すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      ~21聖紀をになう子どもたちへ


歴史 近代②



対米戦争の回避不能点

東条英機内閣 が成立しました。



よく言われますが

何で天皇は 戦争を嫌っていたのに 戦争をはじめたの? と。
何で 戦争を始めるのを 許可したのか? と。

事はそんな 生優しい問題ではありません。
というのは 
当時の日本軍は 今の自衛隊と違って 
そうとう 政治的に力を持っているんですね。

シビリアンコントロール というのですが 
軍というのは 
国民が コントロールできなくてはいけないんです。

今は 
シビリアンコントロールの下に 自衛隊がおかれてますから 
政治を曲げていく  という事はありません。

あとは新聞が 力を持ちすぎたんですね。
1番は 朝に日がのぼる新聞です。

まだアメリカと 和平を模索している 
戦争を 何とか回避しよう としている 東条内閣が成立した その日 

社説に 何と書いたと思います?

国民の覚悟はできている。
ひじきの塩付けで 
国難に処せんとする決意は すでに立っている。
待つところは 進め!の 大号令のみ。



国民は 戦う準備はできている。後は 号令をかけんかい!
ってわけです。
ひじきの漬物だけで 戦い通すんだ。 



と 書いてあるわけですよ。
どんだけ 戦争あおってんですか。

読んだ読者は そうだ!そうだ!って なるでしょうよ。
政府は何やってんだ! 
早くアメリカに攻め込め! ってなっていくわけですよ。





贅沢は敵だ というスローガンは
かつて
赤い国の人が掲げたものらしいですよ。



国民の イケイケ やってまえ~! というのを 
新聞が あおりたてていくんですね。
民衆がそうなってくると 抑えられないわけですよ。

国民と 軍が そうなっていると 
総理大臣や 天皇では抑えられないですね。

昭和天皇も 後で語ってらっしゃいますけど 
もしここで
戦争しない なんて事を言ったら クーデターが起こると。

未遂ですけど
軍の決起によるクーデターが  何度も起きたじゃないですか。
もし軍が 
閣僚を全部殺して 軍事政権でも立てたら 誰も統制不能ですよ。
めちゃくちゃな状態で 戦争になだれ込む事になりますよね。

よく 
東条英機が 戦争始めたぁ~。とか 
軍部が暴走して 戦争始めたぁ~。 
戦争責任は誰だ と言いますけども

日本国民の 戦争責任はないんでしょうか?

東条英機だけの責任にしたりとか していますが
あの時 
戦争に向かわせようとする  
熱狂的に国民の意識を あおりたてていった 新聞。

新聞の戦争責任 大きいですよ。

東条英機は 
総理大臣になる前の 陸軍大臣の時は イケイケどんどんで
すぐアメリカに攻め込め と言ってたんですよ。

しかし
総理になった途端 和平を模索する って言いだしたんですよ。
陸軍の作戦 を考える中枢の部内日誌に 

東条は 近衛文麿(このえふみまろ)と 同じことを言うようになった 
と書かれるくらい
それだけ 
東条英機は 総理になってからは 
必死になって 和平を模索したわけです。

近衛文麿の 日米和交渉は 戦後のための
アリバイ工作 とも言われますが。

でも
アメリカが 戦争を やられる気満々だから 

わざと 日本が怒るようにして 
わざと 開戦しかないよね と思えるように仕向けて 

とにかく アメリカは攻めてほしいわけです。

そして 
昭和16年11月26日に出された ハル・ノート。

日本は 今まで 
どれだけ 血を流してきたか。
どれだけ 多くの損耗をだしてきたか。

それを 
はい わかりましたって 全部放棄するって 
軍も 国民も 納得しませんよ。
そこまで言われたら もうやるしかないよね というのが 
ハル・ノートです。

ハル国務長官。



日本でいう外務大臣です。
ハル・ノートは  コーデル・ハルという人のメモです。



アメリカの陸軍のトップ。スチムソン陸軍長官が



ハル・ノートが出される前日

ハルは
3か月の 休戦案を提示した。
彼は 
今日か 明日のうちに 日本側に提案するつもりであった。
それは 
米国の利益を 十分に保護したものであると すぐにわかったが 
提案の内容は非常に 激烈なもの であるから
私には 日本がそれを 受託する事は ほとんどないと思われた。

と言っています。

え?これ 日本に出すの?
日本が吞むわけないよね。
って 
アメリカの陸軍長官が言ってるんです。

だから
日本は これはどうしょうもない。戦争しかない。と 
これで アメリカに襲いかかってくるだろうと 

わざと 日本が吞めないものを つくってるんですね。

アメリカ側は 日本の暗号解読 をしていたので
コーデル・ハルは 全部把握していたわけですよ。

翌日 スチムソン長官が
コーデル・ハルに 電話をした記録が残っています。

日本との 交渉の結果はどうなったか?と聞きだした。
ハルは 
私は その件から もう手を引いたよ と言い
それは 
陸軍長官と 海軍長官の 手中にあるからね。

という事で 
後はもう 俺は関係ない。 
後は あなた達 陸軍海軍が やってちょうだい っていう話なんですね。





あの戦争に勝ち目はあったか?

よく学校で教えられている歴史では
日本は アメリカと戦って 勝てるわけがない。 
バカな戦争を始めたと 教えています。

東条英機が 勝てる と言って勝手に始めたもので

国民は 勝てもしない戦争を 勝てる と信じ込まされて 
戦争を付き合わされた という風な 教え方をします。

本当でしょうか?

日清・日露 勝ちましたよね。

清は 当時 世界で2番目の 経済大国でした。
日本の経済力は 清の1/5しかありませんでした。

ロシアは 日本の経済力の3倍・4倍。
ロシアの陸軍は 世界最大の実力を持っていると言われました。
ロシア海軍は世界で 第3位です。

なんで勝てたんです?

日清・日露こそ 勝てる見込みのない戦争だったんです。

対米戦争 勝てるはずがないって 
日清・日露 は勝ってるんです。

国力があるから 兵力 軍事力があるから 勝つ という保証はありません。
司令官の指揮が高くて 
その時の 天候や 作戦よろしきを得れば 勝つこともあります。

ただ 逆もしかりです。

色々な要素があって 勝ち負け が決まるんです。

日清・日露が勝てたのは 
日本は 国力 兵力が小さい。
でも
徹底的に 作戦 にこだわったんです。

この不利な状況をどう戦ったら 有利 な展開になるのか。
作戦を 練って 練って 練り上げて 当たったんですね。

日露戦争も
開戦前から 終戦の方法 も決めてるんですよ。

ところが
対米戦争って どう終わらせるのか 全然検討してないんですよ。

場当たり的で 戦争する気なかったのに 
急に戦争の 入り口に立ってて 啖呵(たんか)を切るしかなくなって
どう終わるかなんて 誰も考えてないんですよ。



作戦を軽視したんです。

勝てるわけがない と言いますけど
真珠湾攻撃 があった あの日。

日本の 海軍兵力 と 
アメリカの 海軍兵力 どっちが大きかったと思いますか?

日本の海軍兵力の方が 2倍以上あったんです。

戦艦                       
日本 10 戦艦大和が含まれています。
アメリカ 9

空母
日本 9
アメリカ 3 

巡洋艦(偵察 護衛など) 
日本 38
アメリカ 24 

駆逐艦(多様な戦術可)
日本 112
アメリカ 67

艦載機(航空母艦にのせる飛行機)
日本 1004
アメリカ 365

パイロットの操縦能力 とか 正確に爆撃できるかとか
軍人の練度も重要で

圧倒的に 
日本の方が 上だったんです。
日本軍のパイロットは 技能は世界一でした。



当時 世界最高性能の戦闘機は 
零戦(ぜろせん) でした。艦載機(かんさいき)です。

日本は 
空母 は多いは 
艦載機 は多いは 
パイロットの能力も 世界1だは 
航空機の性能も 世界1だは。

これ
普通にやったら 勝つんです。

よっぽど作戦が 下手だった ってわかりますよね。
こんな有利な状況で 
なんなの この結果。負けてやんのって感じですよね。

有利な時って 教科書通りにやれば セオリー通りにやれば 
勝ちます。
不利な時は 通常の 理屈通りにやったら 勝てませんよ。

石原莞爾の ハイヒールの理論が出てくるわけですよ。
歴史 人物② リンク

学校の授業で
あの戦争は 勝てるわけがない。以上。 

これで 何が学べるんです?

アメリカでは 
もし ゼロ0 零を見たら 逃げろ。

零戦 と会ったら 逃げろ。という事です。
これが アメリカのパイロットの 標語だったわけです。

なぜならば
零戦と 互角にやりやったら 絶対に勝てないからです。

どういう事かというと
アメリカの 戦闘機と 
日本の 戦闘機では 日本の方が圧倒的に 航続距離が長いんです。

もし 互角にやってたら 
燃料が先に切れるのは アメリカの飛行機です。

しかも
零戦は 旋回能力が高いんですね。

アメリカの航空機は 
宙返りも含めて 大きくしか曲がれないんですよ。



ところが
零戦は 小回りが効くんですよ。



零戦が 追われていても 
シュッ と曲がれて 
ポンッて 宙返りもできて すぐ後ろに付けるんですよ。



後ろに付かれたら すぐやられますからね。

ですから 零戦とやりあったら 勝ち目がない。

しかも パイロットの能力が 数段上なんですよ。
だから 零戦と互角にやるなんて 無理。

1対1。2対1 でも まず逃げろ。
3対1 だったら 勝つ可能性があるかもしれない。なので



零戦を見たら 逃げろ。 
これが アメリカのパイロットの間の 合言葉だったんですから。

これだけ強い兵器と 優秀なパイロットが当たっていて 
なんで 負けるんですか?

対米戦争の時は

アメリカは 空母とか 戦艦とかは 
ドイツと戦うために ヨーロッパに行ってたんです。

日本軍が戦う米軍は 太平洋にある米軍なんです。
もちろん
国力が違いますから 長期戦になったら勝ち目はないですよ。

だから 対米戦争は 
短期戦で終わらせなくては いけなかったんですよ。

日清・日露は 短期勝負でした。何年もかけてやりませんでしたよ。

対米戦争は 作戦を軽視したんです。
うぬぼれてた って言うんですね。

鎌倉時代 元(げん)が攻めてきました。勝ちました。
私たちは 神に守られていると。



日清・日露戦争も 勝ち目がない戦争を 勝ちました。 神風が吹くんですよ。

日本人は 気合だけで どんな不利な戦争も 乗り越えられるんだ!
って なっちゃったわけなんです。

確かに 気合もありましたけど 作戦が優れてたんですよ。
でも 
先の大戦では 気合だけで乗り越えられると うぬぼれて

こんなに優秀な 兵隊と 高性能な武器を大量に持ちながらも 

作戦を軽視してしまったんですよ。

うぬぼれがあって なし崩し的に 戦争が始まりました。
終わる方法も考えてなかった。

1個 1個 の戦争を見ても へたくそです。

真珠湾攻撃も 本当は失敗です。
中国大陸の戦争も 何年かかっても 終結しなかったんです。

自分たちのやり方って 間違ってるんじゃないかって
思い通りにならないって事は 何かが違う。 と気付けなかった。



とにかく 
あの戦争は 勝てた戦争なんですよ。
こんな有利だったのに 負けたっていったら 
はっ?何で? って思いません?

負けたって事に 悔しい って思わないと駄目なんですよ。

戦争を 避ける行動をとっていても 
どうしても戦争になってしまった時は 

勝たなくてはいけないんですよ。

そのために 自衛隊 があるんです。
普段 戦闘はしませんよ。抑止力ですからね。
万が一の時は 戦闘になるかもしれない。

その時は 勝たなきゃ駄目なんです。

私たち日本人が あの戦争 勝てるはずなかったよねぇ~
で終わらしてたら 
支えることもできないですよ。

アメリカの歴史教科書って 辞書みたいに 分厚くて 重たいんです。
日本との アメリカの教科書って どう書いてあると思いますか? 
物語的なんです。

第二次世界大戦の 太平洋戦線では 
日本との戦いに アメリカは 勝った。
でも
日本という国は 実は ものすごく強くて 手ごわい国だったんだ。 
と 書いてあるんです。



そして 真珠湾攻撃があった時に

日本軍の兵力は こうだった。
アメリカ軍の 兵力は こうだった。

ほら。どう考えても この兵力で 
アメリカは勝てそうにないでしょ?

という所から 始まります。

そして 
零戦 の能力は高かったし 
日本のパイロットは ものすごい腕前を持っていた。
しかも 
この兵力差。アメリカに勝ち目はない と。
でも アメリカは 勝った。

なぜ こんな不利な戦争を アメリカは勝ったのか。 
それを 今から説明をする。
って言って 
細かい解説に入るんです。

強い相手と戦って 勝つからこそ アメリカすげぇっ!て 

生徒が 手に汗握りながら ハラハラしながら
はぁ! こうやって勝っていったのかぁ へぇ~!って

そして 最後に 
原爆の モクモク キノコ雲を見て 日本を負かしてやった!
という
つくりになっているんですよ。 

日本の教科書も そうやって欲しいですよね。

日本は こんなに強かったんだと。
アメリカなんて 勝ち目なかったんだと。

いやぁ~ こんな有利な戦争 
なんで 日本は負けたのか。


その失態を これから説明するから みんな!聞いてくれって 
そういう教科書にしてほしいわ。

真珠湾攻撃は 日本は 失敗した 
と アメリカの教科書が そう言ってるんです。





真珠湾攻撃 

アメリカの陸軍のトップ 
スチムソン長官は 



ルーズベルト大統領から



日本人は元来 警告せずに奇襲をやる事で 悪名高いから 

アメリカはおそらく
12月1日ごろに 日本から攻撃される可能性がある。

いかに これに対処すべきか。
当面の問題は 我々が大きな危険にさらされる事なしに 

いかにして 日本側に
最初の 1発を 撃たせるような立場に 日本を追い込むかだ。

このように言われた という事です。

日本の暗号を 全部読み解いているから 
12月1日ころ ってわかるっているんです。

いかに 第1発目を 
日本に撃たせるかが重要だ と言っているんです。

ルーズベルト大統領は 戦争はしません。 と言って 選挙に当選したばかりです。
アメリカの世論も 
アメリカと 日本の戦争を 望んでなかったんです。

日本が先に攻撃したから
くそぉ~やられたぁ~ って 
リメンバーパールハーバー ってなったわけだから。

終戦まで 日本陸軍の暗号は 解読されなかったんですが

アメリカは 
日本の 海軍と 
海軍の暗号と同じものを使っていた 
外務省 の暗号を解読済みでした。

アメリカにいる 日本大使と 日本の外務省のやり取りが 筒抜けだったんですね。
日本のタイムスケジュールを 把握しているわけです。

12月1日 の御前会議で 開戦が決定しましたので 
機動部隊に打たれた暗号は

ニイタカヤマノボレ でした。



真珠湾攻撃を命令する 暗号が打たれました。

この時
日本は 宣戦布告文 を打つんですね。

開戦の詔

という風に言われてまして 

昭和天皇から アメリカに対して文章として 
宣戦布告 が出されたものです。

これは 昭和天皇は 
最後の最後まで やる気ではなかったんです。
最後まで 平和を模索する という お立場でした。
それが 
苦しみがにじみ出るような内容でした。 



「 わが国は 東アジアの安定を確保して 世界平和に寄与する事を 目指してきているが
中華民国は 
東アジアの平和を攪乱し 日本に武器を取らせるにいたり。
しかも 
米英両国は 中華民国の残存政権を支援して 東アジアの平和を乱し
平和の美名に隠れて 東洋を制覇しようと目論んでいる。

さらには 
それに組みする国を誘って 
日本周辺の軍備を増強させ 通商に妨害を与え 経済を封鎖して 
日本の生存に 重大な脅威を与えた。

日本は平和に解決するために 長い間耐えてきたが

米英には 譲る精神もなく 経済上と軍事上の脅威を増大させて 
日本を 屈服させようとしている。

これでは 
東アジアを安定させようとしてきた 日本の積年の努力は 
ことごとく 水泡に帰すことになる。

したがって日本は 今や 
自存自衛のために 決然と立ち上って 一切の障害を 破砕するほかない。
今や不幸にして 米英両国と 釁端(きんたん)を開くに至る。

真に止む追えざるものあり。
豈(あに) 朕が志ならんや。 」

戦争をする事になったけれども やむおえない事だった。
これは 天皇である 私の本心ではないのだ。          
という内容です。



ところが 
宣戦布告の この通知がアメリカに届いたのが 1時間くらい遅かったんですね。
なので 

奇襲攻撃をされた と言われてしまったんです。

奇襲攻撃も何も アメリカは 日本の暗号を解読してるんですよ。
知らなかった 急にやられた 奇襲だ と。

いやいや 知ってたでしょ。って話ですけれども。
奇襲攻撃をした 日本は卑怯者 と罵られたわけです。

日本の 
ハワイに関する無線のやり取りが 多くなってくるわけですよ。
ハワイの どんな情報を 日本が取りたがっているのかも 把握されていました。
なので
日本からの攻撃が ハワイに来る というのもアメリカ側はよんでいました。

ハワイに 日本のスパイが入っていますから



真珠湾の中にある 
船の配置とか 
船の種類とか 
頻繁に 日本本国に送って 
どのような情報を取っているのも アメリカ側は把握していました。

ところが 
12月上旬に 日本がハワイを攻める という事を 
ハワイの米軍部隊に その情報が行ってないんですね。

これは ルーズベルト大統領 存命中も 追及がありましたが
終戦の後 
ルーズベルト大統領は 死んじゃってますが 
議会で そうとう追及されたんですよ。

日本来るぞ。ちゃんと整えとけって 連絡が来れば 
迎撃態勢が できたかもしれない。

それを 
アメリカ大統領は知ってたのに 真珠湾の 米軍部隊に言ってない。

何で ハワイの米軍を 見殺しにしたんだ 
って言うんですね。

それも 大統領の野望で

バーン! もくもくもく。 はい いっぱいアメリカ人死にました  
ってなるから
アメリカ人が 激怒して 

リメンバーパールハーバーっ!!! ってなるわけですから。

アメリカ国民が 激怒するくらいの 被害 を受けないといけないんですよ。

あんなに 日本と戦争したくない と言っていたアメリカ国民が 
1日で 
日本人 許さねぇ ってなったんですから。



確かに日本は 真珠湾攻撃をして それなりの戦果をあげました。
日本が 一方的に 勝利をあげたかのように見えますね。

空から 日本軍の
第一波来て 攻撃して 
第二波来て 攻撃して ぱぱぱぱぱ~ッて撃って すぐ帰っちゃったんだから。
だから 
日本の船は 一隻も沈んでいません。

アメリカの船は 撃たれて ボコボコになってるんですよ。

一見見たら 成功でしょう。

ところが 
アメリカの教科書は あれは日本は失敗だった と書いているんです。
日本人は 馬鹿だって書いてあるんです。

肝心なところを 攻撃していなかった。
それは

石油の備蓄施設。膨大な量の石油があったわけです。
これを 
襲撃せず そのまま残していった。

船のドック。船を修理・整備するところです。
これも 
そのまま残っているわけです。

日本のあの人たち 
何でここを攻撃しないで 帰っちゃったのか? と。

ボコボコにされた船を ドックで すぐ直せちゃいました。
船を直す
ドッグをやられていたら 修理不能。
ハワイから ロサンゼルスとか サンフランシスコまで
壊れた船を運ばないと 修理できなかった。

石油燃料も 撃たれて燃やされていたら 
アメリカは 大変な事になっていたですよ。

重要な施設を ちゃんと叩いていたら 
アメリカ軍は 
再起不能なくらいに 叩きのめされた可能性があるわけですよ。

アメリカの教科書で 中学生向けの設問が書いてあるんです。

真珠湾攻撃の時に もし

日本が上陸し ハワイを占領していたら この戦争の結果は どうなったか。
クラスで 議論しなさい。 

って 書いてあります。



こんなこと 日本じゃやらないでしょ?

アメリカが ハワイを占領されたら 
サンフランシスコから 太平洋 何千キロの距離を挟んで 日本と戦わなくてはいけない。

日本は 
太平洋の ど真ん中に基地を置いて 
ハワイを拠点として サンフランシスコ空爆 ロサンゼルス空爆 って できますよね?

日本は アメリカの領土が欲しいわけじゃないですよ。
なので 直ちに日本と和解。
ハワイは 日本領でいいから もう戦争やめよう 
と なるかもしれない。

これは 米軍の意見 アメリカの結論です。 

ハワイの占領までいかなくても せめて 
ドック壊して 燃料は燃やしてこいよ って話です。

これは
南雲忠一中将。



この人は 
軍人としての 名声 をとったわけです。

真珠湾攻撃は 早朝。未明ですから 
アメリカの 迎撃態勢ができてないんです。

だから 日本の 第1波 第2波 は無傷でしたよ。



次 
第3波 第4波 と攻撃しようとしたら 
相当の 日本の飛行機が 撃墜されたでしょうね。
日本の艦隊も 攻撃されて 沈んだ可能性がある。

南雲中将は 
第1波 第2波 の攻撃で止めて 今 帰れば 

アメリカの 戦艦だ 巡洋艦だを 沈めておいて 
私たちは 無傷で帰ったら

日露戦争で バルチック艦隊を撃滅したみたいに 

東郷平八郎 と同じ名声を得られるかもしれない と
思ったんでしょうね。

日本の船は
1隻も沈められずに帰ってきました。飛行機もほとんど無傷ですから。

いやいや 沈められてもいいから 
ドックは 破壊しろ って話ですね。

その時の 兵隊の命を温存して結果 

ざっくり言うと 
日本人 300万人の命が死んだんですよ。

東京は 焼け野原。
広島・長崎 民間人が 100万人 死んでるんですよ。

あの時 真珠湾を叩いておけばよかったんですよ。

サイパンや グアムなど マリアナ諸島を取られて 
B29が 飛べるようになったから 



日本中が 空爆されたんですよ。
マリアナ諸島を死守していたら 

東京大空襲も 広島・長崎の原爆も できません。

肉を切らせて骨を断つ。
自分自身も傷つく覚悟をして 相手により大きな 打撃を与える。
例え 
日本の船が 半分沈められようが パールハーバーを撃滅してくれば よかったんです。

そうすれば 米軍は 日本と戦えなくなったんですから。

目先の利益を追った結果 膨大な人命が 失われたんです。

一見見た上には 成功に見えるでしょう。
全体で見たら 大失敗ですよ。

南雲中将も 
何千人の兵隊の命が失われてでも 潰すぞという 気概 はそもそもなかったんです。
奇襲だから 
ちゃちちゃぁ~って やってきたら OK みたいな 
安全なところでしか やってないんですよ。

この
12月8日 真珠湾攻撃。
日本が宣戦布告の打電をした 解読が遅れて

真珠湾攻撃の後で 
宣戦布告文書が届いたという事で 奇襲攻撃だ 
リメンバーパールハーバーって 言われましたよね。

真珠湾攻撃を忘れないぞ!ってわけです。

くそ~ じゃあ アメリアも 同じようにしてやるぜ! って 

横須賀空襲 とか 佐世保空襲 とか ありました?
アメリカの艦隊は 来ませんでしたよね。

アメリカには そういう能力がなくて できなかったんです。

世界の戦争の中で
航空母艦 1隻が ちょろちょろ と出ていった事はありました。

しかし
この 真珠湾攻撃というのは 

複数 の航空母艦を 同時運用して 
1か所を 空襲するというのは 人類で初めてだったんです。

6隻 の航空母艦から 350 の航空機が 飛び立っていくんですよ?



よほど 訓練しないと 350機 飛び立てませんよ。

350機が 上空で待ち合わせして まとまって 塊 になって 飛んでいくんですから。
しかも 350機 お互いが ぶつからずに。



今度は
戦闘した後 返ってくる時 問題ですよ。

350機が 整然と帰ってくるんですよ。

戻ってくる時 空中衝突しないんですか?
これ 神業なんですよ。



猛烈な訓練を 繰り返していなければ 
複数の航空母艦の 同時運用なんて できないですよ。

これができるのは世界中で 日本軍だけだったんだから。

たぶん アメリカ軍 ビックリしたと思いますよ。
何千キロも離れたところから 何百機も 襲いかかってくる。

どうやって これやってんだ? って思ったはずです。

リメンバーパールハーバー
悔しい 悔しいって言ってんだったら 
じゃあ来いよって。 

でも
米軍はこれ できなくて 来れなかったんだから。そんな技術 ないんですよ。

簡単に言うけど 真珠湾攻撃って 凄かったんですよ。

で本は それだけの航空技術の 訓練をしてきているのだから
真珠湾攻撃で とことんやっておけば よかったんですよ。 

元になる アメリカの航空母艦は 
港を出てて 沈められなかったって その辺にいるんだから 探して沈めて来いよ 
って感じです。





南下・ミッドウェー海戦


ハワイ 真珠湾攻撃と同時に

日本は 南下して行きまして 
西太平洋の ほとんどを 軍事占領してしまうんですよ。

12月8日 が真珠湾攻撃
12月10日 イギリスの 東洋艦隊を撃破しています。

イギリスの東洋艦隊 というのは シンガポールを母港にしています。

イギリス艦隊が 北上しているところ 
ベトナムには 日本の基地がありますので 
サイゴンから飛び立った 陸軍の陸攻隊が猛烈に 東洋艦隊を空爆します。

そして
プリンスオブウェールズ 
といって 最新鋭の戦艦 と 巡洋艦レパルスが 沈められます。



当時 
航空機の 可能性に気付いていたのは 日本だけだったんですね。
だから 
航空母艦 をしっかりそろえて 航空機をいっぱいつくって 
優秀なパイロットを 何年もかけて 養成してきたわけですね。

航空母艦の 複数運用を考えた国は 日本以外には無かったんです。

航行中の戦艦を 航空機の空爆 攻撃によって沈める 
というのは 不可能だと言われてました。

飛行機で 戦艦を沈められんの? と なったわけです。 
世界で あっと驚く 戦果をだしてしまったんです。

イギリスの チャーチル首相が 
早朝 寝ている時に 叩き起こされて 第一報を聞いた時 



えぇl!あの船が!
と 固まって ベッドから 起き上がれなくなった 
何時間も 悶え苦しんだ と 伝えられています。
そうとう ショックだったみたいですよ。

イギリスの アジア統治は終わった って感じです。
制海権を失ったって事ですから。
イギリスの 沈まないはずの船が 

日本の戦闘機 1発で沈められたわけですからね。

フィリピン
マレーシア
インドネシア
ジャワ
スマトラ
ビルマ
パプアニューギニア
香港。

日本軍は どんどん制圧していく事になります。



台湾は 日清戦争で もう得てますし
北は 千島列島の上 アッツ島も制圧していきます。

数か月のうちに あっという間に 日本の快進撃という事でした。

よく勘違いされているんですけども

現地の人を 日本が
片っ端から 殺していったかのような節が あるんですけども
全然 そんなこと ないんですよ。

香港には 
イギリス軍がいたわけです。イギリス軍と戦って 撤退させました。

シンガポールにいる
イギリス軍と戦って イギリス軍を 撤退させました。

フィリピンにいる 
米軍と戦って 米軍を撤退させました。

インドネシアにいる 
オランダ軍と戦って オランダ軍を 撤退させました。

みんな
欧米の植民地なんですね。

なんか アジアを どんどん攻めていって 欧米の軍隊を 追い出して
ふっふっふっ 



ここは 日本が支配するんだ ではなくて

フィリピンに行って 
米軍を 叩き出して そして フィリピンを 独立させたんです。

現在のミャンマー。ビルマに行って  
イギリス軍と 戦って追い出して ビルマを 独立させたわけです。

これは 大東亜共栄圏 といって



アジアの国は それぞれ国があって然るべきだから 

なんで ここに オランダがいるんだよ。
そもそも オランダは ヨーロッパに 引っ込んでろっていうんですよ。
とっとと けぇれよって話ですから。

日本は
それぞれの国を 独立させて 
みんなで アジアとして発展 栄えていこう
というのが 大東亜共栄圏 なんです。

大東亜共栄圏 というのを 
日本が アジアを侵略する みたいな言い方しますけど

侵略してたのは ヨーロッパと アメリカなんですよ。

そこから 開放する。みんな 独立しようねっていう事で
これは 
嘘じゃなくて 実際 独立させたんだから。

でも 戦争で 
日本が負けたから 反論する事は許されなかった。 

日本の構想は 邪悪である と言われたわけです。



米軍は 民間人 100万人を 殺しちゃってるわけです。
そうすると 
日本人は邪悪だ って事にしないと 耐えられないでしょ。

日本軍っていうのは 世界征服を狙っていて 
アジア全体を 恐怖におとしめた奴ら 

だから
100万人 殺した 
って 説明がつくわけですよ。

もし 日本のやってる事が 邪悪だって言うんなら
じゃあ

アメリカは フィリピンで 何したんだって
イギリスは マレーシアで 何したんだって 
オランダは インドネシアで 何したんだ  って話ですよ。



日本軍が来て 叩き出してくれたんだから 
フィリピンも マレーシアも インドネシアも みんな 喜んだんですから。

現に みんな 独立国になりましたね。
これは 先の大戦の 結果ですよ。

日本が戦ったお蔭で アジアは独立できた訳ですよ。
あの戦争がなければ いまだに全部 欧米の植民地でしょうよ。

満州も 独立させたじゃないですか。

南方作戦は 

油田があり 
ゴムがあり これから戦っていくのに 資源が確保できる。

アメリカとは 太平洋で戦わずに 
南方の イギリス領と オランダ領 だけと戦っておいて 
アメリカの 
ハワイ フィリピン グアム などは 
外しておく作戦にしておけば 良かったと思うのですけども。

たくさん手を出しすぎて だから
ガダルカナル島といい 太平洋の島々で アメリカが 巻き返してきたんです。

ミッドウェー海戦で 
日本は敗北しました。急に不利になった。
太平洋戦争の局面が ここで 転換した と言われます。

日本の 航空母艦が 4隻。 重巡洋艦が 1隻 沈んでいます。



この 4隻の航空母艦に 300機くらいの 航空機が積まれていました。

4隻沈んだという事は 航空機も 沈んじゃったわけですが
航空母艦は 2・3年で つくれるんですよ。 

ところが
一番痛いのは パイロットが死んだんですよね。

じゃあ 募集して 訓練してって
優秀なパイロットを失うという という事は 

また養成するのに 5~10年かかるんですよね。



ミッドウェー海戦前までは 日本は 航空優位だったんですよ。
太平洋の 制空権を抑えていた と言ってもいい。

これによって アメリカの 航空優位が確立されます。

これも 戦争のやり方が へたくそなんです。

日本の 艦隊の移動とか 米軍に暗号を 読まれちゃってるんですよ。
日本は アメリカの暗号を 読めてませんから

日本の行動を 読まれているので 
アメリカの艦隊が 近づいて来て 偵察機を飛ばして 
日本の艦隊の 場所を探しているわけですね。
そして

発見します。




日本の艦隊も ヤバい 発見された と 

アメリカの偵察機が 見える という事は 
向こうも 艦隊を 発見した という事です。

目と目が合うから 
その瞬間 

無線で アメリカの艦隊に 
日本の艦隊の場所が いっているわけです。
場所を 特定したら 
そこに アメリカの艦隊が来て 空襲されるわけです。

ヤバい 場所 発見されちゃった って 感じです。
おそらく
30分 40分後に 飛行機がいっぱい来て 空襲をうけるんですよ。

そうなったら どうしますか?

そういう時は 全機 出撃なんです。

なぜならば 航空母艦に乗っている 
50~80機の 飛行機。 艦載機は 
爆弾とか 魚雷を積んでいるわけですから



この状態で 空襲をうけたら 一気に誘爆 暴発しちゃって 

轟(ごう)沈 
1分以内には 沈没してしまいますよね。

発見されたという事は 直後に空爆をうける という事なんです。
だったら 

発見されたら 全機出撃です。

出撃っていっても 同時に 200機ぐらい 上れるわけないんだから
順番に 上げるわけですよ。
そこで 
上げてしまえば 仮に 空爆をうけても 誘爆するわけでもないんです。
上げておいて その辺に アメリカ航空機がいるんだから 
探し出してそのまま 攻撃ですわ。

ところが また司令官が あんぽんたんなんですよ。
教科書通り すればよかったのに



発見された はい 全部出撃! ってしておけばよかったのに

ちょっと待った。
今 付けている爆弾は 
今 使う用とは 違う爆弾だから 魚雷に付け替えろ

という 作業を命ずるわけですよ。
順番に 外して 付け直してって 何十機もやるわけです。

その作業をしている間に 空爆をうけて 
艦隊4隻 沈んじゃってるんですよ。
何やってんの?  って話ですよ。

発見されて 間もなく空襲がくるんですよ?
ちょっと これ 付け替えて変えてぇ  とか言っている場合じゃあないんですよ。
合ってなくても とにかく飛ばしてね。

飛行機を全部上げたら 航空母艦も軽くなって 小回りもきくんですよ。
爆弾も全部 飛行機で行っちゃってるから 

轟沈(ごうちん)する事にも ならないので
何隻か 母艦が残れば 
帰ってきた飛行機も 受け入れられるんです。

そんな事している間に 空襲くらっつて 4隻沈んでるんですよ。
兵隊の命 何だと思ってるんだって話です。

今太平洋の 日本の航空優位は
これによって 完全に崩れた という事です。

ミッドウェー海戦のここが 戦局の転換になった と言えます。





絶対国防圏


連合国は 必ず来る というのはわかってたのですが 
思ったより早かったんです。

昭和16年12月 真珠湾攻撃から
昭和17年8月 
ガダルカナル島の上陸 から始まる アメリカの反攻がありました。



広い 日本の統治範囲 どこから突き崩していくか 
色々な可能性があったんでしょうが

オーストラリアに近い方 パプアニューギニアの東の方にある
ガダルカナル島では 
2万人の 日本兵が命を落として 
6か月間の 守戦の末 撤退をする事になります。

5月には 
北の方の アリューシャン列島 
千島列島の先の アッツ島が 全滅するんです。
小さな島で 2600人 日本の兵隊がいたんですけども 玉砕します。



全滅 と言わず 玉砕と言って 美化する。
全滅 と言うと 血みどろの 恐ろしい感じがしますが
玉砕 と言うと 文学的な 崇高なイメージがするような感じです。

撤退 は 
恥ずかしい 逃げる テンションが落ちる感じがするので
転進 と言うんです。 

進む方向が転ずる。    
それ撤退でしょ?って感じですけども 

転進します!って言ったら 
180度 進む方向を変えました!って 逃げてるだけですけど 
みじめな感じじゃない。

さも日本軍が 各地で検討しているかのような空気を 出していくんですけども
実際には
国民に知らせない形で 
多くの場所で 悲惨な戦争の結果が 生まれていくようになります。

終戦に向けての 大きな流れとして
何といっても

昭和19年6月 サイパン島が 陥落したこと。
これは大きかったですね。

平成の時代 平成の天皇陛下が 
サイパン島に 両陛下揃って 慰霊の旅をなさいました。

バンザイクリフ といって俗称で 呼ばれてますけど
多くの民間人が 万歳! と言って 
飛び込んで死んだと 血の海が広がったと なんとかかんとか 言われてますけど

そこに 両陛下がいらっしゃって 
晴天のきれいな日でしたけれどもね

黙礼を お捧げになる お二人の 後ろ姿というのは 
非常に印象的でした。



グアムのすぐ近くに サイパンがあります。
サイパンは 日本軍が 3万人 命を落としています。 
民間人 1万人 命を落としています。

グアムも 激戦地になりました。

サイパン島が 陥落したこと。これは大きな意味があったんですね。。

絶対国防圏が破られたのが サイパンなんです。

ガダルカナル島。
フィリピンのレイテ沖 で
初めて 特攻作戦 が行われたんですけども

各地で戦闘があって 
日本軍が 後退 後退 
まさに 転進 転進 を繰り返していく事になるんですけども

その中でも
最終的に ここだけは 守れなくてはならない 
ここが落ちたら 日本 終わるよ という ラインがあるんですね。

絶対国防圏 の中の 絶対国防圏。

それが グアム・サイパン。 マリアナ諸島と言うんですけども
マリアナ諸島が落ちたら 日本 終わり。

どういうことかというと
B29 の 射程に入るんです。



北海道
東北の北部 までは行けないんですけども 
日本列島の全域が 
サイパンから B29を飛ばせば 全部射程距離に入るんです。
その外は 遠すぎて 爆撃不能なんです。

グアム・サイパンを取れば 日本中 ほとんど空爆ができる 
という場所が 落ちた。という事なんです。
間もなく

日本中 空襲されますよ。 という話なんです。

逆に 
グアム・サイパンが落ちなければ 日本の空襲は 不可能 なんです。

朝鮮半島は 日本でしょ。満州は 友好国でしょ。
中国方面の東側も 日本が抑えてますよね。

中国大陸の 重慶(じゅうけい)から アメリカ軍の飛行機が 飛ばせるんですけど 
重慶から ギリギリ福岡まで。

福岡は1度 空爆されてますけど 
福岡に着いたら 5分で帰らなくちゃ 燃料持たない。 
ほとんど まともな空爆が できなかったんです。

日本が 350機を 一斉に上げて 
第1波 第2波に 分かれてましたけども
猛烈な 火薬を投下して 真珠湾の基地を 叩きましたよね。
それができたって すごいんですよ。

グアム・サイパン を抑えて 
硫黄島 を抑えたら 
もうアメリカは 日本の制空権を抑えたようなものなんですね。
そこでもって 初めて空爆ができるんですよ。

あんな世界最大の 経済大国で 
最大の 軍事大国である アメリカですら
周辺の 島々を抑えない限り 日本に爆弾一つ落とせなかった 
という事です。

それに引き換え 日本は 
何千キロ離れたところに 350機を 一斉に上げて 
複数の 航空母艦を 同時運用して やったわけです。

世界中で日本しか できなかったんです。
これは とてつもない事なんですよ。

日本はできた。でも
アメリカは できなかった。

グアム・サイパンを落として ようやく爆弾を落とせた。

東京大空襲をした 長距離爆撃機 B29は 



マリアナ諸島から 飛び立ってるんですね。
広島・長崎に 原爆を落としたのも 
サイパンのすぐ脇にある テニアン島 という小さい島から 飛び立ってるんですね。

たくさん爆弾を積める 長距離爆撃機 B29 というのは 
30mある 大きな飛行機で 

滑走距離が長い 陸上の基地のじゃないと 
離陸できません。



航空母艦から 離陸できないんです。
航空母艦から 離陸するのは 小さな飛行機。 

B29 を離陸させる場所が マリアナ諸島。

という事は 
日本が マリアナ諸島を 死守できたら
東京大空襲はありません。
広島・長崎に 原爆を落とす事もできませんでした。

日本中 焼かれるという事は なかったんです。

マリアナ諸島が落ちたら 日本は終わり。

だから 石原莞爾は 
東条英機は 馬鹿だって言ってるんです。
歴史 人物② リンク

台湾 沖縄 グアム サイパンくらいで 縮小して
太平洋の広範囲 あっちこっちに 散らばっている 

ビルマとか スマトラとか マレー半島 とか 手放して
一気に グアム・サイパンに撤収して 
集中して 絶対落ちないようにして

ここだけって
全兵力を 結集したら 簡単に落ちませんわ。 
そうしたら
全然違う 終戦になったんではないか と思うわけなんです。

全部守ろうとして 全部失ってるんですよ。

サイパンが 陥落した事によって 
東条政権というのは いよいよ ダメになっていくんです。
実は この頃 東条首相暗殺計画 というものが いくつかありました。

そして
昭和20年3月 硫黄島が陥落します。2万人 亡くなります。
歴史 人物② リンク

アメリアは グアム・サイパンを取れば 日本中 空爆できます。
でも
B29 とて 怯えながら空爆してるんです。
日本に近づいたら 
いっぱい戦闘機が飛んできて 攻撃をうけちゃいますよ。

下から 高射砲で ダンダン撃たれたら B29だって くらっつてしまいます。
B29に 護衛機を付けて 一緒に飛び立っても 
護衛機は 燃料が尽きて 帰ってこないといけない。

そこで 硫黄島なんです。
日本と グアム・サイパンの ちょうど間くらいに位置しているのが 硫黄島 なんです。

なので日本は 硫黄島を 死守 しようとしたわけです。 
2万3000人くらい 硫黄島に投入してるんですけども

米軍は ここが 欲しかったんです。



ここを抑えて 
突貫工事で 一気に滑走路をつくって 航空基地を整備すれば 
護衛機を飛ばせるんですよ。

B29は サイパンから来ますよね。
そして 硫黄島に差し掛かったら 護衛機を上げて

B29を いっぱいの護衛機が 護衛しながら飛んで行って  
護衛機に 護衛されながら 爆撃できるわけですよ。
周りの 護衛機 という戦闘機が 蹴散らしますから 
B29は 空爆に専念できます。

ヨーロッパでは ノルマンディー上陸作戦があり



バルカン半島からは 東欧を ソ連が取りにかかります。





1943年
昭和18年。

ドイツに対して ソ連が逆襲し ドイツのベルリンが堕ちます。

本筋は 南進論で
オランダ領の インドネシアに 石油を取ってきたい という話で 

イギリス領の シンガポールでは 最低 2年はかかるのではないか
と言われていたのが

日本が 約55日で攻略しました。

東南アジア というのは 
ヨーロッパみたいに 戦車戦ができないので
日本は
歩兵に 自転車を持たせて 進軍 突破する という 

銀輪部隊 とか言って



東南アジア 全域で活躍したんですけども

皮膚に着いたら 血を吸う ヒルだらけの



川とか 沼とかに 
日本軍の人たち ずっと耐えて潜んでいて 

自転車の電撃な速さで ジャングルの とんでもない方向から 

どりゃぁぁ~!!! って出てきて 
敵の人々は えっっ! こんなとこにいたの!? みたいな感じだったようです。

ハワイ マレーで 米運は 
日本と 戦艦同士でやると 敵わないから
航空機を飛ばすために 空母 をつくりはじめます。

南進論のまま 
イギリス領の インドのインパール作戦 は
ここでやっておけばよかったんです。

ソ連からの 危機に備えて 満州を抑えた。
陸軍は ここがメインだった。
満州 を守るために 支那事変を始めたわけですが 

アメリカは 東の海からと 中国大陸からの 挟み撃ちで 空爆をしようとしました。
これを察知した 日本は

昭和19年 
4月17日 から 12月10日
2400km 支那大陸 ひたすら歩いて 縦断して



大陸脱作戦 で徹底的に 勝つんです。



老河口 (ろうかこう)の戦い というのがあって

飛行場を攻略するのに 
一応
機関銃も 背中にしょっていますが



蔣介石側は 英 米 ソ連から 物資をもらって
近代化していいるはず なんですけども

日本は 
馬 と 日本刀 で おりゃぁぁぁぁぁ~!!! って走り抜けていって 勝っちゃうんです。
漫画みたいに勝っていたわけです。 

中国大陸 チベットなど 世界的に最強の将軍 で有名な

日本人は ほとんど知らない
直侵攻軍 岡村寧次(おかむらやすじ) 支那派遣軍総司令官 陸軍大将



中国大陸 2400Kmを 縦断して 
中国大陸沿岸からの 空爆を阻止した人です。

あとは
すた~リンが モンゴルに攻めてきたので 
岡村は
部下の 根本博(ねもとひろし)陸軍中将 に



やっつけてきて と言って 
モンゴルの居留民を 全員助けて 帰ってきたそうです。

すた~リンが 最後まで
岡村寧次がいる 万里の長城の中には 攻め込まなかった という事でした。

アメリカも
日本に上陸した 本土決戦の時に 

岡本 と 根本が 日本に戻ってきたら どうしよう
と 恐れられていた人です。

そして 一方
石油確保 のために インドネシアの石油を取りに行った。

しかし
なぜか 日本は 東に行ってしまい 方向音痴になり
インドネシアに行くはずが ハワイを攻め込んで 

始めは ハワイ方面に行って マレー沖海戦で 大勝利をおさめます。

北の方の 
カムチャッカ半島の手前の アッツ島 にも手を伸ばして 

日米戦というのは 
なぜか 太平洋の 島々に分散してしまって
そうすると 日本は今度は それを全部 守らなくてはいけなくなる。

米軍は 戦力を集中して それを取り返しにいけばいい。

オーストラリアに近いところまで 
ガダルカナル島で



食糧船は砲撃され 補給もなく  餓死者続出。
飢餓の島 と言われています。

失陥して 勝てそうもないから

やっぱり インド? みたいな事で



イギリスは 
あともう少し日本に 攻め込まれていたら 
負けていたかも  という状況だったらしいですが

結局 日本は撤退した
昭和19年 インパール作戦。 

軍事戦略も無い。
何をしに 島を取ったの?って感じです。 

しかし
インパール作戦で インドの独立のために
命を捧げてくれた 日本の将校たちがいたお蔭で

インド独立を目指した
チャンドラボーズ は亡くなっていたけれど



ガンジー や ネルー



インド国民たちは 
独立のために 自分たちが 立ち上るんです。

そして
本格的な爆撃は 硫黄島を落としてからです。

昭和20年3月 硫黄島陥落。
昭和20年3月10日 東京大空襲。 そして 日本各地で空襲。

グアム・サイパンが落ちて さらに
硫黄島が落ちることによって
日本の制空権は 完全に失われた という事になります。

なので B29は 
我がもの顔で 自由気ままに 思った通りに空爆できるようになったんです。

いくら日本人が 精神的に強いっていっても 
100万人 民間人が死んでいくっていうのは 耐えがたいものがあります。

軍人も はなからの軍人ばかりじゃ ないんですね。
赤紙で  



民間人を急に 軍服着せて 
はい あんた今日から軍人ね っていう感じですから

その軍人ですら 200万人死んで 
さらに
徴収もされていない 子どもとか 女性とか 
どんどん 焼き殺されていったわけですから。

いくら 日本人が団結していても 
どっかの新聞が言うように

ひじきの塩漬けだけで生きる ったって 
そう簡単なわけに いかないんです。

日本中 焼かれた というのは
大きかったと思うんです。

空襲された都市の数が だいたい 400です。
消滅に近い 街が無くなってしまった というレベルの空襲は 66都市。

66都市が 消滅ですよ?
被災した街は 400 ですからね。

大都会だけではありません。
田舎の中・小の地方都市も 
片っ端から 空爆をうけたわけなんです。



本来であれば 戦争というものは ルールがありますから

軍事施設は 攻撃していい。
ところが
民間人が 居住している地区を空爆するのは 

国際法上 許されません。

おかしいですねぇ。
アメリカって ヨーロッパで空爆とかする時に 

いや それ そういう戦闘方法や 空襲は 
民間人死ぬかもしれないから ダメだよ とか言いながら 

結構 ヨーロッパ戦線では 
アメリカが一番 倫理観があって うるさく連合国の中で言って 抑制して 

国際法を 守れ と一番口をすっぱく言っていた アメリカが

日本をやる時は お構いなし ですよ。
やはり 差別主義 なんですかね。

同じ 白人同士では 
ルールがあるから 民間人 殺しちゃだめだよね ってなったんですかね。

日本だったら
白人から見たら 牛か 馬と一緒?
アメリカが 
ヨーロッパでの振る舞いと 日本での振る舞いと 同じ米軍とは思えないんですよ。

東京なんて 全部焼きましたからね。
だいたい 東京なんて 軍事工場はないですからね。



東京大空襲 300機の B29 ですよ! 
27万戸焼けて 首都 東京で 10万人が死んでるんですよ!

よくもまぁ 民間人の住んでいるところを 焼きますね。



確かに 陸上戦 と言えば 
昭和20年4月1日から 3か月間。
沖縄が 唯一の陸上戦です。 9万人死んでます。

民間人が 多く亡くなったのは

1番目が 広島で 約20万人。
2番目が 東京で 約10万人。
3番目が 沖縄で 9万7000人くらいです。
4番目が 長崎。 7・8万人 くらい。

原爆は原爆症を どこまで含めるかによって難しいですが 
広島・長崎で 30万人 という数字を出しています。

ヨーロッパでは 国際法を守ろう なんて言っていた アメリカが
なんで 
日本を攻める時だけ 国際法 関係ないってなるんでしょう。
日本人は 有色人種って 差別されていたんですかね。
日本人なら いっかって。





特攻作戦

いよいよ対米戦争も 終盤ですけれども

若い兵隊が 特攻に志願して 

特攻も 色々種類があったんですけども
一番多かったのは 

航空機の パイロットに志願して 250キロ爆弾を抱えて 片道燃料で飛んでいって
そして
敵戦艦 
敵空母に 体当たりをしてですね 



自らの命と 引き換えに 敵の船を沈める。 こういう事をしたわけです。

この作戦は 作戦としては ひどいもんです。
だいたい 軍事作戦というのは 敵目標を撃破して 
そして
無事に 帰ってきて 初めて 成功 と言えるんです。

たとえ 目標を撃破した部隊が 全滅してしまったら 成功 とは言えないんです。

ところが
特攻作戦 というのは 
出撃した 特攻隊員が 死ぬことだけが 最初に決まっているんです。

成果をだせるかどうか というのは その次で
死ぬことだけが 最初に決まっている という
こんな めちゃくちゃなものは 作戦とは言えないです。

でも こんなめちゃくちゃな事を しなくてはいけなかった というのは
最後 日本が
いよいよ 追い詰められきて 負け戦だからですよ。
勝ち戦だったら こんな めちゃくちゃな事はしませんよ。



特攻作戦の目的 というのは

米運に対して アメリカの 政治家 に対して

恐怖心を 植え付けるという事なんですよ。

特攻作戦の 心中を打ち明けると 
当たるかどうかは どうでもいいんです。 

間もなく日本は 戦争を負けますわ。
占領されるでしょう。

でも
好き勝手すんじゃねぇぞ。この姿を 見ておいてください。

日本人 いざとなったら 
何でもするぞ。

っていう話なんですね。



そういう風に考えた時に 特攻の意味って 大きかったんです。

アメリア人って 日本人すげえなぁ  というのがあって

この人たち怒ったら 何でもする と。
この人たち切れたら 何しでかすかわかんない。

そういう緊張感の中で 終戦後 
占領 が始まるんです。

GHQの中でも 
この表現を使ったら 日本人 怒るかな?
この政策を今 実行したら 反乱が起きるんじゃないかな?

だからこそ 
国を残しました。天皇を残しました。
政府も 議会も残しました。

ものすごい 気を使っているんですね。

アメリカは 
よその国を占領した時に そこまで 気を使わないです。
アメリアが勝ったら 必ず国家ごと 潰すんですよ。

これやったら 日本人 マジで切れるかな?
みたいな
連合国側も そうとう気を使いながら 
日本の 占領政策をしているんですね。

占領されても 日本は国を残しました。
その
要素の一つは 特攻作戦 です。

彼らは ビックリしたんですから。

アメリアの兵隊って 生きて帰る事を前提に 戦っています。
日本の兵隊は ほとんど 死ぬ覚悟で 戦っているわけです。



生きて帰るつもりで 戦う人と
死ぬ覚悟の 人たちが 戦かったら どうなります?

生きて帰るのに戦っている人 ノイローゼになりますよ?

ただでさえ 硫黄島の戦いの時 アメリア兵 頭おかしくなっちゃったんだから。
歴史 人物② リンク

普通は 武器 弾薬 尽きたら 
白旗上げて 投降するもんですけど

日本軍は 1人 2人 の投降はあったみたいですけれども
最後の最後まで 
組織的な 敵に降参するという 投降した部隊は無かったんです。

抜刀 突撃ですよ。
刃物 振り回して 何の意味もありません。撃たれて死ぬだけです。
日本軍は 最後は 玉砕 です。

映画でもその姿を観る事ができます。



でも
撃っている 米兵の心は 壊れるんですよ。

想像してみてください。

機関銃を持っているでしょう?
やぁあああ~っ!!!って言って 刃物を振り回している 若き日本兵が 何百人って来て
だだだだだぁっ!!! って     若きアメリカ兵が 撃っていくんですよ。

5人 撃ち殺し 
10人 撃ち殺し 
20人 撃ち殺し って 何十人も撃ってたら 
撃ってる人の心 壊れますよ。

硫黄島の戦いの時 
アメリカの兵隊が 上官に送ったメッセージが残っています。

もう お願いだから 俺たちを あんな狂った島に連れていかないでくれ

って書いてありました。
精神的に PDSE 
(強烈なショック体験・強い精神的ストレスが 
心のダメージとなって 時間がたっても その体験に対して 強い恐怖を感じる)

になって 戦場復帰ができない若者が ほとんどだったんですよ。

確かに アメリカは勝ちましたよ。勝ちましたけど
ものすごく 怖かったみたいです。

アメリカ兵も 日本兵も 大事な未来を担う 同じ若者たちです。



硫黄島を守備した
日本兵は 2万3000人です。

それを 取り囲んだ 
アメリアの機動部隊は 17万人 です。

2万 対 17万 勝負にならないですよ。

これほどの 戦力差があったら アメリア側は 簡単に勝てるはずだったんです。
短期間で 無傷で勝てるはずだったんです。
アメリカは 3日 で落とす計画だったんです。

ところが 実際に攻めてみたら 1か月経っても まだ落ちなかったんですから。

日本軍は2万3000人いて
ほとんど亡くなりました。捕虜になったのが 千何百人か いただけです。
生き残ったのは 20と何人か です。

でも
本来 米軍は 無傷で勝つはずだったのが 
死傷者の合計数は 米軍の方が 多かったんです。
あんな小さな戦力で あそこまで粘った例は 人類の歴史上ないんですね。

死ぬ気で来られたら 
生きるつもりで戦っている 米兵は やっってられないですよ。

向こう死ぬ気でしょ?
こっち 生きて帰るつもりだから おいおい 来んなよって話ですよ。
関わりたくないですよね。

何で 日本兵は あんなに真剣に戦えるのか 
アメリカの人たち わからなかったんです。

お国のために死ぬ ってないから。国より自分の命の方が 大切ですから。
国のために死ねるって 意味がわかんないから。

そして 最後に見たのが
特攻 です。

フィリピンの レイテ沖から始まって 沖縄もありましたよ。

沖縄陸上戦。 国が違っても慈しみあう 



お互いが神の子です。



青年たちは 
本当は戦争なんて 早く終わればいいのに と思ったでしょうね。



日本の
爆弾抱えた飛行機が 突っ込んでくるんです。 恐怖だったでしょうね。
最後の 最後まで 
人間が操縦していって 正確に当ててくるわけだから。 トマホーク と一緒ですよ。

米軍も 特攻作戦やろうとして 準備しようとしましたが
全米で募集をかけても 1人も応募しないだろう 
という レポートの形跡が 残ってます。

それから
沖縄とか 特攻作戦を目の当たりにした アメリカの将兵たちは 
日記に残しているんですよ。

みんな恐れ おののいているんです。さらに 賞賛しているんですよ。

この人たちは すごい。
軍人の鏡だとか 自分にはできない と書いてあるんです。

怖いけど 
それを やっている日本人の事を 同じ軍人として 尊敬しているんです。

なので 特攻を見て 
日本人 すげえなぁ この人たち 最後 何でもするな って
死ぬ気になって来られると これほど強いものはないですからね。

精神的に すごいインパクトがあったんですよ。
すごいのは 特攻作戦だけじゃなくて 

硫黄島そう。
アッツ島もそう。
ガダルカナル島もそう。
ペリリュー島もそう。
各地で 日本が玉砕した 戦闘がありますが

硫黄島で戦った兵隊って 特攻隊員ですか って言ったら違いますよ。
たまたま そこに配属して 
はい 戦ってって言われて それだけですからね。
特攻隊員じゃない 2万3000人が 総特攻状態だったんですよ。

それも それで すごいですよ。
特攻隊もすごいけど 普通の兵隊も すごいんですよ。
やってる事 一緒なんですよ。

みんな最後 自分の命を捨ててでも 
少しでも一撃を加える という事で 必死だったわけですよ。

硫黄島が落ちたら 日本中 焼かれるんですよ。
ここが落ちたら 自分の家族が殺される。

お国のためって言うけど お国のためじゃあないんですよ。
家族を守るためなんです。

天皇陛下万歳 って言うけど 
天皇陛下 1人 生き残って 1億人 死ねばいいなんて 
そんな馬鹿な事 ある訳ないじゃないですか。

じゃあ何のために 彼らは死んだのかというと 

家族を守るためです。
家族を守るために 出撃していったんです。 特攻に志願していったんですよ。

何で 特攻する事が 国を守る事なの?って言ったら

最後 日本人の精神性を 見せつけるんです。



敗戦するのはわかってますからね。
普通 敗戦したら 国ごと無くなるんですよ。

何とか 国を残したい。

そのためには

なめんなよ。 
これから日本は敗戦するけどさ 好き勝手させねえからな。
日本人 最後なんでもするぞ。 この姿 見とけ!

って言う事です。

だいたい 特攻の 実践訓練なんてないですからね。

特攻の2回目はないですから
特攻隊の ほとんどは体当たりに成功していません。
体当たりできたのは ごくわずかです。

手前で弾くらって 爆発したり 手前におっこちた とか 
体当たりできずに 果てていったわけです。

もはや 当たったか 当たらないか 関係ないレベルで 
ものすごい 精神的なインパクトを与えたわけなんです。

よく 特攻隊の この子たち 可哀そう 
って言う人がいますけど
とんでもない ですよ。

この人たちは
夢を持って 出撃していったんです。



それは 日本国を 守る

という 夢と希望です。そして 夢を叶えた人たちですよ。

確かに日本国は守られました。

特攻が 飛んだお蔭です。

それから 
硫黄島はじめ 各地の戦地で 勇敢に戦った 
日本兵の あの姿です。

その姿が 米兵の心に焼き付き 
マッカーサー元帥だって 日本と戦っていた司令官です。

マッカーサー元帥が言ったんですから。  

日本をなくしたら 駄目だと。
天皇陛下をなくしたら 駄目だと。
日本国家を 解体 したら とんでもない事が起きる。

マッカーサー元帥は 特攻も見てますから。
天皇陛下の姿も見ましたよ。

これはやっちゃ 駄目だ って言って 
日本の統治だけ 今までの世界中の歴史上ない 統治になったわけです。

そして日本は 独立を実現させましたよね。

特攻によって 日本の兵隊の戦いぶりによって 
日本が守られたんです。

特攻に志願した人たちの 頭の中では
 


愛する人が 幸せでいられる という事 と
日本国が 存続する という事 がイコールで結ばれていたんです。

日本国が残っていれば 愛する人たちが幸せでいられる。
と 
信じたわけなんです。

もし
日本国がなくなってしまったら きっと 愛する家族は 
みんな 不幸になる と思ったんです。



自分の命は 大切です。尊いです。でも 家族のためなら 死ねます。
だから
国を守る という事は 家族を守る という事だったんです。

だいたい 戦争に負けると 国家というものは 
2分割 3分割 4分割 にされます。

たとえば 
ドイツも 5分割 されました。
朝鮮は 2分割。
ベトナムも 2分割 でした。

日本だって 終戦があと 2か月遅ければ 



北海道 東北は ロシアでしょ。
連合国で 3等分 4等分 するような話に なったかもしれない。

じょうずに 大棟 1つになりましたけども 

一歩間違えたら 
西日本は 中国だったかもしれない。
西日本の人は 生まれてから 中国語を今 しゃべっているわけですよ。

悲劇はそれだけではない。
西日本が 中国の支配だったら 中国なんか 簡単に 日本に返還なんかしませんからね。
西日本の人は 人権のない世界に 住んでいたかもしれない。

そして

文化大革命 を経験しているかもしれない。
学校の先生 とか 学者 とか 政治家とか 
インテリ的な人が 家族に 1人でもいたら 
今 生まれてきていない人が たくさんいるはずです。

北海道が ロシアに占領されたら ボロボロに興廃したでしょうね。

占領された場合 人権もない。

そうなっていたら
果たして 家族は幸せでいられたでしょうか。

日本国 さえあれば 
家族が 幸せでいられるはずだ と思った 特攻に志願した人たちの想いは
正しかったですよ。

そして
こういう人たちの 勇敢な行動があってこそ
日本国が 守られたんです。



なので
最終局面での 日本人の振る舞い。
人類の歴史上 この時の 日本人ほど

勇敢に戦った人たちは いません。

このことによって 
終戦によって 負けるという 国難 に当たっても

日本は しっかりと 国を守る事ができました。
そして 今 しっかりと 国を繁栄させてます。

特攻に志願した人たち
各地で 勇敢に戦った人たち

こういう人たちの 
自分の命を 投げ出してでも

大事なものを守ろう という



勇敢な行動があってこそ 今の日本が あるんですね。

国のために死ぬ というのは 
愛する人を 守るために死ぬ とういう意味であって

大切なものを 守る
家族を守る ために 戦った。



日本国さえあれば 
日本人は幸せでいられると みんな信じる事ができた。
そういう国 だったんですね。

国家があるから 国民が幸せになるんです。
だからこそ
国民が その国家を みんなで守ろうとするんです。

そんな 2000年以上続く
素晴らしい国に 生まれたんですよ。

でも 
そこまでして守ってくれた 日本なんだから

今 どうですか?
今 どういう風にしなくては ならないでしょうか?

これを 私たちは 考えていかなくてはいけないですね。



鹿児島の知覧から
若き特攻隊員1000名が 沖縄防衛のために飛び立ち 往いて帰らざる壮途についたのであります。
それは 
飛び立てば二度と帰ることのできない出撃でした。
父よ 母よ 兄弟たちよと叫んで 
若き志士たちは 祖国を守るために 開聞岳の麓から飛び立ちました。







鈴木貫太郎内閣

東条総理が総辞職しました。

その後の 小磯内閣で



重慶(じゅうけい)の 蔣介石(そうかいせき) と
和平交渉をしようとしましたが 上手くいきませんでした。
ここで 和平すれば アメリカと戦う必要がありません。

外務省も

スェーデン
スイス
バチカン
スペイン という 中立国と 和平工作するわけですが 失敗。

次に 何を考えたかというと
なんと
ソ連 に仲介を頼む事にしたわけです。

次に
鈴木貫太郎内閣が成立したのが



昭和20年。
4月7日 です。

4月1日 から 沖縄戦が始まっています。
沖縄を助けるために 
戦艦大和が 単艦ではなく 6隻の艦隊で 沖縄に向かっています。
沖縄は 9万7000人の 民間人が 
陸上戦闘に巻き込まれて 命を落としました。

日本は 沖縄を見捨てた などと言う人がいますが

沖縄は 日本なんだから 見捨ててはいない
という事で 戦艦大和を行かせたんです。
死ぬとわかっていて 行ったんです。

沖縄 増援部隊の 戦艦大和は 
米軍機 約200機からの攻撃を受けて 
鹿児島の 徳之島沖 坊ノ岬沖海戦 で沈んでしまいました。
3700人 の命を落としているんですね。



沈む前 乗員の若い命 1700名ほどは退艦させ

艦長 有賀幸作(あるがこうさく)



司令長官 伊藤整一(いとうせいいち) は



戦艦大和と共に 沈んだ。

空では
沈んでいく 戦艦大和を見ながら 特攻隊員は飛んでいく。
自分たちも 行くぞぉぉぉ と言って 突っ込んで行くんです。

伊藤整一 の長男 叡(あきら)も 飛んでいきました。

沖縄を守備した 日本軍だって
戦っているんですから
沖縄を捨て石のようにするなら 引き上げればよかったじゃないですか。

沖縄は 本土 ですから。
沖縄を守る為に 戦ってたんですよね。

北海道も 沖縄も 硫黄島も 内地なんです。

昭和19年。
6月。
サイパン島。 アメリカは ここ落とす事で 
長距離爆撃機 B29 の離発着ができる基地を 確保する。

昭和20年。
3月。
硫黄島。 ここの本土の一角を 明け渡す事で 
B29 を 護衛できる戦闘機の 離発着場所を確保する。

昭和20年。
4月7日。
沖縄。 ここを占領する事によって 
日本列島全体を占領するために 沖縄に基地を 設定します。

この後 ポツダム宣言を受諾したので 行われませんでしたが

昭和20年。秋。
連合軍は
九州の南部を 占領する予定でした。



昭和21年。
鹿児島辺りを起点としながら 関東上陸作戦 を目指していたんです。

首都 東京を 東西から 挟み撃ちにする。
西側からは 湘南 の辺りから上陸する部隊と 
東側からは 九十九里浜 の辺りから 上陸する部隊。



そこから 一気に 50万人 を地上に上げて 
首都東京を 挟み撃ちする

日本占領計画 ダウンフォール作戦。



が あったわけなんですね。
このような計画が 着々と進行してきているわけなんです。

戦艦大和が 沈没した 4月7日は
鈴木貫太郎内閣 が成立した日 でもあるんです。

この
鈴木貫太郎 という方が ポツダム宣言の受諾 に持ち込むんです。

日本を 終戦 に導いたのは 鈴木貫太郎内閣です。

鈴木貫太郎 という人は
2・26事件 の時に

当時 侍従長でしたが めった刺しにされたんです。
全身血まみれで あと一刺し という時に

当時
足立たかさん。
この後 鈴木貫太郎の奥様になる 鈴木たかさんが

お待ちください もう充分でしょ!  
とどめは 止めてください。
まず 
私を刺してからにしなさい!
という剣幕で

軍刀を振りかざしている 大勢の 青年将の間に入って止めました。

奥様 たかさんは 10年近い期間 
昭和天皇
秩父宮殿下
高松宮殿下 の養育係に勤めた方です。



この時 死んでしまったら 鈴木貫太郎内閣は 成立しなかったでしょう。
そして
終戦に 日本をしっかりと導くリーダーは いなかったでしょう。

軍人であり 昭和天皇の 侍従長も務め 
昭和天皇
宮様方
陸軍 重
臣 とも 強いパイプがある。
そして
昭和天皇の ものの考え方がわかっており
昭和天皇からも かなり信頼されている方だったんです。

この頃 サイパン島が落ちています。
次に 
硫黄島・沖縄戦 と来ています。
東京大空襲も ありますよ。東京は 10万人死にましたからね。

まだ ポツダム宣言が出ていませんですけれども
これは 終戦 にもっていかなければいけない という状況で

誰を 総理にするのか 
というのを 差配(さはい)するのは 内大臣 の仕事でした。

木戸幸一(きどこういち) という 内大臣が



ここは 鈴木貫太郎の出番だ 
という事で 重臣たちを説得して 鈴木貫太郎に選ばれるわけです。

ところが 説得するのも 木戸幸一の役目なんですけども

鈴木貫太郎は お年が 77歳。

昭和天皇は 鈴木貫太郎に面と向かって 内閣総理大臣をやってほしい
と 言うのですけれども

私 今から 総理大臣なんてできません。 
と 
鈴木貫太郎は断ります。

そもそも
軍人は 政治に関わってはいけない。 という事で
政治家に向いていないし こんな重大な局面で 無理です!
ましてや 
私は 77歳 老人です。 拝辞(はいじ・引きさがるという意味) します。


と 昭和天皇に 申し上げるのです。

昭和天皇は


老齢でも構わない。お前しかいない。
何とか一つ やってくれ。

と言うのですが

鈴木貫太郎は


無理です。拝辞します。
と 
再度 再再度 断ります。

昭和天皇は


構わん。お前しかいない。
目がかすんで 見えなくてもよい。 
耳が遠くて 聞こえなくてもよいから  

やれ。

と 言うのです。
目が 耳が。そこまでおっしゃったですよ。

そこまで言われたら もう断る言葉を失ってしまいました。

鈴木貫太郎は


わかりました。謹んでお受けいたします。

という風に申し上げまして 
鈴木貫太郎内閣が発足しました。

もうここは 鈴木貫太郎を 総理大臣に立てて 
何とか 終戦に 持ち込む以外にはありませんね

昭和天皇 と 木戸幸一内大臣が 話し合った事ですよ。

昭和天皇が 
ここまで頭を下げ 臣下に頼み込む お願いをするという事が 
かつてあったでしょうか。

当然 鈴木総理も 
終戦に持ち込むために 総理大臣に起用されたんだ 
という事はわかっています。
でも
この段階で 軽はずみに

じゃあ私が 総理になった以上 
いよいよ戦争をやめますよ~ 




なんて事は
絶対 口にはできないわけですね。
そんな事を 口走ってしまったら

新聞は 国民を煽っているし

陸軍の作戦を 立案する 参謀本部とかは
沖縄戦の後 
アメリカは 本土上陸 をしてくるであろうから

日本軍としては どう対処するか 
防衛計画を 立案している人たちが いるわけです。

そんな中
総理大臣如きが 戦争やめま~す なんて言ったら 一発です。

何言っているんだ。
最後の最後まで 戦うんだぁ! という人たちが いるわけですから

まぁ 殺されていたでしょうね。

そういう世相だ という事を 理解しなくてはいけないんですね。

昭和天皇の 詔(みことのり) で始まったこの戦争は
昭和天皇の 詔(みことのり) でもって 終わりますよね。

じゃあ
東京 沖縄 サイパン 硫黄島 などの前

何でもっと 早い段階で 
昭和天皇が 戦争をやめる って言ってくれなかったの?

簡単に言う人がいるんですけれども

そんな事言ったらですね
もう 
総理大臣 陸軍大臣 参謀総長は 殺されるは 
何が起こるかわからない。

特別高等警察(特高警察) に 政治批判したら 
この当時は 逮捕 ですよ。

高松宮殿下の秘書の 細川護貞(ほそかわもりさだ)さんも



当時 
電話とか話をしたら 盗聴 されるかもしれないと

細川さんが 
自ら行き来して 情報交換をして 
どう終戦に持ち込むか 水面下で 調整していたというぐらいで

誰と どういう会話をしたかなど 秘密の日記に書き記していますよ。

もし
このノートが 特高警察の目に触れたら 私は生きて出てこれない
と 
そこまでの覚悟をして 細川さんは その役を担っていた
という事です。



鈴木貫太郎総理も 終戦へ導くつもりですけれども 難しいです。
こんな状態で どう 
終戦に着地するのか。

この後
ポツダム宣言 が出され 原爆も投下されます。
ソ連 の参戦もあります。

そのような流れの中で 鈴木総理の前
小磯内閣では 色々とうまくいかず 
でも
終戦を 実現していくんですけれども

日本は 和平への方針を考えていました。
それは

ソ連に 仲介をしてもらう という話だったんです。

日露戦争の時に アメリカが仲介して 

日本と ソ連との戦争を 終わらせましたよね。
それと 同じように

日本の 友好国って言ったら 
日ソ中立条約 を結んでいた ソ連 しかないんですよ。

日独伊三国同盟 って言っても 
ドイツも イタリアも もう敗戦しちゃいましたからね。

日本は
アメリカも イギリスも ヨーロッパも 
それを相手に戦っているわけですよ。

なので
日本の 唯一の友好国は ソ連 だったわけです。

ソ連の すた~リン書記長に 仲介者になってもらって 
連合国との戦いを 終結させていく。

そういう方針を考えていました。



原爆実験

昭和20年。
2月。
間もなく ドイツが降伏するであろう という事で

ヤルタ会談 が開かれます。

アメリカ ルーズベルト大統領。
イギリス チャーチル首相。
ソ連   すた~リン書記長。



3人の顔を見たらわかりますけども 
海千山千(うみせんやません)の 大物政治家たちです。

ドイツを負かして その後どう 戦後処理をしようかと 
そのような 事前会談をするわけです。

ヤルタ会談の密約 というのは有名です。

アメリカは 対日戦争に 
ソ連が参戦してほしかったんです。

アメリカが 日本の本土上陸をして 
たくさんの兵隊の 危険を冒して 命を落として
日本を 降伏させるぐらいだったら 

ソ連に 参戦してもらって
すると
日本は すぐ降伏する。一気に片付くんじゃないか 
と思ったんです。

ソ連は ヨーロッパで まだ ドイツと戦ってますから
ドイツが 降伏したら

ドイツから日本に 
100万人以上の軍隊を運び 3か月以内に 日本に攻め込む。

こういう約束が 取り交わされたんですね。

ソ連の前の ロシアは 
日本と戦って

千島と 南樺太 を
日本に取られてしまった 苦い経験があります。



アメリカは ソ連に
ウチが勝ったら 樺太と 千島列島は あんたらが取ってもいいよ。

ソ連は
あ そう。じゃあ 攻め込むわ。

と なったわけです。

4月。
ドイツは 降伏しました。

そして 
アメリカの ルーズベルト大統領が 死にます。

次に 
副大統領の トゥルーマン が 
選挙を経ずに 繰り上がり式に 大統領になってしまった。

トゥルーマンは 難しい交渉などをしなければならなかった。



7月16日 の トリニティ が予定されていました。

トリニティ というのは
三位一体 という暗号なんですけれども

人類初の 砂漠のど真ん中で 原爆実験。 
核実験が 予定されていたんです。

トゥルーマン大統領は 
核実験 トリニティ を確認して

原爆を持っている国の 大統領 として会話するのと
すいません 私 大統領になっちやったんですけどぉ


会話するのと 迫力が違うので
有利に ポツダム宣言を進めるには トリニティ を確かめたかったんですね。

本来なら 6月くらいに ポツダム宣言 をやる予定が 
なんだかんだ言って 1か月以上 先延ばしにしているんです。

原爆投下によって 終戦を早めた って言うけど 嘘 です。
原爆投下するために 終戦を遅らせた というのが 実態 です。

とっとと 6月にポツダム会議をやって 
ポツダム宣言を 出せばよかったんです。

もともと ポツダム宣言も初めは 
日本が 吞めるような内容だったんですよ。

ところが
これ 吞んじゃったら 日本が 降伏しちゃうでしょ。
そうしたら

原爆を 落とせないよね。

という事で 
ポツダム宣言の内容を 途中で変えて 
日本が 吞めないようにしたんです。

だから
6月の段階で ポツダム会談が成され 
日本が吞める形で ポツダム宣言が出ていたら

6月で 終戦 してるんですよ。

広島・長崎 の原爆も無いです。
ソ連参戦 も無かったんです。

ところが トゥルーマン大統領は
ちょっと 実験結果を見てから と ポツダム会談を 1か月以上先延ばしにしたんです。

そして 成功しちゃったから
使いたくなっちゃった訳なんですよ。



ドイツが降伏して 
連合国と戦っている国は 日本だけになってしまいました。

鈴木貫太郎内閣も 何とか終戦へと 模索していました。

いよいよ 終戦しかないよね 動こう。
という事で
ソ連は 日本と 日ソ中立条約 を結んだ友好国なので

近衛文麿が ソ連特使に任命され



すた~リンに 
アメリカ イギリスと 仲直りしたいんで 
すいませんが 仲介してください。その代わり 樺太 差し上げます。
と 
頼むんです。

アメリカは
日本と 戦争を終わらせる研究を 相当しています。
問題なのは

トゥルーマン大統領は 副大統領の時に 
原爆をつくっている 
ルーズベルト大統領 と 科学者と ごく少数の人しか知らない

S1 

という名の暗号の 
原爆開発計画の事を 知らなかったんです。

核兵器を 開発した実験者って ユダヤ人が中心なんです。
ドイツから 迫害を受けて 逃げてきた人たちですよ。
開発した 張本人たちが

ちょっと待ってくれ。何で日本に落とすんだ。聞いてないよ。

不満を表明するんですけども 
もう 軍に引き渡された後は 科学者が 何と言ったって お呼びでない って話です。

オッペンハイマー が



自分は
こんな使われ方をされるとは 思わなかった。
原爆をつくったのは 誤りだった。

終戦後に手記を書いています。

ドイツではなく 日本に 
しかも 
軍事施設ではなく 街に落として 
30万人 焼き殺して。
亡くなったのは 女・子ども・ジジ・ババ ですからね。

トゥルーマン大統領は 
原爆を つくっている事に 興味を持つんです。

アメリカの 
米軍。
国務省。ブレーン は終戦に向けた研究をするんです。

そして
日本を 終戦に持ち込むための 要素は4つ。

①本土決戦

サイパン・硫黄島・沖縄の 次は 南九州。
そして
首都 東京を 東西から挟み撃ちにする作戦です。
でも 本土決戦は 
アメリカ人的被害も大きいから できれば避けたい。



②原爆投下

これまで 東京大空襲など 空襲をしてきました。
いよいよ 原爆を落とせば 日本は戦争をやめるんじゃないか。
いや 
日本人は 最後の1人になっても 戦うかもしれない。
実際 広島に落ちても 
日本の 閣僚会議では 終戦までいきませんでした。



③ソ連参戦

ヤルタ会談で アメリカに すた~リンが約束した 日本への参戦。
これは強力です。
めちゃ強い ソ連軍がいきなり 日本に攻め込めば
戦争をやめるだろう。
しかし 
約束してくれたけれども ソ連は本当にやってくれるだろうか。
やってくれないと
自分たちで やらまくてはいけないので 信用できない。



④天皇の地位を保証

アメリカ側は 日本に スパイを送り込んでますし 
日本の外務省と 海軍の暗号電文を 解読していました。
日本の動きがわかっているんです。
水面下で 
日本が 戦争を終わらせようとしている事も 把握しています。

どういう条件だったら 
日本は 戦争をやめる決断をするのか ずっと研究した結果が

天皇の地位の保証 です。



7月1日
マッカーサー元帥率いる 
日本と戦っている 南太平洋司令部が

日本と 戦争を終わらせる
研究成果を 大統領に提出しました。
それによると

日本に 原爆を落としても 日本は戦争をやめようとはしない。
なぜならば
すでに 東京大空襲で 
10万人 焼け死んだのをはじめ あっちこっちで空爆をして

66 の日本の街が 事実上消滅している。

原爆を投下して

67番目 の街が消滅したからといって 
日本人が 急に慌てて 戦争をやめるとは思わない。

日本人は一丸となって 戦争をやっている。

なんなら 最後の1人 になるまで戦う覚悟でやっている。

沖縄が落とされ
東京が焼かれ

日本はひどい目にあっているのに 
1つも戦い抜く 意思に 乱れが感じられない。

特攻作戦 を見たか。

と 報告しています。

アメリカは 
論理的に こうしたら こう反応するだろう と 
相当 研究し尽くしています。
その 研究成果は ほとんど正しいです。

③か④ に絞られてきたわけです。
ところが トゥルーマン大統領は 

原爆投下 興味あるんだけど 



と なるわけです。

どうせ 
日本が降伏するんだったら 

使ってみてから 降伏してもらったら?
という風になるんです。

大統領の顧問。アドバイザーは 10人以上もいるんですけども 
1人除いて 
全員は 日本への原爆投下は 反対しました。

たった 1人 日本に落とせ と言ったのが



バーンズ国務長官です。

反対の人たちの意見を 全部退けて
日本に
落としてみたらいいんじゃないか となったわけです。

原爆投下 と 終戦 は 関係ないです。

日本は戦争をやめない とわかっていますから。
実際そうでした。
③か④ の前に 使ってしまえ って事です。

原爆投下した後の終戦 のほうが 覇権を握れる という事です。
ソ連より 優位に立てます。

アメリカの上層部の中で 
6月ぐらいから 

天皇の地位の保証 をすれば 



日本は降伏する と言われていました。

7月12日
近衛文麿が ソ連に仲会を任命されます。

7月13日
日本の 外務省が 

そろそろ日本は戦争をやめたい と思っているので
つきましては
すた~リン書記長に 仲介をしてほしいので
日本から 近衛を特使として派遣したいので 日程を押さえたい 

ソ連の外務省に メッセージを送ります。

全部 米国は傍受しています。
暗号を 解読して
即日 アメリカ大統領のもとに 報告があがってきています。

アメリカは これで来た! 

我々の読みは当たっていた。
天皇が終戦を求めてきた。日本は終戦に向かって動いている!

と 湧きあがりました。
これは
アメリカの学会で エンペラーズ・メッセージ という風に言われています。

だったら 
日本は 天皇の地位を認めたら 終戦を呑む。
ポツダム宣言で 天皇の地位の保証 が認められたら

日本国家は 存続しますから 
日本は終戦を呑む 最終条件なわけなんです。
ですから
日本の 天皇は戦争を止めたがっているんだから

本土決戦も
原爆投下も
ソ連参戦 も いらないです。

でも
ポツダム宣言には 書いていなかった。

アメリカ大統領の 顧問官たちは 
天皇の地位の保証さえして 
早く戦争を止めましょう。

真珠湾攻撃から 長かったね。これで終わるね。  
と 
みんなで 日記に書いているんですから。
マッカーサー元帥も 
原爆投下は してはいけない そう言っていたのに

たった1人
これ 出したら 日本が降伏しちゃうよ。
そしたら 原爆落とせないじゃん。
だから
原爆を 落としてから 天皇の地位の保証 をしたらいい 
と 言い出すわけです。

そして 7月16日。
トリニティ 核実験が行われます。



トゥルーマン大統領は ドイツのポツダムにいました。

ドイツ降伏の後 
今後は 日本を どう終わらせるか 戦後処理の話し合い。 
ポツダム会談です。

7月17日。
トゥルーマン大統領は 初めて すた~リン書記長 に会いました。
ソ連が 本当に参戦してくれるのか。ソ連が参戦してくれると 楽です。

天皇の地位の保証 も省けます。

すた~リン書記長に
あの約束 覚えているよね? と聞くと

あぁ もちろんだよ。と すた~リン書記長は言いました。

本当は
8月11日に 攻め込むつもりだったのですが 
とぼけて 8月15日だ と言うんです。

トゥルーマン大統領は 日記に
すた~リンは ソ連が参戦してしてくれる事を 約束した。

これで ジャップも 終わりだ。

と書いてあるんです。直筆で残っています。

だったら 原爆投下なんか いらないでしょ。

日本は アメリカと戦うのでも ギリギリ精一杯ですよ。
最後に 特攻とか 3000人 やりまくってるんですよ。
そこに
ソ連が 後ろから来たら もう無理ですよ。

そこに 

大成功でした。 
ものすごい閃光と 爆音と 雲が立ち上って 
とんでもない 地獄 の世界が現れた。

という 
トリニティの 結果報告が入ってきました。
放射線の関係で 詳細がわかるのは 21日です。

世界で アメリカだけが 原爆を持っている。
イギリスも ソ連も 無い。

会談をするのに ウチ 原爆持ってるんだけど 何か? 
みたいな 強気な発言ができる。
そういう態度で 
イギリスの チャーチル首相に トゥルーマン大統領は 話をしています。

3日後 すた~リン書記長にも 
新型爆弾 できちゃったんだよねぇ~ と伝えています。

原爆投下して 日本が降伏したら 

ソ連の出番が なくなっちゃうわけですよ。 
俺たちの 樺太は どうなっちゃうの って話ですよ。

トゥルーマン大統領は
使いたくなっちゃったんです。



戦争中だから 原爆を落とす口実があります。 
どうしたら原爆が落とせるか 考えるわけです。

ソ連も 
原爆投下より早く 日本への参戦に 力を入れます。
11日 の参戦から 9日 の参戦に変更します。

アメリカも 
ソ連参戦よりも 1日でも 1時間でも早く 

日本に原爆を落とさないと 
と。
落とすタイミングが無くなってしまいますから。

日本と どう 戦争を終わらせるか は吹っ飛んでしまいました。

ソ連が 日本に 参戦するのが先か。 
アメリカが 日本に 原爆投下するのが先か。 

ソ連 と アメリカ の チキンレースが始まるわけです。



もう 日本人の命 なんか関係ない。
早く 戦争を終わらせる も関係ない。

戦争を早く終わらせる為の 原爆投下じゃない ですからね。

大統領 と その周辺の日記から 何から見たらわかります。

日本が 
壮大な 人体実験場 になってしまうわけですよ。

7月25日 には アメリカの大統領は 原爆投下命令を出しました。
8月18日 までに 2つの 原爆を落とせ という命令でした。

よく言われているのが

まず 広島に原爆を落とした。
日本が 戦争を止めるかなぁ と思ったら止めない。

あら? これじゃダメだ。 と 泣く泣く 断腸の思いで 
2個目を落とした。

そうしたら
いよいよ 日本が音(ね)を上げて 終戦の決断をした。
と 
いう風に語られていますけど 嘘です。



しかも 重要なのは 
ポツダム宣言より 前に 原爆投下命令 が出ています。 
しかも 
2個 同時に 投下命令が出ています。

伝わっている話と 事実が 全然違うでしょう。
1個 落としても 2個 落としても  

日本が 降伏しないのわかっているんだから。

だから 
原爆投下 してからの ソ連参戦 なんですよ。
ソ連参戦 前に 原爆を落としたい。
2個の違いも 知りたい。

7月26日。
ポツダム宣言が出されます。



ここには すた~リン の署名がありませんでした。 



米英 だけで出してしまったんです。


アメリカ政府は じっくり検討をして ポツダム宣言の中身を 書き上げてきました。

連合国側の要求は しっかりと盛り込んで
かつ 日本が 受諾できるもの でないと駄目ですよね。

何のための ポツダム宣言か。
日本に 受諾してもらうための ポツダム宣言ですよね。
でも
はなから 日本が 呑めないものを 出してきてどうします?

ドイツが降伏した時
こういう条件だったら 戦争止めますか? 受諾しますか?
なんてものは 
ドイツには ありません。 
叩き潰して 終わりですわ。フセインの時も そうでしたね。

普通 戦争なんて 負けたら 叩き潰して終わりですよ。

でも
日本は 戦争を止めませんか? と 提案があったわけです。

では 
何を書いたら 日本は戦争を止めるのか。条件を呑むのか。

天皇の地位の保証 です。



外交官の ジョゼフ・グルー大使は 終戦交渉 と 
アメリカ と 日本の 親善に尽くしてくれました。



日本の事を わかってますから。

そういう人たちを中心に どうしたら 日本は戦争を止めるか
開戦の 昭和16年当時から 研究しています。

天皇の地位の保証 です。

ですから ポツダム宣言は 天皇の地位の保証 がなければ
何の意味もないんです。
これが入ってないと 日本は 受諾しない ってわかっているんです。

アメリカ合衆国の ポツダム宣言 最終案。
それには
天皇の地位を 保証する という文言が ちゃんと入っていました。 
入ってたんですよ。

しかし

当日 直前で 消されました。
誰が消したか。

バーンズ国務長官です。



この人も 大統領と ポツダム会談に 同行しています。

これ 出したら 
日本が 受諾 しちゃいますよ? 
そうしたら 
原爆は落とせませんけど いいんですか?

聞くんですね。

それじゃ ダメじゃないか。 どうしたらいいのか?
という事で

天皇の地位の保証。 これを 外してください。 
そうしたら 
日本は呑みませんから。

そして
うだうだ としている間に 原爆 落としちゃいましょう。
と なりました。

7月の 早い段階で ソ連に 仲介してもらおうと
天皇 自ら ソ連に勅使を 派遣しようと 動いていますよね。

連合国から ポツダム宣言を出されて 
天皇の地位の保証 の条項が入っていたら 即 受諾でしょ。

そうしたら どうなります?
原爆を 落とせません。

原爆投下予定は 巻いて 最短で 8月6日 でした。

7月中に ポツダム宣言を受諾して 武装解除します って言ったら
そこには 原爆は 落とせないでしょう。

天皇の地位の保証。 これを にごして外して ポツダム宣言が出されました。
すた~リン は署名していません。


天皇の地位の保証 が入っていません。
それを見た日本では どうなったかと言うと

天皇の地位の保証 を 確約してもらって 戦争を止めないと 
安易にこんなものを 呑んでしまったら

大変な事になる!!! と 大もめですよ。

鈴木貫太郎内閣総理大臣 を中心に 閣議が開かれます。

こんなもん 呑めるかぁ  
天皇の地位の保証がされるか わからないじゃないかぁぁあ!

海軍も 陸軍も みんな反対です。
だって
戦争を やめようとしているんですよ? 

ソ連に頼んで 仲介してもらおう としたりして
終戦に 動いているんですよ。

そして 外務省は 着目するんです。
あれ??   
すた~リン の署名 が 無い。
 

ソ連に 仲介を お願いしたくて 
すた~リン に 会う日程を 決めようとしていたのですが
ソ連は

いいですよぉ~。
終戦 お手伝いしますよぉ~。
でも ちょっと すた~リン はドイツ(ポツダム) に行っていて 
もうちょっと 先でいいですかぁ~。

みたいな 感じで 先延ばしされてしまうんですね。

あんたとは 話しない とか言ってくれれば 

はぁ 終わつた! ソ連の協力は無いんだ と 思えるのに
さも 協力してくれるかも というような感じで 
日本は ソ連を待ち続け

かたや ソ連は 
着々と日本に 参戦する準備をしているんですよ。おかしいでしょ?!

日本は お人好しで 
もうちょっと待ったら 会ってくれるんですね 待ちますぅ~ なんて

ポツダム宣言に すた~リンの 署名が無いので
という事は

まだ ソ連は 仲介してくれるかも。 脈があるかも。 と思っちゃうわけですよ。

鈴木貫太郎総理は まだ確実なものが 決まっていない状況で 
不用意に 

戦争を終わらせる 

なんて 言えないですよね。 即 殺されちゃうレベルですから。

ポツダム宣言 の書面を見て 
政府としては 把握しています。 みたいな コメントをするんです。

そうしたら 朝から日が差す新聞が

ポツダム宣言を 【黙殺】 すると 政府は発表した 
と 書いてしまうんです。

すると
外国の通信が 【拒絶した】 と書いちゃったんですね。 

黙殺 は 英語で 【REJECT】 リジェクト と翻訳しちゃったんですよ。

ポツダム宣言を 
把握 していますよ と 
拒絶 していますよ とは 全然違います。

これによって ついに
アメリカは 日本に 

ポツダム宣言で
最後の 和平の チャンス を与えてやったのに 
それを 日本は 拒絶したんだね って事で
だから

原爆を落とししたんだ と 原爆投下の条件が 整ってしまった訳ですよ。

政府の高官が トルーマン大統領 の言葉として 日記に残しています。

日本に対して 和平のチャンスを 与えてやるよ。
でも
絶対 奴らは 呑まないけどね。 

って 言ってるんですよ。

そりゃあ 天皇の地位の保証 の条項を 外したんだから 
日本側は 呑めるはずないですよ。

いきなり原爆を落とすと 国際社会からの 風当たりがあるから
日本に 和平のチャンスを与えて

そして
1度 拒絶される必要があったわけです。
それによって 初めて 原爆投下が できるわけです。

だから 天皇の地位の保証は 外す必要があったわけです。

ポツダム宣言は 
日本が 受諾できないように つくったんです。
それは なぜか。

原爆を落とす為です。

8月6日。
日本は 広島に原爆が落ちても ソ連に

あのぉ まだでしょうかぁ~? って連絡しています。 
日本って ホントお人よしですね。 恥ずかしい 日本も。

そして 広島に 原爆が落とされました。



多くの人は こう習っていると思います。

アメリカの大統領は悩んだ。

原爆を落としたら 民間人が 多く死ぬ。でも 早く戦争が終わる。
原爆を落とさなかったら 戦争が長引いて もっと多くの人が 死ぬ。

それを 比較した時に
苦渋の決断で 断腸の思いで 原爆を落とした。

30万人は 死んだけれども 原爆によって 終戦が早まり 
70万人の 多くの日本人 と アメリカ人の 命が救われた。

日本は 邪悪な国で アジア人を苦しめてばかりいて 
酷い事をしてきたんだから 原爆ぐらい食らって丁度いい。
それで 初めて 日本人が 目覚めて 戦争をやめる事を決めた。

と このように習いました よね。

全部 ウソ です。



原爆投下によって 終戦が早なった事実は ありません。

原爆投下されても 日本は戦争を やめようとしませんでした。

そもそも
ポツダム会談 を 1か月以上。
ポツダム宣言 を 1か月以上。  

遅らせたのは誰なんです?
遅くなって 
2か月間 戦争の終結が 遅くなってくるんです。

原爆の 成果を見たくて 伸ばしたのは 誰なんです?
この間 戦争を継続しているんですよ。

そして
原爆実験を見たら 使いたくなっちゃったんだから。

そうしたら
日本が 早く降伏されたら 困るでしょ。
だから 降伏できない内容の ポツダム宣言を 出すわけですよ。

もっと戦争が 早く終わったはずですよ。

原爆を落としたい と 思ったが故に 終戦は遅くなって 
その間 多くの人が死に

さらに 原爆は 落ちる。
さらに 多くの人が死に

さらに ソ連が 参戦してきて
さらに 多くの人が死に

最も 日本人が多く死ぬ。 

そういう経過をたどって 終戦に至ったわけです。





原爆投下

昭和20年
7月26日 に ポツダム宣言が出ましたね。

アメリカは ポツダム宣言で 最後の和平のチャンスを 与えてやったんだ。
ところが
日本は それを 拒絶した。
だから 
原爆を投下したんだ と言っていますが

ところが
ポツダム宣言 が出される 前日の

7月25日。
この日に すでに 

2個の 原爆を投下命令 が出ているんですよ。

実際に 投下されるのは 
8月6日 ですけれども

ポツダム宣言の出る 前日 
25日は まだ日本は YES とも NO とも 何も反応していない。

原爆投下命令は 大統領は 文章ではなく 口頭で済ませています。

あれ やっといてね 
みたいな感じだった という事です。

原爆は どういう威力があるかっていう 実験の成果を見てますから 
それを
生身の人間が住んでいる 生活空間に 落とすわけですから

街が 消滅する。



というイメージが できているわけですよね。

原爆実験を見て ムズムズと使いたくなってしまった。
しかし 
膨大な数の人を 殺す事になりますからね。

でも
そこに目を向けて 可哀そう だと思うと 使えなくなりますから
もう いいんだと。 日本人は 邪悪な民族なんだと。 
これくらいの事をされて 丁度いい。

と 自分に言い聞かせたんじゃないかと イメージしています。

原爆投下の 命令書に 署名をする。サインする。
というのは 怖い。 できるだけ 携わりたくない。
なので

あれ やっといて。 あれ よろしくね。 みたいな感じで 
軽い口頭の指示でした。

ここで指定されたのが

広島 長崎 小倉 新潟。 原爆投下用に とっておいた街です。

実際には 広島・長崎 に投下されるわけですけれども 
ちょっと前まで 京都 が入ってたんですよ。

原爆投下の 候補地に入っているというのは 空爆を ほとんどされていない街なんです。
なぜならば
原爆を落とす予定 の都市というのは 早い段階から しぼられているんです。

原爆によって
どのくらい 建物が吹っ飛んだのか
どこにいる人が どんな火傷を負ったのかなど 

詳細を 米軍は取りたいわけですね。
空爆しちゃっている所に 原爆を落としたって 意味がないんです。

京都が 空爆を受けなかった というのは 
何も 京都は 
歴史のある街 文化的価値がある街だから 焼いたらもったいないなぁ
などという 
米軍の配慮は ありませんからね。

原爆用に とっておいた街ですから 恐ろしいですね。
京都御所も 焼かれていたでしょうね。



どういう理由で 外せ と言ったかはわかりませんが
直前に 京都は 外されました。

ヘンリー・スキムソン陸軍長官が 
京都は外しておけ と言ったんですね。



準備ができ次第 どこでもよいから落としてこい という事で

日本側は 原爆を落とされて 
アメリカが 新型爆弾をいくつ持っているのか わからなかったので

1個落ち 2個落ち
もしかして 100個くらい あるんじゃない? と
何個あるのかに 怯えたわけですよ。

8月6日 に広島
8月9日 に長崎

翌日には じゃあここに 落ちる? どんどん落ちる? という
恐怖心が あったわけですね。
実は 2発で 打ち止めだったんですけどね。

7月26日 ポツダム宣言が出された 2日後の 28日。

まだ 戦争をやめます と言える世相 ではなかつたので
鈴木貫太郎総理が 

把握しておりますけれども 真剣に検討する必要はない と思っております。

みたいな コメントを出したのを 朝に日がのぼる新聞が 
黙殺 と 報道し 



世界が 拒絶 と 報道してしまい




ほら 救いのチャンスを与えてやったのに 
日本は 拒絶した 
と 
原爆投下の 大義名分が 整いました。

7月31日。
いつでも落とせま~す と原爆の準備が 完了しました。

ちょうど そのころ台風が来たので 
上空が 雲に覆われていると落とせません。見送られます。

そして
8月5日に  翌日に 作戦が実行される事が 決定しました。

8月6日。
エノラ・ゲイ という名前の 長距離爆撃機 B29 が



 マリアナ諸島の テニアン島の基地から
離陸しました。

 

B29は 機体が大きくて 滑走路も長くないといけない。
長い滑走路で 離陸可能な 
日本に向けての 射程距離の範囲内 の島々

サイパン
テニアン
グアム などの マリアナ諸島 を
もし

日本が 死守していたら 
B29 は 日本には飛んで来れなかったんです。
なので 
原爆投下は できなかったんです。

テニアンの 現地時間 8時15分 離陸。
日本時間 の 8時15分 広島に 原爆投下。



0815  終戦の日を暗示するかのように 広島に原爆が投下されました。

投下された場所は 
何度も何度も 米軍が 上空から写真を撮って 
どのポイントに落とすのかを 研究して決めました。
模擬弾 を落として 何度も練習したそうです。

原爆を 落とす場所は
軍事施設や 基地を狙って投下して 
その周りの 住宅地 に被害が及んだのではありません。

原爆ドームは まさに爆心地です。
原爆ドームわきの 相生(あいおい)橋 が 攻撃目標だったんです。



広島の市街地に ピタッと 正確に落とすわけです。
周囲には 軍事基地は 1つもありません。

今は
平和記念公園 という公園ですが 
あそこは 
商店街と 住宅地の 人口密集地。市街地だったんです。

それが
原爆投下 によって 全部吹っ飛んで 瞬時にして さら地になりました。

10万人 から 14万人の人が 即死 しています。

ピカッ と光った 瞬間に 死んだ人。
爆風を受けて 吹っ飛ばされて 死んだ人。
猛烈な 熱線を浴びて 全身火傷を負って 何時間も 悶え苦しんで 死んだ人。
翌日・2日後・3日後 に 亡くなった方。

それぞれの場所で 
何を浴びたのかによって 生存の時間は 違うわけですよ。

原爆症 といって
急性放射線障害 を受けて 何かを吸い込んで 内部被爆 もあったでしょう。
内臓まで おかしくなって
翌年 翌翌年に 亡くなった方もいらっしやるわけですね。

5年くらいの間で 20数万人 の方が 
癌や 白血病などで 亡くなったそうです。

長崎の 7・8万人 を合わせると

約30万人 の方が 原爆で命を落とされた と言われています。

広島の 次
2発目は 小倉 で落とす予定でしたが

小倉まで行ったら 雲っていて 落とせないじゃないか 
って事になり 持ち帰るわけにもいかないので

じゃあ 
長崎の方 見てみようかって 長崎に飛んでいったら
ぽっかり 雲の間が空いていて 市街地が見えたんですって。

じゃあ ここに落とそう って

8月9日。
午前11時02分。



長崎に落として 帰って行ったわけですね。
まさに 運命の分かれ道でした。

大きな爆撃機 B29。 
その エノラ・ゲイ からで運ばれ 投下された 原爆の重さは 
4トン という 大きなものでした。

現在の 核兵器は小型化されています。

アメリカは 2種類の原爆を 同時につくったんですね。

1つ は ウラン型 爆弾。
もう 1つは プルトニウム型 爆弾。

ウラン型は 
ガンタイプで 一気に 即 超臨界となって 核爆発を起こすんですね。
空中で 臨界になるように考えて 爆発させるわけです。

プルトニウム型は 
ころっとして 丸いタイプで 臨界未満の 弾頭の濃度を 薄くしておいて
爆縮 によって 真ん中にあるものが 縮まり 
そこで 臨界になって 爆発する。



この 2つの違いを 測定したいわけですよ。

現在の 原発は
分裂型の ウラン を原料にして動かしますが 燃えカスが出ます。
燃えカスを 再利用すると プルトニウムが 取り出せるんですけれども
両方とも 核兵器の 材料になるわけですね。

米軍も 趣味が悪いと言いますか 爆弾に 

怖そうな 名前ではなく 
可愛らしい 名前を付けているんですよ。

広島に 投下された ウラン型爆弾は リトル・ボーイ という名前です。
日本語に 翻訳したら

おチビちゃん 投下してきます。
おチビちゃん 投下しました。 
おチビちゃん の様子はどうだ。 なんて会話です。

長崎の プルトニウム型爆弾は ファット・マン という名前です。

おデブちん って感じです。
おデブちん 上手く落ちました。 みたいな。

何人死んだと思ってるんですか。 20万人以上 死んだんですよ?!
名前を付ける 遊び心も いい加減にしろ という感じです。

投下して 地表に落ちる前に 空中で臨界にして 爆発するのですが

地上からの 高さ 533・4m の地点で爆発します。
東京タワー が 333m ですから それよりだいぶ高いですよね。

その高さで 核爆発を起こした 瞬間  

だいたい 直径 100m くらいの 

あらゆるものを 一瞬で焼き尽くす温度



数百万℃から 1000万℃ぐらいの温度になった と計算された
火の玉が 形成されました。

マッチ とか ライターは 800℃ぐらい
金属が溶ける ガスバーナーだと 1000℃。

でかすぎてイメージが わかないぐらいですが

例えるものが この世にない 温度なんですよ。
あえて 例えるなら 太陽の 内部温度 です。



という事は 広島の上空に 太陽が出現した のと一緒です。



核爆弾 自体の 4トンの核弾頭が 
1秒以内。
瞬時にして 全部 蒸発して 気体になりました。

街 1個 瞬時にして 
消滅させる力が ある という事です。

そして 地表の温度が 1000℃ ぐらいになりました。
ガスバーナーですよ。

写真で見る 
あの炭のような 真っ黒こげ の世界ですよ。 

1秒間に 90m。
秒速 90mの速度で 火の玉 が拡大していきました。

5秒後には 500m 近くなってしまうわけですから 
火の玉自体が 衝撃波で バァァーッ!!! とでかくなって

ピカッ と光った瞬間 

周辺の物が 火の玉の中に入ってしまって 焼いてしまう という事です。



ピカッ 光った時の 放射熱 と 
後に 伝導して来る 輻射熱 で亡くなった方。

それから 
衝撃波。ソニックブーム と言いますが 
これは
人間とか 建物を 吹っ飛ばす勢いの 爆風 です。

これで 即死した人も多くいる という事です。

そして 
巨大な 10000mぐらいの キノコ雲が ドーンと 立ち上って行った 
という事です。



よく こんな恐ろしいものを 人類がつくったな と思います。

急性放射線障害 という 
たくさんの 放射線を浴びた事によって

臓器不全 になったり 
皮膚が焼けただれたり 
免疫不全 とかの 支障をきたして 
数日 とか 
数週間 数か月 数年後 に 命を落とした人もいます。

原爆が 落ちたこの日に

アメリカとの戦争を止めたいので 
ソ連に 仲介 まだでしょうかぁ~ と連絡してるんですよ。

ソ連は 3日後に 
日本に 攻め込んでくる人たちですよ?!
日本は 
3日後に ソ連が 攻め込んで来るって 知らないから。

トルーマン大統領は 広島が 原爆を投下された
8月6日。

ポツダムを離れていまして 
アメリカに向かう オーガスタ という名前の 軍艦の中にいました。

そこに 
詳しいデーターは まだわかりませんが 
広島の原爆投下は 大成功だった 

速報で 電報が届きます。

それに対して  
その 電報のメモを渡した 大佐の手を握って
トゥルーマン大統領は

これは 歴史上 最も 偉大な出来事である! と 述べたんです。

はぁ?!何言ってんの? 
って感じで 

これは 歴史上 最も 野蛮な出来事 だろう と思います。

民間人 20万人を 無差別に 虐殺されたんです。

フーバー元大統領が



日本は繰り返し 講和を 求めていた事を 鑑みれば 
原爆投下が 間違った決定 である事がわかるが
それ以上に

アメリカの歴史に 比類の無いほどの 残虐性を摺りこんでしまった。
この事実は 
米国民の良心を いつまでも苛(さいな)む事になるだろう。

また
原爆を投下した 当時の 
大統領就きの 参謀長だった ウイリアム・リーヒ という元軍人は



広島と長崎で 使ったこの 野蛮な兵器は

対日本戦に 
実質的に 役立つようなものではなかった。
日本の 敗戦は 
すでに明白であり 降伏の用意もできたいた。

この兵器を 最初に使った国家として 
我々は 
暗黒時代の 野蛮人たちの 倫理基準を再用してしまった。

私は 
そのようなやり方で 戦争を遂行する事など 教わった事はないし
婦女子を殺して 戦争に勝つ事など できない。

と 述べています。

アメリカは 正義の国でした。

第2次大戦の時も
戦時国際法を 守れと ヨーロッパの国々に 

民間人のいる地域は 空爆してはいけない と言ってきました。

それを 急に 
空爆で 街ごと焼き払い 
原爆を投下し 

大統領は 偉大な出来事だ って言っちゃってるわけですからね。
どうしちゃったの? って話です。





原爆投下の真実

なぜ 広島・長崎の人の上に原爆が落とされたのか。

原爆は 
もともと ドイツに落とすためにつくっていた。
ところが 核実験の日 ドイツは もう降伏してる。
落とす場所が 無い。

どうする?これ。
ここに落とす? って それが 日本になった。 という説もありますが

アインシュタインの手紙という ルーズベルト大統領への手紙が有名ですが
そもそも ドイツとの開発競争で原爆開発が始まったんですね。
ところが経緯を見てみますと 当初から投下対象は
日本だった。ドイツではなかった。

それから
1個目 ウラン爆弾 を落としても 終戦しない。

 

Little Boy(リトルボーイ)


2個目 プルトニウム爆弾 を落としても 終戦しない。



Fat Man(ファットマン)

3つ目  なんか 無い。

2種類 試したかっただけですよ。
という説もありますが 

1943年5月の会議では 日本の軍事施設に落とすと
つまり
太平洋トラック諸島に集合している 連合艦隊に落とすというのが大勢の意見だったんですね。
人々の頭の上に落とす という発想は全くなかったという事。

人々の頭の上に落とす という大転換がなされたのが
1944年9月の ハイドパーク会議 です。

ニューヨーク郊外のハイドパークにおいて
ルーズベルト大統領 と チャーチル首相が会談をし

今 広島平和記念館に展示されている 一次資料ですが
ハイドパーク覚書 というのを交わして そこに



When a "bomb"is finaliy available. it might perhaps.
after mature consideration.
be used against the Japanese.
who should be warned that this bombarment will be
repeated until they surrender.

つまり 原爆が完成した暁には 日本人に落とす と。日本人に使用すると。
これは 日本 という国じゃないですよね。
大和民族に落とすと。

彼らが降伏するまで繰り返し 原爆を投下すると。
警告する という事なんですね。日本国民の上に落とす という事が
米英首脳が合意された。
原爆投下目標は人間。それは日本人が降伏しなければ ほぼ絶滅ということですね。

なぜ 2発目を 長崎に投下したのか。
なぜ 2発目の長崎で止めたのか という事。

一次資料で ジョージマーシャル図書館に保管されている
2020年8月に 機密解除になったもので トップシークレット
マンハッタン計画の最高責任者である
グローヴス将軍という人が 



主要メンバーにあてた指令書です。




8月10日付けの指令書で
3発目は 8月17日以降に投下 となっている。
8月10日 同じ日にトゥルーマン大統領は
日本降伏が近づいている情勢判断があり 原爆投下を一旦停止するんです。
しかし この日 ポツダム宣言受諾の報は 日本から入ってこなかった。

官僚の日記が残っていて
8月6日 広島 8月9日 長崎に落とした その情報が入ってきて
トゥルーマン大統領は初めて 原爆投下の非人道性を遅まきながら認識した
と書かれています。

8月13日 原爆投下の最高責任者
陸軍作戦部の参謀で 戦後 琉球の総督になった ハル将軍と
マンハッタン計画の最高責任者 グローヴス将軍の補佐 シーマン大佐の
電話会議の記録が残っています。

広島と長崎の 2発の原爆は絶大の効果を日本人に及ぼしてよかった。
繰り返し落とすという当初の案に沿って
17日から2日ずれて
8月19日に 3発目を投下できる と。
9月には 4・5発目の投下ができる と。
10月には 6発目から8発目の投下ができる。
10日に1発の日本への原爆投下ができる と。
また 本土上陸作戦の前に 日本軍を死滅するために 2・3発まとめて落とす。
という事も検討できる という事を記録しているんですね。



1945年11月の 南九州



1946年3月の 関東 からの



本土上陸作戦に合わせて 上陸前に 待ち受けている日本軍 日本の地域に
原爆を数個落とす。
そうすると
日本はもう壊滅。その後 上陸して行けばいい。

8月14日 トゥルーマン大統領と会談した
ワシントンの イギリス公使から イギリス本国への報告が
英国国立公文書館に一次資料が残っていて



The president remarked sadly that he now had no alternative
bat to order an atomic bomb to be droppod on Tokyo.

8月14日現在 トゥルーマン大統領の考えは 3発目は東京に落とす事だと
それ以外には選択肢はない というのが トゥルーマン大統領の発言なんですね。



8月14日 日本の降伏宣言が まだ出ていない中
トゥルーマン大統領は再び原爆投下が必要になるかもしれないと考えていた。
そして
ワシントン時間 午後4時5分に
ホワイトハウスに 日本のポツダム宣言受諾の報告が入ったんです。

という事で
3発目が東京に 日本に落ちなかった。というのが事実です。

降伏した以上は落とせないですkらね。
原爆投下が止まった という事の歴史を我々は知らなければならない。
知らないのは 日本人だけです。





ソ連参戦

8月6日 広島の原爆投下 の次の日

8月7日 
関係閣僚会議 が開かれます。

この時 原爆が落ちた事を受けて 
日本は どうするか という事が話されます。

当時 
広島で何が起きたのか よく把握できてなかったんです。 

通常の空爆なら 今の被害状況を すぐ連絡できるんですけれども

街ごと 
公(おおやけ)の機関が 集まっているところが 
全部消滅して 無くなってしまったので 連絡してくれる人が いないんですよ。

なんか広島 つながらないね みたいな事から 
何かあったんじゃないか?l って 

そこからですから
何が起きてるか わからないんですね。

飛行機が 何百機が来て 
という事ではなく 

1機 の飛行機が来て 爆弾 落としていっただけなんですから。

偵察に 広島行った陸軍から 
大変です!街が なくなってます! と
翌日 詳しくわかってきた という感じです。



当時は 
特殊爆弾が 使われた という言い方しか できませんでした。

アメリカは
太平洋司令官 マッカーサー元帥も 検討 研究した結果

日本は 
原爆投下されても 戦争をやめよう とはしない と言っていたわけなんです。

武器弾薬が 尽きたら 普通は
白旗を持って 投降するものですけれども

日本は 組織的で 投降してきた部隊は 無かったんです。
日本人は 最後の 最後まで戦う。
最後の 1人になっても 刀を振り回しながら 戦う。

3月の 東京大空襲で 10万人以上を 焼き殺しているわけでしょう?



だから 
東京には 原爆は落としませんよ。
東京は 全部焼かれちゃっているわけだから。
隅田川 と 国技館 周辺も焼けました。 



天皇が お住まいの東京が 焼け野原になった。
それでも戦争を 継続しようとしているんですから。

原爆投下されて 消滅 67番目の都市が広島であっても 
恐怖心を抱いて 慌てて 戦争をやめる
という事は ないだろう 

というのが アメリカ政府と アメリカ軍の 分析でした。

日本に アメリカのスパイが たくさん入ってましたからね。
日本の動きも 暗号も リアルタイムで アメリカ大統領 に上がってるわけですから。

日本は まさか 
こんな身内の会話が 筒抜けだったとは 思ってないんですよね。

実際 アメリカの分析通り 
原爆投下されても 日本人は 戦争をやめようとしませんでした。

まあ そもそも 
戦争を止めさせるつもりで 原爆を落としていませんから。

まもなく ソ連が参戦しますから 

それよりも早く 原爆を投下して
アメリカの 有利な形で 戦争を終わらせ

これによって 戦後 アメリカは 
ソ連より 優位な展開ができる という事なんです。

軍事的理由で 原爆を投下したのではなく 
政治的 外交的理由なんです。

でも さすがに
8月7日の 関係閣僚会議では  

東郷外務大臣が ポツダム宣言を受諾しましょうよ 
という提案を 事前にするんですね。

鈴木総理大臣は その気持ちは あったと思うのですが



そうだね~ 戦後やめようか 
なんて言ったら クーデターが起きますからね。
なので
関係閣僚の 面々から

はっ?何言ってんの? って感じで相手にされず 
議題に上らなかったんです。

沖縄はもう 落とされてしまいましたが 
これから 
アメリカの 日本本土 上陸作戦が 展開されていくわけですけども 

日本軍も 本土決戦をして 迎え撃つ覚悟なわけです。
そういう作戦を 立案していました。

米軍を 撃退して 
占領を諦めさせるんだ という準備をしていたんですね。

ところが

8月9日。
午前0時。
いきなり ソ連が 対日参戦しました。

150万人の ソ連兵が一気に 満州。
それから 樺太 に 南下して来ました。

ソ連って

日本の 友好国でしたよね。日ソ中立条約 を結んであって 
お互い 戦争をしないって 約束をしていたわけです。

なので 日本は 
ソ連は 攻めてこないもの と安心して アメリカと戦っていました。

だから
北海道 や 樺太 には 多少 部隊は置いていましたけど
ソ連を 迎え撃つための準備を してないんです。

それよりも 信じきってますから
すた~リン書記長に 
対米戦を終わらす 仲介役を お願いしているわけです。

原爆を投下された 8月6日 にも 
まだですか~ って 連絡をしているわけです。

その 3日後 8月9日に ですよ?!

モスクワに 日本大使館があって 
そこの日本大使 佐藤尚武さんなんて  



前日の 8日の 夕方 夜。 
ソ連の外務省に 呼ばれるんですよ。
日本時間 午後10時です。

日本大使は 当然 

ソ連が 仲介しましょう と言ってくれて 
これで 対米戦が終わる! と 期待して行くわけですよ。

そしたら
書面を 渡されるんですけれども 何とビックリ。

宣戦布告 の文章だったんですよ。ええええええっ~!!!って話ですよね。

しかも 日本時間の 午前0時。
1時間後に ソ連が 日本に 攻め込むって事ですから 

慌てて 日本大使館に帰って 暗号 つくって打って 
その電文が 日本に届いた頃には

もう 戦争が始まっているわけなんですよ。

満州国は 日本が防衛をしていますが
8月9日
満州 と ソ連の 国境線から 一気に ソ連軍が 南下してきて

樺太の 島50°線を境に 
南側が 日本。
北側が ソ連 と 分かれていたんです。



8月11日
国境線 を超えて ソ連軍が なだれ込んで来ました。

ソ連軍が 満州になだれ込んで来た
8月9日 に
アメリカが 原爆投下に関する 声明を発表しました。

我々は 開発した爆弾を使用した。

真珠湾で 
我々に 通告せずに攻撃した相手に 
アメリカ人捕虜を 
飢餓にさらし 殴打し 処刑した 相手に

そして
戦時国際法を 巡視する素振りさえ かなぐり捨てた相手に
原子爆弾を 使用した。

我々は
戦争の 苦しみを早く 終わらせるために 
多数の命を 
数多くの アメリカの青年を救うために 原子爆弾を投下したのである。

通告もせずに 真珠湾を攻撃したよね~って 言ってますが

いや あんたら 
暗号解読で 知ってただろって 話なんですけども

日本からの 宣戦布告文書が 届くのが遅れたから 
国際法違反だ と言われましたね。

日本人が殴打し って アメリカの軍人ですよね。
でも アメリカ人が 日本人 30万人 殺したのは 
民間人です。

アメリカ兵捕虜の食料も 日本の貨物船を 
アメリカが沈めたんだから。 
だから 
食べるものがなくなって アメリカ兵捕虜が 餓死したんだから。
食料が あるのに食べさせなかったんじゃ ないいんだから。

ここで言っている事は
日本人は 野蛮である という事なんですね。

そういう野蛮な連中に 原子爆弾を使用した と言っているんです。

でもこれは 逆に 
原爆投下して 30万人 殺しちゃった以上

相手が 野蛮だと
日本っていうのは こんなに野蛮な国なんだから 
このくらい食らえ って言うしかないんですね。

野蛮な連中だから 野蛮な爆弾を使ったんだ 
という事にしないと
アメリカの 原爆投下の理由が もたないんですよ。

今の国際法では 認められていませんが
戦時復仇 という 

やられたから やり返す という事です。
でもこれは
1 やられたから 1やり返す。 というもので 
1 やられたから 100やり返す じゃあないんです。

原爆を投下して 得られた利益は 何ですか?
と言ったら

戦争が早く終わったよ。 なので たくさんの命が 救われたよ。 
と 言い始めたんですね。



日本上陸作戦が もし行われたら アメリカ兵も死ぬ。

原爆投下 で
アメリカの青年。
兵隊が 多数 救われた。と 言うんですね。

これは 戦後 
多数の青年。兵隊が救われた の人数が 10万・20万 と 具体的になってきて
日本の 原爆の死傷者数にあわせて 
それ以上にしないと 釣り合わないので

何とか理屈を立てて 原爆投下理由の説明が つきそうな感じで
だんだん 数が増えていって
100万人 死ぬかもしれなかった になっていきます。

敗戦国 として 今までは 
原爆 ひどいよね 
と 言わせてもらえなかったのですが

歴史が 審判を下す時が来る と思います。

最後の
日本本土 上陸作戦 で 
北九州から そして 
関東は 湘南 と 九十九里浜で 挟み撃ちをして
首都東京 を陥落させて 

アメリカは 勝利の狼煙(のろし)を揚げる 予定でした。

日本に アメリカが 陸揚げする人数は 50万人ぐらいでした。

原爆投下の 候補地で  京都は外しておけ 
と言った スチムソン陸軍長官は

この時 仕切りを任されていました。  

トゥルーマン大統領に
これで アメリカ兵は 何人 死ぬんだ? と言われて

スチムソン陸軍長官は



Many って答えているんですよ。
結構死ぬ みたいな返答をしています。

自分が考えている 
3万人 という数字を出すと 多い と 
却下される と思ったんですね。

何で スチムソン陸軍長官は 3万人 と言えなかった かというと
沖縄戦で アメリカ兵 1万人 死んでいるんです。

これは 
えっ 何でこんなに小さな島を 押さえるのに そんなに死んだの? 
と 
アメリカ議会で 問題になって追及されたんです。 

なので
アメリカの兵隊 100万人 死ぬ という軍事作戦は 
はなから存在しない という事です。

でも 現在でも アメリカでは 
約100万人が 公式見解になっています。

8月11日に
日本は 原爆投下についての 非難の声明を出しています。
当時 
スイス を通して アメリカに 厳重抗議しているんです。

この度 アメリカが使用した 原子爆弾は 
その性能の 無差別 かつ 残虐性において
毒ガス その他の兵器を 遥かに凌駕(りょうが)するものである。

従来の いかなる兵器にも比較できない 
無差別性・残虐性を有する この爆弾を使用するのは
人類文化 に対する 新たな罪悪である。

帝国政府は 自らの名において 
また 全人類 及び 文明の名において 
アメリカ政府を 糾弾(きゅうだん)すると共に

即時 このような 非人道的兵器の使用を 放棄すべき事を 厳重要求する。

1番 戦争のルールを守れ と言っていた アメリカが 
自ら破って どうするんだ って話です。

全人類の名において 糾弾・非難する と言っています。



この 日本の抗議文は 非の打ち所がないです。

というわけで

アメリカから 原爆が投下され
ソ連が 参戦して来て

これが 引き金になって 
天皇の 御聖断 となります。





御聖断

原爆投下された 次の日の 
関係閣僚会議では 終戦の話は出ませんでした。

8月9日 に ソ連が参戦した 
という速報が すぐ 総理公邸に入ります。

鈴木貫太郎総理大臣は 
どのタイミングで 終戦へ持ち込もうか と ポーカーフェイスでしたが



ソ連参戦の この瞬間

これを逃したら 戦争をやめる チャンスは無い。 
昭和天皇の 思し召しを 実行に移すのは 今だ! と思って 

よし。ここで 終戦だ。

踏み切ったわけです。

ソ連参戦の 前々日の
8月7日。

昭和天皇は 木戸幸一内大臣に



かくなる上は 止む終えぬ。
余の一心は どうなろうとも 一日も速やかに 戦争を終結して
この惨劇を 繰り返さないようにせねばならない。

と おっしゃっています。

また

8日8日 
東郷外務大臣に 昭和天皇は



この種の武器が 使用せらるる以上 
戦争継続は いよいよ 不可能 になったから

有利な条件を 得ようとして 
戦争終結の時期を 逸する事は 良くないと思う。
また
条件を相談しても まとまらないのではないか と思うから
なるべく早く 戦争の終結を見るように 執り運ぶ事を 希望する。

と おっしゃっています。

昭和天皇は 早く戦争の終結を 希望するから 
と 言っているわけです。

8日9日 
ソ連参戦の 一報を聞いた時に 

昭和天皇は 木戸内大臣に



戦局の収集につき 急速に 研究 決定の要あり と思うゆえ
首相 と充分 懇談するように。

ソ連が参戦した という事で 空気が変わります。
昭和天皇の言う 
ニュアンスが 相当変わるんですね。

原爆が落とされた段階では 

早く終戦するように それが 希望だと。
希望する 
という 言葉が使われました。

ところが

ソ連が参戦したら 決定せよ になっているんです。

昭和天皇は 
もともと 終戦を希望していたのは わかっていましたが

ただ
何が 決定的瞬間になったか というと

広島 の原爆投下なのか
長崎 の 2発目の 原爆投下なのか
はたまた 
ソ連の参戦なのか

昭和天皇の記録が 公表されてから 

ソ連参戦によって 決定した というのが確実だと思われます。



そこで
会議が行われるんですけども 
まだ この段階では 長崎には 原爆は落ちていません。

これも よく言われるんですけれども

1発目 広島に落ちました。
それでも 日本は戦争を やめようとはしませんでした。

2発目 長崎に落ちました。 それによって 
いよいよ日本は もう無理だ と言って 白旗を揚げた。

このように言われているんですけど

これも ウソ です。



そもそも アメリカ側の記録で
1発では 降伏しないけど 2発目くらったら 降伏する 

などという分析は 行われていません。研究も 見通しも 全くないんですよ。

何で 2個 だったか というと
ウラン型 と プルトニウム型 の 2個 つくった
という だけなんですよ。

2発しか 持ってなかったんだから。
3発目 なんて無いんだから。

そして 長崎の 2発目を落とす前に 
事実上 終戦が 決定しているんですよ。

8月9日 ソ連が参戦の 午前0時。
8月9日 長崎に原爆投下 は午前11時02分。

鈴木総理は 
8月9日 未明のうちに 終戦を決定する と決めました。

そして
閣僚を集めて 終戦を決定する 方法論まで決めています。
最終的には

御前会議で 決定する という事まで 決まってるんですね。

なので
長崎の原爆を 待つまでもなく 終戦への方法論まで 



決定済み なんです。

1発目では 終戦に対して 何の影響も与えませんでした。
2発目 投下される 前には 
終戦の方法論まで 決まっちゃってるんです。

2発目で 耐えられなくなって 白旗を揚げた というのは 
事実無根です。

ですので 原爆を投下されたから 
日本は終戦する なんて事はないので 

2発とも 不要だったんです。ただ 落としてみたかったんです。

11時。
最高指導者会議が 行われます。
11時02分。
長崎に 原爆が投下されます。



しかし 投下された知らせ が入っても 
会議の中身が 変わる事は ありませんでした。

5時間くらい 会議をするのですが 
ポツダム宣言を受諾する というのは一致しています。

ポツダム宣言を このまま受諾するべきだ と言ったのが 
東郷外務大臣なんです。



ポツダム宣言を 受諾するのはいいんだけども 
条件を付けろ と言ったのが

阿南(あなん)陸軍大臣でした。



阿南陸軍大臣は 
どのような条件をつけようとしていたかと言うと

天皇の地位の保証



なんです。

だって ポツダム宣言に書いていないから。
天皇について 一言 も書いていないんです。

だから 日本が 
終戦の決断 をするツボは アメリカの読み通り 

日本が
受諾できないように もともと入っていた部分を 消したんだから。

結局 最高指導者会議 で みんなで 
ポツダム宣言 を 読んで 読んで 読んで 

これは どうなんだ と。
それで 天皇は どうなるんだ と。

書いてないんだから。
書いてない とはいえ どうなのかな? と。

外務省 としては 
大丈夫ですよ。 もし 天皇を無くす事が条件だったら そう書くだろう。
書いてないから 天皇は 残るという 分析をしました。

陸軍省は
いや。書いてないって事は 信用できない。
占領の後 天皇を無くすかもしれない。
天皇の地位の保証 の確認をした上で この条件をつけないと ポツダム宣言は呑めない。 
万が一にも 皇室が無くなったら どうするんだ。 
という考えです。

政府も 軍の指導部も 
天皇の地位の保証 というのが 

終戦の 最大の条件 だったわけです。

唯一の この条件。
これさえ認めてくれれば ポツダム宣言を受諾する という方向性でした。

阿南陸軍大臣も 
じゃあ 外務省の通り いきましょう と 
簡単に 終戦に決まり 言うと クーデターが起きちゃうから。

一応 半日くらい 大反対しているふり。ポーズ をしているんです。
阿南陸軍大臣が 踏ん張って 
青年将校たちを なだめていったんです。
歴史 人物② リンク

11時02分。長崎に 原爆投下されてます。
しかし 
何度も休憩をしながら 会議は続けられ 収集がつかなくなります。  

阿南陸軍大臣が言ったのは 
武装解除のやり方 とか 戦争犯罪人は こちらでやる とか

でも
1番は 天皇の地位の保証 の確認が必要 という事です。

この議論は 3 対 3 になってしまったわけですよ。
御前会議は 全会一致で 決めるものですから 
多数決でもないんです。

閣議 というのは 1人でも反対したら 閣議決定できません。
御前会議 も同じです。

この時 話は平行線で この日 8時間 話してんだから。



意見が分かれたまま 御前会議 に突入します。

最重要な事を 決定する時は 

御前(おんまえ) 
天皇の前で この議論をするんですね。

通常は 
だいたい決まっていてる内容の シナリオが出来ていて 
天皇陛下の前で 本気の議論をする というのは ないんですよ。

この時は 天皇陛下の前で ガチで議論するわけですよ。
天皇陛下の前で 侃々諤々(かんかんがくがく) の大激論 になるんです。

そして
最後には 天皇陛下に 御発言をお願いするんですよ。

基本的に 陛下の 御発言 なんて無いですから。

鈴木貫太郎総理大臣は



これまで 時間を費やして 
だいぶ議論をしてきたけれども 平行線になってしまった。

でも
広島・長崎に 原爆が落とされ
ソ連が参戦して来た。

瞬国の猶予もありません。
従いまして 極めて異例な事ではあるけれども 

私が今 陛下の前に進み 陛下の御意見を 伺います。
陛下の 御意見をもって この会議の決定 としたいと思います。

このように言ったところ 全員が了承するわけです。

そうしたら
昭和天皇は



私は 
外務大臣の案に 賛成である。

このようにおっしゃいました。

これによって ポツダム宣言を受諾する という事が決定しました。

これは 詔(みことのり)。 
詔書 を出さなくてはいけません。

開戦の詔 という形で 戦争が始まったわけですから
戦争が 終わる時も 詔 によって 終わります。

日本政府が 詔 を起草する事になりますので 
翌日 米国に対して

ポツダム宣言を受諾する 旨を伝達します。

しかし すんなりいかず
紆余曲折(うよきょくせつ)ありまして 

2度目の 御聖断を 仰がなくてはならない
という事に なってしまうんですね。

8月9日 深夜に ポツダム宣言を受諾する事が 決まりました。

阿南陸軍大臣は 
天皇の地位の保証 は 本当にされるんだろうか。
ポツダム宣言の条件に入れろ と 言っていたのですが

8月10日 に 日本は 
中立国を通じて 連合国側に
ポツダム宣言を受諾する旨の 電報を打ちました。

その電報の内容は 

天皇の 国家統治の大権を 
変更する要求 が 含まれていない了解の下に
ポツダム宣言を 受諾する。

と書かれていました。

天皇の地位 については 書かれてませんよね?
今まで と同じく

天皇の地位は 保証される。
天皇の地位に 変更はない

そういう 理解をしているのですが
その了解の下で 日本は ポツダム宣言を受諾しますよ。

という 電報の内容です。



他の所は 全部吞みますから
もしこの 日本側の解釈が 違っていて

天皇の地位の保証 の変更 があるなら 
ポツダム宣言を呑めないんで
教えて下さいね。

この見解が 正しいかどうかを すぐに返答してほしい。

という 主旨の事も 電報に書いてあります。

天皇の 国家統治の大権 の部分は 
日本側が出した 英語で

the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler
天皇の 国家統治の権限 

と 解釈しましたが 
ここに変更する要求は 含まれていませんよね?

に対する アメリカ側からの返答は

降伏の時より 
天皇 及び 日本国政府の 国家統治の権限は
連合国軍 最高司令官の制限の下に 置かれる。

最終的な
日本国の 政府の形態は ポツダム宣言に従い
日本国民の 自由に表明する意志により 決定されるべきものとす。

んっ?

ちょっと引っかかる所が いくつかあって
また
議論が 蒸し返されるわけです。

天皇の権限は GHQ の下に置かれる 
って書いてあるわけですね。



えっ?

天皇って もしかして 廃止されちゃったりするの?
GHQ の下に置かれる って そんな存在に なっちゃうの?

という事で そこで 

ほ~ら 信用できない相手じゃないかぁぁあ! と
阿南陸軍大臣が 激怒するんですよ。

subject to

外務省 の翻訳は 制限の下に 置かれる。
陸軍省 の翻訳は 隷属する。

隷属する という言葉に 
阿南陸軍大臣は ピキピキ 来たわけですよ。


 


日本側が 出したのは
【 天皇の 国家統治の 大権 】 
the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler


【 天皇 及び 日本政府の天皇の 国家統治の 権限 】 
the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state
と 
微妙に変わって アメリカ側から 返ってきました。

日本側が聞いているのは 大権。
the prerogatives は  権利 に近い意味です。

それが アメリカ側は 大権 に触れずに
the authority という 権威 に近い意味で返してきました。

何の権威 かと言ったら

to rule the state という 

国を動かす的な 内閣とか政府 みたいな言葉に変わって 
アメリカ側から 別の 英文で 帰ってくるんですね。

日本側の 大切な所は 
a sovereign ruler という 
君主 国を統べる 最高の権限 みたいな意味の事なんです。

最高レベルの a sovereign rule で 
天皇の地位の保証 を聞いているのに

次元の低い  to rule the state で 返ってきた。

天皇の地位の保証が あるのか ないのか聞いた事に 
はっきり答えてくれたら
白黒ハッキリするのに

正面から答えて くれないで 
斜めから。変化球で 帰ってきたんです。 

これから占領 されるんだから 制限はされるでしょうけど
どう 解釈するのかな?みたいな。

アメリカ国民の 世論は 
日本は 邪悪な国だから 話し合いをして 
良きところでやめよう というのではなく

完膚(かんぷ)なきところまで 
野蛮な日本は 叩き潰せ という考えなんですね。

今の 日本人は 

ポツダム宣言で 話し合いをして
停戦しませんかぁ~ って 終わったもんだから 
戦争って こうやって終わるもんだ って思っている人が 多いと思います。

ドイツが敗戦した時 や イラク戦争もそうですが
戦争に負けたら 一方的に 叩き潰されて 終わりです。 

この返事は
原爆投下の バーンズ国務長官 が出した声明文なんです。



よく分析すると 非常に 巧妙な文章になっているんですね。

日本側から これだけは確認させて下さい と言われて
アメリカ側が はいはい それで合ってますよ~ 
なんて言ったら 

日本の要求を 呑みながら着地したかのように 思われてしまうので
アメリカ国民の手前 批判を産みそうなわけなんですね。

広島・長崎 に原爆を投下して 3発目は 無いですよね。
そして 
ソ連参戦してますよね。

もし ここで 日本が 受諾しなかったら
本土上陸作戦 になって 
3万・5万・7万 とアメリカ兵を 死なせてしまう事になります。

そうしたら
何のために 原爆落としたんだ って事になるんですよ。

でも
実は 日本でも 

理化学研究所 で 原爆は つくってました。

1月には おおむね 完成段階 に至っていました。
この 名前を 新型爆弾 と呼びました。

新型爆弾 の完成に伴って 

いよいよ 完成に近づいております という事を
陸軍が 陛下に 奏上しました。

昭和天皇 は 何とおっしゃられたか。

即刻 

開発を中止せよ。



これが 天皇陛下の 御聖断でした。

本来 天皇陛下は 政治に 口を出すものではありません。

ここで
原爆の開発を 打ち切る事を 明確に命じたという事は
極めて 異例な出来事です。
本当は 言っては いけない。

それでも
昭和天皇 は押して 

原爆を使った戦争は やめろ と。

そんな事をして 大量な死者 が出る という事になったら
先祖に 申し訳がない という事です。

当時の 
陸軍の 計画としては

原爆をつくる。 
それを アメリカに持っていくために 
燃料の石油も 最終便で 確保した。

実際に 投下計画も 出来ていた。
さらに その後

米軍は 
本土上陸 をしてくるだろう。

その間の 日本の大都市圏 は空襲で B29 に散々やられている。
B29 は
高度 1万m まで飛ぶ。

日本の戦闘機は 6000m しか上がらない。
なので やられ放題 になっている。

この問題に 関しても
日本は ジェット戦闘機 が 実は開発されていて
すでに 試験段階に 入っていた。



ジェット戦闘機 は高度が 高くて B29 の上まで 行っちゃいますから
B29 の上を飛べる ジェット戦闘機は 
B29が 大きな的(まと)でしか ないんです。



だから 
その後の 朝鮮戦争で B29 は バタバタ落とされちゃったんですけれども

実際に ジェット戦闘機 が完成するところまで 日本はいっていたんです。
そのまま
本土決戦に 持ち込めば 日本は勝つ事が できたかもしれない。
原爆を アメリカに 落とす事で 

一気に 終戦協定まで 持っていく事ができるんではないか。

という事が 実はあったんです。

でも 昭和天皇 は 

禁止。止めろ。
そんな事は してはならない。
何のために 戦争をしているのか!


厳しく お叱りに 
極めて お怒りに なられた 

という事が あったらしいです。

終戦から 3か月後 
アメリカは 日本の理化学研究所を 抑えて 調べて

東京湾に サイクロトロン(円型加速器)を 捨てました。



日本の 科学技術。テクノロジー を 
米軍が 恐れていた という事なので

2度と 日本が
テクノロジーで アメリカに 反抗できないように という事で

科学者を 囲い込んで 
GHQの許可を得てから 活動をせよ という事になります。

そんな 日本とは真逆で 原爆を投下してみたい。 
総仕上げ に向かい 
アメリカは 原爆を落とすまでは 

日本に 降伏されたら まずいんですよ。
原爆 落とせなくなっちゃうから。

でも 原爆 落とした後は
直ちに 降伏してほしいんです。本土上陸作戦になっちゃうから。



そして
日本の要求を 譲歩してまっては 
アメリカ国民の手前 批判を産んでもいけない。

天皇の地位の保証 の変更 があるのか 無いのか を聞いているのに

天皇の権限は GHQの下に 置かれます。 って
変化球の 返答をしてきたわけです。

これ
どうなの? これは変更されるの? されないの? と 
陸軍省 も 海軍省 も みんなで 
辞書ひいて こんな用法がある こんな用例がある



これ 隷属(れいぞく) じゃないかぁ!ふざけるな! バァ~ン!って
日本側は やってるわけですよ。 

すると 外務省が 

これって 天皇が残る って前提の話 ですよね?
GHQの下に 置かれた状態で 

天皇は残る って事ですよね?

なので
占領が 解除されたら 天皇は やっぱり 残るって事じゃないですか。

だから これ
天皇は 残りますよ!



と言うわけです。

アメリカは 
天皇の地位の保証 はするよ と はっきり言えなかったんです。

頼むから アメリカの 世論や 状況を察してくれ 
頼むから 日本 受諾してくれ って感じでした。

神風特攻隊 とか ビュンビュン 飛んできて

そこに 上陸する側の身に なってみなさいよ って事で
アメリカが
1番やりたくなかった 
本土上陸作戦 をしなくちゃいけなくなるわけです。



米軍側は 数万人 死ぬ と見積もってましたが 
実際 本当に本土上陸作戦をやったら
アメリカの兵隊 10万人 20万人 は死んだかもしれないですよ。

まだ 日本は 7000機 の特攻機を 用意していたんだから。
湘南沖 と 九十九里浜沖 で
何百隻 という船で 強襲揚陸艦 で 米兵 ガァァァーッ て揚げていくわけでしょう?

そういう 輸送艦とかを 
バンバン 7000機の特攻機が 雨あられ のように突っ込んでいくわけですから



何隻 沈んだでしょうね。
米軍が死ぬの 1万人 や 2万人 じゃあ効かないですよ。

だから アメリカが
日本との戦争を 終わらせるシナリオの中で 
1番最悪なシナリオに なっちゃうわけですよ。

なので
頼む。日本 ポツダム宣言呑んでくれ って感じなの。

日本は 2回目の 御前会議 がひらかれます。

ポツダム宣言を 受諾すべきだ という 外務大臣 と
ポツダム宣言を 受諾すべきではない という 陸軍大臣 との間で 
議論がありました。

そして 意見が出つくしたところで

再び 昭和天皇が 御発言をなさいます。

今回は 何故 受諾するのか
具体的な お言葉がありました。

下村宏 



という 内閣情報局総裁 が



手記に書き留めていました。



「 反対側の意見は それぞれよく聞いたが 
私の考えは この前に 申した事に 変わりはない。

私は 
世界の現状と 国内の事情 とを 十分検討した結果 

これ以上 戦争を継続する事は
無理 だと考える。

国体問題について 色々疑義があるという事であるが 
私は 
この 回答文の 文意を通じて 
先方は 相当 好意を持っているものと解釈する。

先方の態度に 一抹の不満がある というのも 一応は もっともだが
私は そう 疑いたくはない。

余は 我が国民全体の 信念と 覚悟の 問題 であると思うから
この際
先方の 申し入れを 受諾してよろしいと考える。

どうか皆も そう考えてもらいたい。

更に
陸・海軍の 将兵にとって 
武装の解除なり 保証占領というような事は 
誠に堪えがたいことで
それらの 心持ちは 私には よくわかる。

しかし 
自分は いかになろうとも 万民の命を 助けたい。

この上 戦争を続けては 結局 我が方が 全く焦土となり 
万民に これ以上の 苦悩をなめさせる事は 
私 としては実に 忍び難い。
楚因(そしゅう)の霊に お答えができない。

和平 の手段によるとしても もとより 
先方のやり方に全幅の 信頼を置き難い事は 当然ではあるが

日本が 全くなくなる という結果に比べて
少しでも 種子 が残りさえすれば 更に復興という 光明 も考えられる。



私は 
明治大帝が 涙を呑んで思い切られたる 三国干渉当時の 獄中を忍び
この際 

耐えがたきを 耐え
忍び難きを 忍び



一致協力 
将来の回復に立ち直りたいと思う。

どうか 私の心を よく理解して 
陸・海軍大臣は 共に協力し よく治まるようにしてもらいたい。

この際 詔書を出す必要もあろうから 政府は早速その起案をしてもらいたい。
以上は
私の考えである。 」



このようにおっしゃいました。

これによって ポツダム宣言の受諾が 最終的に決定したわけです。

もうすでに
8月10日 に連合国の方には 受諾の電報を 打ってましたよね。 
ただ
理解が これで正しいのかを確認したい というのは付いてましたが

基本的に 受諾する

という事は 
連合国に 通知済みでしたので 改めて 通知するのではなくて

終戦の詔書が 渙発(詔勅 を発布する事)される事により
アメリカ側に  
日本は 終戦する事で武装解除 するんだなぁ とニュースで伝わります。

ですから 日本が ポツダム宣言を 受諾する という意思表示をしたのは
8月10日 でした。

日本は 終戦というと 玉音放送 が流れた
8月15日
という イメージがありますけれども 

アメリカでは 対日戦争 戦勝記念日 は 8月10日 として記録されています。

一同は 
昭和天皇の お話を お聞きして 

わかりました と 従う事になります。

耐え難きを 耐え
忍び難きを 忍び



これは 8月15日の 玉音放送に そのまま入っている言葉です。

玉音放送 は ポツダム宣言受諾の 詔(みことのり) です。

開戦の 詔 と共に戦争が始まり
そして
ポツダム宣言受諾 の 詔 でもって戦闘が終結しました。

詔 というのは 天皇陛下 自らが お書きになるものではありません。
これは

日本政府が 起案するものなんですね。
日本政府が起案し 閣議決定が行われます。 
そして 閣議決定 されたものを
内閣総理大臣 以下 全ての閣僚が そこに署名を する事になります。



これによって 
天皇が 発給する 詔 というものが 正式に公布され 
渙発(かんぱつ。詔勅 を発布する事)される事に なるわけなんです。

昭和天皇 のお言葉を 参考に 
お気持ちを 基礎に 

終戦の詔。
ポツダム宣言受諾の 詔 が起草されます。

それを 
昭和天皇 自らが お読みになった 音声をラジオを通じて 放送したのが



終戦の 玉音放送 なわけです。

ですから

耐え難きを 耐え
忍び難きを 忍び

というのは 

2回目 の御聖断 の時の 
昭和天皇の お言葉が 
そのまま 詔書に採用された という事になります。

ですから その前後の お言葉も含めて
昭和天皇の お気持ちが 

ポツダム宣言受諾の詔書に 含まれている という事になります。

あれほど 反対していた
阿南陸軍大臣 なんですけれども 最終的には 
ポツダム宣言受諾の詔書 に

自ら 署名を しています。

閣僚が 1人でも反対したら 閣議決定できません。
閣議決定 ができなければ ポツダム宣言受諾の詔書 が発給されないんです。
そうしたら
玉音放送 も無いです。

ですから
阿南陸軍大臣 は最後まで 反対しようと思ったら 

署名をしないで
ぶち壊す 事もできたんです。

反対 反対 反対 と言っておきながら 
あれは パフォーマンス だったんです。
最初から ポツダム宣言受諾するつもりで 話を進めていたんでしょう。

途中で まして 陸軍大臣が 終戦しましょう なんて事を 
和平を 口に出したら 

速攻 殺される という 緊張感があったわけです。
歴史 人物② リンク

これによって
終戦が いよいよ定まり 終戦手続きが 進められていく事になります。

結局 日本は
何が 最終的な決めてとなって ポツダム宣言受諾 を決めたのか。

原爆 が落とされたからなのか?
それが 広島なのか 長崎なのか。

ソ連が参戦 したからなのか?

いくつか理由があったと思うんですね。

広島も 長崎も 原爆投下の時には 
終戦の手続きに なんら影響を与えていない という事です。

ソ連が参戦して来た事 によって 
日本は 終戦を決めた という説明をして来ました。

確かに 1番過激に戦争を遂行し 力強く求めていたのは 
作戦を立案する 陸軍参謀本部です。

アメリカからの 本土上陸作戦に対する作戦を 立案していたんですから。
最後まで 戦うんだ と いけいけドンドンだった 陸軍参謀本部が

ソ連が参戦して来た時に 黙ったんですね。ついに匙(さじ)を投げんです。
ソ連が参戦して来たら 戦いようがないんです。

50万の米兵が 日本に 本土上陸して来て 



それに対して 残存兵力を 全部結集して 
7000機の 特攻機を飛ばして
なんとか アメリカの上陸・占領 を阻止してやろうと 

必死になって 捨て身の 最後の 背水の陣をしいて 
本土上陸を阻止する という

こういう事を 考えていたわけなんです。

50万の 米兵相手にやるのだって イチかバチかなのに
ところが その後ろから 
150万人 のソ連軍が バァァァァーッ と襲い掛かって 攻めてきたら



もう 無理です。作戦の立案 なんてできない。

途中で 戦争やめよう なんて言ったら 殺されるような 雰囲気がありました。
でも
1番 過激だった 陸軍参謀本部が 

ソ連作戦で もう無理。
致し方ない。
もう 戦争 やめましょう という事になったわけです。

でも
一部 若手の青年将校たちの中には 

冗談じゃない!
何だったら クーデターを起こすぞ! というグループが あったわけなんです。
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8・15事件。宮城(きゅうじょう)事件。 
と言って 
未遂に終わるのですが 現に クーデター が起きます。

ソ連が参戦する という事で
いよいよ 終戦だ という事を 覚悟して 
実際に 
ポツダム宣言受諾への 
天皇の地位の保証の条件 ある無い 付ける付けない の議論をして

2回の 御聖断 を経たわけですが

日本は 何を決めてとして
最終的に ポツダム宣言受諾を 決心したのか。

これは 実は 
原爆でも 
ソ連参戦でも ないんですよ。

天皇の権限は GHQの下に 置かれますけど。 何か?
みたいな 感じの



バーンズ回答 です。

天皇の地位が 保証されるかも?しれない と言う 回答文でしたが

という事は 
天皇は残るんだね! そういう事なんだね! という風に 

バーンズ回答 を 日本側は 

好意的に 解釈して 理解して
アメリカという国が 誠実である事を 期待して

まな板の鯉だ。
向こう信頼するしか ねえじゃねぇか。いっちょう信用してみよう と
ここに 賭けて

わかった。じゃあ 受諾しよう。 と 
ポツダム宣言受諾を 決めたわけです。

最終的に ポツダム宣言受諾を 決心したのか。
それは

天皇の地位の保証 なんです。



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