すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      〜21聖紀をになう子どもたちへ

道徳・徳育・修身


教育勅語

発布の時代

縄文時代から
幸せに生きるための 先人たちからのアドバイスで
修身・道徳教育の根本規範です。核の部分です。

〇修身→ 身を修める
  本当だったら これをやりたいんだけども 他人に迷惑がかかるから やめておこう
  本当だったら 今 遊んでしまいたいけど勉強しよう

人間の欲望を抑制していく。

やるべきこと やってはいけないこと やらなくてはいけないこと。ちゃんと正しく判断する。

〇道徳→ 何が正しいか この場面を どう対応するのがただしいのか 
       どういうものの考え方がただしいのか

自ら身を律して 世のため 人のために 何ができるかという事を 一人一人が考え 実践する。
日本人として基本的なものの考え方が昔からあったのです。


これが揺らいできた。今もそうかもしれません。

いかに俺がいい生活ができるか どれだけいい収入が得られるか

もし日本人が みんなのために という 公のために という気持ちを失ってしまったら
自分が 自分が 自分が という個人主義にはしってしまいます。自分の幸せになるためだけのことを考えて 
みんなが生活し始めたら どうなります?
みんな わがまま言い始めて 秩序とか統率とか 連帯感がなくなってしまいます。
昔から日本人が大切にしてきたのは 「和の精神」 真・善・美です。

明治時代 半ば後半にも 教育の荒廃が叫ばれるようになっていきました。
教育がボロボロになっていた時を救済したのが 「教育勅語」 でした。



明治維新の主旨

@神武建国の精神を取り戻すこと
A文明開化

700年間 武家の時代があり 歴代天皇のこと 初代神武天皇はどういう想いで国を立ち上げたのか。
そもそも 「日本とは何なのか」

もう一度 原点に戻る必要があるというのが 明治維新の目的でした。

尊王攘夷運動が高まり 国学が盛んになり

幕末維新へとつながっていった


ペリーが黒船でやってきて開国を迫ってきたので いやいやでも外国と付き合わなくてはならなくなった

どうせ付き合わなければならないのなら 外国のいいものを取り入れよう
〇成文憲法をつくる
〇国家体制もきちんとする
〇経済大国になっていこう 先進国の仲間入りをするんだ!



古いものを取り戻そう

新しいものを取り入れる   一見矛盾しそうですが 文明開化ばかりが進んできて 本来の建国の精神に立ち返るって どこいっちゃったの?
外国のものが良いとされ 日本の 古き良きものが失われていく。
日本の良いものを掘り起こさなくては という危機感が現れてきました。

明治天皇が憂慮なされたのが 教育現場 でした。
国家観・道徳観という 日本人としての精神はどこで教えるんだ? となったわけです。

江戸時代まで 寺子屋・親から先祖代々受け継がれてくる教え・家訓。
文明開化で大学など設備は整って 外国から入ってきた教材を有難く教えて 本来の日本の良いもの 国家観・道徳観・歴史観などを教える
教科もほとんど無いことは 日本の将来が危ぶまれます。



教育勅語とは

明治天皇からのお言葉で 
教育二関スル勅語(明治23年10月30日発布)  「こういう生き方は良いから 一緒にやろうよ」というものです。

ちなみに 天皇の詔(ミコトノリ) は公文書ですから そこには必ず政治の最高責任者の署名が入ります。
関白とか将軍とか 江戸時代でも幕末でもそうです。自由自在に天皇が詔を出せるわけではありません。

教育勅語は 詔 ではありません。勅語です。
「こういう生き方を一緒にしようよ」
という天皇の個人的な想いを国民に語った お言葉で 国家機関が命令で国民に下すというものではありません。
これやれ! という上から目線のものではありません。
明治天皇が考えたものでもありません。
天皇のご先祖様からのお話です。
初代天皇から歴代天皇が古い時代に   
日本の国を治め 非常に徳に満ちた素晴らしい国を つくり育んできたこと 徳を立てたことは偉大であったことを説明しています。

太古の昔からご先祖様が 日本人が正しいと思っていた生き方の集大成なのです。

「素晴らしいから だから自分たちもやりましょうよ」
「まず 天皇である私が実践させていただくので 国民の皆様も よかったら一緒にやろうよ」
という内容なのです。
天皇のためじゃなく 自分のためにやってほしい という文章になっています。




しかし 戦後
「一旦緩急アレハ 義勇公二奉シ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」

ここを誤解されていました。
もし戦争が起きたら 天皇のために戦って死ね 以上。みたいな 極端な解釈をする人がいました。

本当の現代語訳としては

「もし国家が危機に瀕したら一人一人が勇気をもって公のためにつくす」
「広く世のため 人のため 社会のためになる仕事をしましょう」
ということです。
つくし方が色々ある訳です。職種も色々ある訳です。
何も戦場に行って天皇のために死ぬなんて一言も書いていません。

災害時にも まさに一人一人が 何を恐れている。勇気をもって立ち上がれ!立ち向か!となりました。
ところが
こういうものがあるから日本人が一糸乱れず 一致団結して戦争にかりたてたんだと 
教育勅語は 昭和23年6月19日廃止させました。

しかし教育勅語は行政が結んでいない個人的著作物です。個人的に国民に語りかけたものですので
明治天皇が 「これ間違いだからやめます〜」と言うならわかりますが 他人が「廃止だ」というのは おかしな話です。
学校現場で使わなくなっただけの話です。



建国の精神

日本書紀に建国の詔が書いてあります。私的なものではなく公式なお言葉です。
神武天皇の時代 弥生時代の後期から晩期にかけて 考古学からも戦争の多い時代だとわかっているんですね。

八紘為宇 (はっこういう)
「六号(りくごう)を兼ねて 都を開き 八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(な)さむこと 亦可(またよろし)からずや



日本人同士が戦うことを神武天皇は憂いていたわけですね。もうやめろと。一緒に協力して取り組んだら 
みんな幸せになるはずだと

日本人はみんな 家族みたいなものなんだと。日本 島国が家みたいなものなんだと。
日本人同士が戦争をするのは悲しいことだと
日本人はみんな家族だし
日本列島は 私たちの家みたいなものだと
みんなで協力して みんなで幸せになろう!と そのために国を建てたわけです。
それを歴代天皇は それを大切に育んできてくださった実に有難いことです。

戦争に勝ったから俺が王だ みんな言う事聞け! と力で制圧した者が王ではなく
2000年以上前の時代の みんなで協力して みんなで幸せになろうという精神で 国を建ててくださいましたよね。
しかし
素晴らしかったのは歴代天皇だけではなく

みんなで協力して
みんなで国を支えようと共鳴した 協力した国民もまた素晴らしかった事で 国が続いてきた。

天皇と国民の関係性。
そこに教育の根本はあるんではないか ということです。




時代とか 地理的要件とか関係なく 善い事は続きますから 理にかなって 本質的に正しい事 正しいと思えることをやっていれば
長続きする真理が そこにあるんではないかと思います。

日本人であれば知っておいてほしいものです。

なぜならば 
どこの国の人たちも 「君の国って どういう建国の精神があるのか」と聞くそうです。
アメリカ合衆国の建国の精神は 自由ですよ。イギリスの支配から宗教の自由を求めて戦ったわけですよ。
フランスにしても中国にしてもそうです。建国の精神を知っています。
みんな学校で教えているからです。

何で日本は こんな大切なことを学校で教えてないのかというと 戦争に負けたからなんですよ。
戦争に負けると 誇りが 踏みにじられるんです。占領を受けている時に こんな教育できませんでしたよ。占領が解除された後も
それが残っちゃったんですよ。
輝かしい過去の歴史もあれば 反省しなきゃいけない暗黒の歴史もあるんです。光と影の両方を知ってこそ
真の日本の歴史の勉強になるはずなんです。

せっかく日本人に生まれたのだから 最初に国を建てた人が どんな精神性で建てたのか これは押さえておいてほしいです。

この考え方は 1000年後も2000年後も通用するわけです。
ですから 国民を本当に幸せにするだっていうのが主旨じゃないですか。
日本国は 国民を幸せにするためにつくられた国なんです。
かつては 喧嘩で勝った者が国王になって 国家を個人所有したんです。
国民の命だって国王の所有物だったわけですから。そんなのに建国の精神も へったくれもないんですよ。

根本的に国民を幸せにするために 国を建てた そんな事例がかつてどれほどあるでしょうか。
日本が2000年以上続いてきた理由の 一つの大きな要素を言うとすると 国民を幸せにするという大義を 最初から立て これを理想として
口にするだけではなく 実践していったわけです。



教育勅語 12徳目の中身

ド頭の 1〜6
人として大切なこと 時間空間を超えて大切なこと

@親孝行をしなさい 他の何ができても 親孝行しない人は 人間のカス
A兄弟は仲良くしなさい
B夫婦は仲陸まじく

C友達同士は信じあうように
D自分の言動は慎み深く
E自らを律し 近くにいる人を大切にしなさい

次 7〜12
社会人として 社会の構成人として大切なこと

F勉強しなさいそして職業を身につけなさい 
G知識を養い 才能を伸ばしなさい
H人格の向上
I世のため人のためになる仕事に励みなさい
J法律・規律・社会の秩序にしたがう
K正しく勇気をもって真で 国のためにつくす

贅沢しなさいではなく
それを
世のため人のために使いなさい 自分のためにではない。

ところが 
世のため人のために立とうとしても 勉強していない人は無理です。
何となく思ってるだけだけではできません。


職業を身に着けなければ無理です。


例えば アフリカの人を救おうと思って 
ポーンと行っても あんた何ができるのよって感じで

井戸を掘ってみろっていっても掘れないわけですね。
病気になった人を看病してみろってもできないわけですよ。


そもそもアフリカの言葉をしゃべれない訳でしょ。

気持ちだけいくらあっても 何もできないわけですね。

だから
世のため人のために立とうと思ったら勉強する。

職業を身に着ける。 
それでこそ初めて 世のため人のために力になれるわけです。

お医者さんになれば 人を助けられるかもしれない。
弁護士になれば 会社の経営や法律でサポートできるかもしれない。

お金のために働くのと 世のため人のために働くのと 両方とも収入にはなりますが
同じお金を得るにしても全然違うんです。

徳のある人に成りなさい ということです。
優しくて強い 傷ついた人の心の痛みがわかる人。しなやかにして強靭な人。
勇気をもって公のために尽くしなさい という事です。



もし 教育勅語の内容を 逆にしたら 
なんだ
戦後の日本の民主主義に行き着く先ではないかと 感じてしまいます。 

●親に孝養をつくしてはいけません。
●兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。
●夫婦は仲良くしてはいけません。
●友達を信じて付き合ってはいけません。
●自分の言動を慎んではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
●広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
●職業を身につけてはいけません。いざとなったら生活保護があります。
●知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
●人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」だと言えば許されます。
●社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
●法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
●勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。

12項目の後に

「是(かく)ノ如きキハ 濁(ひと)り朕(ちん)カ(が忠良ノ臣民タルノミナラス(ず)

 又以(またもっ)テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顕彰スル二足ラン」

天皇のためにしないでね。
これは あなた達自身のためになるからしてほしい。
なぜならば あなた達のご先祖様が こういう生き方をしてきたんですよ。
昔から 日本人が大切にしてきたことを 整理して語ってくれただけであって 明治天皇の思い付きじゃあないんですよ。

こういう美しい生き方を
天皇である 「私がまず 実践するから みんなでやろう!」って言っているわけですね。

引用・参考文献 竹田恒泰さん 竹田学校 
 / 倉山満さん 逆にしたらよくわかる教育勅語 著書







婦徳・慈愛・利他愛・特質〜らしさ


武士道

戦後教育を受けている 今の世代に失いつつあるものではないでしょうか。

武士道は 「実践しないと意味がない」 ということです。

思想的な道を 探求するうえでの指針となるもの
心のありよう 人としてのありよう なのですが 何が大切かと言えば 
日常の一挙手一投足 なのです。


武士道論 になっている場合が多いんですね。

お茶をいただく時 お食事をする時 歩く時 姿勢 表情  日常の中での事で全てが 武士道に通じていなければならない訳です。
知識だけ入れるのではなく 行って初めて学んだという事。

また人によって 武士道の定義が少しずつ違ったりしますが
多くの方々が 武士道と把握されている なんとなく こう という印象が
明治時代 日露戦争以後から戦前・戦中・戦後に至るまでの 武士道 といってもいいかもしれません。

それは江戸時代の 武士道 とは違いますし
サムライがいなくなってから 武士道は こうだ という考え方なんですね。
さらに言えば
大正末期から 軍の教育 軍の上層部によって 
都合のいい形の 武士道 の教育が行われるようになって行きました。


それが 潔く死ぬこと。 それはちょっと違います。

武士道 の原点とは何か。
これは
弱きものを助け 思いやる。「慈悲」なのです。

人らしく生きていく最低条件が 挨拶 であり 礼節 です。

礼節は「慈悲」 と「謙虚さ」 という動機から生じるものであります。

「仁愛」という事でもあります。恵み 慈しむ 親切な 気持ちの現われです。

礼節の実践が 日本全国に浸透していきますと 古来よりの「礼節の国」と謳われました 麗しい 日の本(霊の元)つ国が復興してまいります。



武士道の根底にある 核になるところは 

敵に対して手厚くするとか 

負けた人 弱い人に対しての 「お慈悲・武士の情け」という事です。

騎士道も素晴らしいものですが 武士道の違いはそこにあると思います。

武士というのは戦闘集団です。
しかし 「刃を抜く」 のはどうしようもない時に抜くんです。

それは邪悪なものが 民の安らぎというものを奪う時がある。
それがギリギリ どうしようもなくなった時に 弱い者を守る立場に者達が

 
「やむにやまれず」刃を抜くわけですね。


抜くからには 収める時のことを考えなければならない。どこで収めるか。どういう風に平和を実現するのか。

基本は 弱き者を守る 慈悲 というところにある。
武士道は愛する事にある。
死 というものを見つめるのだけれども 

本当は 命を大事にして いざという時には 命がけでやらなければいけないけれども 

極力 死なないように 死なないように 無謀ではなく 争いは避けて 話し合いをしながら進めていく。


本当の勇気は 「忍耐」 なんですね。
いかに戦わないかということ。
そして ここは生きるところだとなれば 断じて生きるんです。何がなんでも生きる。

死にたくなる状況でも ここは生きるべきところ と見たら どんなに苦しくても生きる。

ここは死に場所だと思ったら 
自分が死ぬことによって 多くの命が助かるとか そういう時は勇気を出して 静かに死を受け入れる。

ここが潔く 死と隣り合わせで生きる という事だと思います。



対米戦争の特攻作戦は

片道だけの燃料だけで 敵空母・敵戦艦に体当たりをして 
自らの命と引き換えに敵の船を沈めるという事をしたわけです。


この作戦は作戦としてはひどいものです。
軍事作戦の成功は 帰ってきて初めて成功 と言えるんですね。
たとえ目標を撃破しても 出撃した部隊が全滅しては これは成功とはいえないんですね。

ところが 
特攻というのは 死ぬことだけが最初に決まっているわけですよ。こんなメチャクチャなことをしなければいけなかったというのは

最後 いよいよ日本が追い詰められてきて 負け戦だからですよ。

特攻作戦の目的というものはですね 米軍・アメリカの政治家に対して 恐怖心を植え付けることなんですよ。
まもなく日本は戦争負けますわ。占領されるでしょう。

でも 
好き勝手すんじゃねぞ。
日本人 なめんなよ。
日本人の この姿を見ておいてください。日本人最後になったら何でもするぞ っていう話なんですね。

そういう風に考えた時に この特攻の意味って大きかったんです。

アメリカ人曰く 日本人 怒ったら何でもすると 何しでかすかわかんない 

そういう連合軍も 気を使いながら緊張感の中で

負けた日本の占領が始まるんですね。
だからこそ 
日本の国も 政府も 議会も そのまま残し 天皇も残しました。


彼らはもう ビックリしたんですから。
アメリカの兵隊は 生きて帰ることを前提に戦っているんです。
日本の兵隊は 死ぬ覚悟で戦っているわけですよ。

生きて帰る人と  死ぬ覚悟の人と 戦ったらどうなります?

ただでさえ 硫黄島の戦いで 米兵はおかしくなっちゃったんですから。

普通は負けの場合 白旗あげて投降するものですが 

日本人は 玉砕 撃たれるのがわかっっていても 刃振まわして何百人 突撃してくるわけですよ。
撃っている米兵は心壊れるんです。何十人も撃っている人の心は壊れますよ。

アメリカの兵隊が上官に送ったメッセージが残ってますよ。

「もうお願いだから 俺たちをあんな狂った島に連れて行かないでくれ」


精神的に PDSDになってしまって 戦場復帰できない若者がほとんどだったんです。

確かにアメリカは勝ちましたよ。勝ちましたけども ものすごく怖かったみたいです。

硫黄島を守備した日本兵は 2万3千人。それを取り囲んだアメリカ兵は 17万人。
これほどの戦力差があったら 
アメリカ側は簡単に短期間・無傷で勝てると 3日で落とす計画だったんです。
ところが
実際攻めてみたら 一か月経っても まだ落ちなかったんですから。

日本人は 生き残ったのが20人ほどですよ。2万人以上が玉砕しました。
しかし 
そんな小さな戦力で こんな粘った例は人類の歴史上無いんですね。

生きて帰りたいのに 向こう死ぬ気で向かって来るのですから おいおい来るなよって感じで 

なんで こんなに日本兵はあんなに真剣に戦えるのか わからなかったそうです。

そして最後に見たのが 特攻 です。
フィリピンのレイテ沖から始まって 沖縄も。

鹿児島の知覧から 若き特攻隊員1000名が 
沖縄防衛のために飛び立ち 往いて帰らざる壮途についたのであります。
それは 飛び立てば二度と帰ることのできない出撃でした。

 


父よ 母よ 兄弟たちよと叫んで 若き志士たちは祖国を守るために開聞岳の麓から飛び立ちました。


爆弾抱えた飛行機が突っ込んでくるんですよ。恐怖だったでしょうね。

アメリカ兵の日記から 恐れおののいていると共に 
さらに この人達 すごい! 軍人の鏡だとか 賞賛しているんです。自分にはできないって書いてあるんですよ。

日本人 この人たち最後になったら 何でもするな。

死ぬ気になって来られたら こんな強いものないですからね。

精神的にすごいインパクトがあったわけですよ。

しかし硫黄島も アッツ島もガダルカナルもそう。各地の日本人が玉砕した戦闘した人は 
特攻隊じゃないんですよ。
普通の兵隊も

自分の命を捨ててでも 一撃をくらわす。
硫黄島が落ちたら 日本が焼かれるんですよ。自分の家族が殺されるんですよ。

何のために死んだかっていったら 家族を守るためです。特攻にも志願していったんです。



最後の日本人の精神性を見せつけるんです。

もう敗戦するのはわかってますからね。
敗戦した後 何とか国を残したい。というのには

なめんなよっていう これから日本敗戦するけどさ 好き勝手させねぇぞ って話ですよ。この姿 見とけ!と。

よく特攻隊は 命を捨てたに等しいと この子達可哀そう という人いますけど
特攻隊の若者は 
日本国を守る という夢をもつて飛び立って行ったんです。そして夢を叶えた人たちですよ。


特攻・各地の戦地で勇敢にも戦った日本兵のあの姿です。
その姿が米兵の心に焼き付き 

マッカーサー元帥が言ったんですから。

「天皇をなくしたら駄目」だと。
「日本国解体したら すごいことが起きる」と。


特攻・日本の兵隊たちの戦いぶりに 日本は守られたんです。
愛する人が幸せでいられる事 と 日本国が存続する という事がつながっていたんですよ。
国を守るという事は 家族を守る という事だったんですね。

戦争に負けると その国家は2分割 3分割されるのが常識です。ドイツも5分割されました。
朝鮮もベトナムも2分割でしたよ。


日本も終戦があと1・2週間遅ければ 

北海道はロシア 西日本は中国だったかもしれませんよ。連合国で3等分・4等分するような話になったかもしれない。大棟 ひとつで収まりましたけどね。


日本国さえあれば 家族は幸せでいられるはずだ。と思った特攻に志願した人達の想いは 正しかったんですよ。
そういう人たちの 勇敢な行動があってこそ 日本国が守られたんですよ。



なので 
この最終局面での日本人の振る舞い 人類の歴史上 この時ほど 日本人が勇敢に戦った人達はいません。

このことによって
終戦 という戦争をして負けるという国難にあたっても


日本はしっかりと国を守る事ができましたよね。
そして今 しっかりと国を反映させてますよね。

国家の存続と 愛する者の幸せが 完全にイコールで結び付けられていた。大切なものを守るために戦った。

2000年以上永きにわたり続いてきた 人々を守り続けてきた それが日本国なんですよ。
だから国民が日本を守るという事なんですね。

命を投げ出してでも守ろうとした その国に生まれたんです。

そこまでして守ろうとした国がどこにありますか。

そこまでして守ってくれた国は 今 どうですか?
これから私達は どうしていったらいいですか?

引用 参考文献 石川真理子さんCGS   竹田恒泰さん 竹田学校 他



女性の役割は大事です。
母親というのは全ての 生成発展の中で 育んでいく というところに本質的に関わっているのが 

女である という事です。

表に立って 世の中を動かしていくのは 男性なんです。

安心して男の人が出ていけるように それを操るのは女性なんですけれども


女性の社会進出という言葉がありますが 

働く女性が輝いている
お母さんはそうじゃない
みたいなことを印象つけるようなことがあります。
しかし
戦前までは お母さんが家の中で権威をもっていて 表向きはそう見えなくても 
その価値観があったから 家の中がうまくいっていて

国家が団結することにもなっていたんです。
今 
その家社会を壊せば 日本はグラグラするんだろうと 戦勝国の思うツボです。

良く研究してくださいました。

女性がこうなるのが美しいよ とか

子どもを産めなくなって然るべきみたいな ダイエット法。
社会進出によっての ストレスによる女性器にくる病気。
少子高齢化 
3歳までの感性が出来上がる教育の大切な時期に 人様に子どもをあずけるなど。


母親の権威が落ちてしまいました。

子育ては 本当は尊い国つくり。未来の国つくりのお仕事の時なのです。
しかし
うまく仕掛けられた罠に ウマウマと引っかかってしまったのです。

環境や経済的にできない という状況・意見もあります。
少し厳しいかもしれませんが 
「できるか できないか」の違いは
 
「やるか やらないか」でしかないんです。

少しずつでも 今の自分に何ができるか が大切なのです。



武士道の八徳   仁 ・ 義 ・ 礼 ・ 智 ・ 信 ・ 忠 ・ 考 ・ 悌

女性の四徳     
婦徳(柔順・優しさ)・ 婦言(気品ある言葉使い)・ 婦功(家事・家政)・ 婦容(美しさ)

というのがあります。

良い妻で賢いお母さん。旦那さんからも大事にされます。
しかし 
我慢することばかりじゃあないか という主張もありますが

我慢する という事だけではなく 

自分を磨いていくと結果的に 事がうまくいって
 女性そのものが幸せになりやすくなるんです。

男性と女性は 陽陰。違う性質・役目がありますので それを十字にガッチリ組むと すごい力が生まれるのです。
足りない部分を補って 世の中の発展に役立てていこう。

女性がお仕事をされるのは それはそれで良いのです。

ただし
男性と肩を並べて 張り合う必要はないという事です。
お互いに認め合って 協力しあうことで 男女の役割を果たしていく。

男らしさ・女らしさ 「らしさ」という事です。

男尊女卑と思われている方も多いのですが ちゃんと学べばわかってきます。

悌とは 弱い者に対して 思いやりを持ちなさいという事です。

力で男性に女性は到底勝てないのだから 自分よりも弱い立場に強く出る というのは

サムライの風上どころか 男として失格といってもいいぐらいかもしれませんね。

そういうことを 武士道は教えているんです。

男徳 というものはありません。 
神様は女性に 男性では真似のできない「徳」を与えてくださっています。

個人主義が導入された戦後ですが 
個人主義とは 「公より私」 を重んじる思想と考えてよいと思います。

しかし 
日本というのは 昔から「公の精神」でやってきているんですね。


自分の幸せ というものが 他者の喜びの上に 成り立っているのだと
そういうことを一番知っている民族が日本人だと言ったのが



小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン:ギリシャ出身・小説家)なんです。

個人主義を取り入れて 
私が私が と言い始めたら 訴訟社会になると 明治末期に予言していいるんです。


母から娘。何代も繋いできたもの。脈々と日本の中に流れてきたものが パチっと絶たれて 消滅しかかっているところがあります。
どうしたら 日本の女性たちが目覚めていくかというところです。

皆さん 種 は持っています。
芽が出ますように。
男性も「らしさ」を大切に育てていけますように。

公の気持ちが とことんまで落とされている今 
自分の事しか考えられなくなると
 幸せになっていないんですよ。
自分の事しかないから。
色々なものの根幹に 公 のものの見方の考え方が欠けていいることがあるかもしれません。

幸せ というものを考えていった時に

自分以外の何か大切なものを見つけること。
そして 
その大切なものが見つかったら


それを守ろうとか そのためになろう とすると 人は動くんです。
その時に初めて 本物の幸せが降りてくるようになると思います。

慈愛なる「微笑み」を復活させ 人を温かく包み込んで
笑顔をもって家庭を 学校を 社会を明るく照らしていきたいものです。


引用・参考文献 神谷宗幣さん  / 石川真理子さん CGS  他



令和2年。2020年。
7月30日

台湾を 民主化に導いた 李登輝 元総統が 逝去されました。
台湾民主化の父 と呼ばれた方です。



お生まれになったのは
大正12年。
1923年。

中学時代
とにかく みんなが嫌がる仕事を 率先してやりたかった。

という事で
朝 6時の起床と共に 人が嫌がるであろう 便所掃除を 喜んでされたと いうエピソード。

また
高校時代は 人間はいかに生きるべきか。死生観を苦悶された という事です。

そして 新渡戸稲造 の武士道 という本に出会われました。

日本と 台湾は 運命共同体。東アジアの防衛。
そして 今の私たち 記憶喪失になっている  日本人に
かつてのような 
日本人の 日本精神(リップン チェンシン)の復活を願って 活動をして下さいました。

日本は 敗戦によって 一度は 大和魂を 抜き取られているのです。
物質的豊かさを得た時 残り火としての 大和魂 を捨て去ってしまったのです。


大和心・大和魂

本居宣長 の



「敷島の やまとごころを人問(ひとと)はば
 朝日ににほふ 山桜花(ざくらばな)」



日本にわずかに自生する 山桜花。艶やかな ソメイヨシノ ではなく 山に楚々と咲く桜。

吉田松陰 は



「かくすれば かくなるものと知りながら
 やむにやまれぬ 大和魂」

やむにやまれぬ想い  それが 大和魂の本質なのであり 
この 大和魂 を私たちは取り戻さなくてはまりません。

終戦に際し 昭和天皇は マッカーサー司令長官に対し 

自分の命はどうなってもよいから 国民を救ってほしい と語られました。

昭和27年
4月28日。
サンフランシスコ講和条約執行。
平和条約を結んだ 日本は この日をもって米国から 独立国家としての 主権を回復したのです。

独立の日を 昭和天皇は どれほどお喜びになられたことか。
国の為に殉じた 英霊たちのことを思えば
どうして 私どもは うかうかと 過ごすことができましょうか。

日清戦争の結果
下関条約によって 台湾が 清から 日本に 割譲されてから
先の大戦での 日本の降伏まで

日本の統治時代であった台湾。

八田與一は 



台湾において 灌漑工事など インフラ整備に従事し
烏山頭(うさんとう)ダムを造りました。
今なお長く 台湾の偉人 として称えられています。

鳥居信平は



農業土木技師で 荒地を緑の農地に というスローガンの下
忠犬ハチ公 の飼い主で有名な 恩師の上野英三郎博士から依頼されて
原住民の村人と 根気強く 話し合いを続け
衛生的 地下ダムを造り サトウキビや 稲作・さつま芋・野菜などの栽培を教えました。

末永仁(めぐむ)は 
台湾米の 品種改良に取り組み 
台湾の気候では 栽培が不可能とされていた ジャポニカ米の開発に成功しました。
それは 蓬莱(ほうらい)米と名付けられ 台湾の農業を飛躍的に発展させました。



森山松之助は
建築士として 台湾総統府や 総統官邸 台中州庁 台北州庁など 
多くの重要な公共建築物を手掛け 今でも使われています。



1944年。
台湾に 配属された 日本海軍の 杉浦茂峰(しげみね)少尉は



台湾に来襲した米軍機を 
零戦で迎撃中に被弾し 集落への墜落を避けようと 郊外に機体を誘導したため
脱出が遅れて 落下傘で降下中に 機銃掃射を受け戦死。


台湾の その地元の人たちの集落を守るために 命を落とした 杉浦少尉を
飛虎将軍 と呼び 廟を建て 



朝夕 君が代 と 海ゆかば 
の演奏を流し今でも 弔ってくださっているといいます。 

こうした目覚ましい 日本人の功績・業績を
日本人が忘れてしまい 教わっていない という事は 本当に残念です。

李登輝先生は 生きて国を守り
          死んで国を守りなした。

台湾 と アメリカ
台湾 と 日本 の友好を深め 
台湾を独立国として 認め合って 

李登輝先生の言う

かつてのような 
日本人の 日本精神(リップン チェンシン)の復活を願って 

日々の生活の中の 自分にできる から 実践していきたい と思います。



引用・参考文献  
服部剛先生 感動の日本史  /  李登輝先生 武士道解題 〜ノーブレス・オブリージュとは / 竹田恒泰さん 他





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