前 張作霖爆殺事件の時 田中儀一首相の苦い経験があったので 
輔翼(ほよく)・輔弼(ほひつ)・翼賛(よくさん)の者 下からの 進言には逆らわないようにしたが
この時2・26 と終戦の時の 2回だけは積極的に 自分の考えを実行した。

このようにおっしゃってます。

立憲主義の国の君主ですから 意思決定のプロセスはきまってますから 天皇が介入するって事は ありえないんです。

ポツダム宣言受諾の時も 政府と統帥部が意思決定できなくなっちゃったんです。
昭和天皇が ポツダム宣言受諾だってきめたんですよ。

この 2回だけは 自分の意見を積極的に述べて 事を決めたと このようにおっしゃってます。

昭和天皇は 普段は受け身ですけども ここっ!という時は パっ!と出ていって 物事を決めるんですよね。
実に ご立派な天皇だと思います。

この後
軍部大臣現役武官制 というのが復活するんです。
陸軍大臣と 海軍大臣が 軍人でなくてはいけない という事なんです。これは 大問題です。
なぜかというと
軍の了解を経ないと 政治ができなくなるんです。

陸軍の中で 2つのグループに分かれていた
統制派ですよ。 軍が国政を掌握するんだ。高度な軍事国家をつくろう という考えです

軍が暴走した と言いますが 軍が政治を掌握するようになっていっちゃうんです。
ちゃんと 三権分立 なんなら 四権分立までしていて 帝国憲法は 悪くないんです。

こんな状態で 支那事変が始まっちゃいますから 軍の意向で政治も動いて行ってしまいますので
ブレーキをふむ人がいなくなっちゃったんです。
唯一 ブレーキをふめたのが 石原莞爾 だったんですよ。

石原莞爾は 東条英機と対立して 失脚させられちゃったんですよね。

もう一人
昭和天皇の弟宮で 秩父宮様。この方が 陸軍の軍人で 作戦の拡大を反対していたんですけど
結核で倒れてしまって 退役しちゃったんです。

どちらかがいれば 対米戦争はなかった と言われるんです。



支那事変


学校の教科書は 日中戦争 と書いている場合が多いです。
いろんな言い方があって 日華事変とか日支戦争 とかがあります。

戦争というのは 国と国がお互い 宣戦布告をして戦う。戦争と ちょっとした こぜりあいは 建付けが違うんですね。

日本軍と 中華民国 という国。国と言っても 日本の戦国時代みたいにな感じで 統一政府はないんですよ
それぞれ 軍閥があって この地域は この人が治めてる みたいな感じで分割されています。
そして
イギリスの管轄地があったり ドイツがあったり 欧米列強が ここはウチのとやってるから ぐちゃぐちゃになってたんです。
ですので
中華民国 といっても 中国大陸全体を抑えているわけではない ということです。

中華民国の首都が 南京 というところです。南京政府 と呼んだりすることもありますし
国民党政府とか 中華民国 とも言いますし みんな同じことです。

日本軍と 国民党軍の小競り合いが始まったのが 
昭和12年7月7日 盧溝橋事件です。

小競り合い 小競り合い 小競り合いが どんどん大きくなっていって 気づいたら 全面戦争に発展するんですよね。
これは 戦争 ではなく 事変 です。
宣戦布告をしていないので 戦争と言わないんです。
日本と 中国が 戦争したという事実はないんです。ですから 日中戦争とは言えないんです。
まだ 中国。中華人民共和国はできていませんから。これは 戦後できた国です。

なぜ中華民国が 宣戦布告をしなかったかというと アメリカとか ドイツとか から軍事支援を受けているわけです。
宣戦布告をすると 軍事支援が受けれなくなるからです。

中国大陸を昔から 支那 と呼んでいたんです。昔 自分たちの事を 支那 と言ってたんです。日本人が付けたわけではありません。
支那 チナ と聞き取り 欧米人が CHINA チャイナ としたんです。
何で日本人が支那 と言うと差別だ とか言うんですかね。

教科書で 日中戦争と書かれている事が 多いのですが
日本でこの動乱の事を 支那事変 と閣議決定されています。なので 支那事変が 正式名称です。

北京の郊外に 盧溝橋 という場所がありまして そこで 日本軍と 国民党軍が 小競り合いになってしまいました。
当時 北京は 義和団事件がありまして 以降 何か国かに それぞれ軍隊を置いているんです。
なんで 日本軍が 北京にいるんですか?といったら 勝手に攻めていったのではなく
国際条約にもとずいて 日本は北京周辺に軍隊を おいてたんですね。
ところがある日 日本軍の宿営地に 銃弾が撃たれるんです。

やられた!って見てみたら 国民党軍側から撃たれたって事で 応戦するわけですね。
ところが
国民党軍も変な事言ってるんですね。
ある時 いきなり 日本軍のほうから 銃弾を撃たれた。って言うんですね。それで 応戦したって言うんです。

当時 国民党軍と 共産党軍が 覇権争いをしていたんです。
盧溝橋のところでは 国民党軍と 日本軍が それぞれ宿営していて

後でわかったんですけれども 
日本軍の宿営地と 国民党軍の宿営地があって お互いが 先に撃ってきた って言うんですが

実は 共産党軍が 間にきて 両方に向けて撃った って言うんですよ。
そうすると
日本軍も 国民党軍も あれ?撃たれた!ってなって お互いが おのれぇ! となって撃ち始める という事なんです。

恐ろしいですね。三国志の時代から 3つに分かれて うまく両方の2つを喧嘩させたりとかしますから。
シレ~ッ と間に入って 両方撃つという よく考えつきますね。

それで 日本軍と 国民党軍が 本格的な戦闘に発展してしまったという事なんです。

これも 決起盛んな 青年将校たちは いきなり撃つことはできないじゃないですか。
よし!ここだ! と 撃たれたんだから よし やるか? と出ていくわけですね。

満州事変で 石原莞爾が自作自演で 爆発事故を起こして 満州を軍事占領してしまった。
それを 日本政府も 参謀本部も 追認してしまうんですね。

満州事変で やめておけばよかったんですが 
歯止めが利かない中で 俺も手柄を立てたい とチャンスを狙っている 若手がいるわけですよ。

日本の 陸軍・海軍 共に
政治的な仕事をする 軍政 が陸軍省・海軍省。
作戦・実行をする   軍令 が陸軍は 参謀本部。海軍は 軍令部。    に分かれています。
この時の 
参謀部総長は 閑院宮。皇族です。 
軍令部総長は 伏見宮。皇族なんですよ。

参謀本部 と 軍令部を合わせて 統帥部 といって 軍の作戦を立てる部署ですが 
統帥部のトップは 両方 宮様でしょ? お飾りなんですよ。

結局 参謀次長・軍令次長など その下にいる人が 実権を握っちゃってるんです。

日本軍と 国民党軍が 戦闘に発展してしまった 
4日後
参謀部総長 閑院宮が

盧溝橋で事件が起きまして もしかして くすぶるかもしれません と 昭和天皇の報告をします。

明治のころから ロシアが南下してくる事を恐れているので

この時  36歳 昭和天皇は
もし 万一 ソビエトが 立ったら どうするのか? とお聞きになります。

すると 参謀総長 71歳 閑院宮は
陸軍では ソ連は 立たないと 思っております。 とお答えになります。

それに対して 昭和天皇は
それは 陸軍の独断であって もし 万一 ソビエトが 立ったら どうするのか? とお聞きになります。

すると 参謀総長 閑院宮は
致し方ございません。 と言うわけですね。


7月21日
軍令部総長 伏見宮とも  昭和天皇はお話になっています。

支那の事は 大きくならなければよいが 困ったものだ。 と おっしゃっています。

あと
当時は 近衛文麿が総理大臣でした。 近衛文麿に 

もう この辺で 外交交渉により 問題を解決できないのか? とおっしゃっています。

ですから 戦線拡大していく中で
昭和天皇は 何とか早く 治めてほしい と語っているのです。
ところが

7月29日
通州事件 というのが起きるんですね。
これは
日本の教科書には 基本的に出てこないんです。
盧溝橋事件の ちょっとしたドンパチで 全面戦争に入っていくんですよ。
何で こんなに拡大していったのか を知るには 
通州事件を 避けては通るわけには いかないんです。

これは 何かと言うと 通州 という所で 日本人大虐殺事件が起きるんですね。

中国人部隊が 通州にいた 日本軍 110人を 全員殺しました。
通州には 日本人の民間人が 385人 が住んでたんですけども 
そのうち 223人が殺されました。

しかも この殺され方が 尋常ではなくて
(ショックを受けると思うので 決して 検索しないでください。おどろおどろしい事件の事が書かれていますので)

猟奇的殺人ですわ。 何だ これは?って事になって
日本で 大問題になったんですよ。

当時 日本は 中国大陸にそれなりの権益を 持っていますから
満州事変で 満州国もあり 満州鉄道もあり 北京に駐在してますし 日本人もたくさん住んでましたよ。

通州 という小さな街で 300人以上の日本人が猟奇的殺人にあうんですね。
これで 日本人 ブチ切れるわけですよ。ふざけるな! って事になって

戦っている 国民党軍が 抗日 抗日 ってやり玉にあげてですね 日本人を見つけたら 襲ったりしてたわけですよ。

盧溝橋事件自体は 
共産党軍が仕組んで起こした と考えられています。
共産党としては 国民党軍と 日本軍が戦ってくれれば  あのぉ~ お手伝いしましょうか~ みたいに
漁夫の利 といって利益を得るわけですよ。

あれ?対立していたはずの 国民党軍と 共産党軍が 
対日本。抗日でもって 手を結んじゃったわけですよ。 厄介なことになりました。


この時
昭和天皇の1つ下の弟宮 
秩父宮は イギリスの ジョージ6世の戴冠式に招かれていまして ヨーロッパに いらっしゃるんです。

帰る時に 急遽 ドイツに寄ったんですね。
なぜかというと
日独伊三国同盟 はまだ締結されていないのですが なんか日本と ドイツが連携するという流れがあったわけですよ。
それを進めていたのが 外務省であったり 陸軍だったわけです。

もう1つ下の 弟宮の高松宮は 海軍の軍人ですが

秩父宮は 陸軍の軍人です。 
せっかく ヨーロッパに行ったので ドイツが どんなものか見てこよう という事で 予定を変更して ドイツに寄りました。

昭和12年 ニュルンベルクの古いお城に招かれまして ひっトラ~ とランチをしました。

30代前半の 昭和天皇の弟宮。 秩父宮に 最敬礼で迎えて 恭しく丁寧に 人と接するのを初めて見たという
ひっトラ~の秘書をしていた人の 手記が残っています。

秩父宮は 人を観察するのが 得意な方なんです。

通訳が ドイツ語を 英語に翻訳して 秩父宮に話していくわけです。
秩父宮は英語ができますので 自分は英語でお話します。

食事が始まった時は 緊張気味でしたが お酒も出ていたのか わかりませんが 
ランチ中盤には だんだん冗舌になってきて 
すた~リんの話になった途端に テンションが上がっていって 机をバンバン叩いて 批判をして

私は人間として 信用できません!私は彼を信じない! って 机バンバンして 

それを聞いていた 秩父宮は 最初 にこやかに聞いていたんですけど
ヤバいな と思ったらしいんですよ。

ひとしきり話を聞いた後
静かに 口を開いて

一国の最高責任者として 民族を指導し 世界の平和に貢献しなければならない 
重大な責務のある あなたのような方が 
他国の代表者を そのように毛嫌いしたり また 恨んでも よいものでしょうか。

とさわやかな英語で さらっと言ったそうなんです。

そしたら
ひっトラ~は やっべ~っ! って事になって 急に顔が硬直して それ以降 一切政治の話はしなくなって
当たり障りのない話しか しなくなった というんですね。

その様子を見た 秩父宮は あいつはヤバイ と。
あんな奴 信用して組んだら えらい事になる。

という事で ドイツと組んではいけない ドイツと組んではいけない と必死になって動くんですよね。
秩父宮の上司 作戦部長は石原莞爾。2人の考えは 和平 和平 和平。暴走を抑える側になっているわけですね。

秩父宮が 戴冠式に出かけて 7か月かけてドイツから帰ってきた時には 石原莞爾は すでに失脚していました。

昭和12年12月 南京攻略があり これで国民党の本拠地が 陥落するわけです。
国民党のトップの 蔣介石(しようかいせき)は 南京を捨てて 重慶 という山奥の方に 引きさがるんですね。

よく
南京大虐殺 と言いますよね。
日本人が 南京を攻めた時に 30万人殺した ってわけですよ。

よく外国の軍隊で 規律の悪いところは 街を攻め落とすと 片っ端から盗みを働いたり 女性を犯したり 
そういうことを 平気でするレベルの低い軍隊というのが世界には あったわけなんです。
住民を 皆殺しにするまで 戦闘が終わらないんですよ。
昔の戦闘は 発掘された遺跡をみたらわかります。 

日本って そういう文化あります?
日本って 寸止め するんですよ。

幕末 戊辰戦争でも 江戸城を攻めるぞって時に 話し合いで 無血開城 なわけでしょ。
函館戦争。五稜郭の戦い。トップは 榎本武明(たけあき)。
負けて 処刑されるのかな と思ったら 
君 優秀だからさ ウチで働かない?君の能力を 明治政府で生かそうよって 逆スカウトされるんですよ。

攻め滅ぼすって やらないんですね。途中で やめるんですよ。
これが 日本人の戦い方です。

日本軍に もちろん中には 変なのもいると思うんですけど 基本的に 軍規を守ります。
占領してね そこで盗みを働いて 住民を傷つけたり そういうことは 軍人として してはいけない事 と
ものすごい厳しいルールがあるんですね。

30万人も虐殺するような戦闘方法は とってなかったんですね。

それを 30万人やった って言うんですから。
あんたたちの文化だろって話ですよね。

日本軍が 南京を攻めた時に 南京の人口は 20万人ですよ。
20万人しか住んでないのに どうやって 30万人殺すんです?馬鹿らしいでしょ。本当に。

それから 日本人が占領して 1か月後に 南京の人口が 5万人増えているんです。
もし 大虐殺が起きた という場所に 誰が住むんですか?
もし 30万人が殺された という恐ろしい街に のこのこと 住み始める新規住民が 5万人もいるですよ?
そんな馬鹿な事 あります?

虐殺なんて 噓です。
南京大虐殺 そんなものは ありません。

民間人を連行して そもそも 20万人しかいないのに 30万人を虐殺した?

ただ
国民党の軍人の中には 変な戦闘方法に従事した人が たくさんいたんです。

戦争といっても ルールがあるんです。
便衣兵 
というのがいて
軍人が 民間人の格好をして戦うんです。カモフラージュできますでしょ?

これは 国際法上 禁止です。
軍人というのは 
軍服を着て 戦うんです。戦争は 民間人を殺してはいけない という ルールがあるから
民間人の服を着ている人は 撃っちゃいけないんですね。
軍服を着ている人しか 撃っちゃいけないんです。

この時 国民党の多くの兵隊が 
私服を着て 銃も隠して うりゃあぁぁ~ っていきなり撃ってきたりしたんですよね。
そういう 国際法規を破って 違法な戦闘方法をした軍人を 捕まえて処刑したんですよ。

おそらく そのことを 大虐殺 と言われてるようですよ。

この後の 中華ジンミン共和国 がそういう風に言ってきました。
アメリカ側も 嘘だろうなぁ とわかっていても あまり突っ込まなかったんですね。
なぜならば
アメリカは 広島と長崎で 30万人焼き殺していますからね。
日本人が南京で 30万人殺してると 釣り合うじゃないですか。
日本人が野蛮である という情報は アメリカにとっていい情報だったわけです。
日本人は邪悪で だから 原爆を落として 戦争を止めてやったんだ って言えるじゃないですか。
原爆を使っちゃった以上ね。

日本が いや そんなことしてませ~ん と言っても だまらっしゃい! みたいな感じで 今まで来てるんですけどね。


昭和12年7月 から始まって 12月に 南京を攻略するんですけれども
昭和20年 終戦まで続くんですよ。8年ですよ。 そうとうの お金と人員を割いてますから

中国でやるんだったら アメリカなんか相手にせずに 
アメリカとやるんだったら こんなところで 力を損耗してる場合じゃないんですよ。
日本みたいな 資源のない国が 両方やってますからね。

本当の敵は アメリカでも 中国でもない。ソ連だったわけですよ。それを石原莞爾は 満州事変をやったわけです。
支那事変は 必要ないんですよ。満州を抑えるのは 国防上 必要だったわけです。
南京を抑えても何もないんですよ。
目先だけの事に 陥ってしまっているですね。

国民党軍を支えていたのは 1つは米軍です。蔣介石の軍隊に せっせこ物質を運んで 武器・弾薬を供給していたんですね。

何と もう1つは ドイツ です。

日独防共協定 を結んで 間もなく 日独伊三国同盟 に向けて話をして 
日本と ドイツは 同盟関係に入ろうとしているうんです。
そういう中で 何で日本と戦争をしている 国民党軍に 武器を渡します? これ 裏切りでしょ?
しかも 軍事顧問を派遣していて 戦争のやり方を教えてるんですよ。
日本は ドイツ軍と戦ってたのと同じなんですよ。

ドイツは しれ~っと 黙ってやってたんですけども どっかでバレる という感じで
そこで 中華民国に滞在していた ドイツ大使の トラウトマンが和平工作をするんです。
これで 国民党軍と 戦争が終わるという 直前までいくんですけども

日本軍が 国民党軍の本拠地 南京を抑えたもんだから 
和平をするのに もっと有利な条件で話ができるんじゃないかって
和平まで あと1歩のところで今度は 日本政府が ひっくり返しました。外務省が強気にでちゃったんです。

抗戦派の 武藤章がいなくなったので 
秩父宮の上司  新任の 陸軍参謀本部 作戦課長の川辺虎四郎が 
必死になって 和平にもっていこう 戦争を止めようと しているのですが 外務省がひっくり返したんですね。

昭和13年1月15日 大本営政府連絡会議 が開かれます。

当時
行政・立法・司法 と 軍をどう動かすのか という作戦担当の 統帥部 の 四権分立だったわけですよ。
その 統帥部 というのは 陸軍と海軍に分かれているんです。 

戦争になったら 陸軍と海軍は 一つになって立ち向かわなければならないので
陸軍 参謀本部 
と 
海軍 軍令部本部
この2つが 一体となったのが 大本営 です。

そして 大本営 と 政府 が連絡し合い 会議をするのが 大本営連絡会議です。

ここで トラウトマンが和平工作をしてくれていて さあ そこに乗っかろうという
支那事変の 和平方針が決まるんです。

ここで やめておけば ここで 和平が成立していれば 
たぶん 対米戦争はありません。

日独伊三国同盟とか ベトナムに進駐したとか
この後も いくつか アメリカとの戦争をするのに向かっていく 重要な局面があるんです。

この支那事変で 国民党軍の蔣介石と戦うために 色々やったことで

気づいたら アメリカとの戦争の 入り口に立ってたんです。

ですから ここで国民党軍と和平を成立していたら アメリカとの戦争は無かったと考えられます。
ここは日本の運命を決するほどの 最後のチャンスだったわけです。

そこで 秩父宮が動きました。少佐なので あまり位は高くないんですよ。
多田参謀次長は 
今の 会社の例えると 課長から見て 社長ぐらいにあたるので 意見など言える立場ではないのですが

ここは 日本の運命を決するところだと 皇族として聞いてほしい 
と 4つ上の位の 上司 参謀次長の 多田駿に意見を言いました。

お兄様である 昭和天皇の意見を聞いて 
和平か戦争を継続するのか 決めてほしいと 御前会議を開いてほしい と伝えました。

多田参謀次長は
大変有難い ご意見ではありますけれども  それは賛成できない。
なぜならば 
大日本帝国憲法の規定により 天皇は 非政治的でなくてはいけない。
従って この重大な 戦争か 和平か を天皇陛下に下していただくという事は 私たち臣下としての責任の放棄であり
そして この責任を天皇陛下に 負わせることになってしまう。
それは 憲法上あってはならない。

と答えるわけですね。

だから普段 天皇陛下は政治決断をなさらないんです。

そして 昭和13年1月15日 大本営政府連絡会議が開かれるんですが 政府は戦争継続。
翌日 国民党政府を 相手としない と 政府声明が出ました。有名な 近衛談話です。

秩父宮殿下は それ以降 参謀本部の中でも 言葉数が少なくなったというんですよ。
満州事変以降 参謀本部の主流派は 早期解決 和平を求めてきた。
参謀本部は やめようって言っているのに 現場では どんどん行っちゃうわけですよ。政府もやる気なわけですよ。

長い間の 参謀本部の取り組みは 完全にここで 散(つい)れてしなったわけです。

1月26日 秩父宮は 最後のチャレンジをしに 昭和天皇のところに行きます。
これは 禁断の意見具申です。

参謀本部は 和平交渉の打ち切りに 反対であります。これ以上 この戦争を継続するべきではありません。
国民党政府とのた 和平交渉を 再開するべきです。

昭和天皇の裁可を受けた後ですが もう一回ひっくり返してくれ と言っているんです。

昭和天皇は ずっと聞いたまま 一言も言葉を発しなかったと言うんですね。
ところが最後に

今になって 言うくらいなら なぜ初めに言わなかったか。

このように おっしゃったそうでございます。

政府と 統帥部の決定事項ですからね。
責任のある者が言うならともかく 責任の無い者が言う というのは 何を言っている という事です。



日独伊三国同盟 対米戦争へ

まだこの時点で アメリカと戦うというのは 既定路線にはなっていませんでした。

石原莞爾・川辺寅四郎・秩父宮殿下などの 和平派は 北進論 なんですね。
日本の敵は ソ連 なんだという事です。必ずソ連との 最終決戦があるはずなので

昭和14年 ノモンハン事件で ソ連とドンパチ やってますからね。

米英と組んで ソ連を叩く という事が ありえたんです。

こんな
蔣介石下り(くんだり)と こんなとこで戦っている暇もないし お金も使う場合ではない という事です。

それに対して
どんどん戦争を拡大して 蔣介石を叩くべきだ というのは 南進論 に直結するんですね。

アメリカが 南の方から 蔣介石に 武器を援助していたからです。
なので
南の方を ベトナムにまわりこんで 抑えなくてはいけない。
そして 南の方は 石油とか ゴムとか 戦争に必要な資源があるんですよ。

でもそれをすると アメリカは面白くないですよね。
気づいたら アメリカとの戦争の 入り口に立ってたんです。

昭和13年 の段階で 国家総動員法を成立させています。
戦時体制に入っていきます。

戦うために生活必需品よりも 軍需品を優先して つくらなくてはいけない。
配給制になったり 人を軍事工事に集めなくてはならないので 食料生産 生活必需品の生産が 停滞します。
これによって 国民生活に影響が表れてくるわけですね。
戦争をするために 経済統制をしていく。

昭和15年 大政翼賛会がつくられます。 既存の政党は解散をして 大政翼賛会という 1つの政党にまとまったんです。
この年は 紀元 2600年。
日本書紀によれば 神武天皇の御即位から ちょうど 2600年にあたる という事で 日本全国でお祝いをした年でもあります。

零戦の 0(ぜろ) はどこから来たかというと 2600 の下 2桁が 00ですよね。
鉄砲・飛行機・戦車も 新しい武器をつくった時 何年制 というのをつけるんですね。
例えば 自衛隊の 1997年制 だと 97式戦車 っていうんです。

なので 2600年。00式。
零戦は正式には 航空母艦に乗せる という事で 零式艦上戦闘機 といったわけです。 
で 零 戦 と言うようになったんですね。

あと
昭和15年は 東京オリンピック が予定されていました。
ところが 日本は 支那方面で かなり激しく戦闘を していましたので 
国際的非難や 大会会場をつくったりする 資源や物資が足りないという事で 中止にしたんですね。
幻の オリンピックとなってしまいました。

昭和14年に ドイツが ポーランドに攻め込む。 これで第二次世界大戦が始まりました。
始まった直後 フランスが陥落しました。 フランスって 世界大戦が始まるたびに 即占領されるという
毎回 敗戦国のはずが なぜか戦勝国にいるという 不思議な感じですが。

ドイツは あっという間に 周辺諸国を併合していきました。

日本は 支那方面で 戦闘継続中ですので ヨーロッパの戦争には介入しないという立場をとります。

そして 
秩父宮が ひっトラ~に ドン引きしましたが 日本は 日独伊三国同盟を結びます。
お友達を間違うと 人生棒に振る事になりますからね。
大凶もいいとこですよ。

誰と仲良くなるか 距離をおくか。国家も同じです。どの国と友好関係を持つか。
最初から 最後まで ドイツに裏切られるわけですよ。

日本では ヨーロッパにドイツが 快進撃をしていると伝えられてきますので バスに乗り遅れてはいけないと
ドイツに追従しろ みたいな流れができるんですね。

2回目の 近衛文麿内閣だったのですが 近衛文麿が ドイツと仲がいいんですよ。
ドイツべったりになって ドイツ大使は 大島・イギリス大使は 白鳥。ここら辺が 案逆することになります。

もし三国同盟を結ぶとなると 日本も 参戦義務があるのか。
 
同盟だからって 日本が戦う必要のないところに 強制的に攻め込まなくてはならない というのはまずいだろと
昭和天皇は 大変 ご懸念になってらっしやいました。

ところが 大島大使と 白鳥大使が 天皇を だまくらかすんですね。

参戦義務という大変重大な事ですから 天皇の知らないところで そんな話をしてはいけないんです。

大島大使と 白鳥大使は 参戦義務はもちろん負いますよ~ と 
三国同盟の話をを進めて 参戦義務を 勝手に結んできちゃうんですね。

昭和天皇は またもやブチ切れです。

当時 陸軍大臣は 板垣征四郎ですが 
昭和天皇は 板垣をけちょんけちょんに叱るんですね。

元来 出先の 両大使が 何ら自分と関係なく 参戦の意を表したことは
天皇の 大権を犯したものではないか。
かくの如き場合に あたかもこれを 支援するかの如き 怠惰を取る事は 甚(はなは)だ おもしろくない。
また 閣議ごとに 逸脱せる事を言うが 如きは 甚だ おもしろくない。 

参戦は 絶対に不同意。
参謀総長は アメリカは イギリスに 加担せずと申しておるが これはいかがかと思う。
アメリカが イギリスに加わる時 日本は経済断交を受け 物道計画 拡充計画を 吞まならず 
従って 対 ソ連戦備も 不可能である。

と 昭和天皇は明確におっしゃるわけなんですね。

昭和15年9月16日 三国同盟を結ぶ 閣議決定がされます。
この時の 近衛文麿総理に
昭和天皇は

ドイツ イタリアの如き国家と そのような緊密な同盟を結ばねばならぬような事で
この国の前途は どうなるか。
私の代はよろしいが 私の子孫の代が 思いやられる。

と おっしゃっいました。


この時代の政治家は一体 どうなってしまったのでしょう。メディアも 国民も 戦うぞ!って盛り上がっちゃって
日本の未来は どうなるんだ と 天皇陛下だけ 沈んじゃってるんですよ。
そして これからの世の中の流れを ちゃんと見ていました。

さらに 昭和天皇は 近衛文麿総理に言います。

この条約は 非常に重大な条約で 
このため アメリカは日本に対して すぐにも 石油や鉄くずの輸出を 停止するだろう。
そうなったら 日本の自立は どうなるか。
こののち 長年月に渡って 大変な苦境と 暗黒のうちに おかれることになるかもしれない。

その覚悟が お前にあるか?

近衛文麿は
どこまでも 粉骨砕身 お約束いたします。
と言います。

さらに 昭和天皇は 近衛文麿に言います。

アメリカに対して もう打つ手が無い というなら致し方あるまい。しかしながら
万一 アメリカと 事を構える場合には
海軍はどうだろうか。 
よく 自分は 海軍大学の頭上作戦では いつも対米戦争は 負けるのが 常である という事を聞いたが
大丈夫だろうか?

自分は この時局が 真に心配であるが 万一 日本が 敗戦国 となった時
いったいどうだろうか。

各の如きが到来した時には 総理も 
自分と苦労を共にしてくれるだろうか?


お前も 私と苦労を共にしてくれるか
の問いに

自分も 及ばずながら 精神御奉公申し上げる覚悟でございます。
と 近衛文麿総理は答えています。

近衛文麿は 終戦後 戦犯に指定されます。そして 自決しました。
あら?生きて最後まで 天皇にお供 するんじゃなかったんでしょうか?
本来なら 東京裁判で しっかり言うべき事は言う。

開戦時は 東条英機ですが 
その前に 日本をアメリカとの戦いの入り口に導いていったのは 近衛文麿総理ですよ。

9月27日 三国同盟が ベルリンで調印されます。


そして 支那事変が起きてから ずっと和平のために動いていた 秩父宮が 
当時は 不治の病だった肺結核に倒れてしまい軍人現役を 引退します。

療養生活をしながら 弟である 高松宮と連携を取り 激励しながら ああ動け こう動け と指示を出します。

しかし ブレーキをふむ人が いなくなってしまったんですね。
石原莞爾と 秩父宮がいたら 三国同盟は猛反対したでしょう。

秩父宮殿下が 疾病に倒れなかったら 大東亜戦争は起こらなかったかもしれない。
もし 起こったとしても こういう形にはならなかっただろう。

と 石原莞爾が 終戦後 このように語っています。

秩父宮が 倒れてからの 1年間で アメリカとの戦争の流れが 固まっていってしまうわけです。
ここからが 日本の悲劇です。



対米戦争の回避不能点

ハル・ノート が出されて 開戦 というのは有名ですが もちろん その通りなんですけれども
ハル・ノートの時点で 回避できたかっていったら 回避できないんですね。

では なんで ハル・ノートがでてきたか って事なんですけど

それが
日独伊三国同盟を結ぶ前に
北部仏印。仏印 とは フランス領 インドシナ。 現代でいう所の ベトナムに進駐しました。
これが無ければ ハル・ノートは無いんですよ。

日独伊三国同盟が結ばれると 
アメリカは速攻。 日本に対して 鉄の輸出を禁止しました。

ほら 来ました。
昭和天皇のおっしゃっていた通りになってきました。

ベトナムは 当時フランス領でした。
何で フランスの植民地に勝手に 日本が入ってくるんだ といったら
フランスは すでに 敗戦してます。第二次世界大戦が始まったすぐに 瞬殺です。
なので
日本が ドイツに頼んで ベトナム入るよ~ と進駐しただけで ドンパチはしていません。

ベトナムの北部から アメリカが 軍事物資を 国民党軍に援助している事がわかっていたので
蔣介石を援助するルート。援蔣ルートを 遮断する事。

蔣介石を負かす事ばかり気にしていて アメリカが 軍事物資援助しているのを切ると
アメリカが 怒るという事が 完全に抜けているわけですよ。

しかも ベトナムの対岸。先には フィリピンがあります。フィリピンはアメリカ領です。
何の断りもなく 目の前に日本がやってきて アメリカは 
おい。ケンカ売ってんのか? になりますよね。

ひっトラ~を信用して ムッソリーニを信用して
そして
昭和16年4月 日ソ中立条約 を結ぶんです。
当時 すた~リん ですよ?

その 2か月後の 6月
ソ連と 中立条約を結んでいるはずの ドイツが ソ連に攻め込んだんです。

ドイツと同盟を結んでいる 日本も ドイツの戦争相手の ソ連と 敵 という事ですよね?

中立条約って 意味ないですよね?
6月に ドイツが ソ連に攻め込むよって ドイツから聞いてれば 
4月に 日本はソ連と 中立条約を結ばないですよ。

本当に中立を守ってくれる 相手ならいいですよ?
昭和20年8月 終戦直後 何が起きました?日本に侵攻してきましたよね。戦争終わったのに。

気が付けば 敵に囲まれてたんです。
中国大陸 で国民党軍。
経済封鎖 をアメリカから受け 南はオランダ・イギリス 北は ソ連。

全部を相手に 戦争なんかできませんよ。
日本は 常に ドイツに騙されてきました。

何の意味もない 三国同盟ですわ。結んだ途端 アメリカから敵国認定されちゃったんだから。

日ソ中立条約を結んで 2か月でしたが 
意味ないからと 松岡洋右(ようすけ)外務大臣が破棄しようとしました。
いずれ ソ連は日本の敵。 だから破棄して 今 ソ連をやってまえ。そうしたら 今ならアメリカと組める
と言いました。

せっかく結んだんだから まあまあ みたいな軽い感じで これを却下したのが 近衛文麿総理大臣です。

7月に 南部仏印 に進駐します。

ベトナムの 南といえば マレーシア・シンガポール。これはイギリス領です。
その下にあるインドネシアは オランダ領です。
フィリピンは アメリカ領ですよね。

南に進む という事は 米・英・蘭。アメリカ・イギリス・オランダ と対立する事になるんですよ。

万一に備えて 開戦拠点を確保する。
あとは 石油・ゴムを そこからいただく。

これが 南部仏印進駐の理由です。

これは まんまと騙されたんですよ。
アメリカのルーズベルト大統領は
アメリカは攻撃されていないので ヨーロッパで戦争に参戦する理由がないんです。 
本当は 関与したかったんです。アメリカの軍事基地を ヨーロッパに置いて 権益が広がりますから。

誰か攻めてきて くれないかなぁ

日本が攻めてきてくれれば 三国同盟で アメリカは ドイツを攻められるんですよ。
しかし
大統領選で 自分は戦争をしない という事を公約に当選したんです。
日本と戦争をするのであれば 
先に引き金を引くのは 日本でなくてはならない。自分からは戦争を仕掛けられないんです。

南部仏印で 日本が進駐してきたので 
アメリカは なんだ日本。勝手に入ってきて コノヤローってなり 
日本に対して 石油は売らない。日本の財産凍結。とやったわけです。

当時 日本側は アメリカと オランダから 90%以上 石油を買っているんです。アメリカとオランダは 同盟関係です。

そして
ABCD包囲網が しかれました。
 
Aは アメリカ。
Bは イギリス。
Cは 中国。
Dは オランダ。

4か国 合同で経済制裁をかける。
アメリカが 石油を売らない って言ったら 日本経済は終わるんです。

日米関係は 友好でした。
支那事変で 日本は 中国大陸と戦いましたよね。あれがあったから アメリカと対立関係になったんです。
アメリカは 参戦したいから 日本からアメリカに 先に手を出すよう
蔣介石を助けるんです。
日本軍と 国民党軍の蔣介石と 早く結んでおけば 日米と こじれる事はなかったんです。

日本側は アメリカと オランダから 90%以上 石油を買っているのに そこと戦争するっておかしいでしょ?
わずか 半年くらい前まで 日米は友好国だったんです。
いきなり日本と アメリカの戦争が起きるんですけど
アメリカに攻め込むなんて たぶん 軍人たち ビックリしてたと思いますよ。

明治時代から 日本の敵は ロシアだ ソ連だって ソ連が攻めてくる時の 訓練をしてたんですよ?
アメリカと戦う って訓練してないんです。
気が付いたら 対米戦争の入り口に立っていた。

まんまと南部仏印してしてくれた。日本に経済封鎖をしたら 日本は攻めてきますよ。
そして 日本が絶対に吞めない要求を出してくるわけです。
それが ハル・ノート です。

そうしたら アメリカが期待したとおりに ハワイを攻めてくれたんです。
奇襲攻撃を受けられて アメリカはショックなはずが 
やったぁ~! 日本が アメリカを攻めてくれた!

ルーズベルト大統領の 高笑いが聞こえてくるようです。

当時の
首相 近衛文麿。
参謀総長 杉山元(はじめ)
軍令部総長 永野修身(おさみ)  

アメリカは大丈夫です。何もしてこないですって ここまで来てしまいました。

これから日本が どんな状況に立たされても 戦争を上手に回避するのに

東条が悪い だけを教えて何になるんですか?
開戦時の 総理大臣 東条英機だけが悪いんじゃありません。

なぜ あの戦争が始まったのか しっかり分析して 
誰の どの判断がいけなったのか 
どの点まで 立ち返る事ができたのか
回避する事ができたのか

これこそ学校で教えなければならない事じゃないでしょうか?

アメリカは 日本の外務省と 海軍の暗号電報を すでに解読していました。
日本の中で考えている事は 全部お見通しだったわけです。
これは 全て記録で残っています。

とうとう 対米戦争の回避不能点まで来てしまいました。


ABCD包囲網が出されて
木戸幸一内大臣に 昭和天皇は

南部仏印進駐が やはりアメリカの対日圧迫を誘発したではないか。

おっしゃっています。木戸内大臣の日記に残っています。


あの3人は 大丈夫ですぅ。全然心配いりません。
と言っていたんですが。 

殴ってみろ 殴ってみろって アメリカが言って 本当に 殴っちゃったんですよ。殴っちゃおしまいなんですよね。
もう 石油が入ってこないので 何か月しか持ちませんよ。

対米戦争をする準備をしつつ 和平もする。和平にならなかったら そのまま戦争ですよね。
昭和16年9月3日
大本営政府連絡会議 で対米戦争に向かう国策会議が開かれます。

この2日後 こんな事が決まりなした。と 政府と統帥部のトップ。あの3人が 宮中に来るんですよ。 

内奏は 事前に こんな事が 可決されました。と事前に見ていただく。
これは どういう意味なのか?こういう場合 どうするのか? など 
天皇陛下の 強烈な鋭い質問。 御下問があるわけです。
内奏で決まったことを 上奏で 却下できませんから。

上奏は 正式に上がってきて はい 裁可。 というもので あまり やりとりはないです。

対米戦争の準備ですから 内奏も緊張感があります。
杉山元 参謀総長が 内奏の様子を 日記に残しています。


昭和天皇  なるべく 平和的に 外交でやれ。 外交と戦争の準備は 並行させずに 外交を先行させよ。

杉山     本 告白要領の主旨は 外交の推進にあります。戦争はどうしても 外交がまとまらぬ場合の手段であります。

昭和天皇  南方作戦は予定通り できると思うか。

杉山     海軍と共同研究の結果によれば 南方領域攻略作戦は だいたい 5か月にて 終了しうるものと考えております。
        フィリピン 1か月半。 マレー 約100日。蘭印攻略を経て 約5か月 と見ます。

昭和天皇  予定通りに進まぬ事があるだろう。5か月 というが そうはいかぬ事もあるだろう。

杉山     従来 陸海軍で 数回研究しておりますので だいたいの予定通りいくと思います。

昭和天皇  上陸作戦は そんなに楽々とできると思うか。

杉山     楽とは思いませぬが 陸海軍とも常時 訓練しておりますので まず出来ると思います。

何を聞いても できます。問題ありません。と答えてくるので
徐々に 昭和天皇は 不満を募らせていくんですね。

昭和天皇  九州の上陸演習では 船が非常に沈んだが ああなれば どうか。

杉山     あれは 敵の飛行機が撃滅される前に 船団の航行を始めたのであって ああはならないと思います。

昭和天皇  天候の障害は どうか。

杉山     障害を排除して やらねばなりません。

昭和天皇も 何か粗がないか とバンバン聞くんだけど バンバン できます。問題ありません。大丈夫です。と答えてくるので
最後 聞くことがなくなってくるんですね。
しばらく沈黙があって

昭和天皇  予定通りできると思うか。

一瞬 杉山が詰まった瞬間に 昭和天皇が 大変きつい事を言いました。

昭和天皇  お前は 支那事変勃発時に 陸軍大臣として 蔣介石はすぐ参る。 と言ったのを記憶している。
        だが
        4年の長きに渡り 今だ まだやれぬではないか。

杉山に ズブーッ!って感じで 刺さって 固まりました。

すぐに やれるって言ったじゃない。でも 4年以上できないじゃないか と。
何言ってんだ。って感じで
あまりにも 
できます できます 問題ありません。って
今 答えてたのに 
いや お前。 蔣介石 できてねぇじゃねえか!って話ですよ。

これは突き刺さりますよね。

そこで杉山は  いゃぁ~。支那は 奥地が開けておりますのでぇ~。

そしたら
昭和天皇    支那の奥地が広いというなら 太平洋は なお広いではないか。

これで 杉山元は 何も言い返せなくなってしまったんです。

蔣介石できなかったじゃないか。
太平洋 5か月で できます って言ってたけど 支那よりもっと難しいじゃないか!

天皇陛下に 嘘つき呼ばわりされて 
言い訳したら 太平洋 もっと広いぞ と言われ

それで しばらく しぃ~ん ってなって
ついに 何か言わなきゃ 何か言わなきゃ って
海軍の 永野修身が 助け船 を出すわけです。海軍だけに。

日米の関係を 病人に例えると 手術をするかしないか の瀬戸際で
手術をしなければ 段々 衰弱。手術をすれば 助かる望もないでもない。
統帥部は 外交交渉を希望しますが 不成立の場合は 思い切って 手術をする

杉山も まだ 力のあるうちに 国運を打開する必要がある

このような事を言うんですね。

その後
昭和天皇は 大きな声を出します。

絶対に 勝てるか!!  と聞くんですね。

杉山は   絶対とは 申しかねます。しかし 勝てる算 のある事は申し上げます。

すると
昭和天皇は 呆れた様子で  あぁ わかった。  と言って出ていってしまった という事です。

ていうか 手術しなければいけない状況に 誰がもっていったんだ って話です。
そこまで もってったのは誰なんだよって事ですよ。
アメリカ との戦争の入り口に立って こんなことになるとは思わなくて やるしかありませんって。

何を言っているんだって感じですよ。

この結果 対米戦争で 300万人 死んだんですよ。

こういう事 何で学校で教えないんです?
どこを 何を間違えたか ここから学び取らないと駄目でしょう。
これから どんな厳しい状況に立たされても どんなに想定外の事態が起きても 
ちゃんと難を振り切って 戦争を避ける事ができるんですよ。

戦争は絶対にしちゃいけないんです。何歩先を読んで 目先だけじゃだめです。
対米戦争に至るまで 完全に目先の事だけ ですよね。

あ こうなった。 あ こうなった。 気づいたら アメリカとの戦争の入り口に立っていて もう回避できませんって
そんな馬鹿な事 ありますか。

ここは オブラートに包んじゃダメです。徹底的に追求しなきゃダメです。


内大臣の 木戸幸一が そうとう怒っています。
内大臣は 天皇の政治向き秘書 です。拝謁を取り仕切るんですね。

明治維新の時の 長州の木戸孝允 (たかよし・こういん・桂小五郎)の孫です。
この人が いなければ 多分今の日本はない と思います。

木戸幸一は 学習院で 近衛文麿と同級生なんです。それから京大に行くんですけども。

急に 天皇陛下に 対米戦争しますから 政府でこのように決めましたので 要領を見てください なんて
んで できます できます って ホンマか?みたいな。
近衛文麿に対して 木戸幸一も怒ったそうです。

次の日 上奏がありますが こんな重大な 対米戦争の開戦の決定を
通していいのかって話ですから

木戸幸一が 
枢密院議長 と 昭和天皇に 根回しをします。

内奏で 御下問があって 持ち帰って訂正 はありますが

上奏されたら
政府と統帥部の決定事項を 天皇が覆すことはできません。
一度 裁可 されたものはひっくり返る事はありません。 

決まった事項 だから 取り消す事は できないんだけれども

外交の成功を 主に進めろ と御警告を 陛下が発してください

と 昭和天皇に 木戸幸一は言うわけです。
だいたい 御前会議で 天皇陛下の ご発言は ないんです。ご発言 自体が異例な事なんです。

原嘉道 枢密院議長には 外交と戦争のどちらに軸を置くのか
といういう質問をしてくれ と事前に渡してあるんです。

御前会議が開かれました。

原枢密院議長が 外交と 戦争 どちらに軸を置くのか と伺っても

杉山と永野は 昨日 昭和天皇に けちょんけちょんに言われたので だんまりを決め込んでいるんです。

すると 昭和天皇は

事 重大だから 私から 両統帥部長に質問をする。
宣告 原枢密院議長が 述べたのに対し 両統帥部長は 一言も答弁しなかったが どうか。
極めて 重大なことであるから 統帥部長の意思表示が なかったことを自分は 遺憾に思う。

昭和天皇は ポケットから 1枚の紙を 取り出します。
そして
明治天皇の和歌。御製 をお読みになったんです。

よもの海 みなはらからと 思う世に
など 波風のたちさわぐらむ

二度 お詠みになりました。

朕は この御製を 佩用(はいよう)して 故 大帝の 平和愛好の精神を 詳述せんと努めておる者である。
今回の決定は 国運を賭して 戦争ともなるべき 重大なる決定であるから 
統帥部においても 外交工作の成功を もたらすべく 全幅の協力をなすよう。

昭和天皇は
日露戦争の開戦時 明治天皇が お詠みになった御製でした。

世界の海は 1つであるはずなのに なぜ波風が立つのだろうか。
なぜ 人々が殺しあい 憎しみあい 戦争をしてしまうのか。

戦争を憂う 天皇の獄中を述べた 和歌です。
これを わざわざポケットに用意していたんですね。
2度お詠みになりました。 
 
天皇は政治的発言はしてはいけない。
政府 統帥部が 決定したことを ひっくり返してはいけない。
これが 限界でした。

外交を優先する ということになりましたが 
ルーズベルト大統領は 日本に攻めてきてほしいわけですよ。

日本が下手になって 話し合いしましょうとか 公開情報しますよって何ったって 
そんなもんいらない 油も金属も売らないって じゃあ。
ってなるわけですね。
甲案 乙案 って 外交交渉しようとしても 埒が明かないんですね。
そして
最終的に出てきたのが ハル・ノート だったわけです。

ハル・ノートは 到底吞むことのできない内容が 最終通告として出てきたわけですよ。
こんなものを見させられたら 誰だって無理だって思う内容だと語られますね。

具体的に 何が書かれていたかというと

〇日独伊三国同盟を 事実上 空文化しなさい。要するに 破棄しなさいという事。
〇中国大陸から 完全撤兵しなさい。仏印からも撤兵しなさい。
〇蔣介石政権を承認しなさい。

今 考えてみれば あんな戦いになって 全部失うくらいなら 
ちゃちゃっと撤兵しておけば よかったんじゃないかという風に思いますけども
当時は
蔣介石との戦い 4年間位続けていて たくさんの軍人が 命を落としていますし
お金もかけてますし 南京も落としてますし
じゃあ
今までに 死んだ日本軍の命は どうなるんだ とか 膨大な戦費。保証もないんですよ。

こんなもん 国民が納得するわけないでしょう。

南部仏印も放棄する。
そして 
日独伊三国同盟を破棄。

これまで日本軍が 汗水たらして 犠牲をはらいながら積み上げてきたものを 完全に放棄しろってわけです。

ルーズベルト大統領が じわじわだと時間がかかるから
無理だなと。アメリカとは 埒が明かない と思わせないといけないので
あえて 絶対吞めないような 無理難題を書いて 出してきたわけですよ。

それを見て 全員絶望してしまうわけですね。

近衛文麿が 和平交渉したけど 上手くいかない。もともと この人 ドイツですから。お公家さんだし。
結局 当時 陸軍大臣の 東条英機と対立して 内閣を投げ出す事になるんです。

次の総理は誰がいいってなった時
近衛文麿の意見としては 東久邇宮が総理がいいのでは と言うんです。
東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう) この人は 陸軍の軍人です。

これから戦争をする以上 皇族が一気にまとめてやった方が まとまるんじゃないの?みたいな。
東条英機も みんな いいねいいね と言って話が まとまりかけた時

それは 駄目だ! と入っていったのが
内大臣 木戸幸一です。

総理大臣経験者が わさわさ 集まってきて 重臣会議 というもので 誰にしようか決めるんですよ。
重臣会議の議長を務めるのが 内大臣なんです。

そして木戸幸一は 
次の内閣は 和平を成立させなければならない。
でも 
万が一 和平が失敗したら 開戦を指揮しなくてはいけない。
そうすると
戦争を 決定する可能性のある内閣になります。
もし 皇族が 内閣総理大臣をして 戦争を決定し 
万が一 その戦争に負けたら 

日本はどうなりますか と。皇室は滅びますよ。

戦争を決定する内閣に 皇族総理は 駄目です! と このように言うんですね。

戦争が始まる前に 敗戦について述べたのは

昭和天皇と 木戸幸一 の2人だけです。

もしこの時 東久邇宮内閣が成立していたら
A級戦犯として指名され 処刑されていたのは 東条英機 ではなく 東久邇宮になったでしょう。
そうしたら 
皇室は 滅びていたでしょう。
国ごと 滅びますよ。天皇がなくなりますよ。


ですから 開戦を決定するかもしれない内閣で 皇族総理は 絶対に駄目だと。

みんな 絶対に 勝つと思っています。
戦 するんだったら 皇族がいいんじゃないのぉ~? と みんな浅はかですねぇ。

戦争に負ける事になったら 何十万人 何百万人 日本人が死ぬかもしれない。
その 恨みを 一身に背負う人物が 皇族でいいんですか?

今の日本があるのは 木戸幸一のお蔭です。
この人がいなければ 間違いなく 皇室は残っていません。

開戦決定の時は 東久邇宮は駄目だ と退け
終戦処理内閣 として 東久邇宮内閣 を立ちあげた。

昭和16年9月13日 に決定した 
帝国国策遂行要領を 白紙に戻せ と。
その上で 総理をやりなさい

これが 陛下からの 伝達事項です。
という事を 木戸幸一は 東条英機に伝えました。

天皇陛下のお言葉によって 政府と 統帥部が決定した国策が
一旦 白紙に戻る。

戦争準備 白紙。

これが
白紙還元の御諚(ごじょう)。

わが国 憲政史上 初めての事です。

東条英機に これを条件として 内閣総理大臣に 任命したんです。
それ以降
東条英機は 一生懸命 平和を模索します。

結局 
ハル・ノート を突き付けられる という事になり
開戦を決定していく流れになります。






すごいぞ霊の元つ国すごいぞ日本人~21聖紀をになう子どもたちへ トップページへ

子ども絵画教室G-Child トップページへ

歴史リンク 

歴史 近代②リンク

歴史 現代①リンク

歴史 現代②リンク

歴史 人物リンク