すごいぞ霊の元つ国 すごいぞ日本人
      〜21聖紀をになう子どもたちへ

道徳・徳育・修身



日本の建国

2月11日は 日本の国の お誕生日です。



ちなみに

アメリカでは 
1776年 7月4日 
インディペンデンスデイ 独立記念日 という 建国の日があるわけなんです。

中国 も 
1949年 10月1日
国慶節(こっけいせつ) といって 大型連休になります。

フランスは
1789年 7月14日
フランス革命記念日 があります。

どこも 国を挙げて おめでとう!おめでとう! とお祝いをするものなんですね。
だって
国ができた日 なんですから。

日本人として 私たちは 日本に住んでいて
何かあった時に 国の恩恵を 受けるわけですよ。



パスポート 1つにしても 日本のものは究極で 

10年間使用できる。
どこの国へも行く事ができます。
税金を滞納していても 生活保護を受けていても パスポートが取れます。

高額納税者じゃないと 大きな預金を持っていないと
パスポートが 取れない国だってあるわけです。申請しても 1回こっきりだそうです。

今の 流行病 コロナ禍の中でも

自粛 と言われれば 秩序立てて行うわけです。
これは
現代日本人だけの 気質ではなく

日本は 和の国 という 先祖代々受け継がれてきたもので



いざ戦い となっても 
民間人を殺すという 戦闘 作戦は 行われた事はありません。

他の国の歴史を見ると
皆殺し の作法なんですね。

大砲は 日本は 城を攻めるものに使われますが
他の国は 民間人の住む 街に向けてぶっ放すわけですね。

日本は
民間人を 順番に殺戮していくような そんな戦闘は行われていません。

学校の歴史教科書を見ると

何とかの合戦 何とかの合戦 と 戦争の歴史がつながっていますので 
戦争ばっかりしてたのかな? と思われがちなんですが

それは基本的に プロの軍人同士の戦いでした。



例えば
17万人の 天下分け目の 関ヶ原の合戦は 原っぱなので
民間人は住んでいないんです。

これは 
将軍の跡目争いが発端の
応仁の乱の時に 

京都が戦場になってしまい 街が焼けてしまい大顰蹙(だいひんしゅく)。
京都市民に 大きな影響を与えた事の反省です。

壇ノ浦の戦いも 海での 源氏と 平氏の合戦です。

幕末の 鳥羽伏見の戦い から 五稜郭までも 軍人同士の衝突です。

江戸城も 無血開城でした。

だから
日本人は 酒場で喧嘩というと 表に出ろぉ! と言うわけです。

それから
日本の 公式な ナショナルデイ は 天皇誕生日です。
どこの国も 君主の誕生日は ナショナルデイ。

イギリスも
エリザベス女王の誕生日は イギリス大使館でパーティーが行われ
国を挙げて お祝いします。

共和国の場合は 建国の日が ナショナルデイです。
なので

国の誕生日と 君主の誕生日は 非常に大切なんです。



それだけ 重要な日にも関わらず
日本では

何の日か よくわからないまま過ごしてますね。
建国だか 何だか知らないけど 

とにかく 会社 学校 休みぃ〜 みたいな感じだと思うんです。

今 一応 休日にはなっていますけれども
日本の 国家自体が 建国記念の式典すら やらないんですから。

国際人になろう!と 
英語や 海外の事を 一生懸命勉強して

さぁ 留学だ 仕事だと言って 海外に出ていきますね。
そうすると
海外の方に聞かれる事は 日本の事ばかりなんですって。

アメリカに行った 日本人留学生にアメリカの事は聞きません。



日本の
政治は どうなのか
宗教は どうなのか
伝統文化はどうなのか

海外の方も 日本の事を知っている人が増えてきましたから

聞かれて
自分の国 日本の事を知らないと 答えられなくて 説明もできなくて

何だ お前は自分の国の事を 全然知らねぇじゃねえか 
という風になってしまうわけです。

近年は グロバーリズム と言って
物と お金と 人と 情報が 自由に動くのが 
将来の理想的な 世界の姿 だと思われてきましたが

悪い と思われるものが 世界を巡ると 大変な事になる。




何でもフリー というは どうなんだろうか という事に
世界が気付き始めています。

何も 鎖国せいっ! という事ではなく

国境があって 
国がある。

日本には元々1000年以上 育んできたはずの 
ローカリズム に移行するのではないかと思われます。

それぞれの国の 民族性 歴史 文化 伝統 考え方などを大切にして
それぞれの国が 個性を持って 輝き
そして



お互いの国々が 協力しあう。助け合う。 調和を取り始める。
という 相互尊重をする
愛と和 の時代です。

なので
そこに行くには 自分の国の事を知らないと 
話にならないわけです。

どこの国の人も 
自分の国の 建国の精神 理念 を知っています。

アメリカ人 として生まれ育ったなら 
アメリカの 建国理念は何か?
アメリカの 初代大統領は? と問えば

自由の国である 
1ドル紙幣の ジョージワシントン 




中学生 高校生がほぼ 即答で全員が答えられるそうです。

フランス の建国の理念は 平等です。

中国 は それなりの内容ですけども

どこの国の国民も
自分の国の 建国の精神がどんなものか およそ知っているはずなんですね。



ところが日本人は 知らない。
それは何も 勉強していないから とか 頭が悪いからではないんです。

教科書に書いていないからなんです。

何年か前に 福岡で実施した 建国意識調査 というのがあるのですが

日本の国を建てたのは 誰でしょうか?
日本は いつ建国したのでしょうか?

この質問に対して 答えられた高校生は 2%以下 だったそうです。

考えた事も無い
想像もつかない 
思考停止 という反応だったそうです。



これは
国際的に大変な問題 だと思うんですね。

昔は
おじいさん おばあさん 親 学校の先生から習う事ができました。

なので 本当は
建国記念の日 というのは

日本人で良かった
日本人 として生まれた事の 歓びを分かち合うような

日本という 尊い国ができた日なんだという事を あらためて かみしめて
次世代に伝えていく 
という日 になればいいと思うわけなんです。



じやあ
何で祝わないんですか? って言ったら

戦争に負けたからですよ。

日本万歳 とか 日本いい国 とか
日本人である事の 歓びをかみしめよう とか

今でこそ 言えますけども

先の大戦の後 GHQ に占領されていた 6年8か月

一切 口に出す事はできなかった。

プレスコード 
という メディア統制をした事は 有名ですけども

教科書検閲 というかなり厳しい制限がかかりました。

日本の事を 褒める事は 禁止されていました。
学校の教科書からは

日本人が読んで これいいなぁ すごいなぁ
ご先祖様って 素晴らしいなぁ 

という箇所は 全部 削除。
黒塗りを 入れさせられたわけです。



さらに
尊敬される 感動をする 天皇の項目の話が削除され

基本的に
尊敬されない 天皇のエピソードばかりを残したわけです。

それから
神話に関わる話も 教科書に書いてはいけない
という事になりましたので

建国にまつわる 神話っぽい話も 全部消されました。

また
尊敬される 偉人も書いてはいけない という事にもなりました。

あれは 書いちゃいけない 
これは 書いちゃいけない という流れの中で



建国については 全く教科書には 書けなくなってしまったんですね。

なので
誰が いつ どのような想いで 国を建てたのか
全く語られない 教科書がつくられるようになりました。

占領が 解除された後に
建国の経緯くらい 書き加えてもよかったものの

それ以降 
1度できた空気というのは なかなか変わりませんから

日本人が 日本人の誇りを 勉強する事もできなかったわけです。


高校に行けば 世界史と 日本史が選択だったりしますが
中学までは 日本の歴史は 必修科目でやっているはずです。

皆が 習っているはずです。 

学校の 歴史の教科書を読みながら

感動した人 います?

何て いい国に生まれたんだと。日本って いい国だなぁ と。

先人たちは 本当に努力して この国を守ってくれた。
有難いなぁ と
感動して 目頭が熱くなった人はいるでしょうか。



そのように思える箇所は 全て消されました。

そりゃ
永い間 国家を営んでいると

誇れる所も 誇れない所も 色々ありますよ。
それを 全部教えればいいんです。

アメリカの歴史教科書には

アメリカ合衆国は 偉大な 素晴らしい国なんんだ
という事と



黒人奴隷して 使役した事。
西部開拓で ネイティブアメリカン。
いわゆる インディアンの 人権を踏みにじった事。

先の大戦で
原爆投下 については 
まだ 謝罪の記述が無いのが残念ですが

日本人を 強制収容所に入れた事は
重大な人権違反なので 決して繰り返してはいけない と書いて
戒めているそうなんです。

過去の暗黒の歴史を ちゃんと書いて
アメリカの 光と影を しっかり教えているそうなんです。

少しずつ 道徳教科書などで 改善されてきてはいるのですが

日本の歴史教科書は
日本は 間違っていた だから謝った というつくりで
まだ 
日本を肯定する記述が 無いんですね。

なので 
日本の 歴史教科書を読んで
感動した人は いないだろうと思うわけなんです。

終戦後
GHQ が 日教組(にっきょうそ 日本教職員組合) をつくって
そのまま
占領教育方針を 続行させるように と指示して帰っていったわけですよ。



アメリカ人に代わって 今度は日本人が 
アメリカの 占領政策を 続行しなさいよ という事です。

だから
建国記念日も 戦争が負けた時に 廃止されたんですから。

元々は
紀元節(きげんせつ)という 祝日 だったわけですよ。

紀元 というのは 日本が成立した日。

初代の 神武天皇(じんむてんのう)が ご即位なさった日です。
最初の
天皇の即位が 日本の国の始まり なんですよ。

どこに書いてあるの?

それは
日本書紀(にほんしょき)です。我が国の 正史です。



正史 というのは 
国が公式な歴史書 と認めました という事です。

西暦で言うと
紀元前 660年ですから 
それから 2680年を 過ぎていきますね。

昭和15年の 紀元節 2600年の年には 
国を挙げて お祝いをしたんです。
零戦 は 2600 の 0 から来ていて この年につくられました。

ところが
次の年から 戦争が始まってしまいました。

零戦は 
パイロットも 優秀 
飛行機も 高性能な爆撃機で 

アメリカ人パイロットは 零 ゼロの前を飛ぶな 
と言う 合言葉があるほど 
米軍も たくさん撃ち落とされたので 嫌だったんでしょう。



なので
GHQ は 紀元節廃止!ってやったわけです。

日本人の 大和魂が 復活すると危険だから。

日本の誕生日 お祝い。そんなの 無し。

だから
今でも 敗戦コンプレックス で 
2月11日 国を挙げて お祝いってしないんです。

終戦から その後
何回か 議員立法で 祝日法改正案 を出して 3回 4回目くらいで
血みどろの努力 をして

ようやく
建国記念の日 という名前で 復活したわけです。

本来なら 建国記念日 だと思うのですが
当時の 社会党が 『の』 を付ける事によって

2月11日は 
建国した日 を祝うのではなくて
建国した という事実を たまたま 2月11日 にする 

という ニュアンスをしたかった という事です。

なぜそんな こねくりまわす言い方をするか と言うと

神話から来ているんだから
事実か 事実ではないか わからないだろ と言うわけです。
科学的 ではない と言うわけです。

日本人なのに
何でそんなに 祝いたくないんですかね。



2月11日 の根拠 は 日本書紀 でした。

古事記は 神武天皇の ご即位の経緯は 細かく書いてあるのですが
日付 が書いてないんですね。

日本書紀には
朔日(さくじつ)といって 新月 1日 という事。
その 年の初め
なので 西暦で言うと 紀元前 660年の 1月元日。

神武天皇(じんむてんのう)が 橿原(かしはら)の宮で ご即位になった。
と 書いてあるわけです。

これが
事実かどうか という話なんですが

これは
事実 という事に したわけなんです。
というのは

古事記と 日本書紀は 正史(せいし) です。
国家が編纂した 公式な歴史書 なんですね。

聖書 と コーラン で考えればわかります。
ここに書かれている事は 事実じゃない事も 在るかもしれない。





神が 5日と半日 もしくは 7日で地上世界 を創った とか
海が割れたり マリア様の処女懐胎 とか。

じゃあ 聖書は 無価値なんですか
って言ったら そうではないんですね。

完全無謬(かんぜんむびゅう)と言って 全て 真実 なんです。
事実かどうか というのは どうでもいいんです。

聖書には こう書かれている という真実なんです。

神話は事実ではない と こだわるのなら
何で 大統領就任式に 聖書に手をあてて宣誓するんでしょう。



なので 
国家編纂の 正史
日本書紀に書かれている事は 正しい事 と 見なされます。

見なす と言うのは 反証 があっても覆(くつがえ)らないんです。
こういう事にしよう という事なわけで 
推定する とは違います。

推定 は 新しい事実 反証があると 覆るんです。

見なす は こうする と決めた意味ですから 
事実かどうかは問題ではないんですね。

神話を 馬鹿にする人がいますが
神話を 忘れた国は 滅びる という風に言われています。





神話だから信じない! という人は 
2月11日 の 日本の建国の日。お祝いの日。 
祝日を休むな って話ですよ。


今ある 全ての国の中で 1番 古い国はどこかというと
日本です。



4000年の歴史がある と言いはる他の国は 実態は王朝交代の歴史です。

日本 という国は
初代 神武天皇 以降

現在の 今上陛下は 第126代。

縄文晩期 
即ち 新暦時代では 弥生時代の始め になりますと 

神武東征(じんむとうせい) があり

歴史 リンク

天津神 の御子
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)= 神武天皇 は

奈良県 畝傍山山(うねびやま)東南の地
畝火(うねび)の白橿原宮(かしはらのみや) にて
初代天皇 に 即位なされました。



この 初代 神武(じんむ)天皇 の
大和の国 は 
3世紀 前 です。

ここから 国を束ね挙げていく という所に 入っていきます。

一応 考古学上の 出土物として確認できるものは
どんなに短く見積もっても 1800年前。

3世紀初頭 奈良盆地にある 纏向遺跡(まきむくいせき) で
天皇の墓 前方後円墳が造られた。
しかし
もう この時は各地の豪族を束ねた 連合王権 としてスタートしているんですね。

中核になっていたのは スメラ一族。
まだ 天皇 という呼称はありません。

なので
神武天皇の時代は さらに短く見積もっても 数百年さかのぼるわけです。

古事記 日本書紀 に書いてあることは 全部事実か わかりません。
ただ 古事記 日本書紀に そう書いてあることは 真実です。

歴史の 大きな流れを 探る事も できますし 

神武天皇 の統制が 真実 である前提の上で 
大和朝廷が開かれ 
今 にまで繋がってきている という事なんです。



神話に書かれてある内容は うそぉ〜 と思う前に
どのように 建国の流れがあったか 知っておくことは 
一定の価値があります。

好き 嫌いは 信じる 信じないは
知った後の話です。  

考古学 ・ 言語学 ・ 分子生物学 ・ 古文書 など付き合わせたときに 
これから わかってくることもあります。

天皇家は
霊の元つ国人の 日の本の ご先祖様で ありますが

皇室とは どいうものか 

ということを 学校で教えませんので 
自ら勉強するしかない状況です。

世界が一家であるならば 
人々が お互いに助け合い 祈り合って より良い 社会を造ろうとする意志が
共生弥栄のミチ を造ってまいります。

日本書紀に
建国の詔(天皇が発する公式な命令) が書かれています。

この言葉は
先の大戦で 多くの日本人が 戦争指導者によって騙されて

勝ち目のない戦争を 無理やり戦わされた結果

300万人の日本人が死んだのだぁ〜 
などというような文脈の中で
日本人を 洗脳するために使われた 呪文としてある言葉 だと 



悪意をもって語られてきてしまったのですが

八紘一宇(はっこういちう)。
原文通りですと

八紘為宇 (はっこういう)。



六号(りくごう)を兼ねて 都を開き 
八紘を 掩(おお)ひて 宇(いえ)と為(な)さむこと 亦可(またよろし)からずや

これは
建国の詔(みことのり)に書かれている 神武天皇のお言葉ですが

神武天皇が どういうお気持ちで 建国なさったのか。
これは 大御心(おおみこころ)の 中核と成すわけです。

たとえ 歴代天皇が 
皇位を受け継ぎ 移ろぎ変わろうが 決して変わらないものがある。
それが
大御心(おおみこころ)です。

考古学から 

縄文時代は 
戦争のない時代でしたが 

弥生時代の 
後期・晩期には 西日本を中心に
戦傷のものが 出てきました。防衛が 主旨の街があった。

佐賀県 吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき)は 



頭蓋骨が陥没している とか 背骨に矢じりが刺さっている とか

日常生活をしていて 背骨に矢じりは刺さりませんからね。
明らかに 戦争で亡くなった方です。

ところが 
血みどろの戦い という感じではありません。
おおむね 話し合いが 多いのです。

歴史を学ぶと
打ち壊し や 一揆 反乱 クーデター などもありましたが それは

政治を任された リーダーに対するものであって
天皇に向けられた事は無いんですね。

江戸時代後期 天明の大飢饉の時の
光格天皇への 御所千度参り を見てもわかります。

歴史 人物A リンク

しかし
人同士が 戦い 争う事を
神武天皇は 憂いていたわけですね。

もうやめろと。一緒に 協力して 取り組んだら みんな幸せになるはずだと

人は みんな 家族みたいなものなんだと。
そして
日本という 島国が 家みたいなものなんだと。

日本人同士が 戦争をするのは 悲しいことだと
人々は みんな家族だし
日本列島は 私たちの 家 みたいなものだと

東日本大震災 の時に語られましたけれども
奪い合えば 足りなくなる。
分け合えば 余る。

そういうような事を 神武天皇がおっしゃったわけです。

反抗する奴は 次から次へと倒して
戦いで勝った者。 俺が王になる という
猿山の原理 とは違うんです。



みんなで 協力して 
みんなで 幸せになろう!

そのために 国を建てたわけです。

そこで
八紘を以て 家と為す と いうことであります。
人類は 皆 兄弟であり 同胞(はらから)である 

との
貴い詔を 発せられたのであります。

これは
民(大衆)に 利や幸 となるならば 天皇も 聖(ひじり)の勤めとして 一緒に歩もう
と 
共生弥栄 のミチを 示されたのです。

第16代 仁徳天皇のお言葉でも 
国民が 飢えたらそれは 君主の責任である と 古事記 日本書紀に書かれています。

歴史 人物@リンク

国民が不幸になったら それは 天皇の責任だ とおっしゃるわけです。

よもの海 みなはらからと 思う世に
など 波風の たちさはぐらむ

昭和天皇は 先の大戦に入る前に
日露戦争の 開戦時の 明治天皇が お詠みになった御製を 2度御前会議で
お詠みになられました。

世界の海は 1つであるはずなのに なぜ波風が立つのだろうか。
なぜ 人々が殺しあい 憎しみあい 戦争をしてしまうのか。



スメラミコトの ご直系である 天皇陛下は 
今も 日々 
国家国民の 弥栄えと 世界の安寧を 祈っておられます。

天皇は
国民を 我が子のように愛し 祈り

国民は 
そのように想って下さる 天皇陛下の事を 本当の親のように 敬愛し 
皆で 力を合わせて 国を支え 守ってきた。

日本とは何か という問いに対して

明治時代に
簡潔に 短い言葉で表現した方がいます。

井上毅(いのうえこわし) という人です。



近代日本の 原動力となった 両輪

大日本帝国憲法 と 教育勅語(ちょくご) を書き上げた人物です。

大日本帝国憲法の 第1条には
我が国の 国体(こくたい)を 
せいぜい 2・3行でスパーン!と書かなければならない。

それは
『大日本帝国ハ 万世一系ノ天皇 之(これ)ヲ統治(しら)ス』

日本という国は 天皇が 治す(統治)国 なんだ と書いたんです。

歴史 近代 @ リンク

統治ス というと 
天皇が国家を所有し 国民自体も 天皇の所有物 みたいな
天皇のためには 1億人 全員死ね

などと 曲解(きょくかい)されましたけれども
全く意味が違います。

知らす は お知りになる。
知らせ は お知りになりなさい。

日本 という国は 
天皇が お知りになるなる国だ って言うんですよ。

だから何? 
と 思ってしまうかもしれませんが ここが重要なんです。

日本という国は
古事記 日本書紀 の
天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)が 
邇邇芸命(ににぎのみこと)を 地上に降ろすにあたって

あなたは 地上世界に降り 国を知らせ
と おっしゃった。
天孫降臨(てんそんこうりん)の 神勅(しんちょく)。役割を与えられ 地上に降りました。

歴史 リンク 

ポイントは
国民の幸せを 祈れ などと言う 神勅(しんちょく)は下りてないんです。

そして
邇邇芸命(ににぎのみこと) の 曾孫(ひまご)に当たる方が

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)= 初代 神武天皇 です。

知らす と 何かと言うと 知る事なんです。

天皇陛下は 年(ねん)に かなり多くの頻度をもって 祭祀をなさっています。 
世界 国家 国民 の安寧をひたすら祈っていらっしゃいます。

法律上の義務で 祈っているのではないんですね。
自発的 なんですね。

天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)から与えられた 命令 義務は 知らせ です。

国の 国民の事情を 広く 知りなさい という事です。

知ると 何が起きますか?
知ると 祈りたくなるんです。ここが重要なんです。



テレビに出ている人が 入院した報道が出た。
あら 大丈夫かしら 頑張って 元気になりますように 

と 祈りたくなるんです。知っちゃったからですよ。

天皇陛下 の 行幸(ぎょうこう)なさるのには 
地域 地域の 全国の国民が 取り組んでいる事を 
1つでも多く 知り

そして
祈り に向かうわけなんです。

東日本大震災の時 

被災地 避難所 の状況など そうとう細かい 
そんな事まで お知りになって 何をするのか 
という
疑問に思う事まで

御下問(ごかもん)になったそうです。

それは 何故かというと 祈るからです。

義務でない。天皇の祈りは 自発的なんです。世界の安寧を祈る。

自分の命を 差し出してでも祈る 祈り。
神様に 祈るって 嘘をつけませんから 
天皇の 祈りは 恐ろしいくらい真剣ですよ。

実際に 東日本大震災の時
上皇陛下は 心臓のバイパス手術を受けていましたよね。

歴史 人物A リンク

残念ながら
学校の教科書に 書かれていない

鎌倉時代
元寇 の時の 亀山天皇や

昭和天皇 が マッカーサー にお会いに行った時のお話は 有名ですね。

歴史 現代@ リンク

ぜひとも 日本国民は知っていて欲しいと思うのです。 

マッカーサー元帥 自身の手記にも残している内容です。
その時に マッカーサーは わかってしまったんですよ。

マッカーサー元帥 は 日本軍と戦っていた アメリカ軍の司令官ですからね。
しかし
心の中に 1つの疑問がありました。

なぜ 
日本人は 斯(か)くも このように勇敢に戦うのか。
全く理解できなかったんです。

多くのアメリカの将兵たちは 日記に 賞賛の言葉を書き残しています。

日本人はすごい 私にはできない って。

先の大戦ほど 日本人が 勇敢に戦った人たちは いません。

硫黄島 沖縄 特攻作戦。
なんで
死んでまで 守るものは何なのか 
なぜ 負け戦なのに こんなに勇敢に戦うのか。

歴史 人物A リンク

マッカーサー元帥 が 昭和天皇と 会った時にわかってしまったんです。
だからか と。

この人たち
家族 なんだ って。



時に
変な 為政者もいましたが

天皇に 
皆が幸せになるために 
私も頑張る。一緒に頑張ろう。
頼むね! と言われたら

皆 よし頑張ろう! となったわけです。

これは
正に 神武天皇がおっしゃった 八紘為宇(はっこういう)。

我が国の 建国の精神 理念 そのものですよ。

守るべき者 に対して 自分の命を 投げ出してでも 守る。
愛する人を 守る為に志願し 出撃して行ったんです。

日本が負ける事は 明らかでしょう。
最後は
意地を見せる という事です。
日本人の 気概を見せつける という事です。
 
特攻で突っ込んだからって 日本が勝つ なんて
最後は誰も 思っていないでしょう。

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大和魂 を見せつける。

だからこそ
終戦後 WGIP(ウォーギルトインフォメーション プログラム)



の 意識を持つように 
徹底的に日本人を 洗脳していく事になります。

歴史 現代@ リンク

神話や
歴史という 先人たちの生きざま 日本人の誇りが

じわじわと 消えていく状態ですから
ゆでガエルの 例えのように



熱湯に カエルを入れると 
熱くて ピョ〜ン! と飛び出してきますが

水から 徐々に沸かしていくと 
茹であがって来ているのが 気付かない。

戦後から 100年たった頃。
気が付いた時には 身動き取れない
という状態になっている という事が ありうるわけです。





日本人に 怯えたから 
大和魂を抜いてしまえばいい。

戦後 
日本人は 物質的に豊かになりすぎて 頭の中が お花畑になってしまって
記憶喪失になってしまったんですね。

しかし 今に至るまでに
歴史上 勇敢に戦った人たち は

日本の国を 存続させたいという 夢と希望 を持って散ったんですよ。

そして
彼らは 本当に国を残す事に 大きな力を発揮しました。

終戦が あと 2週間遅ければ
日本は 3分割 4分割されていて

東日本 は ソ連
関東周辺は アメリカ
西日本は 中国



東日本 西日本 出身の 
今の若い人は 生まれてきていない可能性が高いです。

戦後に起こった 赤い国の
何とか大革命などがありますから。

沖縄返還には 時間がかかりましたが

日本の国は 残ったわけですね。

実は 戦勝国のアメリカの世論調査では
多くの人が

天皇を処刑しろ とか
皇室を廃止しろ とか という意見だったんですね。

昭和21年 1月25日
マッカーサー元帥は 日本の調査結果として

本国のアメリカの 陸軍省宛てに 秘密電文を打ちました。
これがきっかけで 
すぐに参軍会議が開かれ

日本と 天皇の 存置が決まります。

マッカーサーは 本国に何を送ったのでしょうか。



天皇を 起訴すれば 

まぎれもなく 
日本国民の間に すさまじい動乱を 引き起こす事になるだろう。
その影響は いくら評価しても 評価しすぎる事は無い。

天皇は
全ての日本人の 統合の象徴 である。
天皇を葬れば 日本国家は崩壊する。

実際のところ
全ての日本人は 天皇を 国の元首(げんしゅ)として 尊崇 していて 

善かれ悪しかれ
ポツダム宣言が 
天皇を維持することを 意図していたことを信じている。

もし
連合国の行動が 
彼らの 歴史的な想い を裏切ったならば

そこから生じる 日本国民の 
憎悪と 奮力は 間違いなく 未来永劫にわたって続くであろう。

幾代にもわたる 復讐のための 復讐が引き起こされ

天皇を 裁判に賭ければ
その悪循環は 
何世紀にもわたって 途切れることなく 続く恐れがある。

私の考えによれば
全日本人は 
消極的或いは 半ば 積極的な手段により 天皇を葬ることに 抵抗するであろう。

彼らは
武装解除されているので 訓練され 装備された軍によって 特別な脅威はない。

しかし
政府の 全ての機構が 崩壊し 
文化的な活動は 停止し 

反体制の 混沌無秩序な状態が 
山岳地帯や 地方で 
ゲリラ戦を引き起こす事は 想像できない事ではない。

思うに
近代的な 民主主義の手法を 導入する希望は消え去り 

引き裂かれた人々の中から
共産主義に沿った 強固な政府が 生まれるだろう。

これは 
現在の占領の状態と 次元の異なった問題が 起きることを意味する。

そうなった場合
駐留軍を 大幅に増員することが 不可欠となる。

最低1100万人の 軍隊が必要とされ 

軍隊は 永久的に 駐留し続けなければならない可能性が 極めて高い。
そのうえ 
行政 を行う上には 公務員を 日本に送らなければならず
その必要な数は 数十万にのぼるであろう。

マッカーサーは

天皇を裁判にかけて 処刑する事になったら
とんでもない事が起きると。

数百年間 治まらないって言ってるんです。
だから
絶対 天皇だけは手を出してはいけない と。

日本人 怒ったら 何するかわからないよ って言っているんです。

これを受け取った アメリカ本国政府は



天皇 と 日本人の深い関係 って何なんだ?
という事で

直ちに 
天皇を残し 日本の国を残す という事が決まったんです。

これは

戦場で 勇敢に戦った人たちがいるからですよ。

愛する人 守るべきものの為に
日本 という国を残したい。 
日本の国を 存続させたいという 夢と希望 を持って

散ったんですよ。



自分の命で 最後の最後まで意地を見せた という事は
確実に 日本国を 存続させるように導いたんです。

そういう人たちの お蔭なんです。

歴史の中で
勇敢に戦った人たちの 姿 があったからなんです。

歴代天皇 の 
国民の命を守るために 自分の命も 神様に捧げる という祈り。

日本人として 
神武天皇の 建国の精神 理念 を ぜひ知っておいて ほしいものです。



でも
学校では 教わらないのないのです。

それは
先の大戦で 日本は 敗戦国になってしまったからです。

この考え方は 普遍的で 2000年前も 
これからも
通用する 価値観なんです。

日本人というものは
古来から 日本の事だけを考えていたわけではないんです。

先人は
世界との パワーバランス 調和を考えて 
そして
我が国を 維持してきてくれたので 

令和の時代を迎えた私たちも それに習ってやっていこう
という事なんです。



私たちは
世界で 最も古い 歴史を持った 民族 であり

古い という事は 神様から 近い。
霊性 という 
私たちの 親である 神様の 意思 を感じる 聞く事ができる

霊性 の 民族 と 言われているんです。

日本は
国民が 天皇を守り 日本国 を守ってきたからです。

何故だと思います?
なぜ日本だけが 2000年以上 続いてきたんだと思います?

それはいい国だからです。

学習指導要領の内容も 変わってきました。
次世代に 本当に大切なもの
守るべきものは何か 伝えていかなければいけない。




日本人として 
日本の国に生まれ 育った事を 有難いなぁ と
しみじみと感謝して 
これからの 次世代につないで行く事を 考えてみるのもいいと思います。



教育勅語

発布の時代

縄文時代から
幸せに生きるための 先人たちからのアドバイスで
修身・道徳教育の 根本規範です。核の部分です。

修身 は 身を修める という事。

本当だったら これをやりたいんだけども 他人に迷惑がかかるから やめておこう
本当だったら 今 遊んでしまいたいけど 勉強しよう

人間の欲望を 抑制していく。

やるべきこと 
やってはいけないこと 
やらなくてはいけないこと。ちゃんと正しく判断する。



道徳 は 何が正しいか この場面を どう対応するのが正しいのか。 
どういうものの考え方が正しいのか。

自ら 身を律して 
世のため 人のために 何ができるかという事を 
一人一人が考え 実践する。


日本人として
基本的な ものの考え方が 昔からあったのです。



明治時代 これが揺らいできた。
今も そうかもしれません。


いかに
俺が いい生活ができるか。 
どれだけ いい収入が得られるか。


もし日本人が 
みんなのために という 
公(おおやけ)のために という気持ちを失ってしまったら


自分が 自分が 自分が という
個人主義に走ってしまいます。

自分の幸せになるためだけのことを考えて 

みんなが 生活し始めたら どうなります?

みんな わがまま言い始めて 
秩序とか統率とか 連帯感がなくなってしまいます。

昔から日本人が大切にしてきたのは 「和の精神」 真・善・美です。

明治時代 半ば後半にも 
教育の荒廃

叫ばれるようになっていきました。

教育がボロボロになっていた時を 救済したのが 

「教育勅語」 でした。




明治維新の主旨

@神武建国の精神を取り戻すこと
A文明開化

700年間 武家の時代があり 
歴代天皇のこと 初代神武天皇は

どういう想いで 国を立ち上げたのか。

そもそも 「日本とは何なのか」

もう一度 原点に戻る必要がある
というのが 明治維新の目的でした。


尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)が高まり 
国学が盛んになり


幕末維新へとつながっていった。

ペリーが黒船でやってきて 開国を迫ってきたので 
いやいやでも 外国と付き合わなくてはならなくなった


どうせ付き合わなければならないのなら 
外国のいいものを取り入れよう。


という事で

成文憲法をつくり

国家体制もきちんとして


経済大国になっていこう 先進国の仲間入りをするんだ!




古いものを取り戻そう

そして
新しいものを取り入れる。   

という
一見矛盾しそうですが 
文明開化ばかりが進んできて 

本来の建国の精神に立ち返るって どこいっちゃったの?


外国のものが 良いとされ 
日本の 古き良きものが 失われていく。


日本の良いものを 掘り起こさなくては 
という 
危機感が現れてきました。


明治天皇が 憂慮なされたのが 

教育現場 でした。


国家観・道徳観という 
日本人としての精神は どこで教えるんだ? となったわけです。


江戸時代まで 
寺子屋・親から 先祖代々受け継がれてくる教え・家訓。


文明開化で 大学など設備は整って 
外国から入ってきた 教材を有難く教えて 

本来の日本の良いもの 国家観・道徳観・歴史観 などを教える
教科も
ほとんど無いことは 日本の将来が危ぶまれます。




教育勅語とは

明治天皇からのお言葉で 
教育二関スル勅語(明治23年10月30日発布)  



「こういう生き方は良いから 一緒にやろうよ」 というものです。


ちなみに 
天皇の詔(ミコトノリ) は 公文書ですから 
そこには必ず 政治の最高責任者の 署名が入ります。


関白とか将軍とか 
江戸時代でも幕末でもそうです。
自由自在に 天皇が詔を出せるわけではありません。


教育勅語は 詔 (みことのり)ではありません。
勅語(ちょくご)です。


「こういう生き方を一緒にしようよ」
という
天皇の 個人的な想いを国民に語った お言葉で 

国家機関が 命令 で国民に下す 
というものではありません。


これやれ! という上から目線のものではありません。
明治天皇が考えたものでもありません。

天皇の ご先祖様からのお話です。

初代天皇から 歴代天皇が 古い時代に   

日本の国を治め 
非常に 徳 に満ちた素晴らしい国を 
つくり育んできたこと 
徳 を立てたことは 偉大であったことを説明しています。


太古の昔から ご先祖様が 
日本人が 正しいと思っていた 生き方の 集大成なのです。


「素晴らしいから だから自分たちもやりましょうよ」
「まず 天皇である私が 実践させていただくので 
国民の皆様も よかったら一緒にやろうよ」


という内容なのです。

天皇のためじゃなく 

自分のためにやってほしい という文章になっています。




しかし 戦後
「一旦緩急アレハ 義勇公二奉シ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」

ここを誤解されていました。
もし戦争が起きたら 天皇のために戦って死ね 以上。

みたいな 極端な解釈をする人がいました。


本当の現代語訳としては

「もし国家が危機に瀕したら 一人一人が勇気をもって 公のためにつくす」
「広く世のため 人のため 社会のためになる仕事をしましょう」

ということです。

つくし方が 色々ある訳です。
職種も 色々ある訳です。


何も
戦場に行って 天皇のために死ぬなんて 一言も書いていません。


ところが

こういうものがあるから
日本人が一糸乱れず 一致団結して 戦争にかりたてたんだと 

教育勅語は 昭和23年6月19日廃止させました。

しかし
教育勅語は
行政が 結んでいない 個人的著作物です。
個人的に 国民に語りかけたもの ですので


明治天皇が 
「これ間違いだからやめます〜」と言うならわかりますが 
他人が「廃止だ」というのは おかしな話です。


学校現場で 使わなくなっただけの話です。




建国の精神

日本書紀に
建国の詔が書いてあります。私的なものではなく 公式な お言葉です。


神武天皇の時代 
弥生時代の 後期から晩期にかけて 
考古学からも 戦争の多い時代だとわかっているんですね。


八紘為宇 (はっこういう)
六号(りくごう)を兼ねて 都を開き 
八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(な)さむこと 亦可(またよろし)からずや




日本人同士が 戦うことを
神武天皇は 憂いていたわけですね。もうやめろと。

一緒に協力して取り組んだら 
みんな幸せになるはずだと


日本人はみんな 家族みたいなものなんだと。
日本 島国が 家みたいなものなんだと。

日本人同士が 戦争をするのは悲しいことだと
日本人は みんな家族だし
日本列島は 私たちの家みたいなものだと

みんなで協力して みんなで幸せになろう!と そのために 国を建てたわけです。

それを歴代天皇は 
それを大切に育んできてくださった。 

実に有難いことです。


戦争に勝ったから 俺が王だ みんな言う事聞け! 

力で制圧した者が 王ではなく


2000年以上前の時代の 
みんなで協力して 
みんなで幸せになろうという精神で 国を建ててくださいましたよね。

しかし
素晴らしかったのは 歴代天皇だけではなく

みんなで協力して
みんなで国を支えようと共鳴した 
協力した 国民もまた素晴らしかった事で 国が続いてきた。


天皇と 国民の関係性。
そこに教育の根本はあるんではないか ということです。




時代とか 地理的要件とか関係なく 善い事は続きますから 
理にかなって 本質的に正しい事 正しいと思えることをやっていれば

長続きする 真理が そこにあるんではないかと思います。

日本人であれば知っておいてほしいものです。

なぜならば 

どこの国の人たちも 

「君の国って どういう建国の精神があるのか」

と 聞くそうです。

アメリカ合衆国の 建国の精神は 自由ですよ。
イギリスの支配から宗教の自由を求めて戦ったわけですよ。


フランスにしても 中国にしてもそうです。建国の精神を知っています。
みんな学校で教えているからです。

何で日本は こんな大切なことを学校で教えてないのかというと 

戦争に負けたからなんですよ。

戦争に負けると 誇りが 踏みにじられるんです。

占領を受けている時に こんな教育できませんでしたよ。
占領が解除された後も

それが残っちゃったんですよ。

輝かしい過去の歴史もあれば 
反省しなきゃいけない 暗黒の歴史もあるんです。

光と影の両方を知ってこそ

真の日本の歴史の勉強になるはずなんです。

せっかく日本人に生まれたのだから 
最初に国を建てた人が どんな精神性で建てたのか 
これは押さえておいてほしいです。


この考え方は 
1000年後も2000年後も 通用するわけです。

ですから 
国民を本当に幸せにするだっていうのが 主旨じゃないですか。


日本国は 
国民を幸せにするためにつくられた国なんです。


かつては 
喧嘩で勝った者が国王になって 国家を個人所有したんです。

国民の命だって 国王の所有物だったわけですから。
そんなのに 建国の精神も へったくれもないんですよ。


根本的に 国民を幸せにするために 国を建てた 
そんな事例が かつてどれほどあるでしょうか。


日本が 2000年以上続いてきた理由の 
一つの大きな要素 を言うとすると 

国民を幸せにするという大義を 最初から立て これを理想として

口にするだけではなく 実践していったわけです。



教育勅語 12徳目の中身

ド頭の 1〜6
人として大切なこと 時間空間を超えて 大切なこと

@親孝行をしなさい 他の何ができても 親孝行しない人は 人間のカス
A兄弟は仲良くしなさい
B夫婦は仲陸まじく

C友達同士は信じあうように
D自分の言動は慎み深く
E自らを律し 近くにいる人を大切にしなさい

次 7〜12
社会人として 社会の構成人として大切なこと

F勉強しなさい そして 職業を身につけなさい 
G知識を養い 才能を伸ばしなさい
H人格の向上
I世のため人のためになる仕事に励みなさい
J法律・規律・社会の秩序にしたがう
K正しく勇気をもって真で 国のためにつくす

贅沢しなさいではなく

それを
世のため人のために使いなさい 自分のためにではない。


ところが 
世のため人のために 立とうとしても 勉強していない人は無理です。
何となく 思ってるだけだけでは できません。


職業を身に着けなければ無理です。


例えば アフリカの人を救おうと思って 
ポーンと行っても 

あんた何ができるのよって感じで

井戸を掘ってみろっ ていっても 掘れないわけですね。
病気になった人を 看病してみろっても できないわけですよ。


そもそも
アフリカの言葉をしゃべれない訳でしょ。

気持ちだけいくらあっても 何もできないわけですね。

だから
世のため人のために立とうと思ったら 勉強する。

職業を身に着ける。 
それでこそ初めて 

世のため人のために力になれるわけです。


お医者さんになれば 人を助けられるかもしれない。
弁護士になれば 会社の経営や 法律でサポートできるかもしれない。

お金のために働くのと 世のため人のために働くのと 
両方とも収入にはなりますが


同じお金を得るにしても 全然違うんです。


徳 のある人に成りなさい ということです。

優しくて強い 傷ついた人の 心の痛みがわかる人。
しなやかにして強靭な人。

勇気をもって 公のために尽くしなさい という事です。

災害時にも 
一人一人が 

何を恐れている。
勇気をもって立ち上がれ!立ち向かえ!となりました。




もし 教育勅語の内容を 逆にしたら 
戦後の
日本の民主主義に 行き着く先ではないかと 感じてしまいます。 


●親に孝養をつくしてはいけません。
●兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。
●夫婦は仲良くしてはいけません。
●友達を信じて付き合ってはいけません。
●自分の言動を慎んではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
●広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
●職業を身につけてはいけません。いざとなったら生活保護があります。
●知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
●人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」だと言えば許されます。
●社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
●法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
●勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。

12項目の後に

「是(かく)ノ如きキハ 濁(ひと)り朕(ちん)カ(が忠良ノ臣民タルノミナラス(ず)

 又以(またもっ)テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顕彰スル二足ラン」

天皇のためにしないでね。
これは 
あなた達自身のためになるから してほしい。

なぜならば 
あなた達の ご先祖様が こういう生き方をしてきたんですよ。

昔から 
日本人が大切にしてきたことを 整理して語ってくれただけ であって 
明治天皇の思い付きじゃあないんですよ。


こういう美しい生き方を
天皇である 
「私がまず 実践するから みんなでやろう!」
って
言っているわけですね。


引用・参考文献 竹田恒泰さん 竹田学校 
 / 倉山満さん 逆にしたらよくわかる教育勅語 著書







徳・慈愛・利他愛・特質〜らしさ


武士道

戦後教育を受けている 今の世代に
失いつつあるものではないでしょうか。


武士道は 

「実践しないと意味がない」 ということです。


思想的な道を 探求するうえでの 指針となるもの
心のありよう 人としてのありよう なのですが 

何が大切かと言えば 
日常の一挙手一投足 なのです。


武士道論 になっている場合が多いんですね。

お茶をいただく時 お食事をする時 歩く時 姿勢 表情  

日常の中での事で 全てが 
武士道に通じていなければならない訳です。

知識だけ入れるのではなく 

行って 初めて学んだ という事。




また
人によって 武士道の定義が 少しずつ違ったりしますが

多くの方々が 
武士道と把握されている なんとなく こう という印象が


明治時代 日露戦争以後から
戦前・戦中・戦後に至るまでの 武士道 といってもいいかもしれません。


それは
江戸時代の 武士道 とは 違いますし

サムライが
いなくなってから 武士道は こうだ という考え方なんですね。


さらに言えば
大正末期から 軍の教育 軍の上層部によって 
都合のいい形の 武士道 の教育が行われるようになって行きました。


それが 潔く死ぬこと。 それはちょっと違います。

武士道 の原点とは何か。
これは

弱きものを助け 思いやる。
「慈悲」なのです。




人らしく生きていく最低条件が 挨拶 であり 礼節 です。

礼節は
「慈悲」 と「謙虚さ」 という 動機から生じるものであります。

「仁愛」という事でもあります。
恵み 慈しむ 親切な 気持ちの現われです。


礼節の実践が 日本全国に浸透していきますと 
古来よりの「礼節の国」と謳われました。 
麗しい 日の本(霊の元)つ国が 復興してまいります。



武士道の根底にある 核になるところは 

敵に対して手厚くするとか 

負けた人 弱い人に対しての 「お慈悲・武士の情け」という事です。


騎士道も素晴らしいものですが 武士道の 違いはそこにあると思います。


武士というのは 戦闘集団です。
しかし 
「刃を抜く」 のは

どうしようもない時に 抜くんです。


それは
邪悪なものが 民の安らぎというものを 奪う時がある。
それがギリギリ どうしようもなくなった時に 



弱い者を守る立場の者達が

 
「やむにやまれず」刃を抜くわけですね。


抜くからには 収める時のことを考えなければならない。
どこで収めるか。どういう風に平和を実現するのか。


基本は 弱き者を守る 慈悲 というところにある。
武士道は 愛する事にある。
死 というものを見つめるのだけれども 

本当は 
命を大事にして 
いざという時には 命がけ でやらなければいけないけれども 


極力 死なないように 死なないように 

無謀ではなく 争いは避けて 
話し合いをしながら進めていく。


本当の勇気は 「忍耐」 なんですね。



いかに戦わないかということ。

そして 
ここは生きるところだとなれば 断じて生きるんです。
何がなんでも 生きる。


死にたくなる状況でも ここは生きるべきところ と見たら 
どんなに苦しくても 生きる。


ここは死に場所だと思ったら 

自分が死ぬことによって 
多くの命が助かるとか 

そういう時は勇気を出して 静かに 死を受け入れる。

ここが潔く 死と隣り合わせで生きる という事だと思います。



対米戦争の特攻作戦は

片道だけの燃料だけで 敵空母・敵戦艦に 体当たりをして 
自らの命と引き換えに 敵の船を沈めるという事をしたわけです。


この作戦は 作戦としては ひどいものです。
軍事作戦の成功は 
帰ってきて初めて成功 と言えるんですね。
たとえ目標を撃破しても 
出撃した部隊が全滅しては これは成功とはいえないんですね。


ところが 
特攻というのは 死ぬことだけが最初に決まっているわけですよ。
こんなメチャクチャなことをしなければいけなかったというのは


最後 いよいよ日本が追い詰められてきて 負け戦だからですよ。

特攻作戦の目的というものはですね 

米軍・アメリカの政治家に対して 恐怖心 を植え付けることなんですよ。


まもなく日本は戦争負けますわ。占領されるでしょう。



でも 
好き勝手すんじゃねぞ。
日本人 なめんなよ。
日本人の この姿を見ておいてください。
日本人最後になったら何でもするぞ 

っていう話なんですね。


そういう風に考えた時に この 特攻の意味って大きかったんです。

アメリカ人曰く 

日本人 怒ったら何でもすると 何しでかすかわかんない 

そういう連合軍も 気を使いながら緊張感の中で


負けた日本の占領が始まるんですね。

だからこそ 
日本の国も 政府も 議会も そのまま残し 天皇も残しました。


彼らはもう ビックリしたんですから。
アメリカの兵隊は 生きて帰ることを前提に戦っているんです。

日本の兵隊は 死ぬ覚悟で戦っているわけですよ。


生きて帰る人と  死ぬ覚悟の人と 戦ったらどうなります?



ただでさえ 硫黄島の戦いで 米兵はおかしくなっちゃったんですから。


普通は負けの場合 白旗あげて投降するものですが 

日本人は 
玉砕 撃たれるのがわかっっていても 

刃振まわして 何百人と 突撃してくるわけですよ。

撃っている米兵は 心壊れるんです。何十人も撃っている人の心は壊れますよ。

アメリカの兵隊が上官に送ったメッセージが残ってますよ。

「もうお願いだから 俺たちを あんな狂った島に連れて行かないでくれ」


精神的に PDSDになってしまって 戦場復帰できない若者がほとんどだったんです。

確かにアメリカは勝ちましたよ。
勝ちましたけども ものすごく怖かったみたいです。


硫黄島を守備した日本兵は 2万3千人。
それを取り囲んだアメリカ兵は 17万人。


これほどの戦力差があったら 
アメリカ側は 簡単に短期間・無傷で勝てると 3日で落とす計画だったんです。

ところが
実際攻めてみたら 一か月経っても まだ落ちなかったんですから。

日本人は 生き残ったのが20人ほどですよ。2万人以上が玉砕しました。
しかし 
そんな小さな戦力で こんな粘った例は人類の歴史上無いんですね。

アメリカ兵は 生きて帰りたいのに 
日本兵は 死ぬ気で向かって来るのですから 

おいおい来るなよって感じで 


なんで こんなに
日本兵は あんなに真剣に戦えるのか わからなかったそうです。


そして最後に見たのが 特攻 です。
フィリピンのレイテ沖から始まって 沖縄も。



鹿児島の知覧から 若き特攻隊員1000名が 
沖縄防衛のために飛び立ち 往いて帰らざる壮途についたのであります。
それは 飛び立てば 二度と帰ることのできない出撃でした。 



父よ 母よ 兄弟たちよと叫んで 
若き志士たちは 祖国を守るために
開聞岳(かいもんだけ)の麓から飛び立ちました。


爆弾抱えた飛行機が 突っ込んでくるんですよ。恐怖だったでしょうね。

アメリカ兵の日記から 恐れおののいていると共に 
さらに 
この人達 すごい! 軍人の鏡だとか 賞賛しているんです。

自分にはできないって 書いてあるんですよ。

日本人 この人たち最後になったら 何でもするな。

死ぬ気になって来られたら こんな強いものないですからね。

精神的に すごいインパクトがあったわけですよ。

しかし硫黄島も アッツ島もガダルカナルもそう。
各地の
日本人が玉砕した戦闘した人は 
特攻隊じゃないんですよ。

普通の兵隊も

自分の命を捨ててでも 一撃をくらわす。

硫黄島が落ちたら 日本が焼かれるんですよ。
自分の家族が殺されるんですよ。


何のために死んだかっていったら 

家族を守るためです。特攻にも志願していったんです。




最後の日本人の精神性を見せつけるんです。

もう
敗戦するのはわかってますからね。

敗戦した後 何とか国を残したい。

未来を担う 種 と 芽 を残したい というのには




なめんなよっていう 
これから 日本 敗戦するけどさ 
好き勝手させねぇぞ って話ですよ。

この姿 見とけ!と。


よく特攻隊は 
命を捨てたに等しいと この子達可哀そう という人いますけど

特攻隊の若者は 

日本国を守る という夢をもつて飛び立って行ったんです。
そして夢を叶えた人たちですよ。


その魂は お取り上げ下さると信じる。
母神は その霊衣をもって包まれたに違いありません。



特攻・各地の戦地で勇敢にも戦った日本兵のあの姿です。
その姿が 米兵の心に焼き付き 


マッカーサー元帥が言ったんですから。



「天皇をなくしたら駄目」だと。
「日本国解体したら すごいことが起きる」と。


特攻・日本の兵隊たちの戦いぶりに 日本は守られたんです。
愛する人が幸せでいられる事 と 日本国が存続する という事がつながっていたんですよ。
国を守るという事は 

家族を守る という事だったんですね。


戦争に負けると その国家は2分割 3分割されるのが常識です。
ドイツも 5分割されました。
朝鮮もベトナムも 2分割でしたよ。


日本も終戦があと 1・2週間遅ければ 

北海道は ロシア 
西日本は 中国だったかもしれませんよ。
連合国で 3等分・4等分するような話になったかもしれない。
大棟 ひとつで収まりましたけどね。


日本国さえあれば 
家族は幸せでいられるはずだ。

と思った
特攻に志願した人達の想いは 正しかったんですよ。

そういう人たちの 勇敢な行動があってこそ 日本国が守られたんですよ。



なので 
この最終局面での日本人の振る舞い 人類の歴史上 
この時ほど 
日本人が勇敢に戦った人達はいません。


このことによって
終戦 という戦争をして負けるという国難にあたっても


日本はしっかりと 国を守る事ができましたよね。
そして 今 
しっかりと国を反映させてますよね。


国家の存続と 愛する者の幸せが 
完全にイコールで結び付けられていた。大切なものを守るために 戦った。


2000年以上永きにわたり続いてきた 
人々を守り続けてきた それが 日本国 なんですよ。

だから
国民が日本を守るという事なんですね。


命を投げ出してでも守ろうとした その国に生まれたんです。

そこまでして守ろうとした国がどこにありますか。

そこまでして守ってくれた国は 今 どうですか?
これから私達は どうしていったらいいですか?

引用 参考文献 石川真理子さんCGS   竹田恒泰さん 竹田学校 他





婦徳

女性の役割は大事です。
母親というのは全ての 生成発展の中で 

育んでいく 
というところに本質的に関わっているのが 

女である という事です。

表に立って 世の中を動かしていくのは 男性なんです。

安心して男の人が出ていけるように それを操るのは女性なんですけれども




女性の社会進出という言葉がありますが 


働く女性が輝いている

お母さんはそうじゃない
みたいなことを印象つけるようなことがあります。

しかし
戦前までは お母さんが家の中で権威をもっていて 表向きはそう見えなくても 
その価値観があったから 

家の中がうまくいっていて

国家が団結することにもなっていたんです。
今 その
家社会 を壊せば 日本はグラグラするんだろうと 
戦勝国の思うツボです。良く研究してくださいました。


女性が こうなるのが美しいよ とか

子どもを産めなくなって 然るべきみたいな ダイエット法。
社会進出によっての ストレスによる 女性器にくる病気。
少子高齢化 
3歳までの感性が 出来上がる教育の大切な時期に 
人様に 子どもをあずけるなど。


母親の権威が落ちてしまいました。

子育ては 本当は尊い国つくり。未来の国つくりのお仕事の時なのです。
しかし
うまく仕掛けられた罠に ウマウマと引っかかってしまったのです。

環境や経済的にできない という状況・意見もあります。
少し厳しいかもしれませんが 
「できるか できないか」の違いは
 
「やるか やらないか」でしかないんです。

少しずつでも 今の自分に何ができるか が大切なのです。



武士道の八徳   仁・義・礼・智・信・忠・考・悌

女性の四徳     
婦徳(柔順・優しさ)
婦言(気品ある言葉使い)
婦功(家事・家政)
婦容(美しさ)
 というのがあります。

良い妻で賢いお母さん。旦那さんからも大事にされます。
しかし 
我慢することばかりじゃあないか という主張もありますが

我慢する という事だけではなく 

自分を磨いていくと
結果的に 事がうまくいって 
女性そのものが 幸せになりやすくなるんです。


男性と女性は 陽陰。
違う性質・役目がありますので それを
十字にガッチリ組むと すごい力 が生まれるのです。

足りない部分を補って 世の中の発展に役立てていこう。

女性がお仕事をされるのは それはそれで良いのです。

ただし
男性と肩を並べて 張り合う必要はないという事です。
お互いに認め合って 協力しあうことで 男女の役割を果たしていく。

男らしさ・女らしさ 「らしさ」という事です。

男尊女卑と思われている方も多いのですが ちゃんと学べばわかってきます。

悌 とは 弱い者に対して 思いやりを持ちなさいという事です。

力で男性に女性は到底勝てないのだから 
自分よりも 弱い立場に強く出る というのは

サムライの風上どころか 
男として 失格 と言ってもいいぐらいかもしれませんね。


そういうことを 武士道は教えているんです。

男徳 というものはありません。 
神様は女性に 
男性では真似のできない 徳 を与えてくださっています。


個人主義が導入された戦後ですが 
個人主義とは 公より私 を重んじる思想と 考えてよいと思います。

しかし 
日本というのは 昔から 公の精神 でやってきているんですね。


自分の幸せ というものが 他者の喜びの上に 成り立っているのだと
そういうことを
一番知っている民族が 日本人だと言ったのが



小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン:ギリシャ出身・小説家)



なんです。

個人主義を取り入れて 
私が私が と言い始めたら 訴訟社会になると 明治末期に予言していいるんです。


今の
選択的夫婦別姓 にしても

内閣府の世論調査の段階で

導入を容認 という人が 42・5%。
これ
5年 10年 経った時に 6割 7割 になった時どうするんですか?

踏みとどませるって よほどのエネルギーが必要です。

お父さん お母さん の姓が違うって
じゃあ どっちの人間なんだ と 判らなくなりますよ。

男に生まれた 女に生まれた 男と女の差があるのは おかしい!
男女同権!

運動会で 勝った 負けた って
負けた子の親が ウチの子を辱めたって 裁判するような
って

ポツダム宣言を受諾してから 
日本社会は 自由 平等 という方向に進んでいくんです。

法律も 差別がないように といって 簡単に法改正がされるように
なってしまうんです。

頑張ったから 成果が出る。
努力しないで ポケ〜っとしてても 平等だからって
これが 不平等でしょうよ。

なんで 結婚したら 嫁は
旦那の姓に 変わらなきゃいけないのよ。
男と女の差別だって 言うんですけども



自由 自由 と言いますが

自由は 他人の権利を侵害しない範囲で 許されるんです。
戦後は
自由 って言ったら 何でも通るみたいに言いますけど
自由は 何でも自由にやっていい なんて ないんです。

家族制度を守る 法的な安全性 
日本人の 伝統的な家族制度 があるわけで

社会の一員 の前に 
家族の一員 なんです。

という事は 不自由なんですが そんなものなんです。

名前を自由に 名乗れるようになると

オレ 今日から ゴンザレスね とか

昨日と 今日と 違う名前を使って 犯罪天国になります。
免許証 も 毎日違う名前なんて
社会は 大混乱になりますよ。

もし
夫婦別姓 を認めたら 事実婚が増えて
先祖も 何もわからなくなります。

外国では 
お父さんの実家 お母さんの実家 両方に属する という考え方で

家 という概念が無いんですが

しかし
お父さん お母さん 2人から
おじいさん おばあさん 4人になって

先祖は 倍倍に増えていくわけです。



全部に属する 自分。

言いかえれば
先祖のお蔭で 今の自分がいる という事です。

個人主義 って言っても
個 は 全 に

全体につながるんです。

日本民族 伝統 文化が 家族法をつくるのであって
よほど 慎重にならなければいけない。

日本の家族制度 を無くす という
伝統? はぁ? 俺たち自由だし 変えれば楽だし 自由だし
ポリティカルコレクトネス という話ではなく

人間は 伝統を守っていれば 
道を踏み外す事は まず無い という事です。

母から娘。何代も繋いできたもの。
脈々と日本の中に流れてきたものが 

パチっと絶たれて 消滅しかかっているところがあります。

どうしたら 
日本の女性たちが 目覚めていくかというところです。


皆さん 種 は持っています。
芽が出ますように。



男性も 「らしさ」を大切に育てていけますように。

公の気持ちが とことんまで落とされている今 
自分の事しか考えられなくなると 幸せになっていないんですよ。


自分の事しかないから。

色々なものの根幹に 
公(おおやけ) のものの見方
考え方が 欠けていいることが あるかもしれません。


幸せ というものを考えていった時に

自分以外の  何か大切なものを見つけること。
そして 
その大切なものが見つかったら


それを守ろうとか そのためになろう とすると 人は動くんです。
その時に初めて 本物の幸せが降りてくるようになると思います。

慈愛なる 微笑み 復活させ 人を温かく包み込んで
笑顔をもって 
家庭を 学校を 社会を明るく照らしていきたいものです。



引用・参考文献 神谷宗幣さん  / 石川真理子さん CGS / 竹田恒泰さん  他





日本精神(リップン チェンシン)

令和2年。2020年。
7月30日

台湾を 民主化に導いた 
李登輝(りとうき) 元総統が 逝去されました。
台湾民主化の父 と呼ばれた方です。



お生まれになったのは
大正12年。
1923年。

中学時代
とにかく みんなが嫌がる仕事を 率先してやりたかった。

という事で
朝 6時の起床と共に 
人が嫌がるであろう 便所掃除を 喜んでされたと いうエピソード。

また
高校時代は 人間はいかに生きるべきか。死生観を苦悶された という事です。

そして 新渡戸稲造(にとべいなぞう) の
武士道 という本に出会われました。

日本と 台湾は 運命共同体。東アジアの防衛。
そして 今の私たち 記憶喪失になっている  日本人に
かつてのような 
日本人の 日本精神(リップン チェンシン)の復活を願って 
活動をして下さいました。

日本は 敗戦によって 一度は 大和魂を 抜き取られているのです。
物質的豊かさを得た時 残り火としての 大和魂 を捨て去ってしまったのです。

大和心・大和魂

本居宣長 の



「敷島の やまとごころを人問(ひとと)はば
 朝日ににほふ 山桜花(ざくらばな)」



日本にわずかに自生する 山桜花。艶やかな ソメイヨシノ ではなく 山に楚々と咲く桜。

吉田松陰 は



「かくすれば かくなるものと知りながら
 やむにやまれぬ 大和魂」

やむにやまれぬ想い  それが 大和魂の本質なのであり 
この 大和魂 を私たちは取り戻さなくてはまりません。

終戦に際し 昭和天皇は マッカーサー司令長官に対し 

自分の命はどうなってもよいから 国民を救ってほしい と語られました。

昭和27年
4月28日。
サンフランシスコ講和条約執行。
平和条約を結んだ 日本は 
この日をもって 米国から 独立国家としての 主権を回復したのです。

独立の日を 昭和天皇は どれほどお喜びになられたことか。
国の為に殉じた 英霊たちのことを思えば
どうして 私どもは うかうかと 過ごすことができましょうか。

日清戦争の結果
下関条約によって 
台湾が 清(しん)から 日本に 割譲されてから
先の大戦での 日本の降伏まで

日本の統治時代であった台湾。

八田與一(はったよいち)は 



台湾において 灌漑工事など インフラ整備に従事し
烏山頭(うさんとう)ダムを造りました。
今なお 長く 台湾の偉人 として称えられています。

鳥居信平は



農業土木技師で 荒地を緑の農地に というスローガンの下
忠犬ハチ公 の飼い主で有名な 
恩師の 上野英三郎博士 から依頼されて
原住民の村人と 根気強く 話し合いを続け
衛生的 地下ダムを造り 
サトウキビや 稲作・さつま芋・野菜などの 栽培を教えました。

末永仁(めぐむ)は 
台湾米の 品種改良に取り組み 
台湾の気候では 栽培が不可能とされていた 

ジャポニカ米の開発に成功しました。
それは 蓬莱(ほうらい)米と名付けられ 
台湾の農業を 飛躍的に発展させました。



森山松之助は
建築士として 台湾総統府や 総統官邸 台中州庁 台北州庁など 
多くの重要な公共建築物を手掛け 今でも使われています。



1944年。
台湾に 配属された 日本海軍の 杉浦茂峰(しげみね)少尉は



台湾に来襲した米軍機を 
零戦で 迎撃中に被弾し 

集落への墜落を避けようと 郊外に機体を誘導したため
脱出が遅れて 落下傘で降下中に 機銃掃射を受け 戦死。

台湾の その地元の人たちの集落を守るために 命を落とした 杉浦少尉を
飛虎将軍(ひこしょうぐん) と呼び 廟を建て 



朝夕 君が代 と 「海ゆかば」
の演奏を流し
今でも 弔ってくださっているといいます。 

こうした目覚ましい 日本人の功績・業績を
日本人が忘れてしまい 教わっていない という事は 本当に残念です。

李登輝先生は 
生きて国を守り 死んで国を守りなした。

台湾 と アメリカ
台湾 と 日本 の友好を深め 
台湾を独立国として 認め合って 

李登輝先生の言う

かつてのような 
日本人の 日本精神(リップン チェンシン)の復活を願って 

日々の生活の中の 自分にできる から 実践していきたい と思います。



引用・参考文献  
服部剛先生 感動の日本史  /  李登輝先生 武士道解題 〜ノーブレス・オブリージュとは / 竹田恒泰さん 他





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