すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      ~21聖紀をになう子どもたちへ


歴史 現代①

明治維新から ポツダム宣言受諾までが 近代になります。
それからの 昭和の時代は 現代になります。

東久邇宮内閣と皇族の特派

ポツダム宣言受諾 が行われ 
昭和天皇の 玉音放送が放送されました。

これで 戦争終結 したかというと そうではありません。

クーデターは 1つ鎮圧されたとはいえ 
クーデター までは しないけれども
占領軍が進駐してくる時に 



特攻して 粉砕してやるとか
特攻訓練を 繰り返している 部隊もあるわけですよ。

次は 反乱を起こさずに 
本当に 武装解除して 進駐軍を受け入れるために

8月15日を持って 
鈴木貫太郎内閣は 総辞職になりましたので 
新内閣を発足しなければなりません。

整然とした 進駐の開始をするのに
いろいろな ご苦労があったみたいです。

いざ戦争になったら 
まず 皇族が 命を懸けて国を守る という事で

明治の時代
明治天皇の 思し召し(おぼしめし)で 
男性皇族は 必ず 
陸軍か 海軍かの 軍人になる事になっていました。

昭和20年8月16日。 
玉音放送の翌日

在京の 4皇族が 
昭和天皇から お召しがありました。

当時 東京にいた 成人皇族の
 
東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)は 



大命降下。内閣総理大臣に任命されます。

現職の皇族が 内閣総理大臣になるのは 
後にも先にも この時に たった1度だけです。

終戦を
処理する役割は 皇族 が担わなくてはならない。

武装解除 を進めなければならない この時に 

普通の軍人が言っても 
はぁっ?! て事にもなり兼ねないんです。

ところが 
皇族が総理大臣になって 終戦処理をすると 迫力が違うんですよ。
                    
そこで 
昭和20年8月16日。
東久邇宮内閣 が成立します。



これを押したのが 昭和天皇の 懐刀(ふところがたな) と呼ばれた 
政治向きの秘書 

木戸幸一(きどこういち)です。



戦前 
近衛文麿(このえふみまろ)内閣 総辞職の後に 

東久邇宮 の名前が あがった時に

開戦  
となるかもしれない この時に 

皇族が 総理大臣をしていたら 問題だ と 
皇室ごと無くなるぞ と

開戦の前に 
敗戦について 研究した唯一の人で 
そして 
東条英機(とうじょうひでき)が 総理大臣になったわけです。

そして 戦後処理は 
東久邇宮が 総理大臣 として 武装解除を 進めていきます。

朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)   と



閑院宮春仁王(かんいんのみやはるひとおう) は 



南方方面と 中国方面

竹田宮恒徳王(たけだのみやつねよしおう)は 



満州の関東軍と 朝鮮総軍  に割り振られて

なぜ今 終戦を決意したのか 
なぜ ポツダム宣言を受諾したのか 

の主旨を 東久邇宮 総理大臣から ご説明があったわけです。

君たちには 気の毒だけれども 
立川飛行場から 明日戦地に向かってほしい 

とおっしゃいました。

本来であれば 私自身が 各戦場をまわっって 将兵たちに 
終戦の主旨を 伝えるべきではあるが

今 私が 東京を 離れる事は叶わない。
君たちには 大変申し訳ないのでけれども 

危険な任務ではあるけれども
私の想いを 将兵たちに 親しく伝えてきてほしい。

このような 大任を 担うことになったんです。

聖旨(せいし)伝達。 

天皇陛下 のお気持ちを伝える。
終戦の主旨を 説明する役目をする という事です。

そして 戦地に特派され 飛んでいきました。

これは大変 危険な任務だったらしく 

ソ連軍が 宣戦布告して 
200万 というソ連軍が 一気に南下しているんです。



満州国なんて 
日本人 300万人近く いましたからね。

彼らが ソ連軍に 攻め込まれてきているわけですから 
阿鼻叫喚(あびきょうたん) 
とんでもない大混乱 になっているだろうな という事も 予測されます。
それが 
間もなく 朝鮮にも来ますからね。

宮様が 
天皇陛下の お気持ちはこうだ。武装解除をしてください。 

武装解除をせずにいる というのは 
天皇陛下のお気持ちを 踏みにじる事になるんだぞ。
だから 
決して 軽はずみな行動は とってはいけない
と伝えると 

悔しいけど わかりましたぁ! という事になるんです。

竹田宮は 夜 



もう 2度と帰ってくることもないだろう という気持ちで 身辺整理をしていました。
そうしたら 
東久邇宮から おり行った話があると 電話があり 

総理官邸に出かけて行きました。

あなたは 
満州国皇帝 溥儀(ふぎ)皇帝と 仲がよかったですね。
溥儀皇帝と 会ってきてほしい。



そして 溥儀皇帝が望んだら ぜひ
日本に 亡命 をさせてほしい。
という 



東久邇宮の要望でした。

総理の 密命を帯びて 
満州の首都 新疆(しんきょう)に行く事になりました。

竹田宮は 満州の関東軍司令部で 
司令官以下 ぎゅうぎゅう詰めに将校を入れて 

昭和天皇の想いの主旨を 淡々と説明したそうです。

そうすると 
随所から すすり泣きや しまいには 嗚咽する人もいたらしいんです。

悔しいけども 武装解除をします 
という事で 
関東軍の 武装解除が決定したわけなんです。

次は 
朝鮮に行かれ 朝鮮でも 武装解除となりました。

そして 溥儀皇帝と 無線がつながり 
溥儀皇帝は 日本に亡命を 希望なさるんですね。

次の日 満州国の 奉天(ほうてん)飛行機で 待ち合わせをして 
一緒に東京に行きましょう と 約束したのですが

宮様。
溥儀皇帝が 朝鮮まで 来れればよかったのですが

聖旨伝達(せいしでんたつ) という
天皇陛下からの お役が終わったので

速やかに 東京にお戻りになられるのが 重要かと。 
満州の奉天まで 戻る のはいかがなものでしょうか 

朝鮮総督府から意見具申がありました。

竹田宮の飛行機を 
4機の 隼(はやぶさ)戦闘機が 護衛してくれて 
任務遂行をさせていただいていました。



最後 竹田宮は 若い4人のパイロットに

今まで 護衛してくれて有難う。
私は 東京に戻るが 
日本は戦争に負けたけれども 

これからは
君たちのような 若い力が必要だから ぜひ
戦後の復興に 尽力してほしい

声をかけ 4人と固い握手をし

現地の 隼戦闘機 4機が護衛して
日本の安全な区域に 竹田宮の飛行機が入るまで  見届けて 

そして 
その4機の 20代前半の 若いパイロット 4人は Uターンして
所属の 奉天飛行場に帰る という予定になっていたんです。 

そして 溥儀皇帝は 奉天に 出ているわけなんです。
ところが その日 奉天飛行場は 



ソ連軍が 占領していたわけです。

もし
竹田宮が 奉天飛行場に降りたっていたら 
ソ連軍に 逮捕 されていた事になります。
現に 
溥儀皇帝は 奉天飛行場に 降りた直後 

ソ連軍に逮捕され そのまま シベリアに抑留されてしまったんです。



そして 竹田宮の飛行機を護衛して 見送って
奉天飛行場に戻ってきた 4機の戦闘機は 

上空から
あぁ これは ソ連軍に占領されているなぁ とわかり 

低空飛行で 奉天飛行場に入ってきて 滑走路の上にさしかかった時に 

4機が垂直に 立ち上っていって 



4機 編隊をくんだまま



奉天飛行場の 滑走路中央に 自爆 という事になったんです。




日本の復興 よろしくな 

と 言われた 若いパイロットたちは 
そこで 命を絶つことになってしまった という事です。

溥儀皇帝を 連れて帰ることまで できませんでした。
日本への亡命を 果たす事ができませんでした。



この後 東京裁判 が開かれるんですけれども 

溥儀皇帝は ソ連軍に逮捕されて 抑留されていますから 

ソ連側から 
これを言え と 言われているわけですから ウソを述べるんですね。

東京裁判 における 満州国の評価も 
溥儀皇帝の あの発言がなければ 

何とか 
日本に亡命してくれれば

かつての 満州国を 日本が建国して 
そこを日本が 抑えたという 国際的評価は 

全然違ったものになった可能性があるので 残念です。





GHQの占領政策

8月24日。 
昭和天皇の 弟宮にあたります 高松宮(たかまつのみや)殿下が 
厚木基地に行きます。

相模原航空隊が 特攻訓練を 繰りかえしているわけですよ。
まもなく 
進駐軍がくるんですよ。最後の最後まで 武装解除を 拒んでいた所でした。

天皇陛下の み意を 弟の宮様から言われて 武装解除しました。

翌日 
米軍が 東京周辺に 偵察機 を飛ばしています。
武装解除が 1日・2日遅ければ 

東京上空で 戦闘状態に入ったかもしれません。

そしてマッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立つわけですけれども



米軍は 
日本は 相当抵抗があるだろうと 

うりゃ~! とか言って
誰かが走ってきて 撃つとか 散々あるんだろうと 思ってたんですね。

ところが 
実際 降り立ってみると 1発の銃弾の暴発も ないわけですよ。

あらっ!?  何も起きない。 

というのが 
マッカーサー元帥の 降り立った最初の感想です。

これが実現できたのは 

昭和天皇が 
気持ちを 重臣たちに 直接お話になった。

陸軍・海軍も
一緒になって 手を取り合って 
終戦を 実現させてほしいという お言葉があって 

各大臣 参謀本部・軍令部 一丸となって 

昭和天皇の想いを 実現しようというわけです。

終戦時の 内閣総理大臣は
東久邇宮(ひがしくにのみや)です。



皇族が 首班する 内閣が発足しました。

それでも 
最後まで戦うんだ という 部隊 もありましたが 

皇族方が 戦地の部隊に 会いに行き 
昭和天皇の お気持ちを伝えにいったわけです。

それで 
最後まで 戦うつもりだった人たちが 
わかりました という事で 武器を置いたわけなんです。

これは 昭和の無血開城 と 言われますけれども

有名な幕末の 江戸城総攻撃 が起きようとするときに 

勝海舟 
と 
西郷隆盛が 

薩摩藩邸で会談をしたと。 
これによって 江戸城の無血開城 が決まったんです。
歴史 人物② リンク

幕府の残党も 
江戸城に籠って 籠城作戦を展開すれば それなりに戦えたはずなんです。

と言いますのは
大阪城と 江戸城 と言えば 天下二大 難攻不落の城です。
まあとにかく攻めにくい。

ところが 
勝海舟と 西郷隆盛の 話し合いで 無血開城ですね。

260年以上続いた 江戸幕府が最後 終了するときに 
戊辰戦争とか 新選組 五稜郭の戦い 会津攻めもありましたよ。
でも
江戸城は 無血開城された というわけですね。

これは
日本の歴史の 稀有(けう)なところだと思います。

昭和も 
昭和の無血開城 と言えるような事が起きたわけです。

一発の銃弾の 暴発もなく 
一糸乱れぬ 占領が行われたわけです。

GHQの占領の 根拠 になるのは
ポツダム宣言です。



日本に 連合国は 
課題 を与えるわけですね。
この項目を 全部クリアしたら 

占領を 解除しますよ 

っていう風に言っているわけですね。

何も日本が 
戦争の結果 足腰が立たなくなるまで 叩き潰された わけではないんです。
まだ 日本は戦う力がありました。

しかし
昭和天皇の 思し召しによって
ポツダム宣言は 停戦条約になります。
まだ 講和まで 行っていません。いったん停戦しようと。

そして 
占領を受けます。
その後 講和条約が結ばれ そして日本は 
国際社会に復帰していく という所の 

6年8か月 を要するわけです。

占領された日本が 課題を解決したら 占領を解除しますよ 
ということなんです。

ポツダム宣言はよく 無条件降伏 と言われますが
間違えです。



ポツダム宣言は 
連合国の条件は 次の如し と書いてあるわけです。

条件を 書いてあるじゃないか という事です。

連合国側と 日本側と それぞれ 権利義務 が書かれてまして 
決して私たちは 

無条件 で 降伏したわけではありません。

ポツダム宣言を
受諾した 主旨 は何だったかというと

ポツダム宣言を 受諾して 
国家を 空け渡した 事実 はないわけなんです。
むしろ逆。

日本国を 守る為に 
国家を 存続させる為に ポツダム宣言を 受諾したんです。

叩き潰されたました どうぞお好きに 

そんなこと 一言も言ってないですよ。
無条件降伏 なんて してませんよ。

停戦 をする上で 条件 をつけたんです。

無条件降伏って どこから来てるの?って話ですが

ポツダム宣言を よく読んでみると 一か所だけそれが書いてあります。
それは

日本軍は 無条件で降伏し 武装解除する
って書いてあるんですよ。



日本国の 無条件降伏と 
日本軍の 無条件降伏は 全然違います。

国家としては 条件をつけて 停戦 をしたわけです。
条件の一つが 
軍 の無条件で 

武装解除しなさいよ っていう事なんです。

国を 無条件で 明け渡したのではなく 
国を 存続 させるために しっかり条件を付けた上で 

ポツダム宣言に 臨んだわけです。



しかし






WGIP

WGIP ウォーギルトインフォメーションプログラム。 

戦争を始めたことに対する 
罪の意識を 
日本人に植え付ける 洗脳プログラム



と 言ってももいいでしょう。

財閥解体
農地改革
軍の解体
労働改革
神道指令
東京裁判
言論統制(WGIP)

と 占領政策は いろいろとありましたけれども 

WGIP の主軸になって  
ボディーブローのように 



占領化解除されて 60年以上ですが

ズシーン と響いているのが 言論統制(WGIP)です。



日本人が 勝手に呼んでるんじゃなくて 
WGIP という言葉は

GHQの 内部文章にあります。

日本人を 戦争嫌いにする。
日本人を 腑(ふ)抜けにする。  

そういう 洗脳計画で 
何で そんなことをしたか っていったら 

日本人を 恐れていたからです。

もう日本人とは 戦いたくない。
日本人 結構 強かったですからね。

零戦も
アメリカの飛行機より 優秀だったから。

運用能力も 圧倒的に 
日本の方が高かったから。

アメリカの戦艦より 日本の戦艦の方が 
性能が良かったから。

国力は
アメリカの方が 10倍以上大きいですから 
長期戦になったら アメリカの方が 圧倒的有利ですよね。

日本は
国力は小さいながらも アメリカは結構 てこづったわけですよ。

最後の最後まで 投降しないし 
死 を覚悟して 勝ってますよね。



特攻隊も そうですよ。



アメリカじゃ 絶対あり得ないですからね。

そういうのを見てね 

沖縄 
あんな小さな島を占領するのに アメリカ軍だけで 
米兵 10000人ぐらい 亡くなってるんです。

硫黄島(いおうとう)も 
沖縄から比べたら 圧倒的に小さいんですよ。
それを
アメリカ軍 10万人以上で攻めて 1か月以上 落ちなかったんですよ。

死傷者の合計数は 米軍の方が多かったんだから。

NYの
9・11 のテロ事件でも 4000人そこらですよ。

日本人
最後まであきらめませんし 投降しませんし 

ねばって ねばって ねばり通すわけですよ。

戦ってみて 
日本人すげえな って事になったわけですよ。

占領はしたけれども もう結構。
2度と こんな人たちと戦いたくない ってわけです。



また 歯向かってくるかもしれない という 
第一次世界大戦の ドイツの 苦い経験があるので 

ここで日本を
叩き潰して 占領してね 
でも また
日本が 軍拡して攻めかかってくるかもしれない と考えたら 

いやいやいや もう 精神的武装解除ですよ。

日本人を 
精神的に 腑抜けにする。ここまでやらないと 安心できないわけです。



だから
骨抜き です。

骨抜いたらどうなります?

例えば 牛の骨 抜いたらどうなります? 牛は立てなくなりますよ。

そうです。
日本人を 精神的に 骨抜き にするんですよ。

もう ふにゃふにゃ。立ち上がる事さえできない。

戦争の事を 思い出しただけで 吐き気がするとか 
自分たち 日本人が 武器を持つなんてありえないと。

もう2度と 戦争は怖いし したくない 関わりたくない
平和 平和 平和 みたいなね。

未来の 子どもたちにも
パン食を 与えてくれた お蔭様で



魂力 霊力 が宿る お米は食べなくなり

そういう風に
日本人を つくり込んでいくという 
これを
WGIP ウォーギルト インフォメーション プログラム  

と言うんです。
これ結構 効いてるんですよ。

大日本帝国憲法 を改正して 日本国憲法を立てました。

日本国憲法の方は 色々な 自由 と書かれてまして
言論・出版・思想などの 自由 が 
憲法で 保障されたわけですよ。

多くの日本人は 戦争が終わった!
自由だ! と



日本人は 勘違いしちゃったわけですよ。
大間違いです。

なぜならば 
GHQが プレスコード をつくりました。



これは書いていい。
これは書いてはいけない.。

という 言論統制です。

当時 テレビは まだありませんでしたので 
ラジオ放送 新聞が 主要メディアで 
あと
雑誌 お芝居 演劇の台本まで

全部 
GHQが事前に プレスコードに従って 検閲 をします。

これが書いてあるから 不許可 ってなると 
発表できないわけです。

新聞だと
毎日の事なので 不許可だと
今日 新聞発行 できなくなっちゃいますよね。
なので 
プレスコードに従った 会社内の 自主規制 をかけていくわけです。

教科書は さらに厳しいんですね。

公(おおやけ)に 発表されていれば 
この 基準で 書かれてるんだって 読者もわかるじゃないですか。

ところが
一般の人は 見ることができない。公表しちゃいけない。

プレスコードは 隠されてるんですよ。

では
プレスコードには 何が書かれているのか。

●連合国に 対して 批判 はしてはいけません。
●原爆 を落としたことに対して 批判 をしてはダメ。
●東京裁判 に対する 批判 も 不許可です。
●大陸の ソ連に対する 批判 もダメです。

終戦後なのに  
樺太(からふと) 真岡(まおか)を 攻めただろ 
それから 
船 3つ沈めた なんて言っちゃだめです。
歴史 人物② リンク

●100人斬り 慰安婦 こんな事はなかった 
なんて言えないんです。

●日本を 擁護する発言も 不許可です。

日本は 大陸で 大虐殺してません なんて言えません。
そういう事を言っちゃぁいけないんです。

日本人は 
悪いことをしたのであって それを 擁護する 言論は不許可!です。

厄介なんですよ。



正確には

30項目に及ぶ 削除 
及び 発行禁止対象のカテゴリー が定められていて 

これに基づき 
新聞・出版物の 事前検閲 が厳重に実行されていたのでした。

たてまえは 言論の自由。
実態は 事前検閲 という 

表面に出ない 厳重な 言論統制 によって 
日本人の 洗脳工作 が行われていたのです。



そして!
今の日本人が 知らず知らず 
毎日の生活の中で 

戦後70年以上 経つうちに 平和ボケ してしまったのには
戦勝国のような 優雅な生活に憧れて 



うまうまと 乗っていきました。

3S政策
●Screen スクリーン・映画・テレビ 今だと 携帯画像

●Sport スポーツ・ストレスの発散

●Sex 性産業・性知識

自分が楽しくあればいい。

社会の貢献に 熱情をかける事や 政治など 

そんなものは
どうでも良い 自分が楽しければいい
と思う 日本人に なってもらうように。



他にも 

●日本食(霊力 根性のようなものが宿る お米)を 
食べさせないように
 
小麦粉の 普及による パン食・牛乳・西洋食・給食の導入。
日本の 自給自足の破壊。
誰かが何か 食べさせてくれるでしょう みたいな。

●薬を 主とした 西洋医学療法・予防接種・母子手帳など

欲にまみれて 便利さを求めて
快楽や お金・物を求める 

愚民政策に なっていくように 仕込まれていく。
戦後から 100年経ったら ゆでガエルになっていた。



そして
戦争が終わって 各新聞社が 戦争特集 を始めるんですね。

皆さん!これまで 大本営発表しか 書けませんでした。
でも
憲法が変わり 

言論の自由が保障され 
これから
私たちが 独自に取材して 過去の事も含めて 
真実を 報道していきますよ~!って 

実は
日本軍は こんな酷いことをしてた とか書くわけです。

すると
読者は 真に受けて 

へ~!そうなの?
知らなかった ってなる訳です。

自分たちは 正義の戦争をしてたけど
日本軍って こんな変な事してたんだ と 
ありもしない 大虐殺 なんて書いてある訳ですよ。

日本人は 
日本って ひでぇ~国なんだ っと思っていったわけですよ。

ところが
その原稿は何と!

GHQが書いてたんですよ。



ラジオの 放送原稿もそうです。

まさか 
読者は GHQが 書いてるなんて 思わないでしょ。

これは 証明されてますし 資料も 全部残っています。
当時は
誰もわからなかった。こうやって 洗脳は 始まったわけですよ。



これが 言論統制 WGIP。

日本人が 戦争を始めたことに 罪の意識 を植え付ける。

日本っていう国は ひどい国だ。
日本人は 邪悪な戦争を戦った。

そういう風に つくりこむんですよ。



そんなことが 占領を解除された後 
続々と 出てくるわけですね。

教科書の 検閲基準には 

●神話とか 神道 
信仰 にかかわる事は 一切書いてはいけません。

●天皇 に関する 
いい話は一切 教えてはいけません。

●尊敬される 
歴代の天皇・皇族の話は 不許可。

●我が国 という言葉が 使用禁止。
愛国心 が湧いてくる らしいんですね。

●国史 ナショナルヒストリーですが 
この言葉も 禁止されました。
日本史 という科目名になりました。

●楠木正成のような 
日本の 英雄 も書いてはいけない。

こんなものがあるなんて 知らなかったんですよ。

占領が解除されて 
何十年もたってから 資料が出てきたんだから。

GHQが 内部文書を公表して

え~っ!こんな基準で 教科書つくってたの!って
後で わかったんですよ。

こういう フィルターが かかっていたなんて 
日本人 知らなかったんです。
言論統制 があったって 知らなかったんです。

占領されていた 6年8か月 
言論統制 WGIP を 聞き 読み 続けるわけですよ。
それで 信じちゃったわけですね。

アメリカは
広島と 長崎で 30万人。



東京大空襲だけで 10万人。 



沖縄戦 9万人。



民間人 を殺しちゃったわけですから 必死です。

日本人が 
大陸の 大虐殺 をした事にして 
30万人くらいにしてないと つじつまが合わないわけですよ。

だから 
6年8か月 徹底的に 洗脳 したんですよ。

日本人が 邪悪でとんでもない事をしたと しないと
説明付かないんですよ。

戦争は 民間人を殺しちゃいけないんですからね。

日本は 悪い国。 
それが 今だに続いているんですね。

そりゃ 日本にも 良いとこも 悪いとこも あったんだから 
全部悪いなんてことはないです。
アメリカは 2度と
日本人と 戦いたくなかったんです。怖かったんです。

日本人が 2度と目覚めないよう 
徹底的に 思想改造を したわけですね。

で 60年以上経っても まだ目覚めないわけよ。




逆に アメリカは 
日本人 もっと誇りもてよ。
自信 もっていいよって 言ってくれるんだけど 

いやっ 日本人は 謝ります みたいな事を 言う人たちがいて。

今 プレスコードは 無くなりました。
教科書検閲基準も 無くなりました。

でも 自社基準 は残っているわけですよ。

WGIP 効いてますよ。



しかし
東日本大震災以降 日本人は 変わってきました。
そろそろ洗脳から 溶けていいんじゃぁないですか?





昭和天皇と マッカーサー元帥の対談

昭和20年 夏 

日本の天皇は どうしたらいいと思いますか?

という
アメリカの 一般の国民が どう考えていたのか の 世論調査では

何と恐ろしい事に

処刑せよ 33%
起訴して 東京裁判にかけろ 17%

この 2つを足して 50%は処刑せい という考えですね。

終身刑は11%
流刑 9%

アメリカ人の世論 70% 
天皇は 戦争犯罪人 という考えです。

リメンバーパールハーバーで 
日本人は 邪悪 ひどい奴らなんだと 
捕虜を 虐待してきた 
そんなことばっかり 聞かされていますから。 

ただ マッカーサー元帥は 
日本に原爆を落とすべきではない とアドバイスをしました。

日本軍は 精神的に強い。

だから
WGIPをやったんですけれども

戦争に負けたら 国家ごと 解体 するのが普通です。
ただ
念のため 2つのパターンを 用意していました。

マッカーサー元帥は 
天皇というのは かなり キーパーソン だと。
日本人が
どれほど 天皇を尊敬しているか わかっています。



マッカーサー元帥は とにかく会ってみようと。 

マッカーサー元帥のもとに 昭和天皇が 
会いに行かれることになりました。

天皇は 私に会って どんな言葉を口にするんだろう 
と 興味があったわけです。

でも
マッカーサー元帥は あまり乗り気ではなかったんですね。
だいたい こういう時は 
どういう事を言うか わかるからですよ。

私は悪くないと 自分の無実を 弁明しに来る。 
何でもあげるから 
命だけは 助けてほしい 

こんなことを言うんだろうなぁ と。

マッカーサー元帥は 
昭和天皇が 来るといっても 出迎えもしないわけです。

ネクタイも つけない 
陸軍の略装の 開襟シャツで 
パイプを燻らせ
足を組んで 待っているわけですよ。

ところが
昭和天皇は きちんとした 正装のモーニング姿。



ところが
マッカーサー元帥は
帰り際は 開襟シャツの 上のボタンをとめて 
最後 車寄せまで 見送りに出るわけですよ。

最初に マッカーサー元帥は 

I tel l the Emperor  俺はちょっと天皇に言ってやるぜ みたいな 

上から目線だったわけですね。
しかし 最後は 

Your Majesty 陛下  

に 変わってるんですね。
いったい何があったんですか?! みたいな感じな話なんですね。



マッカーサー元帥が 想像もし得ないことを 
昭和天皇が おっしゃったんです。

正確な記録が残っているので これを読みましょう。

9月27日 
藤田久則侍従長の 回想録・手記より。

敗戦に至った 戦争の色々な責任が 追及されているが 
責任は全て私にある。

文武百官(将兵・閣僚・官僚)は
私の命令するところだから 彼らに責任は無い。

私の 一身は どうなろうとも構わない。
私は あなたに お委ねする。

この上は どうか 
国民が生活に困らぬよう 連合国の援助をお願いしたい

と 
このようにおっしゃいました。

マッカーサー元帥が 予想するように 

命乞いに来て 
私は悪くない なんて話は 一言もないんですね。

すべての責任は 自分にある とおっしゃったわけです。
私が 命令した通りに 彼らは動いただけなんだと。
だから
全部 私が悪いと。だから 彼らは悪くない

と言うわけですね。
もし処刑するなら 私一人を処刑してほしい。

こんな風に 一つも弁明をすることもなく 
全部自分の責任 だとおっしゃった 昭和天皇のお姿を見て

マッカーサー元帥は カミナリに撃たれるように
ビックリするんですね。



これが天皇なのか!と

マッカーサー元帥は走り寄って 昭和天皇の手を取り 
そして

私は初めて 神のような 天皇の姿を見た 

という言葉を 残しています。
それ以降 

Your Majesty  陛下 という言い方に 変わるんですね。

マッカーサー元帥の 回想録 に 
こう書いてあるんですね。

死を伴うほどの責任。
それも 私の知り尽くしている 諸事情に照らして 明らかに 

天皇に期すべきでない。

責任 を引き受けようとする 
この 勇気に満ちた態度は
私を
骨の髄までも揺り動かした。

私は
その瞬間 私の前にいる 天皇が 
個人の資格においても 日本の 最上の紳士 であることを感じ取った 

要するに わかっちゃったんですね。

なぜ
日本人は あんなに 勇敢 に戦うのか。

人類の歴史上 
あの時の 日本人ほど 勇敢に戦った人達はいません。
そして
特攻 だって在り得ないことです。

マッカーサー元帥は
特攻攻撃を見て 何なんだこいつら と思ったわけです。
米軍も 研究したけど できなかったんです。

でも 昭和天皇の姿を見て 完全に理解しました。



この人たち 家族 なんだ 

という事が わかっちゃったわけです。

天皇は 国民の命をを 救う為に 
自らの命を 投げ出そうとしている。

自分の命を 投げ出すって そう簡単にできることではありません。
自分の命を 投げ出してでも 守りたいものなんて 

そんな価値のあるもの。なかなかこの世の中にありません。
もし
自分の命を 差し出してでも 守る価値 があるとしたら 

それは

愛する人でしょう。
愛する人の 命を守る為。

天皇と 国民の間に 
親子のような 絆 を見てしまった訳ですね。



ところが 
これは 日本の 建国の精神 そのものです。

神武天皇がおっしゃった建国の詔。

八紘為宇(はっこういう)



日本人は 皆家族 ではないか。
日本列島は 私たちにとっての 家ではないか。
みんなで協力して みんなで 幸せ になろうではないか。

神代時代から

日の本つ国
火(日)玉の国

霊(ひ)の元つ国 日本は 
5色人類の 黄人(金色)の 重大な責任があり

よって 天皇は 
黄櫨染の御袍(こうろぜんのほう)を 身に付けてられるのですが

地球全部を 16方位に分けられ 



霊の元つ国から 16人の皇子が 各国に教法を伝えた と言います。



そして
初期のころの 天皇は

全国の 豪族たちと 家族になっていったわけです。
力のある者の 娘さんを 
お嫁さん として受け入れ

そして
天皇の 娘も 全国へ嫁いで行き 

次に 皇位を継承する 息子は残りますけれども 
それ以外の 息子たちは 
全国へ 散らばって行って 政治を任される。

そして
全国へ 散らばって行った 天皇の息子たちは 
地域の 豪族たちの娘と結婚をして 
その地域の 豪族として生きていくんですね。

日本中の 有力者は 
みんな天皇の 親戚 になっていったわけなんです。
ですから

日本人であれば
およそ 天皇の 血筋を引いてない者はいません。

日本人は 
天皇を軸として みんな家族だという風に 統合 されていきました。

そして 
天皇と 国民は 親子のような絆。

天皇陛下は
国民一人一人を 我が子のように愛し その幸せを祈ります。

そして
国民は そのように自分たちの事を
愛してくださる 天皇陛下 の事を 

敬愛し 皆で 力を合わせて 国家を支えてきたわけです、

天皇が 国民を愛し 国民が 国家を支える。



これが日本の 国体 なんですね。

1940年
昭和15年 は 皇紀2600年。 
その年に 記念として

天孫降臨 の地 宮崎県の 平和公園に
高さ 36・4m の 八紘之基柱(あめつちのもとはしら) が建てられました。



しかし
戦後 1946年。
昭和21年に 

GHQの下に 
八紘一宇 の 碑文 と 

 

荒御魂像 が撤去されてしまいました。



塔の 秩父宮雍仁(やすひと)親王 の
揮毫(きごう)筆で書いた 八紘一宇 は

これだけは 譲れないという想いで

GHQに気付かれないよう 
密かに 運び出され 宮崎神宮に 隠されました。

1962年。昭和37年に 荒御魂像が 
1965年。昭和40年に 八紘一宇 の文字が 復元されました。

なんで
日本人は 勇敢に戦うのか 特攻までするのか 
マッカーサー元帥は 理解できなかったんですが 

昭和天皇の姿 を見て 完全に理解しました。

だからか と。
これが 天皇か と。

天皇というのは 

日本人は 一つの家族で 
中心にいるのが 天皇 なんだと わかっちゃったですよ。

お国のため とか
天皇陛下のためとか で 死んだんじゃないんです。

家族のために 戦ったんです。



家族のために 特攻 に志願したんです。



家族を守る為には 国家 が必要だったわけです。



天皇が必要だった。
つまり

日本国家が 存続する という事と
愛する人が 幸せでいる という事が 



完全に一つのものとして 理解されていた。
イコールで 結びついていたわけですね。



そこで マッカーサー元帥は 
天皇を処刑とか 起訴にしたら えらいことになると 
日本人全員 敵にまわすことになるぞ と思ったわけです。

ボナーフェラーズ法務官という マッカーサー元帥の軍事秘書官が 



マッカーサーにメモを渡しています。

天皇を 戦争犯罪人として 起訴擦るのは 不敬極まりない。
日本人そのものの 精神を
否定することになるから 大変なことになります。

天皇を 起訴することは 絶対にしてはだめです。
大規模な 暴動が起きますよ。

マッカーサー元帥も 昭和天皇に会ってますから 
だよね~ となるわけです。

昭和21年1月25日。
マッカーサー元帥は 調査研究をした結果 

結論を 
極秘電文として アメリカ本国の陸軍省に送りました。



天皇を 起訴すれば 
まぎれもなく 日本国民の間に すさまじい 動乱 を引き起こす事になるだろう。
その影響は いくら評価しても 評価しすぎる事は無い。

天皇は
全ての日本人の 統合の象徴 である。
天皇を葬れば 日本国家は崩壊する。

実際のところ
全ての日本人は 天皇を国の元首として 尊崇 していて 
善かれ悪しかれ
ポツダム宣言が 天皇を維持することを 意図していたことを信じている。

もし
連合国の行動が 彼らの 歴史的な想い を裏切ったならば

そこから生じる 
日本国民の 憎悪 と 奮力は 間違いなく 
未来永劫 にわたって続くであろう。

幾代にもわたる 復讐のための 復讐が引き起こされ

天皇を裁判に賭ければ
その悪循環は 
何世紀にもわたって 途切れることなく 続く恐れがある。

私の考えによれば
全日本人は 消極的或いは 半ば 積極的な手段により 
天皇を葬ることに 抵抗するであろう。

彼らは 武装解除 されているので 
訓練され 装備された軍によって 特別な脅威はない。

しかし
政府の 全ての機構が 崩壊し 
文化的な活動は 停止し 

反体制の 混沌無秩序な状態が 
山岳地帯 や 地方で 
ゲリラ戦を引き起こす事は 想像できない事ではない。

思うに

近代的な 民主主義の 手法を導入する 希望 は消え去り 
引き裂かれた人々の中から

共産主義に沿った 
強固な政府が 生まれるだろう。
これは 
現在の占領の状態と 次元の異なった問題が 起きることを意味する。

そうなった場合
駐留軍を 大幅に増員することが 不可欠となる。

最低 1100万人の 軍隊が必要とされ 
軍隊は 
永久的に 駐留し続けなければならない可能性が 極めて高い。
そのうえ 
行政を行う上には 公務員を 日本に送らなければならず
その必要な数は 数十万にのぼるであろう。

これを受け取った アメリカ本国政府は



ええぇ!? という事になり 
検討した結果 

マッカーサー元帥の 電文通りに これを受け入れます。
そして

政府を残す事
天皇を残す事 が決定されたんです。

また
全国から GHQに 投書が 届くんですって。

天皇だけは 残してほしい という 
切実な 日本国民からの 願いが たくさん宛てられたんですね。

日本で 調査をするんですけれども 
天皇を 指示する という人が 95% だったんです。



GHQは最初 日本人は
本当は天皇の事を 恨んでるじゃないか と見てたんですけど 
とんでもない。

日本中焼かれて とんでもない事になっているのに 

それでもなお
日本人は 必死になって 天皇を守ろうしている。

そして
マッカーサー元帥が会ってみたら 
なるほど これが天皇かと。

処刑なんかしたら 自分たちは 大変な目にあうと。
全日本人 敵にまわすと。

わかった もう天皇は触りません。残します。

という事に 
決定したわけですね。

はじめの予定では 15分くらいでしたが 
昭和天皇と マッカーサー元帥の会見は 40分ほど。 
25分も 延びたのでした。



会見の時に出された コーヒーは 

昭和天皇は お口をつけられませんでした。

普通 
相手が気持ちを込めて もてなしたものに 
手をつけないというのは 礼を失する ことになる と
日本人は 
こうした礼儀を重んじる ゆかしい心を大切にする民族なのに。

それなのに お口をつけられなかった。

この日 昭和天皇が 
どうしても マッカーサー元帥に 伝えたっかった事。

私の身は どうなろうとも構わない。
ひもじい思いをしている 国民に なにとぞ早急に 
食糧を 届けていただきたい


聞き届けてほしかったのは ほかならぬ 

国民の命を救う事。

それなのに 
今目の前に 出されたコーヒーを 
この私が 口にできるであろうか。

国民の命が 危機に瀕している時に
 どうして おめおめと コーヒーなど飲んでいる場合であろうか。

たった一杯のコーヒーに 

国民の命を 救ってほしい 
という 
揺るぎない想いをかけられた 昭和天皇。



こんな 重大な事を なんで教科書に書かないんですかね。
これ書かないで いったい 何書くんですか。

戦争が 終わった後も 皇居の周辺は 
爆撃によって 荒れ果てていました。

終戦から 4か月ほど経った 12月の初め

宮城県栗原郡から来た という 60人ほどの青年が
荒れ果てた 皇居内で 

奉仕作業をさせていほしいと やって来ました。



昭和天皇は 青年たちに

遠いところから来てくれて 誠に有難う。

どうやって ここまで来たか

郷里の 米作りの具合はどうか

地下足袋は 手に入るか

肥料の配給は 充分にあるか 
など お話くださり

何とぞ
国家再建のために たゆまず努力をしてもらいたい と 仰せになり
青年たちと お別れになりました。

数十歩 お歩きになった その時

突如 
その青年男女は 

国家 君が代 を歌いだしたのです。

占領の下あった 当時の日本は 
国家 君が代 を 歌う事が できませんでした。

しかし この青年たちは 
君が代 で
天皇陛下を お見送りせずには おられなかったのです。

 

その歌声に 天皇陛下は 

はたと 歩みを止められ 
じっと聞き入っていらっしゃいました。

そのお姿を拝した 青年たちは 
万感 胸にせまり

歌声は とぎれとぎれとなり 
嗚咽の むせび泣く声へと 変わっていきました。

私たちの 日本 という素晴らしい国。



その後 この話は 
全国へと伝わり 現在に至るまで 皇居勤労奉仕 となっているのです。





本当はなかった人間宣言

終戦は 昭和20年 ですけれども 
終戦から 
4か月半くらい 経った時ですね。

翌年 昭和21年の 1月1日 
元旦の新聞に掲載された

昭和天皇は 新日本建国の詔書 というのを 発せられます。 



これが 後々の
昭和天皇の 人間宣言

と言われました。

人間宣言 
なんて  タイトルが 付いていた訳じゃないんです。

新年にあたっての 

こんな心持で 復興していこう という 
詔書です。

かつては 天皇は神だった。

昭和天皇は 人間宣言を出して 

私 昨日まで神でしたけど 今日から人間になります。ヨロシク。

みたいな 
そんなような 宣言があって
それ以降 
天皇は 神ではなく 人として扱われるようになった。
もはや 天皇は神ではない。象徴だ。

こんな風に言われます。

早く 人間になりたぁ~い じゃないんだから



天皇と 国民が 一体となって 
どういう 心持で行こうか 
という事が 書かれているのであって 

タイトルに 人間宣言 

なんてありません。

後で 新聞・メディアが 勝手に言ったのが 
人間宣言 と言っているだけです。

詔書の原文を見てみると 

人間 という言葉も 
宣言 という言葉も ありません。

昨日まで 神でしたが



今日から 人間になることを 宣言する



そんな 文脈も出てきません。

どういう内容かというと

人間宣言 っぽい場所です。

朕(ちん)ト 爾等(なんじら)国民トノ 間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、
終始 相互ノ信頼ト 敬愛ト二依リテ結バレ、
単ナル 神話ト 伝説ト二依リテ 生ゼルモノ二非ズ。
天皇ヲ以テ 現御神(あきつみかみ)トシ、
且(かつ) 日本国民ヲ 以テ 他ノ民族二 優越セル民族二シテ、
延(ひい)テ 世界ヲ 支配スべキ 運命ヲ 有ストノ 
架空ナル 観念二基(もとず)クモノ二モ非ズ

と書いてあります。

現代語っぽく言うと

天皇と 国民との 関係というのは 
国の最初から 現在に至るまで 
常に お互いの信頼と 敬愛によって 結ばれているものなんですよ。 
神話と 伝説によって 生じたというだけではないんです。
天皇を 
現御神(あきつみかみ) と呼んで 
かつ日本国民は 
他の民族に比べて 優越優秀な民族なんだから 世界を支配するんだ 
なんて
架空の観念に 基ずくものでもない。

この文章で 一番言いたいのは 何でしょうか?

昨日まで 神 でしたが 



今日から 人間 になります 



なんて

一言も書いていませんよね。
どこにそんなこと書いてあります?

天皇と 国民の関係性 って どういうものなのか。
それは
お互いの 信頼関係 によるものです。

これを
昭和天皇なりに おっしゃっているだけですよ。

日本人は 優秀だから

世界征服だ 



とか 現御神(あきつみかみ)だ 



というのが
架空 の観念であって 

だから
天皇が 大切にされている訳でもないし 

神話に書いてあるから 大切にされている訳でも ないんですよ。

天皇は 国民を敬愛し 大切にし 
国民も 天皇を敬愛し 大切にする。 



お互いの 信頼関係なので 
天皇は神 従って 拝め という事でもない。

神とも 
神じゃない とも

一言も言っていませんよ。

神話を 否定。
神話が ウソ とも言ってませんよ。

2000年間の 天皇と 国民が お互い支え合ってきた 
信頼関係 によるものなんですよ。

ところで 

現御神 って どういう事かというと 

これは 研究成果で わかっています。
古文書 で出てくる 宣命 でありすが 

天皇が 神である という言葉ではありません。

神の 御心を 心として 
天(あめ)の下を しろしめす 天皇 



しろしめす 時に 現御神 という言葉が出てきます。
天皇の 御心を 心としながら 天皇をする。

天皇にとっての 心構え みたいなものなんですね。

いつ天皇が 神になりました?
天皇が 拝まれました?

天皇は 
拝む存在 なのであり 
拝まれる存在 じゃないんです。

そりゃあ
個人的に 皇居に向かって 拝む人は いるかもしれませんよ。

皇居にある 神殿は 
天皇が 祈る場所であって 

天皇を 拝む場所 
天皇を 鎮座する神社なんて ありません。
 
天皇は 御簾(みす)の奥深くで 
ひたすら国民の幸せを 祈る 存在であり 



祈られる 
拝まれる 存在じゃないんです。

戦前 天皇を 
本当の神だって 信じている人はいません。

現人神(あらひとがみ)は 

神が 人に現れている。だから 人なんです。

人なんだけど 
とても
清らかで神聖だ と みんなが思う。

それが 天皇 なのであって 
天皇 自身が 神 ではないんです。

人のような 要素 を持つ 神なのか
神のような 神聖 を持つ 人なのか



古事記で 
邇邇芸命(ににぎのみこと)が
天孫降臨で 天空世界から 地上に降りてきましたよ。

そして ナンパして 
木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)と 一緒になって
その時 

姉の 石長比売(いわながひめ)も 添えて来たのですが 

木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)
を 妻にすれば



花のように 咲き誇り 栄え続ける。

石長比売(いわながひめ)
を 妻にすれば



命が岩のように 不変で永遠にある

という事で 
姉妹を 妻にする という意味があったのですが

邇邇芸命(ににぎのみこと)は

容姿端麗な 
木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)に 対し 

姉の 
石長比売(いわながひめ)が 大変 醜くかったので

その日のうちに 実家に 返してしまいました。
なので 
今後 天津神御子の 命は 

桜の花のように もろく はかないもの になる と 



これ以来 今に至るまで 

天皇命(すめらみこと)たちの 御命は 
限りあるものとなり 寿命 が与えられました。
そして

人になっちゃった という話ですよ。

かつて
邇邇芸命(ににぎのみこと)は 神 でした。
この事件によって 人 になってしまった。

それ以降 
その 子孫は皆 人 として 生まれることになるんです。
代々 
崩御日 があり 埋葬され 古墳 がつくられてます。



ただ
神聖さ を持って 人 になっていますから 

人 ですけれども 
とても 清らかで とても 神聖 なんです。

という風に
多くの人が信じてきたんです。

天皇が 神聖 というのは 

天皇が 言っているわけでもないし 
歴史書に 書いてある訳でもなくて

国民が そう思ってきた 
神聖である という 思想 なんですよ。

日本民族の 思想 です。

これがずっと続いてきたんですね。

神聖 だから拝め 
というものでは ないんです。

なので 終戦の後の 
新日本建国の 詔(みことのり)の原文には 

神 から 人間 になったなんて 
どこにも書いてないんです。

昭和天皇は 初めに渡された 文案の冒頭に

五箇条の御誓文

加えるように伝えました。

明治天皇 の名で発表された 政府の大方針です。



〇重要なことは 会議を起こして みんなで決めなさい

〇上の人も 下の人も 心を一つにして 
産業を盛んにし 豊かな国をつくり 

〇文官・武官だけじゃなく 国民も 志を達成して 
人々の希望を 失わせないようにするのが寛容

〇これまでの 悪い習慣を捨てて 
普遍的な道理に基ずいて おこないなさい

〇知識を 世界に広げ 国柄を大切にし 発展させましょう

すると
マッカーサー元帥が読んで 

これ いいじゃない!
こんな いいもの 昔から日本にあるの?



と 
民主主義的傾向を 復活させる
と 
ポツダム宣言に 書いてありますけれども

日本は 戦前から バリバリ民主主義ですからね。

大切なことは 議論して 決めましょう。
独裁を 善しとする 発想 はないんですね。

日本の歴史は

7世紀と 
19世紀に 大きなターニングポイントがあったんです。

危機感を持った時代でした。
いざという時 そういう国に 対応できるように 

きちんと 明確に 
立場と 役割分担 を決めて 
がっちりとした 天皇を中心とした まとまった
統一国家 をつくらなければならない。

7世紀に誕生した 聖徳太子の 17条憲法の時から言っています。
歴史 人物② リンク

604年 12月に発表された 冠位十二階 
翌年 
1月には 17条憲法 を発表しています。

17条のキーワード

①和を持って貴しとなす 和(仲良く) 調和

②仏教

③天皇中心の国

④礼儀 敬う

⑤公平 むさぼるな 欲 を棄てよ

⑥善を進め 悪を滅ぼす

⑦能力にあった地位(冠位十二階)

⑧勤勉

⑨信頼 義

⑩自己中をやめ 人の意見を聞く

⑪賞罰 

⑫税は天皇(国)へ

⑬助け合い

⑭人を ねたむな

⑮国のために つくせ

⑯国民を大切に

⑰話し合いで 決める

というわけで

人間宣言 なんて ありません。



神道 を正しく理解し 
古事記を 正しく読めば わかる事です。

過去の 有りもしない 出来事をつくり上げて 
ぶっ叩くという トリックです。

宗教 というものは よろしくない 洗脳されている
という考えが ブチ込まれていますが

それこそ 逆洗脳されていて

宗教の観点は
元の元(もとのもと)と 疎通を図る。 
その 基(もと)。基本を 伝承 存続をするだけの事です。






東京裁判

昭和20年 終戦の時の秋から 

戦犯容疑者の 逮捕 が始まっています。

いわゆる 東京裁判というのは 

極東国際軍事裁判 
昭和21年5月3日 市ヶ谷の旧陸軍省で 始まりました。

東京で開かれた A級の戦犯を 起訴した裁判です。



ポツダム宣言 に書いてありますから 
こういう事はあると わかってますけれども 

一般人を 無差別で殺害した 原爆投下 はどうなんでしょうか。

一緒に 裁かれようぜ 
というのが 本来あるべきこと ではないでしょうか。

連合国側は 一人も 起訴されないんですから。

しかし
日本の 軍人や 政治家たちは 
みんな
戦争犯罪人として 片っ端から裁いていきました。



戦争というのは 

勝った者が 正しい。世界秩序を つくり出していく。
負けた者は 参加できず 謝っていた ということです。

戦争の結果と 
正しい 正しくない 善悪は 無関係ですからね。

戦争に負けるという事は そういう事です。

全てが 否定され 野蛮な極みが 起きるわけです。
戦争に負けたら こうなります。

それが嫌だったら 
最初から 戦争なんかすんな って事ですよ。

戦争をしないで 上手に 避ける。
戦争にならないように 上手に 動いて 回避していく。
戦争にならないようにしていく。

それでも 戦争になってしまったら 

勝たなくてはだめです。

まだいい方です。
戦争に負けたら 普通は 国家 は無くなるんですよ。

ところが 何と有難い事か
日本は 戦争に負けましたけれども 

国家は 残りました。
天皇は 残りました。

そこを 最終ラインにして 
ポツダム宣言 受諾を決めた訳だから。

野蛮なことも 受け入れたんですよ。
日本人だけが 一方的に 裁かれましたよ。

だから
昭和天皇が おっしゃいましたよね。

耐え難きを耐え 忍び難きを忍び 

なんですよ。



耐え難いような 苦しい事 嫌な事も 耐えていこう。

それでも これ以上 
戦争を 継続することはできない。 

というのが 昭和天皇の 御心 だったわけです。



A B Cは悪い奴のランク分けではありません。
犯罪の種類です。

A級戦犯 平和 に対する罪

B級戦犯 通常 の戦争犯罪

C級戦犯 人道 に対する罪

罪刑法定主義に 反すると言われるんです。

もともと これをしたら 
犯罪者ですよ と 示しておかなければ ならないわけですね。

ここで クシャミしたら 死刑 なんて 
今 決めて 

あなた10年前に ここでクシャミしたでしょ。
だから死刑なんて たまったもんじゃないでしょ。

これをやったら 犯罪 って知っているから 
だから 
これはしないってわかる訳で 
後で 犯罪つくって 
さかのぼって適応できたら 誰だって逮捕できるわけですよ。

A級の 戦争を始めた罪 として
逮捕された 

東条英機なんて



開戦した時には 
A級って 犯罪法定は まだ無いいんだから 

世の中 みんな戦争していて

日本は
大義名分で 宣言して 戦争を始めた。
そうしたら 
犯罪だったなんて 聞いてないよって話で

今は 国連が 
全ての戦争を 違法にしました。

当時の 国際法は 
まだ 戦争を違法 としていなかったんですね。

ところが 戦争終わってみたら 

戦争始めたやつ 犯罪者だからね って言われて
全員処刑なわけです。

え?そんなばかな!って話です。

28人が 起訴 されて 25人が 有罪 となって
7人が 処刑 されてます。

実際 処刑は 
昭和21年12月23日に
絞首刑 が執行されました。

16人が 終身刑。2人は病死。



人数は 圧倒的に B級・C級の方が多いんですよ。

合わせて 5400人くらいが 有罪 になっています。
937人が 
主に 海外で処刑されています。

どうやって死んだのか 報告の無い人も たくさんいます。

日本が戦争に勝った時 こんなことしました?

日清戦争 
日露戦争 

誰が 戦争始めたんだ。誰が やったんだって。
国際軍事裁判 を始めて 
日本が 勝った時 こんなことしました?

それどころか 武士道です。
乃木希典大将 と ステッセリ将軍の
水師営の会見ですよ。
歴史 人物② リンク

裁判の中身だって まともな裁判されてませんよ。
一方的な 密告 とかね。

通訳がいないから
何言ってんだか わからないから 死刑 みたいなとか。

めちゃくちゃだったんですから。

当時 日本の輸送船が 沈められちゃうから 
外国人捕虜に
食事を まともにあげられないんですよ。
でも 
なんとか 栄養を 与えないと と思うわけですよ。

新潟県直江津の 捕虜収容所の職員が 

オーストラリア人を 捕虜に対して 
何とか 栄養を取らせようと 

ゴボウ を使った料理を 提供したんですって。



すると
戦争が終わった後 
その オーストラリア人捕虜が 

私は ひどい目にあった。木 を食わされて 虐待された。
と証言するんです。

よかれと思って 
日本人 自分たちも 何か食べたいのに 
直江津 職員が 8人 処刑されました。

長野県 美津島 捕虜収容所の 職員も
ゴボウ を食べさせたという事で 無期懲役。

豆腐を 腐った豆 と 翻訳されて 
虐待だって 言われて 有罪 となった例。



肩こりと 腰痛に悩まされていた 捕虜がいたんですって。
それを
見かねた 収容所職員が お灸 をしてあげたんです。



そしたら
それも 虐待されたって 有罪判決。

この人 悪い人です 
って言ったら はい 有罪。みたいな。

まともな 審議も行われずに 有罪 にさせられていったわけですね。

わかっているだけで 900人以上 処刑ですよ。
わかってないの 入れたら 
更に 何百人って 増えるかもしれません。

戦争に負けたから 普通なんですけど 
野蛮の極みです。

逮捕される前に 自決 していった人もいます。

最後まで 陛下にお供します 
と 言った人でしたが

服毒自殺をしてしまった
近衛文麿(このえふみまろ)。



開戦時の 参謀総長。
陸軍の作戦を決定する 最高責任者 
杉山元(すぎやまはじめ)。



満州事変 をした時の 
関東軍の司令官 本庄繁(ほんじょうしげる)。



東条英機も

胸を 自分で撃ったんですけども
これは
理由があって 撃ったらしいのですが 

助けられ 
GHQの施設で 一命をとりとめ 

少しの 心臓の場所のずれで 
致命傷にならずに 済んだわけです。 

その後に 逮捕され
巣鴨の 収容所に入れられる という事でした。

開戦当時の内閣総理大臣 兼 陸軍大臣ですからね。
歴史 人物 リンク

一応 弁護士は つきますけれどもね 
GHQの プレスコード がありまして 

東京裁判に対する 批判は 不可 なんですね。

東条英機は 出廷 しますけれども 
東条英機を 肯定する言論は 

新聞も ラジオにも 乗っからないですよね。

だから
裁判 進行中に
日本に対して 有利な話は 誰も言えないし 書けないんです。

そういう 状況の中で 裁判 が進められるという 
何かおかしな 裁判 だったんですよ。
形式上 裁判っぽくやってますけれども ただの集団リンチですよね。

東条英機は 
どういう風に 戦争の開始が決定されたのか かなり詳しく説明して 



供述書を 提出しているんですけれども

平和に対する罪なんて 

事後法で 罪をさかのぼって 裁くなんていうのは 
法治国家としては 野蛮なんですよね。

そもそも
戦争を始めるのは 合法だから 後で 違法です なんておかしい 

と 東条英機は言っています。

戦争を始めた罪 というのはあり得ないが 
戦争に負けた罪を かぶれというなら 

私は 率先して  罪をかぶる って言うんです。



実際に戦って 日本軍は兵隊が 
約200万人 死にましたね。

日本の 民間人も 
約1100万人 死んでるわけですよ。

300万人 死んでるんですからね。

私が
戦争開戦を 指揮し 
現に 
マリアナ諸島を とられるまでの 総理大臣として
日本を 主犯 していったわけですから 

それは 喜んで その罪を引き受ける

と言ったんですね。

あと
東条英機が 立派 だったのは 

東京裁判で 昭和天皇には 戦争責任は無い



という事を 徹底的に 述べるんですね。

こうやって
意思決定がある



こういう監修だ 憲法はこうだ と ちゃんと説明して 

したがって
天皇には 責任は無い。

開戦決定は 当時の総理大臣だった 私の責任だと 

軍の 作戦行動も 全部私の責任で 

天皇に 責任なんか無いんだ 
と言いう事を バシーンと説明してますね。

ですから
自分が 罪を背負ってね
処刑されることで 

皇室が 保たれるんだったら 

喜んで 処刑される という 
そういうような 態度だったみたいですよ。

宣誓供述書には



天皇の 戦争責任について 
徹底したる 国策については 
内閣及び 
統帥部の輔弼(ほひつ・国務大臣)および 
輔翼(ほよく ・朝廷の補佐)の 責任者において 
その全責任を 負うべきものでありまして 

天皇陛下に 御責任はありませぬ

第一に 天皇が 内閣の組閣を命じるにあたっては 
必ず
重臣の推薦及び 内大臣の進言によって 決められるのであり 

天皇が これらの推薦や 進言を退け 
自らの意思で 組閣を命じた 例は
いまだ無く 

またそれは 統帥部の 輔翼者の任命についても 同様である

戦前は 
どうやって 内閣総理大臣が決まるんですか って言ったら 

天皇が 
はい。この人って 決めるわけじゃないです。

重臣会議が 開かれて
内大臣が その司会をして 取り仕切って 
そして 
重臣会議が この人がいいですって 天皇に申し上げたら

天皇が 
はいわかりました 

という事で 
その人を 任命 する という事なんですね。

この人って 決まった人を 

天皇が 
やだ とか 却下とか ないです。
天皇 自ら この人 と 決めることもない。

国政も 各大臣が 
天皇に変わって 決定 実行をするんです。

国家の 意思決定にあたって

天皇が 関与する 余地は 無いんですね。

そのことを 東条英機は 述べています。

政治的な 意味合いを持った 御発言を 
天皇が なさる事があったとしても 

それによって 
物事が 決まることは 無いわけで

必ず 責任者が 一度 かみ砕いた上で 
それを
採用するのか 採用しないのかは 
その責任者が 自分の責任において 決める という事です。

天皇に 
政治責任が 及ぶ事は 無い という事を 

東条英機は説明したわけです。



死刑判決が 下された時も

7人は 粛々と それを受けていったと 



どこかの国の指導者が 死ぬ前に取り乱したりした というような事もなく


板垣征四郎 感無量。


東条英機 一誠萬難排(いっせいばんなんをはいす) など

日本のこの人たちは

巣鴨の拘置所で 処刑前
最後を迎えるにあたり 精神性の高くし 日本の行く末を憂いた
寄せ書きだった という事です。

そして
実際に 処刑される時は 

7人とも 
態度が 立派だった という風に 記録されています。

それによって

日本がまた復活するんだったら 

自分が 日本中の 罪穢れ(つみきがれ)を 
全部背負います って感じで 

その7人が 処刑されていく事によって 
日本中の ミソギが済んでしまう というか。

実際そうなんですよ。
日本は国際社会に 復帰 しますよね。

なんで
復帰したかっていったら
戦争犯罪人の 処罰が終わったからです。

という事は

処罰されなかった 日本人は 
皆さん 善良な日本人です。

悪いのは
東条を始め 7人 ってなったわけですよ。

残された あなた達は OKです って話ですよ。
戦争犯罪人を 処罰したから。

この人たちは 加害者。
あなた達は 被害者。

だから
国際社会に 復帰できたんです。
戦争犯罪人の 処罰 が終わっているから。

その7人は

それで 皇室が残って
日本が復活するんだったら それでよい と言わんばかりの 

立派な態度で 処刑されていったそうです。



嫌らしいことに 

死刑の執行日が

12月23日なんですね。
何の日かって言ったら 

上皇陛下の お誕生日でしょ。
平成の時代は 天皇誕生日で 祝日 でした。

なんで わざわざ その日にやるんです?
当時 
終戦の時 上皇陛下は 子どもでした。



将来 
次 天皇になる人の 誕生日に 
わざわざ 死刑執行 してるわけですよ。

これねぇ 
上皇陛下 可哀そうですよ。
上皇陛下だって 必ず ご存じですからね。

その後
天皇誕生日 っていったって

世界各国から 日本に来た 外交官を始め 
内閣総理大臣 みんなが 
おめでとうございますって お祝いのお言葉を お受けになるでしょ。

でも 
心から喜べないでしょ。

自分の生まれた日に 
7人が 処刑された日 なんですよ。
いわゆる A級戦犯が 処刑された日に お祝いをするって

この日に 処刑を当ててくるって 趣味悪いでしょ。

昭和天皇の お誕生日に 当ててきたら 
なめてんのかって 話ですけど 

次の天皇の お誕生日だから 
話題にもならなかったわけですよ。

昭和の時代は
昭和64年 まで続きまして 代替わりがあって 

長い間の 悪趣味な仕込みを 
連合国側はやった という事なんです。

処刑は 実行済みなので 

罪は 晴れるんです。

執行が終わっている にもかかわらず 

戦犯 と呼ばれ続けるのは だめなんですよ。
執行が 終わっていたら

もはや

罪人ではないんです。罪は 晴れたんです。



いまだに 犯罪者呼ばわりしてはいけない。

いわゆる A級戦犯 といっています。

かつて
そう言われた人たちです。でも 今は 戦犯 ではないです。

これは 靖国神社の合祀の問題と からんでますけれども 

もう
罪人(つみびと) じゃないですから。



靖国神社は 
明治天皇が 明治2年3月に 

江戸城の近くに 慰霊の場 を築き 

ばらばらになっている 戦没者を 
一か所で 祭祀 することを 命じたところから 建てられました。

東京招魂社 から 



安らかに 国を治めるという 意味で 

靖国神社 になりました。

アメリカの アーリントン国立墓地や 



アメリカ独立戦争の 無名戦士の墓があります。



大統領が参拝して 何の問題もありません。

イギリスの ウエストミンスター寺院 などがありますが



忠誠 を尽くした 戦没者を弔う 追悼施設にあたります。

日本の 靖国神社は

靖国神社の 御祭神が 246万柱。 
柱 という呼び方で 神様を数えます。

先の大戦で 亡くなった 軍人の数も 相当なものですけれども 

日清・日露・戊辰戦争・西南戦争 で命を落とした方
戦場の 看護士さん 軍属の方も 

日本の国を
守る為に 戦って亡くなった方が 祀られています。
ちょっと特殊な神社です。

各県の 護国神社は 
その県民の 御霊 を祀られています。
その総本山として 
東京 九段下にあるのが 靖国神社です。

なので 英霊も ひと柱 ふた柱 と数えます。
なので 246万柱。

靖国神社は 英霊 が神様です。

靖国神社は 政治問題化 するわけですよ。

総理大臣の 参拝ができるのか できないのか
その先には 
天皇陛下の 御参拝が あるのか ないのか 

そういう事が 議論されます。
それだけではありません。

日本を 軍国主義と 揶揄(やゆ)する人たち。

 
先の大戦で 
日本から 酷いことをされた と言う人たち 
いたずらをして 神社を 穢すんですね。

先の大戦後 
国家神道 の制度を 廃止され

神道に対する 
国家の 保護や 
学校で 神道 を教えることを 禁止します。



国家と 神道の関係を 切り離すために 

戦前につくられた 
宗教団体法を 廃止して 
新たに 宗教法人令 を公布しました。

政教分離(せいきょうぶんり) がおこりました。

靖国神社 は何ですか?と聞かれて 一言で答えるとすると

天皇が 英霊を 祀る神社です。



これは 兵隊と 軍属と 国家の 約束事です。



国家のために 殉職。命を落としたら 靖国神社に祀ってやる。

そうしたら 本来なら
天皇陛下が 数年に一度いらして 拝むわけです。

これを 後世の我々が 破っていいんですか?

国家の 約束事ですから 
守っていかなければいけない と思います。

2018年 に 
東条英機 の言葉が書かれていた という

湯沢内務次官 メモが 見つかって 
歴史 人物② リンク



実際 メモには 
東条英機は 高揚した とは 書かれてなかったそうですが

東条英機が 開戦に向けて 

喜んだ 
という 位置付けで 
新聞社が 高揚した と書いて報道した問題がありますが



昭和63年。 
富田朝彦 という 宮内庁長官をしていた人の 
昭和天皇の お言葉を メモ していたという 

富田メモ というのが発見されました。



そうしたら
いわゆる A級戦犯合祀に 

昭和天皇は 

不快感 をお示しになっていらっしゃった 
という事が わかる メモ なんですけれども

昭和天皇は いわゆるA級戦犯 に対して 

大切な部下 だとも おっしゃり 
ご不満に思っていた という 記録 がないんですね。



こんな 見出しだと パッと見

いわゆる A級戦犯が 靖国神社に合祀されているので
昭和天皇は 参拝しない 
と 思わせるような 見出しに感じてしまいがちです。

政治に 天皇を利用してはなりません。

総理大臣が 個人として参拝した との言葉に対して 
また 
公式参拝 と言えば 軍国主義 
と 揶揄する人や 国がある。

天皇陛下は 
個人参拝というものは 無い のですから参拝ができません。

昭和50年12月21日の 
昭和天皇 最後の御親拝(ごしんぱい) から 

平成時代は 一度も 御親拝がありません。
もちろん 令和になった今も。

しかし 春と秋の 例大祭 には必ず 
天皇に代わって 
天皇の使いの人。勅使(ちょくし)を派遣しています。



神道は 宗教の 団体扱いされるものでもなく 
もともと
日本人の中に 感覚的に浸透していて 
精神の中 で働いているものなので 
日本人には 特別なものでもない。

その 
骨抜きになった 記憶喪失が早く蘇るとよいと思います。







御巡幸

昭和20年 
終戦を向かえますけれども 

その後 昭和天皇は 

憲法も 切り替わり 国際状況の変化 もありました。
そんな中で 
1番大きな 課題 といたしましては

傷ついた日本国民を 激励し 励まして 
そして
亡くなった方々の 御霊を 安んじ奉(たてまつ)り

戦後天皇として なさなければならない事が あったわけです。

祈りの旅 
と 言ってもいいかもしれません。
歴史 人物 リンク

激励 の旅 
祈り の旅を 昭和天皇は お始めになられます。

全国巡幸。

1か所の場合は 行幸(ぎょうこう)。
それに対して 
順番に 何箇所か回ることを 巡幸(じゅんこう) と言うんですね。

昭和天皇 の場合は 全国巡幸 ですからね。
全ての 都道府県を 

戦後 昭和天皇は 巡幸 なさったわけです。

昭和21年 から始まって 29年まで 
期間で言えば 8年8か月 約9年ですね。

それだけの 長い間をかけて



地球1周が 4万kmですが   

昭和天皇の 移動距離が 3万2千km。
全国津々浦々 おいでになった という事です。

とにかく 国民は苦しんでいる。そばに行って 激励 をする。



よくここまで耐えたね。

 





調子はどうですか。



体調はどうなの。 



と 
いろんな事を聞いて どこの街に どんな人がいるのか



どんな風に その地域の方が苦しんでいるのか 
そういう事を 
直接 目の当たりにする。



やはり これは

祈り なんですね。

地域が 
人々が どうか
知れば 祈りようがあるわけです。
まさに 

天皇は 祈る存在だ と言いまして

日本の国柄は

天皇が 知る国 
天皇が 知らす国 と申し上げるのです。

歴代天皇は 国民に対して 
非常に強い関心を お寄せになるんですね。



これが 天皇ですよね。

今 国民が 
どこで どんな事に 困っているのか 
どんな事に 喜び を感じているのか 
どんな 悲しみ をもっているのか



そういったことを 
知って 知って 知って 知り通す という事が 

天皇としての責務 という事になるわけです。

知ると 祈りたくなる。

天照大御神の 進捗(しんちょく)は 
「 しらせ 」 という事でした。
「 知る 」 という事が 

天皇の統治 の本質だという事になります。

ですから この 

未曽有の 大惨事ですよね。
日本が 世界大戦で負ける などという事は 大変な事態ですよ。

昭和天皇としては 

一日も早く 各地を回って 
人々が どんな想いでいるのか 
どんな 苦しみを抱えているのか

そういうのを 目の当たりにする という事が 
大変重要 だったわけです。

昭和天皇は 
巡幸をなさる という事を おっしゃるわけなんですけれども



護衛の者も おりましたが



当時 ばだ 占領下 ですから 
GHQは 
本当に行って 大丈夫なのかと 

民衆の中に入ったら 
ボコボコにされて 死んじゃうんじゃないか 本当に大丈夫?
と 
そんな風に見ていたらしいんですね。





感激のあまり 天皇陛下と 一緒に 歩いちゃうくらいです。
 
日独伊 三国同盟で 
イタリア の例のように 
日本人も 天皇の事を 恨んでるんじゃないかって 思ってたんですね。

ところが 
危害 を加えられるって事は 全くありませんでした。
ですから 

なんで 天皇は こんなに 歓迎 されるのかって 
GHQも ビックリしちゃって 

昭和天皇から 声をかけられて 
涙ぐんでしまったり 嗚咽してしまう とかですね 

生き神 に会ったかのような 振る舞いをした日本人も 多かった
という事です。
それどころか

全国から 投書が マッカーサー元帥 の元に送られ 




何とか 昭和天皇を 残してほしいと 
嘆願する手紙が たくさん寄せられていた という事なんです。

昭和天皇は 人々を 激励 すると共に 

亡くなった 
御霊 を 鎮める という事。

生きている人はいいですが 
死んでしまった人が いるわけです。
民間人と 軍人を含めると 約300万人 命を落としたわけですね。

昭和天皇は 激励し 慰霊をする という旅をされます。

慰霊というのは
天皇が 祈る というのは 格別 なんですね。
天皇は 人を 神 にする力 があるんですね。

徳川大権現(とくがわだいごんげん)と言って 
日光東照宮 の例がありますが

神宮 を与えたり 
社格 を与えたりするのは 天皇のすることです。

天皇が 祈ってくださることで 
どれほど多くの 人が 力を取り戻すのか。

天皇が 祈ってくださることで 
どれだけ多くの 御霊が 安らかになれるのか。

天皇の 祈りは 人を 神 にする力がある。

そういう方が 祈る という 意味合いなんですね。

天皇が 祈ってくださる。 
有難い もったいない という想い。  

人が 神の本質 神性 に目覚めて 



感謝の想いのみ になるんですね。



昭和22年 広島 にいらした時に 
御製(ぎょせい)を お詠みになっていらっしゃいます。

あぁ 広島 平和の鐘も 鳴りはじめ
たちなほる見えて うれしかりけり

原爆が投下されたと 聞いた時から 
一日も早く 広島に行き 
傷ついた人に寄り添う 

そういう お気持ちを お持ちだったわけなんです。

広島に行かなくては 行かなくては 

思いながらも 
時間が経ってしまった という 焦り のような お気持ち

ようやく 
広島の地を 踏むことができた。  

あぁ 広島

実際に
原爆ドームの前に 何十万人もの人が 集まったんです。

爆心地ですからね。
そこに
粗末な 木の台が こしらえられて 

昭和天皇が そこにおいでになって 
多くの人からの 歓迎 をお受けになる。



どっからともなく

万歳!万歳!万歳!

の 掛け声が止むことなく 立ち上っていきます。

それに対して
昭和天皇は 

当時モニターとかありませんから 
遠くの人も見えるようにと シルクハットを高く挙げて 
それに答える。



という事を なさるんですね。

ですから もし広島で 
天皇を恨む 
来たら 殴り殺してやる なんて 集団があったら 
全く 無防備ですから 
やってできない事は なかったかもしれません。

でも
実際 御巡幸中に 
襲うなどという出来事は 1度も起きていません。

広島が 立ち直っている。

まだ 原爆投下から 時間がそんなに 経ってないのに 
人々が 確実に 立ち直ろうとして 努力している。
平和の鐘も 鳴りはじめている。
ちょっと 賑やかな音も 聞こえてくるようになった 
という事です。

それを見て 昭和天皇は 

嬉しい。
勇気づけるつもりで 広島に行ったんだけれども

逆に 
自分たちは 
こうやって 立ち直ろうとして 努力してますから 見てください 
と 
国民に元気をもらって 勇気づけられちゃった
と いうような気持ちを表した 

美しい 御製ですね。



ただ
昭和天皇にとって 残念な事がありました。

それは

沖縄に 行けない という事なんです。

北海道から 鹿児島まで 御巡幸 されるんですけれども 
唯一行けない場所が 

沖縄県です。
沖縄は 米軍の施政下 にありました。

日本に帰ってくるのが 
昭和47年
4月15日ですよ。

27年間 沖縄は アメリカの領土だったんです。

グアムとか サイパンのように パスポートが必要だったんです。
領土問題って 難しいんですが 

沖縄は帰ってきましたよ。

9万4千人ほど 沖縄戦 で亡くなっているんです。

亡くなった方が 多い一番は 広島。
次は 東京大空襲です。
次が 沖縄戦。 
その次が 長崎の 原爆です。

昭和50年 ひめゆりの塔事件 がおきます。

当時 
皇太子 同妃両殿下。
現在の 上皇陛下と 上皇后陛下 が

沖縄の 海洋博 がありましたので 
ひめゆりの塔を ご参拝された時の 出来事です。

何者かが 
現職の 皇太子 と 同妃に 

火炎瓶を投げつける 

という 恐ろしい事件があったわけです。
火炎瓶は直接 お体には当たらずに済みましたが



これは 大問題 になりました。
これにより 
昭和天皇の 沖縄御巡幸は 

無期延期 となってしまいました。

更に 12年 が経ち
昭和62年。 

沖縄の治安も良くなり 行幸 が決まったんですね。
これは
昭和天皇の 昭和20年からの 悲願でしたからね。

沖縄に 行かなくては 行かなくては 行かなくては と 

もう 42年経ってるんです。
ところが

歴史の神様は またここで 留めるんです。

昭和63年 病 にかかってしまいます。
そしてそのまま 闘病生活が続きまして

その間も 
長雨が続いているが 稲の方はどうか

国家を 国民を 案じておられています。



そして
1989年。
昭和64年1月7日 

昭和天皇は 崩御 あらせられたわけです。

2月24日 大喪の礼。



心残り 果たせなかった 沖縄御巡幸。

御製に

思はざる 病となりぬ 沖縄を
たづねて果たさむ つとめありしを



命ある限り 
自分は沖縄に行かなくては と思っていたけれども 
思わざる病となって 叶わないかもしれない。

沖縄に向けて 
強い想いを持っていらした という事がわかります。

現在の 上皇陛下は 

沖縄に 行かなくてならない という 
昭和天皇の事を見守りつつ
この想いを 

自分が 継がなくてはいけない 

という風に思ったのだろうな と分析 できるわけなんです。

慰霊の旅を お始めになったのは 昭和天皇です。

志半ば でですね 慰霊の旅は 終わってしまいました。

交通の便で 行けなかった場所や 沖縄。
外地にも 激戦地が ありますし 

慰霊の旅という 
昭和天皇が 始めた事を 

上皇陛下は お引継ぎになる という事だったようです。



通常ですと 鎮魂の和歌 を詠むのですが
和歌は 公表することを 前提としません。

天皇の本心が その和歌 に宿るわけなんですね。

現在の 上皇陛下は

沖縄を ご訪問されるにあたって 心の通った 参拝をするためにも 
琉球を学んで 琉球地方の歌。

琉歌 をお詠みになったんですね。

上皇陛下が おつくりになった琉歌。 
その詩に 
上皇后陛下が 作曲された 「歌声の響き」

昭和天皇なき後 

お子様でいらっしゃる 
現在の 上皇陛下が しっかりと受け継いで 全国をまわり
さらには 
硫黄島 をはじめ パラオ ペリリュー島 サイパン

最後となった 
平成28年フィリピン。 
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昭和天皇から 受け継ぐようなかたちで 
慰霊の旅 を なさる事となります。






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